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第四章 終結 ―遠い〈記憶〉の彼方― (1)


 赤茶けた土を雲ひとつない空にさらす、荒野が広がっていた。空気は乾き、陽射しは少々強過ぎるくらいに地上を照りつける。
 帽子やスカーフで直射日光を避けながらその荒野を歩く、五人の少年少女の姿があった。
 背中を流れる汗の感触が気持ち悪い。そこまで再現しなくてもいいのに、と思いながら、少女の一人が声を上げる。
「足跡もない……クレオ、ほんとにこっちの方向でいいの?」
 いつもの涼しげな服に麦わら帽子を被った格好のルチルが、古ぼけた地図を広げてコンパスを先頭を行く少年に目を向けた。
「うん……こっちのはずなんだけど……
「相手はクラッカーよ。妨害されていることもありえる」
 ネファリウスで手に入れたコートと帽子を身につけたまま、リルがいつもの落ち着いた口調で指摘する。彼女の服装はルチルと比べるまでもなく暑苦しいが、本人はいたって涼しい顔をしている。
 彼女が押している車椅子の上のステラも、ネファリウスから同じ服装を着たままだ。ブロンドのの少女は、フードで陽射しを避けている。
「大丈夫です……今のところ、罠の痕跡はありません。システムも正常に動いているようです」
 周囲を見回し、シータが請け合った。
 ひび割れ、乾いた大地の彼方には、青紫にかすむ山脈が見えた。反対側には地平線がのび、地図によると、その向こうに海が広がっている。
 シュメール・ワールド。地球上の古代遺跡をめぐり、謎を解いて強力な兵器などを手にいれながら、同じく、遺跡に隠された力を狙う地球外からの侵略者たちと戦うことをテーマにした、人気の高いワールドだ。
 ここでは、レベルやクラスといった概念はない。手に入れた道具や武器、知識が重要視される。ただ、ルチルはサイバーフォース用レイガンを、クレオは剣を持ち込んでいたが。
「あたしたちは、来たるべくして来た……だから、こうしてここにいる」
 水筒の水を一口すすり、リルがぽつりと言った。
 そして、彼女は先頭の少年に目を向ける。
「でも、あなたがあたしを選んだのは偶然のはず。何か、決め手はあったの?」
 曇ったような、それが決して悪印象ではなく、神秘的に感じられる灰色の目で見つめられ、クレオは頭をかいた。
「あの酒場の前にも、いくつか回ったんだけど……やっぱり、可愛い子がいいなって。あ、それだけじゃなくて……
 ルチルに邪険に脇を突かれ、慌ててことばをつなぐ。
「リルちゃんの雰囲気、どっかで会ったことがある、誰かに似てるんだ。だから知り合いだったら話が楽かなーっと思ったんだけど、別人だったみたい」
……そういうこと」
 納得したらしい声を返して、リルは視線を地平線の向こうに戻す。
 まるですっかり興味を失ったような様子に肩を落としながら、クレオは正面に向き直る。その視界に、地平線から突き出た尖塔のシルエットが飛び込んだ。
 地図上にはナホバ聖殿と記された、半ば丘に埋もれた神殿だ。荒野と一体化しているようにも見える、赤茶色の土を固めたような外観が、乾いた土を踏みしめて歩く少年たちの前で、大きくなっていく。
「いよいよか……
 つぶやき、赤毛の少女は腰のレイガンを軽く叩く。
 そのとなりで、クレオが地図をたたんでベルトに通したポシェットにしまい、剣の握りの感触を確かめる。儀式用とはいえ、充分実用に耐えられる物だ。
 大きな口を開けている遺跡の前で、一度立ち止まり、両脇に石柱が並ぶ入口を見上げる。なかは暗く、陽の射さない回廊の奥は、ただ闇が広がるばかりだ。
 リルは着ていたコートを脱ぎ、少し考えてから、丸めて帽子と一緒に出入口のそばに置いた。
「覚悟はいい?」
 背負ったリュックからランプ型のライトを取り出し、スイッチを入れ、ルチルが振り向く。
 緊張感のなか、全員がうなずいた。
 ここまできて怖気づくような面々でないことは、お互いにわかっている。ためらいなく、クレオとルチルが、遺跡内への最初の一歩を踏み出した。
 壁に装飾があるわけでも、天井に道案内が記されているわけでもない。
 地味な一本道を、五人は慎重に進む。殿堂入りのクレアトールことシータはもちろん、他の四人も、この昔から人気の高いワールドの知識は持っている。
 とはいえ、こういった場所での探検は、レイフォード・ワールドのダンジョン探索と余り変わりはない。罠や敵の気配に気をつけながら、慎重に進んでいくだけだ。
「確か、前に潜ったときは、そろそろ……あった」
 クレオが口を開いて間もなく、ライトの光が階段を捉える。
「下は、そんなに広くないよ。ただ、ちょっと厄介なトラップがあって……
「厄介なトラップ?」
