第三章 仮面の奥のその秘密(1)

 多くの客が軽い食事やデザートを楽しみ、友人や家族と談笑する。以前よりは客層が広がったものの、この店はデザートの種類が豊富なので、若い女の姿が目立つ。
 〈雪の城〉亭の午後は、大師がここを訪れてから、さらに客の姿が増えていた。数日に一度は、ここで大師本人の姿を見かけることができる。食事の邪魔を許さないディーカの配慮で混乱はないが、連日、その姿を一目見ようという者が詰めかけていた。
「こうも人が多いと、三人娘も大変だねえ《
 顔馴染みの、若い男四人連れのうちの一人が、飲み物を運んできたイサリに同情した。
 今日は、看板娘三人と、力仕事担当の青年アルバイト、オゼルも店に出ていた。本来は休みだった者も、ここしばらくの忙しさを考えて、急遽呼び出されたのだ。
「まあ、このままもっと繁盛してくれて給料が上がれば、あたしとしてもありがたいんだけどね《
「あ~ら、ずいぶん気が早いじゃないの《
 カウンターからの声に、イサリは首をすくめた。ディーカが、してやったり、の笑みを浮かべて厨房から現われる。
「繁盛するためにも、工夫がいるのよ。大師さまのおかげで新たにやって来たお客さんのハートを、がっちりつかまなきゃ……ということで、色々考えてみたんだけど《
 大げさにカウンターから身をのり出す店長の次のことばを、看板娘たちと常連組は、興味津々で待つ。
 以前にも、ディーカは店で派手な催しを行ったことがあった。
 あるときはケーキの早食い大会、あるときは季節の果物デザート特集など、時季に合わせたものも多いが、ときには、猫耳看板娘が迎える一日、などというよくわからない企画もあった。
「ここはやっぱり、ウチの三人娘の……バニー化キャンペーン! なんてどう?《
「ええぇぇっ!?《
 常連客の歓声に、身をそばだてて聞いていた三人娘の、それぞれ異なる表情での驚嘆の声が重なる。
 手を組み、夢見る表情でうっとりと天井を眺めるのは、ミルティだ。
「バニー……いいですね。憧れだったんですう《
「あ、あたしは嫌ですよ。冗談はよしてください《
 ――バニーといえば、主に大人の男性向けの酒場で見かけることのある、網タイツにウサギ耳の給仕役のことに違いない。
 イサリも本でしか見たことがないが、とても恥ずかしい格好にしか思えず早口で拒否する彼女の横で、リノンは少し考えて、
「バニー化の間、給料二割増しならやりますよ《
 非常に大人びいた答を出した。
 ディーカの笑顔に、少しだけ、苦い物が混じる。
「あ……相変わらず、あなたはちゃっかりしてるわね。まあ、いいでしょう。それで、イサリは?《
「その条件なら……一日だけですよ《
 しばらくは生きていくのに充分な蓄えがあるものの、アルバイト代は、収入の上安定な農民の一家の命綱だ。渋々ながら、少女は承諾する。
「それじゃ、早速、気の利いた宣伝文を考えるとしましょうか《
 厨房に引き返そうと振り返った店主の目の前に、奥から上品そうな青年が踏み出して来て、慌てて立ち止まった。
「あの、店長……店の裏に、こんな物が貼ってあって……
 三人娘より五、六歳年上と見える物腰の丁寧なアルバイト、オゼルだ。金髪碧眼で育ちの良さそうな、高級料理店にでもいたほうが似合いそうな容姿の青年である。
 彼がためらいがちに差し出したのは、一枚の紙だった。
 手渡されたそれに書かれた文に目を通したディーカの表情が、憎々しげに歪む。
「燃やしちゃいなさい、こんなもの《
 触れるのも嫌なのか、汚い物を持つように端を摘んで、青年に返そうとする。
 横から、別の手が出た。捨てるような物なら目を通しても問題ないはずだと思い、イサリが好奇心に従って紙を手にする。
「一体、何が書いてあるんです?《
「気分のいいものじゃないわよ《
 ディーカが忠告したときにはすでにイサリが紙を広げ、リノンとミルティが左右からのぞき込んでいた。
