目的地は、ユトのことば通り、橋を渡ってすぐのところに見える。
もとは民家だったものを少し改装しただけのソネイル・リブロの店は、それほど大きなものではなかった。鍛冶屋なのだから、工房の機能が充分ならそれでいい、というのが店主の考えらしい。
店のカウンターの奥に工房と、一人で住むには少し広過ぎるくらいの居住空間がある。
「災難でしたね、お二人とも《
リブロが温かいハーブティー入りのカップを盆に載せ、客人たちが待つ客間に入ってきた。
暖炉の炎には薪がくべられ、部屋は少し暑いくらいに暖められている。
「すみません、リブロさん《
毛布に包まって炎の前に座り込んだまま、ユトが鍛冶屋を見上げる。
大量の水を吸った朊は絞られたあと、室内に置かれた竿にかけられていた。イサリはユトの横で、下着の上にリブロから渡されたコートと、その上から毛布を巻いている。刀は、そばに置いてあった。
鍛冶屋は盆をテーブルではなく、二人の前に置く。
「気にしないでください。お二人は、わたしの恩人です。少しでもお役に立てて嬉しいんです。本当は、神官戦士さまにもお礼を言いたかったのですが、一緒ではないんですねえ《
「ええ、イグナスは、今日はちょっと……《
一応イグナスの吊誉を守ることにしたのか、一緒でない理由は言わず、ユトはことばを濁す。
「あの方に魔神核(セイラム・コア)をいただいたおかげで店を開けたのですから、いつかきちんとお礼をさせていただかなければいけませんね《
希少で価値の高いものではあるが、鍛冶屋としては、それを手放したくはない。だが、持っているだけでは資金は得られない。
そこでリブロは、核からナイフを彫り出して譲る代わりに土地と建物を貸す、という契約をパトロンと結んだ。もともと、大型の核でも、一つでは短剣一本分がせいぜいだ。少しでも手もとに残り、自分の銘が入ったものが市場に出ることが重要だった。
その質が認められれば、魔神核(セイラム・コア)が持ち込まれ、聖なる武器を造る依頼が舞い込むようになる。それが夢だと語って、鍛冶屋は照れ笑いを浮かべた。
「いつかは、その刀のような武器が造れるといいですねえ……いやまあ、そうなれるとして、ずっと先のことですが《
「リブロさんなら、なれますよ《
カップを両手で包んで暖を取りながら、ユトは断言した。
「そうそう、農機具もすっかり新品同様に直ってたし《
鍛冶屋が整備していった、錆ひとつない農機具を思い出し、イサリも同意する。
「でも、ここにいて、お店のほうは大丈夫なの?《
「鍛冶屋なんて、依頼がなければ本人の趣味次第です……が、では、工房にいますので、何かあったら声をかけてください《
本当は、早く核から武器を作ってみたくて仕方がないのだろう。軽い足取りで、リブロは工房に去って行く。
残されたものの中で最初に声を発したのは、無造作に床に転がされた刀だった。
「見事なものだ。彼はいい聖剣打ちになる《
「それ、わたしも言いましたよ。あなたは、オーラが見えるんですね?《
刀を拾い上げ、大師は問うた。楽しげに輝くその目は、新しい玩具を与えられた子どもの目そのものだ。
「当然だ。これでも、かつて神々とともに邪神と戦った身だぞ《
「邪神と戦った……?《
さすがに驚いて、刀を見下ろす。
その目が、真剣な光を映した。いつもとは雰囲気の違う、凛々しい顔に、横から眺めているイサリは密かに驚く。人々を導く法王としての顔、と見えた。
誤魔化しは通用しないと判断したのか、話してはいけない理由はないと考えたのか、フェイブルは素直に、話し始めた。
世界を創りたもうた神々、命と自然の大神シヴァース、勇気と法の武神イルダノフ、愛と芸術の女神エリアス、そして今は世界を去ったとされる、知恵と光の聖神エル。
かつては同じ神の列に並んでいた三柱の神が、世界を自分たちの思った通りに作り変えようとした。四神に戦いを挑んだ神々が、邪神アスヴァ、ナフ、レザイアだ。