 ライトを掲げ、緩やかな階段を降りながら、ルチルは問うた。そして、振り返ったところで男性陣がステラの車椅子を下ろしていることに気づき、そのまま待つ。
 周囲は、かなり入り組んだ迷宮になっていた。階段のある部屋から、分かれ道が四方に伸びている。
「確かに、厄介そうね」
 底知れない奥へ続いている通路を見て、リルは肩をすくめた。
 辺りは静かで、冷ややかな空気に満たされている。生物の気配はなく、まるで時が止まったような、聖域を思わせる雰囲気がある。
 全員が部屋に下りると、クレオがジャケットのポケットからペンライトを取り出した。
「先に行くには通路の先にあるレバーを下ろさないといけないんだけど、ここは、一定時間ごとに、この部屋を中心に、四つの区画に分かれた周りの通路がメチャクチャな方向に回転するんだ。だから、誰かがここで回転を見ていたほうがいい」
 ペンライトのスイッチを入れると、彼は、ある通路の入口を照らす。
「まあ、ここはもう野獣も全部掃除されてるし、やってくる冒険者もいないだろうし。女の子たちは、ここで待っててよ」
 少女たちに妙にさわやかな口調で言うと、目を丸くしているシータの手首をつかまえ、歩き出す。
「ほら、とっとと歩く!」
「あなた一人で充分でしょう」
「これ以上、あんただけを女の子たちと一緒にしておけないね! だいたい、オレが離れなきゃいけないのに、あんたが残るなんて」
 文句を言いながら、シータを引きずるようにドカドカと闇に消えていく少年の姿を、三人の少女たちは気の抜けたような顔で見送った。
 ペンライトの頼りない光が奥に消え、足音も声も届かなくなると、圧し潰されそうな静寂が残る。
 自分の鼓動が最大の騒音に聞こえる静けさに耐えられず、ルチルが口を開く。
「あー……ねえ、リルは、家族とかいないの? みんな脱出組だった?」
 彼女が振り返ると、階段の三段目に横から腰かけ、足をぶらぶらさせている少女の姿が目に入る。
「ここにも、脱出組にもいないわ。親戚は、向こうに乗ってるかもしれないけど……面識はそんなにないし」
 突然の質問にも、正面の通路を見つめたまま、銀の妖精は淡々と応じる。
「あなたは、向こうに家族がいるみたいね」
 スペース・ワールドのシャトル内での相手の様子を思い出したのか、少女は、視線をとなりに向けてそう問い返す。
 その灰色の目には、決して答を強制する色はなかった。だが、質問を受けて逃げるのは、ルチルの性格上、無理な話だ。
「ああ、いるよ。両親に、姉貴と弟。あたしだけ、サイバーフォースの研修を受けに家を離れていたの。その最中に衝突警報が発令された、ってわけ」
 小惑星の発見が遅れたため、警報から衝突まで、三日足らずの猶予しかなかった。飛行機などの移動手段は行政に押さえられ、人々にできるのは、誘導に従い宇宙船、あるいは地下シェルターに避難することだけだった。
 壊滅していく世界を見て無力さを感じながら、言われるままに避難する人々からは、希望が失われていった。シェルターに並べられた、カプセル状の冷凍睡眠装置を見たとき、それを棺のように感じた者は数多い。
「現実があっさり崩れて……まさか、こんなことになるなんてね」
 天井を見上げ、遠い目をする。
 絶望的な気分のまま、言われるままにカプセルに入り、横たわったとき、目の前に異世界が広がった。現実世界ではあの棺のような場所に横たわったままなのに、仮想現実は移ろいゆく。
 そうしてときどき、欺かれているような気分になるのだ。そんな気分を落ち着けるため、ある者たちは、信仰や特定の思想にすがる。
「現実でも、仮想現実でも、人は自分の意識で感じる範囲しか受け取れないもの。目に見えるのが自分の世界……どこにいても、それは同じよ」
 白い顔に、ほほ笑みが浮かぶ。
 ルチルは、それがリルなりの心遣いだと知った。礼を言おうと口を開き、唇を『あ』の音の形にしたまま、足もとを見下ろす。
「わあっ!」
 瞬間、文字通り彼女は跳び上がった。
 足首に触れた、生温かい感触。その正体が、長い身体を左右に振りながら床を這い、素早く通路の奥に消えていく。
 車椅子の少女が、鋭い視線でその蛇の姿を追うが、リルとルチルは気づかない。
「黒いヘビ……この辺じゃ、珍しいわね」
「やだなあ、野獣はいないって言ってたのに、ヘビはいるわけ?」
 動じていないリルのとなりで、ルチルは誰にともなく文句を言う。他にも生物がいないか気になる様子で、改めて赤茶色の天井を見上げた。
 天井の端が、わずかに粉を吹く。地鳴りのような、重い振動音が大きくなってくる。
「そろそろか」
 通路の方向が変わる瞬間が近づいている。
 少年たちが消えていった通路の奥には、ただ、闇が広がっているだけだった。

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