第三章 決意 ―背神者たちの〈追走〉― (3)
ジルがメモに記したルートは、かなり入り組んだものだった。
少女たちはVRGの違う出入口を何度も通過し、ギルサーの酒場のような個人の設定した空間や、管理局により設置された大小さまざまなワールドをいくつも通り抜け――少しづつ、確実に目的地に近づいていく。
「これじゃあ、後でシュメールや管理局に行くのも、骨が折れそうだねえ」
レグナム公園と呼ばれる、桜の花びらが舞う中にいくつもの東屋が並ぶ公園で、四人は休憩を取った。
ルチルは、四角いテーブルを囲むように配置された木のぬくもりを感じる簡素な長椅子に、半ば寝転ぶように身を預けている。
「ねえ、あのジルとかいう情報屋に、シュメールへの道を聞いといたほうがよかったんじゃない?」
「さらに代償が必要だったかもしれないけど」
リルはテーブルの上に布を敷き、酒場からのルートの途中にあった店で買った饅頭や菓子を並べた。
「あなたの記憶を差し出すなら、それも良かったかもね」
「やだわリルちゃん、ゼーメルまでの行き方がわかれば充分よぉ。やっぱり、自分が行きたい道は自力で見つけないとねえ」
冷汗をかき、わざとらしく猫撫で声を出しながらも、赤毛の少女の手は嬉々として饅頭を取る。
「大丈夫ですよ。教会で行き方を聞けるでしょう。クレオも、主なルートは知っていたようですし」
腕を組み、目を閉じた少年が、静かな声で言う。
リルがレイフォード・ワールドからギルサーの酒場への帰り方を知っていたのも、クレオに聞いていたからだった。
あの少年が、自分でレイフォードと酒場の間のルートを調べ上げたとは考えにくい。セルサスの能力の一部を手中に納めた啓昇党の一員として、ルートを知らされていたのだろう。
「なるほど……そういうことか」
饅頭と同じく、リルが懐から出して紙コップに注いだジュースをすすり、ルチルは納得した。内心、教会から脱出できなくなることを心配していたのだ。
自らものほほんと菓子を口にしながら、彼女はテーブルを囲む面々を密かに見渡した。
彼女の左前の椅子に座るリルは菓子をつまみながら、メモを確認している。向かいのステラは、まるで初めて触れるような様子で饅頭や菓子をこねくり回し、ひとつひとつ確かめるように口に含んでは、幼子のように嬉しそうな笑顔を見せていた。右前の席のシータは、何かを考え込んでいるか、瞑想しているようにも見える。
虫をも殺さぬ弱々しいメンバーに見えて、一筋縄ではいかないメンバーだ。
今までの様子を見て、彼女はそう評価していた。このメンバーなら、啓昇党の狙いを阻止することができるかもしれない、と。
「啓昇党について、どこまで知っていますか?」
突然の、心を読んだようなシータのことばに、ルチルは菓子を落としかけた。
少年は、目を閉じてうつむいていた。ルチルからは、その表情はうかがい知れない。
「仮想現実での人類の進化をめざす思想集団。同じような団体の中ではかなり大きいほうで、黒い噂もある。実際、クラッカーを何人も雇ってるみたい」
リルが淡々と、事務的な口調で説明した。ごく一般的な、啓昇党に対する情報だ。
少し間をおき、それに、彼女はいくつか付け加える。
「啓昇党を統べる者を、その思想に賛同する者たちは〈賢者〉と呼ぶ。複数のクラッカーを部下につけていることからして、本人もそれなりの腕前かもしれないわね」
「それに……」
ルチルが口を開く。彼女は、自分に注目が集まるのを感じる。
「その思想に従う者は、数百人……教会やその周辺にいるのが大体そのくらい。気をつけたほうがいいよ。セルサスの機能の一部を使えるってことは、全員にあたしたちの顔を覚えさせたりもできるし……」
「瞬間移動も厄介だしね……それにしても、詳しいのね」
意味ありげな視線が、赤毛の少女に向けられる。
ルチルは、覚悟を決めていた。そろそろ、感づかれるかもしれない――というより、早く話してしまいたい、という焦りが、彼女の中で大きくなっていた。
話してはいけないということもない。話す相手を選べ、とは言われていた。そして、彼女はここにいる三人が信頼できる相手だと判断する。
「あたしはね……ある意味、シータと同じよ。最初から、クレオを標的にして、近づくつもりだったの」
懐から、灰色の電子手帳を取り出し、開いてみせる。
開かれた手帳のモニターに、誰もが見覚えのある紋章とともに、彼女の顔の画像が入ったID画面が表示されていた。
複雑な暗号を組み合わせたような紋章――それは、管理局の印だ。
「管理局の身分証明書……サイバーフォースってわけ」
「まあ、そんなところよ。あたしたち管理局の者も、当然、今回の異常事態を解決しようと動いていたの……セルサスが遮断される前に、啓昇党が怪しい動きをしてることはわかってた。それに、クレオがヤツらの一味であることも」
