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第三章 決意 ―背神者たちの〈追走〉― (4)


 その、五分後。
「ちょっと季節はずれかもしれないけど、これ、どう?」
「とってもお似合いですよ。可愛いです」
 ルチルが、少し自慢げに、店員とことばを交わす。
 フリルがたくさん使われたワンピースのスカート姿を皆に披露しているのは、彼女自身ではなかった。
 ルチルと店員の間で着せ替え人形にさせられているのは、ステラだ。車椅子の少女は、まんざらでもなさそうにほほ笑んでいる。
「ねえ、ちょっとマニアックだけど、このナース服ってどう?」
「いいですね! それが終わったら、メイド服も試してみましょうよ」
 すっかり意気投合したルチルと店員を横目に、リルは、自分の変装用の衣装を選ぶ。
 しかし、適当なコートを選びながらも、彼女には、サイズ以上の、衣服を選ぶための条件というものがわからない。
「変装をしなければならないのは、確かですからね」
 柱の陰から、シータが疲れたような声を出す。
 彼の横には、通りに面した窓があった。窓の向こうの人の流れの中に、ほぼ数分ごとに神官服の男が通り過ぎていく。
 頻繁にパトロールをするその姿も、この町ではすっかり馴染みのものらしい。いちいち反応する住人はいない。
「あたしたちの顔、知られているかしら?」
 手にした服で自分の顔を隠し、窓の向こうを通りかかった神官から姿を隠しながら、リルは少年に近づいた。
「アガクの塔で会った三人は亡くなりましたし、わたしたちの顔を覚えているのは、あの直後では一人でしょうね……
「クレオ、ね」
 これから向かう目的地である、教会にいるはずの少年を思い出し、彼女は独り言のように答えた。
 最初に出会ったときから、あの少年には、普段の明るさに潜む影のような部分が見え隠れしていた。それは、友人を助けたい思いから来る深刻さにも思えていたが、本当は、自分の任務に対する思いつめた感情だったのだろう。
「彼……あたしたちのことを、報告すると思う?」
 少女の問いかけに答が返るまでに、間があった。
 シータは一度顔を上げ、リルと目が合うと、顔を背ける。
「さあ、どうでしょうね。あの優柔不断な様子では、訊かれるままに話してしまってもおかしくないでしょうからね」
「あの日の夜、迷っている様子だったの?」
 少年の態度は、あきれているようでもふてくされているようでもある。
 その表情が、リルのさりげない質問で変化した。簡単に会話の流れに隠した鎌かけを聞き逃すほど、クレアトールは甘くない。
「カロアンの宿でのこと……知っていたのですね」
 彼は感心と驚きの混じった奇妙な目で、少女を見る。
「まあ……いいでしょう。あなたも、彼の通信相手に疑問を持っていたようですし、あり得ないことではない」
「それって、ほめてるの、けなしてるの?」
「どちらでもありませんよ。わたしは、あなたの正体にも少し興味が出てきたというだけです」
「知ってるくせに」
 アガクの塔で自らの正体を明かし、リルが彼を追っていたことを告げたとき、シータもまた、リルと会ってみたかったと語った。だが、そのときの興味の理由と、今の興味の理由は違うらしい。
「わたしが知っているあなたとは、まったく違います。考えてみればあれ以来約五年……ことばすら、交わしたことがなかったのですからね」
「なのに、初めてという気がしない」
「お互いに。ずっと忘れられなかったからでしょうか」
 シータの苦笑いを浮かべた顔に、別の、恐れにも似た表情が交じり合い、全体を強張らせていく。
「あなたには、わたしが、ずっと逃げ続けているように思えるかもしれません。今すぐに、決着をつけたいですか?」
「いいえ。今は、急がないの。他にやるべきことがあるから」
 少女は淡々と答え、首を振った。
 そして、ようやく、自分が手に持っていた物に気づく。今は、その存在のほうが、彼女にとって重大な難問らしい。
「これ、どう思う?」
 と、困り果てたように、リルが黒い毛皮のコートを広げて見せた。
「うーん……いいと思いますけど」
「大丈夫、お似合いだと思いますよ~」
 自信なさそうにうなずくシータのことばを、目ざとく見つけた店員が後押しする。
 どうやら、ルチルとステラのほうは一段落着いたらしい。店員が、笑顔で残りの二人に歩み寄ってくる。
「お嬢さま、お決まりでなかったら、わたくしがお手伝いしましょうか?」
……自分で決めますので、いいです……
 店員にきかれて、シータは情けなさそうに首を振った。
 リルは結局自分で選んだ黒いコートと、黒い帽子を身につけた。長い銀髪は三つ編みにして、メガネをかけ、少しでもいつもと違う雰囲気を出そうとしている。
 ルチルは花模様のワンピースのスカートを動きにくそうに普段の服の上に身に着け、ステラは白いフード付の神官服に近いゆったりとした服、シータは薄手の青いコートとスカーフを衣料店から受け取った。
「なんか、スースーすんのよねえ」
 店を出ると、歩きながら、ルチルは嫌そうに足もとを見下ろす。
 靴は服に合わせたサンダルに履き替え、いつもの靴は草編みのショルダーバッグに入れていた。彼女の格好は、これから海水浴にでも行くようだ。
「いつもの格好のほうが露出度高いじゃない……
「気分の問題よ、気分。それにしても、変装になってるんだか……
 服を変えたところで、顔までは変えるわけにもいかない。
 それに、最大の特徴は、ステラの存在だった。ルチルは、車椅子に乗った人物など、この仮想世界で他には見たことがない。神官たちが、自分たちが知らないところにそういう者たちがいるのだと考えてくれることを祈るしかない。
「とっととゼーメルに行ってしまいましょう……幸い、この人込みにまぎれていけば神官たちの目にも留まりにくいでしょう」
 スカーフを頭に巻きつけ、金髪を隠しているシータが、顔を伏せたまま促した。顔立ちのせいでスカーフもあまり個性を消す役に立っていないと、自覚はあるらしい。
 街を南北にはしる通りをある程度北上していくと、大きな人の流れができていた。多くの人が、北へ、ゼーメルの教会へと動いている。そこで待つ何かに引き寄せられるように。
 幅の広い通を歩き続けて。
 やがて、四人は町の最北端に建つ、アーチ状の門をくぐった。

