四、終結 ―遠い〈記憶〉の彼方― (2)
「ま、一本道だから迷うこともないだろ。帰りは、リルちゃんたちが待っててくれるし」
「今のところ、この階層にプログラム的な罠は仕掛けられていないようですからね……クラッカーは、全員でセルサスの防壁破りに向かってるのでしょうね」
「破られたら、どうなるんだ?」
長い通路をペンライトで照らし、クレオは歩き続けた。その後ろを、闇に溶け込むような、シータの姿が追う。
「あなたのほうが詳しいのではないですか? 啓昇党が望む世界……」
「進化、と言ったって、具体的なことは何も聞いちゃいないよ。決めるのは進化する者その人だ、とか言ってるけど……」
「あなたのご両親も、その世界を望んでるのでしょう?」
狙いのわからない質問に、クレオは少しの間、口ごもる。
「ああ……よくわからないけど、たぶん。でも、何で家族一緒にいられるだけで、満足できないんだろう……」
ほとんど、無意識のつぶやきだった。
言ってから数歩進んだところで自分のことばに気づき、顔を真っ赤にして振り返る。
「今の、誰にも言うなよっ!」
「言いませんよ、そんなこと」
焦るクレオとは対照的に、シータは落ち着いたほほ笑みを返す。
現実世界の肉体は老化しないまま五年が過ぎているので、皆が外見と意識の年齢はつりあっていないはずだが、それにしてもこの少女のような少年の雰囲気は落ち着き過ぎている、と、クレオは感じる。
歩みを再開したところで、彼は、カロアンの宿での、シータのことばを思い出す。彼には家族がいないからこそ、大人びているのか。
「なあ、あんた」
「なんです?」
振り返りもせずにきくと、即座に答が返る。
声を聞かなくても、気配で、ずっとついてきていることは感じ取れる。クレオは、カロアンの宿での攻防で、相手が完全に気配を消せることを知っていた。今気配を消さないのは、安心させる意味もあるのかもしれない、と、彼は思う。
「あんたはどうなんだ? 今の世界に満足か?」
絶望から思考を逸らすためのVRG。いっ終わるとも、どう終わるとも知れない世界。
ここは棺の中だと言う者がいる。ここは、絶望し続ける者の世界だと言う者もいる。
「現実世界も仮想現実も、大した変わりはありませんよ。いつ終わるのか、希望があるかどうかなんて、人の気の持ちよう次第です」
現実世界だから、いい。仮想現実だから、悪い。
クレオは、最近、そんな先入観に気づかされた。現実世界でも、何が起こるかわからない状況は変わらない。思い出は、ただ綺麗なだけだ。
「……だからこそ、わたしは、世界が、未来が優しいと信じたい」
「あんた……」
ぽつりと付け足す、消え入りそうな声に、クレオは目を丸くして振り返る。
「意外に、メルヘンチックだな」
突然、足もとをすくわれ、彼は転びかけた。とっさに頭のどこかで予想していたのか、何とかすぐに体勢を立て直す。
「何するんだよっ! 事実じゃないか!」
「違いますっ、わたしは仮想現実という精神力がモノを言う世界での心得をですね……」
説明が面倒になったのか、反対するほどわざとらしく見えることに気づいたのか。
シータは恥ずかしそうに頬を赤くしながら、横を向いた。
「今の、誰にも言わないでくださいね」
「わかったよ、言わないよ」
これでおあいこだから、と、クレオは内心付け加えた。
それから、しばらくの間押し黙って、彼らは歩き続けた。
通路は、少しずつ狭くなっていく。人一人がようやく通り抜けられるくらいになったところで、行き止まりになる。
つき当たりの壁には、ところどころが破けた、額縁入りの古い絵がかけられていた。絵の内容は、半分溶けたような黒い悪魔が湖から上半身を出し、周囲の天使や妖精たちに襲いかかろうとしている様子だ。
クレオがその絵を外すと、裏の壁に、中にレバーが突き出したくぼみが顔を出す。
それを軽く片手で引き倒し、クレオは丁寧に絵を戻した。
「これでよし、と」
一仕事終えて、一歩、後退る。