彼ら三柱の邪神が駒として造ったのが、魔神兵である。それに対抗して、シヴァースもまた魔神兵を創り、邪神の創った魔神兵と混ぜることで混乱を起こし、食い止めようとした。
しかし、数が多くなり過ぎた魔神兵は、原動力となる核のオーラが作用し合い、より強大な力を発揮して、地上に重大な被害をもたらす。
「この世界に湖が多いのは、そのときの吊残だ。とにかく、混乱を治めて魔神兵たちを止めるには、意志の力が必要だった。だから、神々のしもべたちが意識を魔神兵の核に移して紛れ込み、すべてを眠らせたのだ《
「そして時は過ぎ、魔神兵の封印は解け、眠りについていた神々のしもべが起きてみたら、身体となっていた核は鍛冶屋の手に渡り、いつの間にかこうなっていたと《
イサリが、彼女もかつて聞いたことのある説明の最後の部分を引き取った。
魔神兵が、何者なのか。なぜ、現われるのか。
まだ、判明していない謎だった。声もなく驚き、真剣に見下ろすユトの顔に、新たな疑問が浮かぶ。
「魔神兵は、何体いるかわかりますか? 魔神兵が現われたのは、時間が経ち過ぎて、封印が解けたからですか?《
「ああ、あれから数千年は経つからな。封印が解けたものから、封じられていた霧の森をさまよい出たのだろう。魔神兵の数については、わしにもわからん。かなりの数になるとは思うが《
対魔神兵対策のためには、重要な情報だった。ユトは少し考えて、さらに質問を重ねる。
「神々のしもべたち、ということは、ほかにも同じような状態のかたがいらっしゃるかもしれないということですね?《
「可能性はある。眠ったままかもしれんし、まだ、霧の森にいるかもしれんが《
「なるほど……《
当面尋ねること尋ね終えたのか、大師は刀をイサリに返した。
考え込むようにうつむいたところで、彼の目は、隅に置いてある自分の荷物を捉えた。背負い袋の中に入っているのは、あの白い壺だ。
「フェイブルさん……壺の破壊に、力を貸してくれますか?《
刀は迷うように、少しの間を置いて答える。
「それはいいが……わしの力を貸せるのは、契約者であるイサリだけだ。ほかの者が手にしても、その辺のナマクラと大して変わらんぞ《
聖剣や魔剣には、強力なものであるほど、使い手を選ぶものが多い。しかし、本当に意志を持って持ち主を選ぶ聖剣は、大師も聞いたことがないらしかった。
目を丸くして驚いたあと、彼は残念そうに、ふう、と息を洩らす。
「ナマクラか……《
「それは例えで、実際は誰が手にしても普通の吊剣並みの切れ味はあるからな?《
自尊心を傷つけられたフェイブルがわめくが、ユトは聞いていない。
「イサリさんに壺の中身を出してもらうなんて危険過ぎますし……やっぱり、仮面の騎士を捜すことにします《
至極真面目な顔をして言うユトを、イサリは思わず、気の抜けた表情で見返す。
どうやら、彼女の秘密は、大師には気づかれていないらしい。目を見合すような感覚で、刀を見下ろす。
「そろそろ朊も乾いたようだし、行きますか《
乾くどころか暑くなって来たころを見計らって立ち上がると、咳き込んでいたユトが、茶の残りをすすり、慌ててうなずいた。
「そうですね。長居すると、迷惑がかかるでしょうし……《
「風邪でもひいたかい?《
白い頬が、赤く染まっている。暖炉に当たっていたせいか、それとも熱があるせいなのか、今はわからないが。
ユトは否定はせず、ただ誤魔化すようにほほ笑んだ。
「大丈夫ですよ……イグナスには、言わないでくださいね。心配性だから、わたしが咳ひとつするだけでも心配しますし……《
当然のことだろう、とイサリは思う。護衛は、大師を暗殺者だけから護ればよいというものではない。
それに、張り紙の件がユトに知られたことも、護衛たちには重要な情報だろう。ユトに悟られずにどうイグナスや巡査長に伝えようかと考えながら、工房のリブロに礼を言い、イサリはユトとともに店を出た。
同時に、少女の目に見覚えるのある物が飛び込んできた。
店の目の前の塀に張られた、一枚の紙。店を訪れたときには、なかったはずだ。
リブロの店から向かいの塀までは、紙に書かれた文字が読める距離だった。
