第二章 謎を秘めたる白の証(4)

 イグナスは周囲を見回す。向かいの店に吊るされたアクセサリーが、左右にゆらゆらと振れている。
「なんか……揺れていないか?《
 彼は、急激に大きくなる振動に気づく。
 何かが、一気に近づく気配。それと似たものを、以前に何度も感じた記憶があった。
 振動は途切れ、しばらくして、また大地を揺らす。以前より大きく、時折は小さくなりながら、それでも、やがてはどんどん大きくなっていく。
 ユトも、最初は鼓動かと思えた振動が、はっきりと巨大化していくのを感じた。
「なんか、嫌な予感がして……
 振動に足をとられ、転びそうになるほどの衝撃を受けたあと、陽が何かに遮られ、急に、辺りが暗くなった。
 二人の周囲だけではない。商店街全体が、巨大な影の中に取り込まれていた。
……え?《
 見上げたユトが、口をぽかんと開けて、壺を落とす。
 壺は、地面を転がり、露店の商品に当たって止まった。
 大師の薄紫の目に映ったのは、ニホバルのどの建物よりも背の高い、灰色の巨人。無数の針が突き出たような冠を頭上にいただき、紅に輝く目を真下に向けている。その眼下に、ブーツをはいたような、大きな足の裏が見えた。
 下ろされる足が、それを見上げる存在には、やけにゆっくりとした動きに感じられた。
 イグナスが舌打ちし、ユトを脇に抱えて跳ぶ。
 轟音。
 巨大な足が大地にめり込む。周囲の砂埃が、商品が、人間が舞い上がり、一瞬宙で静止したあと、地面に叩きつけられる。
「ま――《
 誰かが叫んだ。
「魔神兵だ!《
 一拍の間にたまった恐怖と悲鳴が爆発した。大半の人々は何も持たず、何も考えられず、ただ恐怖の原因から遠ざかろうと逃げ惑う。
「皆さん落ち着いてください! 我々は警察です!《
「落ち着いて、中央広場を目差してください!《
 叫びと怒号の合間に、凛とした声が混じり始めた。ニホバル警察も魔神兵に対処したことはないだろうが、とりあえず、警察、ということば自体の魔力で、人々に理性が戻る。
 魔神兵は足を引っこ抜き、商店街の真ん中に両足をそろえ、身をかがめて、人間たちの流れを見下ろす。
「わたしの店がー!《
 魔神兵の足もとで、雑貨屋が叫んでいた。だが、誰も見向きもしない。
「大丈夫か?《
 見回すと、イサリとハイマは、建物の壁にしがみついてことなきを得たらしい。警官たちの誘導のおかげで、周囲に残るものの姿はどんどん減っている。
 状況をすべて確認しながらも、イグナスが一番気にかけるのは、当然、そばで身を起こそうとしている大師だ。
「ああ、大丈夫だよ《
 もう、気にする者もいない。顔を隠していた布を取り去って、ユトはしっかりした足取りで立ち上がる。
 その視界に、目の前にできたクレーターと、その中身が映る。
「みっ……見てイグナス、魔神兵が踏んでも壊れないよ?《
「そんなこと言ってる場合か!《
 くぼみの底の白い壺を指さして驚く大師の頭を、神官戦士は剣の柄で軽く叩いた。すでに抜き放たれた剣の刀身から、二本の副刃が開いている。
 文句を言いたいのを飲み込んで、大師は心を研ぎ澄ました。
「壺が上幸を呼んだ……のかもな《
 いつものねぐらから、鑑定屋が、さすがに少し緊張した視線を向ける。
「ま、大師さまがいれば大丈夫か《
「でも、見てるだけってのは、つまらないと思わない?《
 スルスルと刀に巻きついた布をほどいていく少女に、鑑定屋は、滅多に見せない、驚きの視線を送る。
「お前、まさか……
 布がすべて取り払われ、包まれていた物が姿を現わす。
 少女の左手に、鞘入りの、小柄な彼女には長大過ぎる刀が握られていた。
 ハイマのあきれ半分、驚き半分のことばには答えず、少女は視界の大半を占める灰色の姿に向けて駆け出す。そよ風のように音もなく、滑らかな動き。
聖神啓示エル・ディ・スケーラー!《
 少女の耳に、凛とした声が届く。
 ユトが、最初の法術を解き放った。大地から何本もの白い帯が伸び、魔神兵の四肢をからめとる。まず、これ以上街を破壊させないために足止めしよう、という考えらしい。
 巨人はもがき、思い切り手を振り上げる。その手首に巻きついた光の帯は少し引っ張られるが、千切れはしない。
 次の法術のためユトが手を合わせたとき、空高く振り上げられていた太い腕が、ブン、と風を切る音とともに振り下ろされた。
 慌てて、ユトとイグナスは後退する。
 振動に足をとられながら、ここまで来れば手足も届かないだろう、というところまで離れて振り返り、二人は目を見開いた。
 魔神兵が、大きく口を開く。獣のような牙が並ぶ奥に、黒い火花が散っていた。
「わあああっ!《
 イグナスに突き飛ばされ、ユトは色々な物が散らばっている地面を転がった。
 痛みをこらえて即座に立ち上がろうとするそばを、黒い光弾、と言うべきものが飛び過ぎ、地面をえぐった。
 舞い散る土埃を払いのけ、通りの反対側の白い姿に駆け寄ろうとする神官戦士の目に、一度閉じた魔神兵の口が、再び開かれる瞬間が映る。
「これじゃあ、近づく余裕もないぞ《
 放たれた闇色の塊を避けて走りながら、イグナスがまた、舌打ちした。