束の間、表情をひきしめていたルチルは、笑みを浮かべる。
リルとシータはもちろん、ステラにも動揺はない。思い描いた通りの、冷静な反応だ。
「あなたとの出会いが偶然でないことは感じてたわ。それに、あなたの銃の腕が普通でないことも」
ルチルの腰に吊るされた、一般には出回らない型の銃を一瞥しながら、リルは、空になった紙コップと菓子袋を丸めてゴミ箱に放る。
「偶然でない出会い……読唇者が言ってたっけ。来たるべくして来た、運命に導かれし……て、四人ってことは、読唇者はクレオが外れることを言ってたのかな?」
「彼がそこまで知っていたかどうか……今の時点では、わかりませんね」
シータが目を開け、顔を上げた。
「少しだけ空間を渡って教会に接触してみましたが、教会の前で儀式のようなものが行われるようですね。賢者の姿は見えませんでしたが、大勢の姿が集まっていますよ」
「クレオは !?」
突然、ルチルに襟首をつかまれて、少年は呼吸困難になりかけた。
「ちゃ、ちゃんといましたよ……教会関係者たちと一緒に……」
「そう……早く行かないと、教会の前の儀式が終わっちゃうわ。シータ、空間を渡って一気にそこまで行けないの?」
「そ、それはシステムに負担をかけるし……他のクラッカーや教会関係者に発見される可能性が……」
「じゃあ、歩きのほうがいいね。リル、ステラ、準備はいい?」
「あの……手を、放して……」
ルチルがやっと気づいたように、両手を放す。ようやく解放されて咳き込むシータに見向きもせず、少女は東屋を飛び出した。
「あれは、クレオを任務遂行のための標的にしているからか、他の理由があるせいなのか……どちらなのかしら」
リルはシータにジュースを差し出しながら、やる気みなぎる背中を見送り、いたずらっぽく笑った。
公園を出ると、少女たちはさらにいくつかのワールドを通り抜け、教会まであと一歩のところまで迫った。
多くの人が集まり、町を作ってひとつのワールドを形成していることは少なくない。同じ町の出身者がそろえば、現実に存在していた町を再現することもあるが、ほとんどは、架空の町や村だ。
ネファリウスという名のその町も、中世ヨーロッパの街並みをモデルにした、架空のものらしかった。
「なんだか、店は近代的なんだねえ」
四人は出来るだけ目立たないよう、人込みにまぎれるようにしながら、通の端を歩いていた。
道の脇には、様々な店が並んでいる。大きなデパートなどはないらしく、店のほとんどが特定のジャンルの専門店だ。
「ここの北に、教会があるって言うけど……そんな雰囲気はないねえ」
見回すルチルの目に映るのは、ごく普通の、日常を楽しむ人々の姿だ。今起きているはずの異状も、まったく知らぬげな。
「北にゼーメルがあるのは事実よ。教会が移動でもしてなければね」
「移動してたら、どうすんのさ?」
「さあ……一生さまようことにでもなるかしら」
リルは、からかうような笑顔を隠すように、明後日の方向に視線を向けて答える。
彼女たちは、教会で話を聞かない限り、帰りのルートを確保できない。偶然目的地に辿り着ける可能性もあるが、もっと厄介な場所に出ることもあり得る。
実際は、シータが強引な方法で空間を渡ることもできるが、そんなことはすでに忘れ、ルチルは青くなった。
「それじゃあ、意地でもゼーメルに辿り着かないと……」
足を速めようとする彼女の動きを、後ろからの白い手が、押し留める。
慌てて振り返り、赤毛の少女は、表情をほころばせた。
「そうだね。急ぐことはないよ。ステラちゃん、ごめん」
つい、車椅子の少女のことを忘れて先走ったことを、彼女は心から反省する。
だが、ステラの視線は彼女を越え、そのはるか背後、行く手に向けられていた。
その視線を追った三人は、行き交う人の姿のなかに、近づいてくる、青い制服のような姿を見つける。
まるで、レイフォード・ワールドの神官戦士のようだ。フードの着いた紋章入りの服をまとい、杖にも似た槍を右手に握っており、周囲の人々の近代的な服装の中に存在するには、違和感がある。だが、誰もそれを気にしてはいない。
「みんな、一旦店に入りましょう」
リルがステラの車椅子を押し、他の二人を呼んで近くの店のドアをくぐる。
入った先は、衣料店だった。若い女性店員が、なだれ込んできた四人に驚いたあと、即座に営業スマイルを向けてくる。
「いらっしゃいませ! どんな服装をお求めですか?」
「ええと……」
リルが、ルチルに視線を向ける。並べられた服に目を輝かせていたルチルは嬉々として、助け舟を出す。
「とりあえず……お勧めの、全部持ってきて!」
リルは、彼女に助けを求めたことを少し後悔した。