第三章 決意 ―背神者たちの〈追走〉― (5)
「どきなさい!」
ホルダーから素早くレイガンを抜き、銃口を左右に振る。周囲の者にはただそれだけの動きにしか見えない動作で、二人の神官がのけぞり、地面に倒れ込む。
レイガンのメモリは、失神レベルに合わせてある。どのワールドでも性能の変わらない、サイバーフォースだけが持つことを許されるレイガンだ。
「気づかれてたみたい。一旦逃げよう」
「それがよさそうね」
レイガンで神官たちを牽制しながら後退するルチルに答え、リルは顔をあげた。彼女の目線の先に、法衣の男が入る。
「何をしている、全員かかれ!」
男はわめきながら、大きく腕を振った。祭壇の左右に控えていた神官たちが、一斉に動き出す。観客たちは、何が起こっているのかわからない様子で、慌てて道をあけた。
同時に、剣を手にした少年が動いた。
「どうしたクレオ? 無理をするな、お前は大事な救世主の――」
演説中の音量のままの声が、途中で途切れる。
次に起きた出来事の意味を、即座に把握できた者は、おそらく、教会関係者にも観客にもいなかっただろう。
少年が、手にした剣の柄を法衣姿の男の後頭部に叩きつけた。小さな衝突音がして、男が祭壇の上から転がり落ちる。
それを見下ろし、そして顔を上げて、彼は声を張り上げる。
「みんな聞いてくれ、道を自分で選ぶんなら、啓昇党の力なんて要らない! 一人一人が決めるんだ、救世主も賢者も必要ない!」
観客たちがざわめき始めた。
そのざわめきが全体に行き渡るのを待って、少年は走り出す。もう一方の少年が止めるのも、どこかから聞こえる静止の声も振り切るように、全力で。
観客のど真ん中が割れ、少年を通す。走っている間に、彼は神官服を脱ぎ捨てた。
彼が駆け抜けて行く、延長線上。
そこには、銀髪の少女の姿があった。
「やっぱり生きてたんだね、リルちゃん!」
彼は叫び、目に馴染んだ姿を、その存在を全身で確かめようと、大きく跳んで腕を伸ばす。――一瞬でも早く、彼女のもとに辿り着くように。
それを、少女は華麗に避けた。
「危ないじゃない」
「酷い……」
顔から地面に突っ込み、クレオはぼやいた。だが、状況が差し迫っているのはわかっているらしく、すぐに起き上がって顔を振る。
「全員気絶させてもよいのですが……さすがに面倒ですね」
袖口から黒い鎖を取り出し、神官たちと相対しながら、シータが肩をすくめる。
その様子を見たクレオは、何かを思いついたように、リルの手をつかんだ。
「みんな、こっちっだ!」
叫び、走り出す。リルたちがやって来たのとは逆の出入口に。
「仕方がないねえ」
ルチルがステラの車椅子を押し、それに、後ろを警戒しながらシータが続く。
クレオが剣を左右に振り、神官たちを牽制すると、相手はそれ以上、近づこうとしなかった。見知った相手、それも、救世主のはずの少年だ。彼らだけの判断で、傷つけることはできないらしい。
妨害がないことに少し拍子抜けしながら、五人は、立ち尽くす神官たちと観客たちの前から姿を消した。
ゼーメルの北出口も、どうやら、ネファリウスに通じていたようだった。クレオは皆を、住宅街の、無人の建物に囲まれた、ある小さな空間に誘導する。
彼が昔、一人になりたいときに、よく教会を抜け出して来た場所だった。長年啓昇党で一緒に暮らしていた友人にも、ここの存在は教えていない。
追っ手も、少年の秘密の場所は知らないのか、周囲は静かなものだった。
「えーっと……」
そんな中、四人に視線を向けられ、冷汗を浮かべながら頭をかくのは、当然、クレオである。
彼はとりあえず、一番近くにいるリルに目を向けた。
「や、やあリルちゃん、そのメガネも髪型も、よく似合ってるよ」
「他に言うことはないの?」
少女は溜め息交じりに応じ、メガネを外してコートのポケットに入れる。
「そうそう。何よ、リルばかり……そういえば、あたしだけ、結婚したいとか一緒に暮らしたいとか言われてないねえ」
ルチルが割り込み、腰に手を当てて少年に迫る。顔が触れそうなほど近づけられ、少年はのけぞった。
「いや、その……それは、ルチルちゃんが大人の魅力たっぷりだから、意外にガードが堅いかなって……」
「ホントにぃ?」
疑わしげに表情を歪めてから、彼女は、プイと横を向く。
「確かに、そうだったかもしれないけどさ……でも、人の心配も知らないで……」
「えっ、あの、ルチル?」
目を伏せる少女の前で、慌てるクレオ。
彼は助けを求めるように見回すが、明後日の方向を見ているリルも、不思議そうに見上げるステラも、少し離れたところで壁にもたれかかって瞑目しているシータも、救いの手を差し伸べてくれそうにない。
「ええと……ごめん」
ことばで何を言っても、言い訳にしかならない。
そう悟って観念したように頭を下げる少年に、密かに、ルチルは笑みを向ける。相手が顔を上げるまでの、短い間。