絵に、変化が現われていた。悪魔は消え、現われた女神が、ある方向を指差している。
「意外にあっけなかったですね」
「オレがいなかったら迷ってたかもしれないけどなぁ。さあ、戻ろうか」
少し自慢げに鼻を鳴らし、シータを促す。
「なあ……」
通路の幅が狭いうちは、シータが先頭になる。白い服の背中を見ながら、彼は遠慮がちに声をかけた。
「聞いていますよ。何ですか?」
「オレたち……」
一旦、ことばを切る。答を聞くのが、怖い気がした。
しかし、現実からは逃れられない。仮想現実で彼らが目にし、耳にし、感じる、現実からは。
「オレたち……止められると思う? クラッカーたちに、あっさり消されて終わるかもしれない……」
「それは、セルサスのより深いところで禁じられていますが……間接的に、人の意識体を傷つけることは可能でしょう」
仮想現実の人間の姿は、意識のもとである、現実世界で横たわる身体の脳内につながっている。その意識の保護は、セルサスのなかでも、最高の安全レベル区域で行われていた。
しかし、セルサスの判断が働いていない今の状態では、レベルの低い機能でも、使い方次第で他人の意識を崩壊させられるだろう。特に、この仮想現実界の仕組みに詳しい者が、セルサスの機能の一部を使ったのなら。
「相手は、わずかとはいえ、セルサスの領域を手に入れた複数のクラッカーたちです。難しいですね」
「でも、やるしかないんだろ?」
クレオのことばを耳にすると、振り向きはしないが、シータが笑った――のが、その背後の少年にはわかった。
「ええ、勝ちますよ。犠牲が必要かもしれませんが……何としてでも。……だからクレオ、あなたは、終わった後のことも考えたほうが良さそうですよ」
「それは、どういう……」
急に横に引っ張られて、クレオは壁に肩をぶつけ、尻餅をついた。
「ああ、どうやら通路の回転が始まったみたいだな」
肩をさすり、すべては予想通り、といった調子で言う彼が立ち上がろうとすると、さらに大きな衝撃が通路全体を揺さぶる。
クレオは立ち上がるのをあきらめ、シータは壁に身を寄せる。
しばらく、じっと待つだけの時間が過ぎた。壁の一方に引き寄せられるような力を感じ、重いものが引きずられるような音を耳にしながら、少年たちは身じろぎもせずに待つ。
空気を震わせる振動が収まると、クレオが勢いよく立った。
「今のうちに、とっとと戻ろう」
シータを追い越し、早足で歩き出す。通路の位置が変わっても、通路の出口が正面にあることは変わりない。
次に位置が変わるまでは、かなり時間があるらしい。それでも急いで出口に辿り着くと、闇に慣れた目に眩しい光の中、見慣れた少女のシルエットが手を振るのが見えた。
「無事みたいだね。ご苦労さん」
赤毛の少女が言い、軽く少年たちの肩を叩く。
階段の位置からして、どうやら、通路は反対側に移動したらしい。それを確認したクレオの視界に、階段を迂回して近づく、ステラとリルの姿が入る。
「あなたたちが戻る少し前に、向こうの通路に光が現われたの。あれが、次の空間への入口なの?」
「最後の空間への入口だ」
腰の剣の鞘に軽く触れて、啓昇党の一員だった少年は訂正する。
彼が歩き出すと、皆、無言で後を追った。そして、彼が足を止めると、その背中越しに最後の空間に続く〈入口〉を見る。
正方形の通路の入口に、奇妙な光景が詰まっていた。奥から照らす出されたような、淡い灰色の空間に、イナズマに似た色とりどりの光が瞬いている。
何か、今まで目にしてきた光景とはかけはなれた、歪んだ風景。
「この先は、入るたびに違うことが起こるんだ。でも、辿り着こうと信じていれば、必ず辿り着ける。そういう空間だから。何があっても、気を強く持って念じてね?」
「ややこしそうだね……」
ルチルが苦笑し――覚悟を決めたように、レイガンを右手にかまえる。
迷いはなかった。
もう、お互いの意志を確かめることもない。ここまで来て、迷うような少年少女たちではない。
「行くよ」
短く、一声かけて。
少年たちは、一歩を踏み出した。