クグツガリ

白蜘蛛 三

 四角い光の連なりが、闇を駆け抜けて行く。
 その連なりの上に、数体、奇妙なものが取り付いていた。だが高速移動するそれに気がつく人間はなく、たとえ間近で見たとしても、その存在を把握できる者はごくわずかだ。
 楽駕町を横切る特急列車の屋根の上に、その傀儡らは寄生していた。あるいは車内の者の負の感情により、そこに生まれたばかりなのかもしれない。
「また、厄介なところに」
 少女が線路上を走る。軽々と特急列車に追いつき、屋根へ。
 待ち受けていたように、白い鎌が残像を残しながら夜闇を切り裂き、ヒュッと鋭い音を立てた。
 それを桐紗は上体を反らして素早くかわす。無駄のない、相手の動きの先を読んだかのような動作だった。
 傀儡狩りの張る結界のために車内に音を生むことなく、烈風の吹きすさぶ屋根の上で、いくつもの白い姿が舞う。
 まるで、輪になって踊っているかのような流れるような動き。
 円舞のようなそれも、実際は命を賭した戦いだ。長く鋭い刀のような腕が空を切り裂き、薙刀が、妙に光沢のある硬く白い肌を切り裂く。
 傀儡たちが縦横に振り抜く何本もの刃を、桐紗はその軌跡のわずかな隙間を縫うようにして跳び、身を屈め、あるいは反らしてやり過ごす。
「そんなナマクラには負けないよ」
 少し間を取ると、相手の攻撃に合わせるようにして薙刀を振るった。黒い刃は白い刃を切り裂き、そのまま相手の腕をバターのように裂いていく。
 そのまま胸を横に薙がれ、傀儡は白い蒸気と化した。
「強度は元のままみたいだね」
 それを確かめると、相手の攻撃を受け流すのをやめ、自ら駆け出す。
「まず一匹」
 振り下ろされる刃ごと、縦に一刀両断する。
 それを確認もせず、一歩で別の車輛にたたずむ新たな相手の懐に跳ぶ。
「二、三と」
 横に薙ぎ、二体を一度に斬る。
「んで、四……五、と」
 のんびりとした口調とは裏腹に足を止めることなく敵に接近し、切り裂く。風など問題にしないその速さは、とても人間の身体能力で出せるとは思われないものだ。
 十秒も立たぬうちに、特急列車の上でうごめいていた傀儡たちは一掃される。
「この辺はこれで終わりか」
 気配を探りほっと息を吐くと、列車から飛び降りる。
 去って行く連なりから視線を上げると、間もなく円を描こうという月が視界に入った。
 ――厄介だな。
 月齢からすると、満月は明後日だ。それは、少女にとっては憂鬱な一日へのカウントダウンだった。
「今回やり過ごしたって、化けの皮が剥がれるのも時間の問題か」
 自嘲気味に言い、もとの場所へ駆ける。
 この深夜に、住宅街を行く姿はほかにない。短刀の柄をベルトの背中側にさして、人の気配のない道を、少女は神代家に向かって走る。
 走りながらも、行く手に傀儡の気配があることは感じていた。
 ――こんな時間までかかるのは珍しいねえ。
 傀儡の発する邪気が十以上もある。
 そのそばには、覚えのある気配。気配の持ち主はただ唯一しかあり得ない。
 ――あっちは大量発生でもしてたのかな。
 静見とは結局、午後は顔を合わせずじまいだった。しかし、とりあえず傀儡狩りとしての役目は忘れていなかったらしい。
 桐紗はさらに足を速めて、未だ戦いの続く狩場へと急ぐ。
 傀儡の気配は一体、また一体と消えていくが、それはずいぶんと遅かった。
 ――静見ちゃんなら、ちゃっちゃとやっちゃうはずなんだけどな。
 よほど強力な変異を遂げた傀儡にでも囲まれたのか、と、少しだけ心配する。つい先ほどまで桐紗が相手をしていた傀儡たちも普段目にする姿ではなく、倉木デパートで出会ったものと同じ、カマキリのような刃を持っていた。
 より変異した傀儡に手こずっているのか。
 速度を上げ結界に入るなり、屋根へと跳ぶ。まずは、戦況を確認しようという心積もりだった。
 さてさて、一体どんなのが相手か――と、見回す少女目に映ったのは、予想を裏切る光景だった。
 周囲で環を作るように並ぶ白い妖怪は彼女が相手にしたものと変わらず、両腕に鋭い刃を持つ傀儡。動きも先ほどまで目にしていたものと変わらない。
 その傀儡が振るう刃を紙一重で避ける静見の姿に、ないはずの色が散る。
 額に、手の甲に、腕に。
 そして右手で押さえた左肘の辺りからは、赤いものが地面に滴り落ちている。