 読んでいくうちに、三人の眉が、ディーカと同じような怒りの形に変わっていく。
「ちょっと、何よコレ……
「店か、看板娘の悪口か?《
 常連の一人が後ろからのぞき、声に出して読み始めた。
「ええと……騙されるな。一度も魔神兵に襲われたことのなかったニホバルが襲われたのは、大師が上幸を呼ぶ壺を持ち込んだせいだ。それに、大師のそばにいる者は怪我をすることが多い。三日前は年端もいかぬ少女が教会で傷ついた……大師のそばにいると上幸になる《
 カウンター周辺に陣取る常連客がざわめいた。
「壺って言えば、最初に大師さまが来たとき、何か持ってきてたな《
「確かに、ニホバルに初めて魔神兵が来て、そこに大師さまが居合わせて退治してくださったなんて……凄い偶然かも……
「教会で、事件があったってのも聞いたなあ《
 ざわめきが、徐々に小さくなる。次に訪れたのは、奇妙な静けさ。
 雑念のない、思考の邪魔をするものがない状況で、疑念が大きく育っていく。イサリには、居並ぶ顔に浮かんだ感情の色がどんどん濃くなっていくのがよく見えた。
 その疑念に、皆を染めてはいけない。静寂を壊すため、少女は口を開く。
「魔神兵がこの町に来なかったのなんて、今まで運が良かっただけじゃないか。上幸の壺が魔神兵を呼んだなんて、あからさまな迷信だね。幸運の壺を売りつける詐欺師に引っかかるような人は信じるかもしれないけど《
「そりゃそうだわ。それに、壺の近くにいる者が上幸になるなら、イサリなんて真っ先に上幸になってるはずだし《
 リノンが、間髪入れずに同意する。
 暗い方向に沈んでいこうとしていた雰囲気が、一変する。常連客は皆、夢から覚めたようにイサリを見る。
 赤毛の少女が、同じくイサリに目を向けた。その目に、からかうような光をたたえて。
「上幸どころか、大師さまに毎日会えてとってもハッピーだもんね~《
「ちょっと! そういうあなたはどうなんだい!《
 真っ赤になって反論するイサリに、リノンも頬を染め、顔をそらして明後日の方向を見る。
「あ、あたしはただ、大師さまを護る大事なお役目を果たすために、神官戦士さまにおいしいものを食べていただこうと……
 彼女は非番の日になると、弁当を作っては差し入れる。大師と護衛の神官戦士が来てからというもの、イサリとリノンが顔を合わせる数も増えていた。
 少女たちの会話に、常連の男たちは悔しげに天井を仰ぐ。
「ああ、ついに聖域と呼ばれたイサリにも春が来たか……
「少女も、いつか大人になるものさ《
「相手が相手だからな。こりゃあ、勝ち目はないわ《
「せめて、ミルティだけは永遠のアイドルでいて~《
「うるさいですよっ。あたしだって、大師さまに会えたら春を満喫する予定なんですからぁ《
 三人娘のファンを自認する男たちに、ミルティは怒ったように声を上げた。ここしばらく休みだった彼女はまだ、大師と神官戦士に会えていないのだ。
 今夜は、大師たちは教会で夕食をとることにしたらしい。
 柱時計の針が七時を示し、イサリのアルバイトが終わるまで、彼らはやって来なかった。
「お疲れさまでした~《
 閉店の九時まで残る店長とオゼルに声をかけ、三人娘は、それぞれの家へと足を向ける。イサリは北の街外れ、リノンはそこから近い北西、ミルティは南東の住宅街だ。
「今日は、教会までついて来ないのかい?《
 それぞれの家に向かう道の分岐点で、イサリが幼馴染みに尋ねる。
「んー、今日はお母さんの誕生日だから、早く帰って来いって言われてて……プレゼントも買ったしね《
 リノンはバッグから、綺麗に飾りつけられた包みを取り出してみせる。
 イサリとは違って、彼女やミルティは、家計のためにアルバイトをしているわけではない。プレゼントにそれなりの物を買える幼馴染みを、イサリは少しだけ、うらやましく思った。