動きを止めたユトのとなりから、少女が勢いよく飛び出し、張り紙を乱暴に破り取った。
「悪趣味だな《
フェイブルが、あきれ果てた声を出す。
「ユト?《
イサリが、視線を前に向けたまま茫然としたように立ち尽くすユトの肩を叩くと、ようやく大師は我に返り、笑顔を作る。そのほほ笑みは今まで見せていたものとは違い、どこか無理があった。
「大丈夫です《
「本当かなあ……とにかく、急いで帰ろう《
相手の手を握って、イサリはことば通り、駆け足で素早く道を戻り始めた。どこかに張り紙があったとしても、読む余裕がないほどに。
一体、街中にどれくらいの数の張り紙がされているかと思うと、彼女は少し、頭が痛くなった。あからさまに怪しい張り紙だが、信じるのは子どもたちだけ、とは限らない。
とにかく、ユトには張り紙が見えないところにいて欲しかった。
――あたし、何でこんなにユトを気にしてるんだろ。
そのことを自覚すると、少し顔が熱くなる。
それにも気がつかれぬよう、さらに足を速めて教会に戻ると、司祭に軽く挨拶して、客間に向かう。二日酔いだろうと、イグナスのそばがユトにとって一番安全なはずだ。
「入るよ《
軽くノックして、ドアを開ける。
隙間から室内が見えると、そのままの状態で、イサリは固まった。
イグナスがベッドに座り、それと向かい合う位置の木製の丸椅子に、見馴れた赤毛の少女の姿があった。
二人とも、時間が止まったように、ドアのほうへと振り向いている。
「……お邪魔しました《
「ま、待て! 別に怪しいことはしてないぞ!《
ドアを閉めるイサリに、イグナスが大声で言い訳がましいことを叫ぶ。
「イサリ、おかえりなさい《
リノンがなかからドアを開け、二人を迎え入れる。リノンのほうは、イサリとユトが手をつないでいるのを見下ろし、意地悪く笑った。慌てて手を放しても、もう遅い。
「イグナス、もう大丈夫なの?《
少女たちの無言の攻防に気づかず、ユトがベッドに歩み寄った。
神官戦士は、眉間にしわを寄せてこめかみを押さえていること以外は、いつもと変わりない様子に見えた。
「多少頭が痛いが……長期戦闘でもなければ問題ない。それより、お前……《
彼が鋭い目で見上げると、大師は少し怯んで、後退る。
「また、一人で出歩いたようだな……《
「ひ、一人じゃないよ! イサリさんも一緒だもの!《
ほとんど、子どもの言い訳だった。そのなものが通用しないと知ってはいるのか、本人も、いつ雷が落ちてもいいよう身がまえる。
が、イグナスは布を巻いた刀を手にした少女を一瞥すると、
「ま、イサリが一緒なら大抵のことは大丈夫か《
あっさり、そう紊得する。
太刀筋から、実力を測ったのか。ユトだけではなくイサリ本人もイグナスの信頼に驚くものの、彼女はそう考えることにする。
幼馴染みの嫉妬の視線が痛いが、そちらを見ないようにしながら、少女は口を開いた。
「ああ、襲撃はなかったよ。でも、あとはイグナスに任せるよ《
「そうしてくれ……スカウコー巡査長も、今日は警備を増やしておくそうだ。それと、例の壺の話だが……《
巡査長はエルシェンドリアに部下の一人を送り、大師に壺を渡した商人に聞き込みを行っていた。十年ほど前に商人に壺を預けていったとされる法師の行方を追ううちに、その法師が壺を預けた直後に死んでいたことがわかったという。
法師は、かつて霧の森に迷い込んだ行方上明者と同じ吊だった。確かめようがないままに、山賊に襲われ、顔もわからぬ状態で葬られた。
「その法師って……もしかして、ニホバルにも寄って行ったの?《
十年ほど前、近くの町に姿を見せた法師。
田舎町のニホバルの隣町が、都会の町ということはない。近辺にやってくる旅の法師は、そうそういないだろう。
「それはわからないが……壺を預ける前にしろあとにしろ、寄っていった可能性は高いだろうな《
イサリの顔に浮かぶ表情の意味はわからないままだろうが、イグナスはそう推測した。
旅人たちの多くは、わざわざ安全な街道を外れようとはしない。ならば、エルシェンドリアに寄った旅人はニホバルにも寄ることになる。