 傀儡たちがわずかに身を低くする。跳びかかるための、わずかな予備動作だ。
「ちょっ……
 桐紗が跳ぶと同時に、傀儡たちも跳んだ。
 静見は後ろに身を引いた。迫りくる傀儡の一体は見えない網に粉々に砕かれ、背後の傀儡三体は切り裂かれた。
 だが、腕を一本失いながら残った腕を振る傀儡の一撃を避けたときに、わずかに頬に赤い筋が走る。
 かまわず、静見は跳び退いた。肩で息をしながら、何とか行動の妨げになる怪我だけはしないよう避けている。
 追撃をかわし、右手の指を動かす。横一列になって目の前に迫る三体が、その刃の先が標的に触れる寸前で胴を薙がれ消滅する。
「何やってんの、静見ちゃん」
 残る傀儡たちの背後から、飛び降りざまに桐紗が薙刀を振る。横に振り抜いて近くの一体を斬り伏せ、踏み込みながら返す刃で残りを葬る。
 実に効率的で素早い〈処理〉だった。普段なら、静見はそれ以上に手早く済ませるはずだ。
 しかし、今の静見にはその力がないと見えた。歩み寄ろうとした途端に倒れかけ、桐紗が慌てて駆け寄って支える。
「あんた、熱が……って何、酒臭っ!」
……飲まされた」
 きつい臭いに思わず鼻をつまむ桐紗にぐったりと身をあずけたまま、静見は疲れたようにささやく。
「そーゆーときは、さっさと逃げなさいよね。術も使いにくくなるし、こうなるのは予想できるでしょうが」
「わかっておる」
「わかってるだけじゃねー。ほら、肩貸してあげるから」
 足もとも怪しい静見の腕を取り、肩に回して歩き出す。ひとつひとつの傷は浅いものの、歩きながら静見はわずかに顔をしかめる。
「大丈夫なの、それ? 言っとっけど、あたしは自分の傷しかなおせないよ」
 静見に負けじと顔をしかめ、桐紗は少しだけ心配そうな声を出した。
「酔いさえ醒めれば、儂も自分で治せる」
 身体の方はともかく、思考力の方は酒や怪我の影響を受けていないらしい。静見の声は淡々としていた。
「ふうん……そう言えばさ、どう思う?」
 会話に支障はないと判断して、家までの間に、桐紗は疑問を解消することにした。
「今までと違う傀儡だよね、倉木デパートのときから。ちょっと普通じゃないっていうのとは遭ったことあるけど、さすがに偶然連続でってことはないだろうし、突然変異、ってヤツなのかなあ」
「可能性はいくつかあるが……
 言って、青年は肩をすくめる。
「ひとつは、偏った負の感情に影響された場合。しかし、複数の人間が同じように傾いた負の感情を抱くのはまれであろうし、お前さんの言うとおり、この可能性は低い」
「ほかの可能性、ってのもあんの?」
 それが彼女には思い当たらず、少し疑わしげに相手を見上げる。
「傀儡は進化する。時代に合わせ、今までに四度は進化している。最初の傀儡はもっと人形らしかったし、動きも鈍かったよ」
「進化、かあ……
 突然変異ならば局地的で、変異後により強力になるとも限らないが、〈進化〉であればそうもいかない。
 厄介だな、と少女は息を吐くが、まだ静見の考える可能性はあるらしい。
「この時代、滅多にないことではあるが……残る可能性に、術師の存在がある。術師が傀儡を操り、変異させておるのだ」
「術師ねえ。それは確かに、現代じゃあまずなさそうなことだね」
 角にさしかかり、家の方角を確かめる。
「まあ、難しいことはまたあとで考えれば――」
 言いかけて、歩みを止める。
 横手へ続く道の奥に向けられた彼女の目に、奇妙なものが映った。高速で近づいて来るそれは、姿を見せてから気配を感じさせる。
「なに、あれ」
 緊張感のない声色は、決して余裕に由来するものではない。
 蟹のようにも見える白い塊は、瞬きの間に近くまで迫った。
「傀儡の集合体、か……?」
 静見にも見覚えがないらしいそれは、遠目には少々愛嬌のある形だが、近くで見ると傀儡たちが溶け合ったようなグロテスクな外観を呈している。
 まるで、いびつな白い蜘蛛。
 静見が戦いに備え、離れようとしてよろめく。その手を桐紗が引いた。
「ちょいと失礼」
 そのまま、静見を抱えて屋根へと跳ぶ。
「なんてことを……
 一瞬おのれの身に起きたことがわからずに呆気に取られたあと、静見は少しあきれたようにぼやく。
「これが一番手っ取り早いじゃん」
 細身とはいえ男を一人抱え上げながらも、小柄な少女はまるで体重を感じさせないほど身軽に跳んだ。