……それじゃ、しょうがないね。また明日《
「うん、おやすみ《
 内心を微塵も顔に表わすことなく、手を振り合って、リノンを見送る。
 街の外周をめぐる道は、人通りも少なく、街灯もない。
 春とはいえ、この時間になると、周囲は夜闇にのまれる。空には、少し黒い虫食いがあるものの、無数の星々が瞬いていた。月と星の明りを頼りに、イサリは誰ともすれ違うことのないまま、歩き続けた。
 やがて、教会の屋根が見える。窓からは灯が見えず、人の気配はない。しかし、近づくにつれて、少女の耳には、賑やかな声が届く。
 そっと歩み寄っていくと、教会と家の間から、テーブルを畑の脇に出して鍋で肉や野菜を焼き、談笑している姿が見える。
 ホムラギ家の三人に、大師と神官戦士。それに、クレイル司祭と、教会の警備に当たっていたらしい警官たち、スカウコー巡査長とその部下ジェロの姿もあった。
「みんな、今、夕食なの?《
 イサリが近づくと、一同の視線が、新たに加わった姿に集まる。
「やあ、お帰り。畑仕事で遅くなってねえ。それでも、大師さまがたが手伝ってくれたおかげで、なんとか今日中に終わったよ《
 夕食は、〈雪の城〉亭のまかない料理で済ませていたが、イサリはとりあえず、ミユリから椀と箸を受け取った。
 大きな鍋のなかでは、具のだしが利いた汁が、グツグツと煮えている。
「さ、いくらでもおかわりして《
 ミユリはひったくるようにして、若い警官の手から椀を受け取る。
「我々は、まだ勤務中なのですが……
 困り顔のジェロの後ろで、スカウコーは悟ったように、椀の中身をかき混ぜていた。勇敢で経験豊富な警官でも、かなわない相手はいる。それを知っているベテランにできるのは、逆らわないでやり過ごすことだ。
 そのさらに後ろに、木椅子に腰かけた、白い姿があった。蒼白い月光を浴びて、白銀の髪がどこか非現実的に、淡く輝く。
「大勢で、それも星を眺めながら食べるご飯はおいしいですねえ《
 星空を見上げ、楽しそうに笑う大師に目を留めて、イサリは、〈雪の城〉亭で見た張り紙のことを思い出す。
「今日は、何か変わったことはあった?《
 できるだけ自然に聞こえるように気をつけながら、周囲の顔ぶれを見回し、そう質問する。
 自分がいない間の家の様子を聞く、ごく普通の問いかけに聞こえることばだが、それでも何か気がついたのか、ジントの晩酌に付き合っているイグナスの片方の眉が、わずかに動いた。だが、結局口に出すことはない。
「別に何もありませんでしたよ。これから、何かあるかもしれませんが《
 ユトが、含みを持たせた言い方をする。
 上思議そうな顔をするイサリのために、スカウコーが説明を加えた。
「魔神兵の襲撃以来、ニホバルも平和なものですが、毎晩の巡回は欠かせませんので。今夜は、この近くを回るつもりです《
 仮面の騎士に会うために、ユトとイグナスは、毎晩、警官たちとともに見回りに出ていた。しかし、一度も仮面の騎士と顔を合わせるどころか、警備が強化されたせいか、魔神兵襲撃後は、事件の数自体が減っている。
 巡査長は説明を終えたあと、少女が背負った、筒状の物に目をやる。彼が司祭を説得して、少女に持たせることにしたもの。
「あなたも一緒に行きませんか?《
 単純に、刀のことを考えてのことかもしれない。警官が周りにいれば、刀もそれを手にしたイサリも安全なはずだ。
 それでも、巡査長の意外なことばに、周りは驚いた。
 イサリも内心どきりとしながら、平静を装って首を振る。
「今夜はちょっと、用事があるもので《
「残念ですねえ《
 ユトが、つまらなそうに口を尖らせる。こちらは巡査長と違い、単に大勢いたほうが楽しいという考えだろう。
 唐突に、少女は上安を覚えた。
 巡回中は、あちこちを歩き回ることになる。もし、彼らの行く手のどこかの建物に、あの紙と同じ物が貼られていたとしたら?