「まあ、あたしも色々黙ってて、謝らないといけないこともあるし……色々、話さないとね。そうそう、シータがクレアトールだったってこととか」
明るい声に戻り、ルチルが立てた親指でもう一人の少年をさす。
彼女のことばに対し、クレオは激しく反応した。
少年は目を丸くすると、どこか嬉しそうに、口もとを緩める。
「え……クレア……ってことは、やっぱり女の子だったの?」
彼が素早く振り返るよりも、シータの動きが速かった。
黒い鎖が彼の足首にからみ、後ろに引いて転倒させた。彼はまた、石畳に口づけをすることになる。
「ぐ……まだ何もしてないのに……」
「だからこの名を名のるのは嫌だったんです! わたしはシータ、いやだから男ですから、倒れたまま手を握ろうとするのは止めてください」
「なんだ、男か。男は敵だ」
地面でもがきながら、シータのことばを最後まで聞き届けて、クレオはようやく、そう結論付けた。
擦りむいた額を撫でながら起き上がる彼に、つい今しがたの怒りの表情とは打って変わって、シータがほほ笑みを向ける。
「よく、決断しましたね」
差し出された手を、クレオはどこか恥ずかしいような、誇らしげな思いで握る。
「オレ一人の力で決断したんじゃないけど……まあね」
シータが、倒れていたクレオを引き起こす。クレオが倒れていた原因はともかく、男同士の友情をそのまま表わしたような光景だった。
そこに、ルチルが意地悪なことばを挟んだ。
「そういえばクレオ。クレアトールはリルの運命の人らしいよぉ」
「ルチル……」
さすがにリルが非難の目を向けるが、すでに遅かった。
「ホントかぁ !?」
シータと両手を組み合い、相手に押し付けながら、クレオはにらみつける。
「わたしに聞いても仕方がないでしょう! あなたも、忙しい人ですねえ」
「あんたはどー思ってんだよ!」
「そ、そんなこと知りませんっ」
「自分でも知らないって、どういうことだよ!」
なぜか〈運命の人〉の意味が一人歩きしているのにあきれながら、リルはふと、周囲を見回す。
ルチルがとなりで寂しそうにしているのは見るまでもないが、ステラが視線に気づき、クレオを指さしてから、指先を快晴の空に向ける。
少し考えて、リルは、空の向こうを別の世界と解釈した。
「クレオ。あなた、シュメール・ワールドへの行き方を知ってるでしょう?」
有無を言わさぬ口調に、少年は振り返らざるを得なかった。その向こうで、やっと解放されたシータが、ほっとした様子で溜め息を吐く。
「ああ……一度行ったから。あそこには、管理局へのゲートができてるはずだよ」
「時間がないの。賢者は、教会にはいないんでしょう?」
「確かに……啓昇党のクラッカーたちもいなかったし」
リルが、シータと目を合わせた。その仕草に、クレオが少しムッとする。
「どうやら……儀式は誘導も兼ねていたようですね。今頃、賢者はクラッカーらと一緒に管理局の中心部に侵入しているはずです。セルサスの、より深い部分を支配するために」
「そうだ、急がないと! クレオ、行き方を教えてくれる?」
急に義務感にかられたように、ルチルが勢いよくクレオにつかみかかる。襟首を締め上げられ、クレオは顔を真っ赤にして大きくうなずく。
「わかった、教える、教えるから! 案内するから、放して」
「急いでよ!」
ルチルの手を逃れ、追い立てられるようにして、クレオが慎重に歩き出す。
素直にそのあとを追う四人を、突然、少年が奇妙な目で振り返った。
「当然のように、みんなついて来るんだね」
彼には、ルチルはともかく、ほかの皆が一緒にシュメールへ行く理由はないように思えた。啓昇党のクラッカーたちが集まる場所へ、彼らの狙いを阻止しに行くのは、当然、危険極まりないことだ。
「わたしは、最初からそれが目的ですからね。力ある者の義務です」
シータは、何でもないことのように言った。実際、彼にとっては予定通りの行動に過ぎないのだろう。
「ここまで来て逃げるわけにはいかないわ。それに、逃げられるわけにはいかないし」
と、リルは意味深長に、シータを見る。そのそばで、ステラがいつもの穏やかな笑顔でうなずいた。
再び嫉妬の炎に胸を焦がしながらも、クレオは、リルではなくステラに気を取られた。ことばを持たず、視力もないはずの少女だが、彼女の状況を読んだ反応は的確だ。
思えば、一番不思議な存在が、彼女だった。出身も、なぜスペース・ワールドにいたのかもわからず、危険な道行に、当然のように同行している。何が目的なのかも、はっきりしない。
「移動の間に、話すべきことを話してしまうよ。あたしも、あんたに話したいことあるし……て、今度はステラにご執心?」
意地悪に顔をのぞきこんでくるルチルの声で、クレオは我に返る。
「あはは、いや、そうじゃなくて……とにかく、行こうか」
誤魔化すように笑い、周囲に追っ手の気配が無いのを確かめてから、彼は小路を歩き出した。