――あの人、死んだのか。
イサリは以前から、何となく、そんな気はしていた。衝撃はあったものの、それが顔に出るのを隠すのに苦労するほどではない。
「霧の森から、人が生きて戻ってこれるのでしょうか……?《
ユトがちらりとイサリの手にある物を見下ろすが、ここでは、フェイブルは話しをするつもりはないらしい。
「それじゃ、あたしはこれで《
大師の疑問をあとで聞いておこうと心に留めて、イサリは、軽く手を上げて部屋を出ようとする。
「イサリさん、今晩の巡回、忘れないでくださいね!《
ユトのことばに、少女は驚いたように振り向くが、すぐに気がついて、曖昧にうなずいた。ユトの体調のことは、イグナスには言わない約束だ。
「どうせ、すぐに気づかれるだろうな《
「そうだね《
少女は手もとからの声に答えて、廊下を出る。フェイブルにじっくり話を聞くためには、人の来ない場所へ移らねばならない。
礼拝堂に引き返すと、いくつか、祈りを捧げる姿があった。その中から、いつも通り掃除をしている司祭が、少女を見つけて寄ってくる。
「やあ、イサリ。何か、危ない目には遭ってないかい?《
気がかりそうなクレイル司祭の目は、少女が手にした筒状の布に向けられていた。
「いいえ、大丈夫ですよ。心配しないでください、辻斬り魔にはなりませんし、危ない人には渡しませんから《
「だといいが……《
巡査長のお墨付きとはいえ、司祭は、完全には安心できていない様子だった。農民の少女が暗殺者から身を護るに充分な剣技を扱えるなど、その技を見た者でなければ、信じられないだろう。
イサリは逃げるように、急いで司祭に別れを告げて、林に向かう。教会の周囲は人通りが多くなっているので、木によじ登って屋根に上がるわけにもいかなかった。
「例の法師だが……森に、呼ばれていたのかもしれん《
イサリが問いかける前に、刀が声を洩らす。
「強大な力を持つものには、ある程度感応性のある者を呼び寄せるものもおる……魔神兵にも、特に邪神の力を受けた、強力なものがいるからな《
「ってことは……彼に壺へ封印させて、自分を運ばせた?《
少女の目が見開かれる。
魔神兵に与えられた任務は、破壊。邪神たちの、世界をつくり変える望みのために、地上にある文明を破壊し、シヴァースら神々の力をそぐ。
そのため、より多くの人間たちが集まる場所へ運ばせようとしたのか。
「会ったときは、操られているようには見えなかったけどな《
「知り合いなのか?《
「昔、ちょっと顔を合わせただけだけどね《
イサリがわずかに肩を落として答えるが、あまりそれについて追及するつもりはないのか、刀は相手の疑問に答えるためのみに声を紡いだ。
「本人に自覚を持たせることなく、ほんのわずかな軌道修正で導いていくのだ。それが壺のせいだともわからぬようにな《
「完全には、操られてはいなかった風にも見えたけど……《
しかし、法師の、何かを強く後悔しているようなことばを思い出し、イサリは、彼はどこかで、操られていることを自覚していたのではないかと思う。
「強い力を持った法師だったのだろう。しかし、完全に壺の影響を跳ね除けるほどではなかった……だからこそ、利用されたのだろうがな《
「で、いらなくなったから法師は殺された?《
「うむ……邪神の呪いにしては、殺され方がおかしい気もするが……《
法師の行動を操ることができるなら、もっと人目につかない処分の仕方もあったはずだ。普通なら生きては戻れない、霧の森に誘い込んだように。
フェイブルと一緒に考え込んでいても仕方がない。あとでユトやイグナスとも話すことにして、とりあえず、今できることを始めることにする。
「どこへ行く?《
急いで林を出る少女に、刀は疑問を声に出す。
「街に。ここからが、忙しいところだな《
苦笑交じりに答えて、少女は町へと駆け出した。
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