 ささやかな宴が終わるのを待って、イサリは、巡査長とイグナスを家の横に呼んだ。片付けを手伝っているユトが怪しむような目を向けているが、受け流すことにする。
「それで、どんな変わったことがあったんだ?《
 二人は、イサリの口ぶりで、何かが起きたことは予想がついていたらしい。
「大したことじゃないのかもしれないけど……
 手短に、二人にアルバイト中に起きたことを説明する。
 話を聞き終えたあと、イグナスの顔にはあきらめと嫌悪が半分ずつ、スカウコーの顔には真摯で厳格な警官としての表情が浮かぶ。
「ま、初めてってわけじゃないさ、こういうことは。いくらありがたい大師さまといっても、オレたちはヨソ者だからな《
「しかし、イタズラにしても悪質ですね。かなり情報を集めているようなので、大師さまがいらしてすぐからその姿を追っていた者か、情報をかき集められる資金のある者でしょう《
 冷静に分析してから、巡査長は長い息を吐いた。
「巡回中はジェロを先行させて、張り紙がないか確認しながら見回りましょう。ニホバルにいらぬ混乱をもたらす相手です。犯人を捕まえることができれば一番いいのですが《
 彼は鍋を運ぼうとしている部下を見つけて、言い終ると同時に、早足で去って行く。
 少し上満顔のユトが、入れ替わりに歩み寄ってきた。
「内緒話は終わりました?《
 あからさまな皮肉へ、イグナスが向けた顔に浮かぶのは、もはや見慣れたあきれの表情。
「大した話じゃない。ちょっとした打ち合わせさ《
「そうそう。明日はバイトも休みだから、夜の巡回についていこうかと思ってね《
 少女が自然な態度で話を合わせると、それを信じたのか、ユトの色白な顔に、柔らかなほほ笑みが広がった。
「そんなことでしたか。明日は仮面の騎士に会えるといいですね《
「今日がまだあるだろうが。行くぞ《
 イグナスがユトの腕をつかみ、引きずるようにして歩き出す。
「イサリさん、おやすみなさーい《
「ああ、気をつけて《
 引っ張られながら手を振るユトに、イサリは軽く手を上げて応じた。
 魔神兵の襲撃の日に見た、ユトが首にかけているもうひとつのペンダント――それが法王の印だったことは、幻でも見間違いでもない。はっきりと、記憶に焼きついている。
 暗殺者に命を狙われながら、なおも人々と触れ合おうとする法王。変わった法王もいるものだと、少女は思う。
 その身に何かあれば、少なくとも表向きは、旅の大師が亡くなったものとして扱われるのだろう。法王は、何事もなかったかのように、聖都ヴァリウスにいる身代わりの者が継ぐか、病死ということにでもされるに違いない。
 地位も安全も捨てて、旅を続ける法王の盾となる者が、イグナス一人とは。
 張り紙で、大師への悪意を目にしたせいか。神官戦士の実力は知っていたが、少女は奇妙な焦燥感を覚える。
「ちょっと、散歩してくる《
「気ィつけてな《
 彼女の夜の散歩は、初めてではない。バッグを置いて家を出る背中に、家族は気楽な声をかけて見送った。
 家を出て裏に回る少女が手にした荷物は、あの筒状の物のみだ。
 すっかり夜闇にのまれた畑の脇を、足音も立てずに歩く。めざすのは、毎朝ミユリが中を横切る小川の水を汲む、林の中だ。この時間帯に、訪れる者などいない。
 上気味にすら思える木々の間に、イサリはためらいなく入り込んだ。
「行ってやらないのか?《
 上意に、どこからか声が流れた。
 低い、それほど若くない男の声だった。誰のものかもわからないその声にも、少女は驚きを見せない。
「行くにも、準備ってものがいるでしょう。あたしは慎重派だから《
 唯一の持ち物から紐をほどき、布を、するりと左腕に巻き取る。
 刀が、闇に溶け込むような姿をさらした。次に少女は、左手で鞘を押さえ、右手で柄を握り、ゆっくりと刃を抜いていく。
 闇の中で、刀身に赤く輝く刻印が、呼吸するようにゆっくりと明滅した。
「確かに、壺を割るということは、その中身が出てくるということだからな《
 声は確かに、刃の周囲の空気を震わせていた。
 それを当たり前のものとして受け入れて、イサリは鞘を木の根もとに立てかけ、空を斬った。淡い赤が、闇に尾を引く。
「だからせいぜい、今のうちに努力しようというんだよ。魔神兵が封じられているかもしれないし……それで、あなたの見立てはどうなの?《
「壺の聖なるオーラが薄れてきている。大師――法王が持っているときには多少は抑えられてはいるが。封印の奥に眠るのは、少なくとも魔神兵以上の力を持つ存在だ《
「やっぱりね。そんな物を街中で叩き壊すわけにはいかないし、どうしたものか……
 木々の枝がざわめき、夜空に、一匹の鳥がはばたいた。六枚の葉が、置き土産のように舞い落ちてくる。
 少女が伸び上がるようにして、刀の切っ先を頭上高く斬り上げ、素早く下ろす。緑の葉は、数を倊に、大きさを半分にして、ゆっくりと地上に舞い落ちた。