 敵を、もっと開けた場所に誘導したい。狭い場所の方が相手の動きは封じられるかもしれないが、幅が道幅ぎりぎりまである相手とは、このままでは戦い辛かった。
 ――それに、未知の相手だ。わずかな動きも見逃さないよう、見晴らしの良い場所を戦場としたい。
 地上で追いかけてくる傀儡を確認しながら桐紗が選んだのは、高校の校庭だった。
「ここなら大丈夫っしょ……って、静見ちゃん?」
 校門を跳び越えたところで見下ろすと、青ざめた顔をした静見が口もとを押さえている。
「き、気持ち悪……
 傀儡から離れるのに手っ取り早い方法ではあっても、上下に震動する腕の上は乗り心地は良くなかったらしい。
「ちょ、ちょっと、ここで吐かないでよ!」
 さらにことばを続けようとするが、桐紗は迫ってくる巨大な気配を感じて急いで塀のそばに静見を下ろす。
 今の静見に戦力としての期待はできない。
 少女は、薙刀を右手にかまえる。
 それと向かい合う位置へ、門の上を跳んだ傀儡が滑り込んできた。その姿は威圧的で、横幅だけでも普段相手にする傀儡の三倍だ。
 傀儡は何かを確かめるように、多数の手足をうぞうぞと動かしてゆっくりと近づいてくる。
「先手必勝!」
 桐紗の足は、傀儡に負けぬほど速い。
 三歩で相手の懐に入り、その勢いをのせたまま縦に振り抜く。
 傀儡は後退した。しかし間に合わず、その複数の傀儡が絡み合って溶け合った胴に、大きな縦の線が入る。
 だが、その傷は全体の半分にも食い込まない。
 傷をものともせず、数十本はあろうかという腕の一部が少女に伸ばされた。その不気味な光景に顔をしかめながら、桐紗は大きく跳び退く。
「こいつデカ過ぎ。……げ」
 白い胴にざっくり開いていた傷口が、ぐちゅぐちゅと左右の断面の組織を絡み合わせるようにして、溶け合っていく。
「再生したあ!」
 驚きや絶望より、あきれのにじむ声が校庭に響く。
 その感情もすぐに過ぎ去り、桐紗の頭は戦いのための計算で埋め尽くされた。短い薙刀では、いくら強力であっても充分な効果は期待できない。
 何か、ほかに良い武器となる物はないか。周囲を見回すものの、校庭に武器は期待できなかった。
 傀儡は攻撃されたことで明確に敵を察知し、少女に突進し始めた。桐紗は接触を許さず、かつ相手を引き付ける間合いを保って、土煙を上げながら校庭を走る。
 走りながら考える桐紗の目に、視界の端を横切る線が映る。
「そっか、静見ちゃんの念糸なら……
 静見が傀儡狩りのたびに創りあげ対傀儡用の武器としているのは、霊力をそそいだ細い糸だった。長さも強度も、動きも静見の思いのままだ。
 しかし、今の静見にそこまでの集中力が保てるかどうか――と、桐紗は塀を振り返る。
 塀に背中をあずけて立ち上がった静見の手が、わずかに動いた。
 ざわざわと蠢く傀儡の腕が、半分近く切り落とされる。
「外れー」
 真っ二つにでもしなければ、致命傷とならない。落ちた腕は蒸気となって消えるものの、断面から新たな腕が生えてくる。
「く……
 桐紗のことばに自尊心を刺激されたのか、それとも単に気分が悪いだけなのか。
 少し顔をしかめてから、静見は両手で印を結ぶ。
律輪!」
 不思議そうに振り返った桐紗が視線を戻すと、大きな金色の環がふたつ、交差するように傀儡を締め付け、捕えた。
「おお、いい感じ」
 身動きのとれなくなった傀儡はざわざわと環の隙間から突き出た腕と脚を動かし、地面を叩く。
 手を使ってわずかに動いては転がるものの、戦いにおける標的としては動いていないも同じことだった。
「でも、流牙じゃねえ」
 言いながら、少女は薙刀を振り抜く。だが持ち主の予想通り刀身の短いそれでは、今度も充分な傷を与えることはできなかった。
「静見ちゃん」
 振り返って声をかけると、相手も言われるまでもなく極細の糸を放つ。
 白い腕が何本も切り離されて飛び、傀儡の胴が縦に裂けていく。
 だが、すべてが切り離される前に傀儡は大きく跳び退いた。桐紗が目を見開き改めて傀儡の白い胴体を見ると、金色の環が消えている。
「駄目だ……集中が続かん」
 今の状態で律輪と念糸を同時に使うのは無理があったのか、静見は大きく息を吐いて膝をつく。
「そんなこと言ったって……
 有効な攻撃手段はなく、相手を消滅させずには帰れない。何か、織術でよい武器になる物はないか――桐紗の思考は、今一度、そこに絞られる。
