#DOWN
終結 ―遠い〈記憶〉の彼方―(10)
賢者の狙いを知ったのは、彼だけではない。
「聖者が脅しとは、お笑い草ですね。偽善者……綺麗ごとは聞き飽きました」
シータが軽く腕を振った。
三本の黒い鎖が床から伸び、一瞬で柱の前に立つ三人の目の前へ直進する。
その先端があと少しというところで、半透明な赤い膜がネファースたちを包むように見え、鎖を弾き飛ばす。
クレオは愕然とし、シータもわずかに顔色を変える。
一方の賢者たちは、涼しい顔だ。
「我々はすでに、レベル3までの機能を手にしたよ。ここから先は、ガードが激しくてね……この、殿堂入りのペリタス兄弟の腕をもってしても、パスワードを解くのに時間がかかる。こんなことなら、セルサスのパーソナリティを生かしておくんだったな」
たしなめるように言い、賢者は背中を向けた。
もう、誰も彼らを止められないのか。
一抹の悔しさを感じながら、クレオはシータに目をやる。もう、クレアトールの力に頼るしかない。
幸い、もう一人の少年には、あきらめた様子はない。
「強力なファイヤーウォール……局所的とはいえ、セルサスの機能の一部です。普通なら強行突破は不可能ですが、力押しで行くしかありません」
「力押し……?」
「知ってます? 人の意識の容量は、ワールドひとつ分よりずっと大きいんですよ」
ほほ笑みを浮かべて振り返り、シータはきき返した。
彼の言いたいことに、すぐに気づいた者はいない。クレオにルチル、リルまでが、不思議そうにシータを見る。
そして、ほかの皆がことばの意味に気づいたときには、彼は動いていた。
シータが、柱に近づく三人に向かって走る。背後の異変に気づき、賢者たちは顔色を変えて振り返った。
防壁に、手が届く――その寸前で、シータの動きが止まる。
自ら足を止めたのではない。止めさせられて、彼は愕然と顔を上げる。
「早まるな、若いの」
突然、聞き覚えのある声がかけられた。
シータのそばに見える景色がぐにゃりと歪み、男の姿を浮き上がらせる。浅黒い肌の、作業服を着た、黒目黒髪の三〇代半ばくらいの男だ。
姿は初めて見るが、少年たちは、その正体を知っていた。
「読唇者!」
殿堂入り十人のうちの一人である男の名を、ルチルが呼んだ。
「読唇者か……」
賢者の左右に立つ兄弟も、油断ならない相手の登場に、表情を引き締める。
だが、彼らが守るべき賢者ネファースが余裕の笑みを崩すことはない。
賢者の余裕は、当然だ。彼らには、セルサスの力があるのだから。
「まあ、確かにこの場では、キミの言う方法しかなさそうではあるがな。それは、大人がやることだ」
「そんな、わたしは」
目を見開くシータの前で、読唇者が苦笑する。
「後は頼む」
言って、彼は賢者のほうへ向き直った。
しかし――
新たに現われた男が踏み出す前に、半透明な膜が両端の壁と床から天井までの間に広がり、侵入しようと試みる者たちを押し出すようにして弾き飛ばした。
衝撃を受け、読唇者とシータが転がる。目の前まで膜が迫ったところで難を逃れたクレオは、尻餅をついた。
「壁は動かせないわけでも、一枚しか出せないわけでもないんだぜ」
クラッカーの兄の方が、クレオたちを見下ろし、嘲笑する。
膜の表面に弾かれただけなので、意識体の情報に影響があるほどではないが、シータと読唇者はかなりのダメージを受けたようだった。
「打つ手なし、ですか……」
シータが、血を吐きながら膝をつく。
手も足も出ない。頼みの綱のハッカーたちも、一部とはいえ、賢者たちが手に入れたセルサスの力には通用しない。
あきらめるしかないのか?
床に手をつき、クレオは自問自答する。こうして考えている間にも、もう、すべてが終わってしまうかもしれない。世界が賢者の手に渡る瞬間が、確実に近づいているのかもしれない。
ほとんど、無意識のうちに立ち上がろうと上体を起こした拍子に、ジャケットのポケットから、白い羽根が落ちた。
床に舞い落ちていく羽根を目にして、クレオは剣の切っ先を上げる。
自分で選んだ道だ。初めて、流れに逆らって決めたことだ。
このままで満足してはいけない。
作られた英雄ではなく、自分が、自分を勇敢だと認めるために。
「……だあああぁっ!」
理屈ではなく、本能で、彼は駆けた。不可視のファイヤーウォールに阻まれ、命を落とすかもしれないとわかっていても。
援護しようと、後ろからルチルがレイガンのトリガーを引く。だが、発射された光線は宙で捻じ曲がり、壁に当たって焦げ目をつける。
「無茶なことを」
あきれながら、賢者たちは、迫ってくる少年を注視していた。
あと少しで、少年が見えない壁に触れる。
そう思われた途端に、クラッカーの兄弟が消えた。
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