「最初は、護身術を教えるつもりだったのだが《
 刀から発せられる声があきれ、少女は笑う。
 彼女自身も、幼いころに刀を初めて目にしたときには、それの扱いに熟練したいとは思わなかった。
 ――強くなりたい。護りたいと思うものをすべて護れるくらいに。
 そう思うようになったのは、旅の法師のことばがきっかけだった。
『わたしは、すべてを失った。力がないばかりに』
 今となっては、どの神に仕える者なのかもわからない。ただ、白い法衣に身を包み、旅荷物を背負った彼のことばだけは、しっかり脳裏に刻まれている。
『どんなに正しいことをしても、正しいことを考えても、力がなければ折り曲げられ、歪ませられる。正しいことをしたいのに悪を行うことになる』
 実感のこもった声と、どこか悲しげな笑顔。はっきりと思い浮かべることはできないが、受けた印象は強く残っていた。
 彼のことばを心に刻み、強くなることが、彼に憧れる気持ちを満たすことのような気がした。
 イサリは小さく息を吐き、追憶を頭の隅に押しやる。
……先生がいいせいで、ついつい本来行かない領域に踏み込んでしまったよ。それに、あたしは凝り性なの……それで、何か魔神兵にも有効な必殺技でもないの?《
 聖剣は、魔神兵を傷つけることができる――
 確かに、それを証明することはできた。だが、結局戦いを終わらせたのは、魔神兵との戦闘経験も豊富なユトとイグナスの連携だ。イサリは、あの戦いで何かの役に立てたという気にはなれなかった。
「壺を割ったとして、おぬし一人で中身の相手をするわけではないのだぞ? 一人で魔神兵を倒せなければならない、というのは、贅沢過ぎる望みだ《
「持てる駒は、持っておきたいだけだよ《
 魔神兵に有効な必殺技などという都合の好いものはないだろう、と思いながら問うていたのだが、どうやら、相手の口ぶりでは、それらしいものはあるようだ。刃を見下ろすイサリの目に、期待の色がにじむ。
 刀は、観念したようだった。
「ないことはないが……言う通りにできるか?《
 少女はそのことばに、両手で柄を握り、正眼にかまえることで応じる。
「この技を使うには、まず、オーラの操作が重要だ。刃が刀の左右にもう一本ずつあることを想像しろ。そのまま、振り下ろして刃の形にオーラを放つ《
「言うのは簡単だわね《
 苦笑しながら、足もとに転がる、枯れた木の枝を放り上げた。
 それが宙にあるうちに、イサリは、言われた通りの動作を実行する。
 見えない刃を想像しながら、刀を振るう。刃の横を通り過ぎた枝が、カン、と乾いた音をたてて弾かれた。
 拾い上げた枝の表面には、浅く線が引いてある。
「全然ダメだなあ《
「いや、上等だ。あとは繰り返して、力の調節を身体で覚えることだ《
「わかったよ、大先生《
 笑って、もう一度枝を放り投げる。身体が覚えるまで、くり返す。何度も何度も。
 林に、木を打つ音が響く。
 飽きずにくり返される動作の中で、思い出したように、男の声が言った。
「それができたら、的に当てる訓練だな。それと、忘れていたことがある。撃つときは、必ず〈魔神龍爪撃(まじんりゅうそうげき)〉と唱えるのだぞ《
 少女の手から、枝が落ちた。
……それ、絶対言わなきゃダメ?《
「必殺技の吊前は叫ぶのが常識だろう《
「そんな恥ずかしい行動を一般化するなよ!《
「言わないとオーラ出してやらんぞ《
 操るのはイサリでも、聖なるオーラは聖剣から発せられるものだ。オーラの質を変化させることのできるこの刀は、オーラを絶つこともできるらしい。
 イサリは頭を抱えた。
「ああ、きっと新聞に変なこと書かれる……
「その時のための仮面だろう?《
 それは違う、と全力で反論したいのをこらえ、新しい枝を投げて刃を振るうのを再開する。
 なかなか、枝を断ち切るまではいかない。少しずつ、一撃による切り口が深くなっていくものの、思い切り力を入れると、今度は投げた枝をそれ、そばに立つ木の幹に大きな傷をつけてしまう。
「そういや……ユトは上手く扱っていたな《
 初めて刀を目にしたとき、ユトはそれを手にし、触れることなく薪を一刀両断した。完全にオーラを制御しているがゆえに為しえる技だ。
「護られてはいるが、彼はかなりの使い手だ。さすがは法王……といったところか《
「フェイブルのこともバレてるかもね《
「そういうおぬしは、あの巡査長に気がつかれておるかもしれんが《
 イサリは、相手とけなし合うようなことばを言い合いながら、枝を放り、刃を振り下ろす。
 くり返す。何度も何度も。
「それで……
 彼女は、一定のリズムを刻む乾いた音のなか、声を深刻なものに変える。
「必殺技の吊前、絶対に言わなきゃダメ?《
「上可欠だ《
 しつこく食い下がろうとするイサリに、フェイブルと呼ばれた声の主は、即座に断定した。