 ゼーメルと呼ばれる、ワールドとしては小さな空間がある。
 その空間の主は、賢者と呼ばれる男だ。彼は管理局の許可を受け、自分の思想を広める拠点としてここを創りだした。
 その空間の中央にそびえるのは、まるで城のような、大きな大聖堂だった。教会、と呼ぶには、余りに大きく、神々しさすらまとった建物だ。
 建物の前には大きな公園があり、東西南と神殿にのびる道の分岐点になっている。
 神殿の、扉のない出入口の前に、大きな祭壇が設けられていた。祭壇の上には、周囲に並ぶ神官たちとは明らかに格の違う、法衣姿の男が、左右に少年を率いて立っている。
 四人の少年少女たちは、祭壇の前に並ぶ人垣の後ろの方にもぐりこんだ。観客は、ざっと見たところで、三、四千人といったところで、身を隠すのに不自由はない。
「クレオ……
 ルチルが、声を潜めてつぶやく。
 祭壇の上、法衣姿の左右で直立不動の体勢でいる少年の一方は、確かに、見覚えのあるものだった。神官服をまとい、剣をたずさえ、空に真っ直ぐ黒の目を向けている。
「賢者はいないようね……
「おかしいですね。これほどの儀式となれば、すべての人員をここに集めてるはずですが」
 祭壇の周囲を見渡していたシータとリルが、短くことばを交わす。周囲の人々の熱気で、長く話しをする余裕はなかった。
 人の波の間でステラが窮屈な思いをしているのに気づき、リルは車椅子を引いて、さらに後ろにさがる。
「皆さん、進化のときが近づいています!」
 妙に響き渡る声で、祭壇の上の男が演説を始めた。ざわめいていた人々が、一斉に顔を上げる。
「誰にも頼らず、自分たちの力で自分たちの進化の道を見つけるのです。そのために、我々は力を尽くしてお手伝いしましょう!」
「な~にが進化の道よ」
 ルチルのつぶやきは、歓声にかき消される。
 集まった人々の全員が、啓昇党を崇拝しているわけではないらしい。何割かは、まだ信じるべきか決めかねているように、様子を見ている。
「今日は、皆さんの進化の道を助ける我々の、使命の先頭に立つ若者に英雄の印を授ける儀式を行う予定です。皆さんも聞いたことがあると思います。レイフォード・ワールドではクラッカーを退治し、ラクロア・ワールドでは停止した観覧車から乗客を助け、各地で奇跡を起こした少年です」
 見覚えのある姿が、促されて法衣姿の前に出る。その姿も、その名も、この場に集まった人々の半数程度には知られているらしい。
 様子を見に歩き回り、少し離れた所にいたシータが、リルとステラに近づいて来た。彼の目は、人の群の脇を回りこんで、ゆっくりと展開されている神官たちを捉えている。
「しかし、我々啓昇党の邪魔をし、皆さんの進化の道を閉ざそうという者もいます。今、新たな門出の前に、この場でその者たちを断罪しましょう!」
 まずい。
 本能でそう感じたルチルは、祭壇上の演説を最後まで聞かず、身体の向きを変えて他の三人のもとへ駆けた。彼女の視界の左右から、神官の姿が滑り込んでくる。

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