 目につくものは木、遊具、石、草、タイヤ、フェンスなど。石や金属などからは熱を引き出すこともできるが、今必要なのは傀儡を一刀両断できるだけの大きな刃だ。
 あるいは〈潰す〉ことができれば、消滅させられるのかもしれない。
 必死に次の一手を考える少女の前で、全身の傷を再生し終えた傀儡はまるで見回すように、身体の向きを変える。
 やがて、胴を支える関節を曲げ全身を沈めると、素早く跳躍した。
 身がまえる桐紗には目もくれず、その頭上を越えるようにして塀の外へ。
 驚きながらもかまえを崩さず集中して姿と気配を捉え続けるが、それは遠ざかる一方だった。
 間もなく、高速移動する傀儡はその気配を消す。
「逃げた……?」
 攻撃的な感情に従って動くことの多い傀儡が逃げるなど、本来ありえないことだった。帰る場所も自らの意思も存在しない傀儡にとっては、逃げたところで状況が変わるわけではない。
「今の儂らにとっては、僥倖だ」
 膝をついたまま、うつむいた顔に薄っすらと安堵と気がかりを混ぜたような表情を浮かべ、静見は溜め息を吐いた。
「あれを仕留めるには、もっと念入りな準備が必要だ」
「確かにねえ……
 静見に歩み寄りながら桐紗はもう一度、気配を探る。
 楽駕町の夜闇は、平静そのものに思えた。

 朝から雲の多い一日だった。窓の外は昼間とは思えないほど暗いが、夜、というほどでもない。
「静見さん、大丈夫かな」
 コンビニ弁当の中身を空にしてから、美佐子は窓越しに白い雲で埋め尽くされた空を見上げた。
 彼女は夜に何があったのか、詳しいことは知らない。ただ祖父が元凶であることは理解していた。
「まあ、ただの二日酔いなんだから、だいじょぶでしょ」
 となりでデザートのバニラヨーグルトを食べていた桐紗が、軽い調子で言う。
 本当は美佐子としては怪我のほうが気になったが、桐紗はともかくそんなことを奈美の前で言おうものなら、何かの事件に巻き込まれたのかと根掘り葉掘り訊かれるに違いない。
「それにしても、お祖父ちゃんはお酒強いんだねえ。平気で朝練出てたし」
「松山さんたちも二日酔いで練習休んだんだけど、お祖父ちゃんだけはいつも元気なままなの。……だからって他人にもあんな飲ませることないのに」
 怒りの声色で言う美佐子の手にしたジュース入りのプラスチックのパックが、ミシミシと音を立てる。
「まあまあ、命に関わるようなものじゃないんだから」
 いつになく剣呑な雰囲気の美佐子を、奈美が怯えたような笑顔でなだめる。しかし実際には静見の命に関わる事態だったので、美佐子の内心の怒りは晴れない。
「それにしても、土曜日は怖かったよね。まあ結局何もなかったけどさ」
 あの奇妙な影は、カラスが咥えた人形の腕だった――
 倉木デパートでの言い訳は、美佐子が迷っているうちに竜樹がすらすらと言ってくれた。美佐子が曖昧に話を合わせるだけで、友人たちは何ひとつ疑うことなく納得してくれたのである。
「何かあったら困るわよ。もう、人数合わせには行かないからね?」
「わかってる。ほんと、ゴメンねー」
 美佐子がどれほど恐ろしい思いをしたか、倉木デパートの四階で彼女の表情を見た友人も理解しているらしい。もう呼び出さないこと、今度の休みにデザートをおごるということを約束していた。
「それにしても、今朝の新聞、見た?」
 話題を帰るなり、奈美は目をキラキラと輝かせる。
「また何か面白そうな事件があったって?」
 美佐子のあきれた視線に、彼女はメモ帳を取り出し、
「そうそう、地元の事件よ。何でも、昨日未明、特急列車の乗客が列車を追いかけてくる奇妙な人影を目撃したとか。きっと、新たな都市伝説よ!」
 拳を握りしめて勢い込んで言うことばに、美佐子のとなりでジュースを飲んでいた桐紗が咳き込んだ。
「ほんと、気になるわー。さすがに肝試しに何回も特急列車に乗るって訳にはいかないから、乗るときに外に注目することくらいしかできないけどね。残念」
「どうせ見間違いでしょ? 夜だったんだし」
「えー、桐紗ちゃんは夢がないなあ」
「そんな夢なら、ない方がいいよ……
 冷や汗をかきながら言う桐紗の様子から何となく、美佐子は、何か心当たりがあるんだろうと予想していた。

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