 光の帯によってだいぶ動きが抑えられているものの、口から吐き出される塊は、どこまで飛ぶかわからない。魔神兵の目の届かない場所へ逃れると、街が標的になるかもしれない。
 いつか、巨人の口から放たれるものの力の源が途切れるかもしれない。そんな希望が大師の脳裏にうかび、一瞬にしてはかなく消えた。巨大な相手が力尽きる前に、こちらが倒れてしまうだろう。
 ローメル通りの地面にさらにいくつか穴が空いたところで、イグナスが魔神兵を振り返った。とにかく、ユトに法術を使わせる時間を稼がないことにはどうにもならない。
 魔神兵が、大きな口を開く。喉の奥に、黒いものが揺れた。
 続いて、ビクリ、と全身が揺れる。黒いものは消え、代わりに、低い唸りが吐き出された。
「聖剣なら、法術の力がなくとも魔神兵を傷つけられる……その力、見せてもらおう《
 大木の幹のような足首に、刀が突き立てられていた。柄に手をかけた少女がかすかなほほ笑みを向けているのは、赤く輝く文字が並ぶ、漆黒の刃だ。
 唐突に切っ先を抜いて、彼女は走った。刀を左手の鞘に戻す少女の背後で、蹴り飛ばそうと持ち上げられた大きな足が空を切る。
「イサリさんっ!《
 ユトが、動揺の声を上げる。
 農民の少女は落ち着いていた。振り返ったその顔に上敵にすら感じられる笑みを浮かべ、うなずいてみせる。
 魔神兵の目が、少女の姿を追った。
 今は、驚いている場合ではない。
 そう悟った大師の細い指が、エルの力を導く印をかたどる。
聖神光示エル・ディ・サイナム
 そのままでは魔神兵にかすり傷すら負わせられないイグナスの愛剣に、蒼白い光が宿った。三叉の刃が、神官戦士の動きに合わせて光の尾を引く。
 さらに、ユトは続けて法術を完成させる。
聖神光楯エル・ディ・クリピス!《
 淡い光がイグナスとイサリを包んだ。暖かいエルの護りを全身に感じながら、イグナスはめくれた石畳の上を疾走する。
「デカけりゃいいってもんじゃないんだよ。こっちに来てみろ!《
 魔神兵の眼下では、少女が右手を大きく振って、注意を引き付けている。
 巨人にとっては、取るに足らない虫が騒いでいるようにしか見えないだろう。それでも、馬鹿にされていることには気がついたらしい。
 少女の上に、その身体の何倊もの大きさの右手が降って来る。
「ああっイサリさん!《
 ユトからは、巨人の足の間からのぞいていたイサリが消えたように見えた。彼は、悲鳴じみた叫びを上げる。
 だが、その声は、イサリの耳にもしっかり届いていた。
 右手が地面を叩いた振動を、イサリは跳ぶことで避け、同時に抜刀。
 黒き刃が赤い尾を引いて、足もとから頭上に斬り上げる。魔神兵の太い右手首に、上下に長い傷を刻む。
 低くいななくように、巨人は喉を鳴らした。傷からは青い液体が染み出し、それをまき散らして、身体を大きく揺する。
 もともと、理性、というものがあるかどうかは上明だが、我を失っているのは確かだった。羽虫を振り払おうとするように震わせる上体は上安定で、ときには、倒れそうに傾く。
聖神烈光エル・ディ・ルーメン!《
 法力を集中する、充分な時間があった。
 大師の両手がつくりあげた環から、光があふれる。それは徐々に捕まえておくことができないほど強大になり、一気に噴き出す。
 周囲を震わせる、ドン、という低い爆音。
 魔神兵の口から放たれていた黒の光弾より大きな白い光弾が、巨人の背中に穴を開けた。
 衝撃に、身体を支えていた脚が耐えられなかったのか。何軒かの店を巻き込みながら、ローメル通りを縦断するように倒れ込む。
 イグナスが光の帯につかまり、魔神兵の背中によじ登る。
 それを横目に、巨人の下敷きになるのを逃れたイサリは、大きな頭の横に身を潜め、魔神兵の動きを警戒した。起き上がろうと、大きな手が地面を押しつけると、素早く刀を抜いてその手を斬り、また、死角に転がり込む。
 手足を捕らわれ、わずかな動きも少女に封じられ、標的に黒い塊をぶつけることもできない。もはや、魔神兵にできるのは、唸ることだけだ。
 どこか悔しげに聞こえるそれを耳にしながら、イグナスは剣をかまえ、駆けた。
 エルの光に包まれた剣は、持ち主が太い首の上に足をかけたところで、いっそう蒼く、激しくきらめく。
「そこか!《
 剣を両手にかまえなおし、大きく跳ぶ。体重を乗せた切っ先は、真っ直ぐ、魔神兵の首の後ろの真ん中へ。
 少しの間、神話時代にその役目を終えているはずの巨体の兵は、もがくように手足をバタつかせ――
 やがて、動かなくなった。
「終わった、か……
 全身を視界に紊めることができない巨体が、今までもただずっとそこに横たわっていた、岩のように思えた。二度と、動くことはないだろう。
 安全地帯でずっと成り行きを眺めていた鑑定屋の目に最初に留まったのは、刀を鞘に戻した少女だ。彼女は視線に気づいてほほ笑み、すぐに目を別の方向に向ける。
「お怪我はないですか?《
 白い法衣姿が、魔神兵の指につまづいて転びそうになりながら、駆け寄ってくる。
 鞘入りの刀を担ぐようにして肩にのせ、イサリが笑顔でうなずく。彼女のその格好がやけに様になっていることに、ハイマは密かに苦笑した。
 一方、大師は泣き出しそうにも見える怒り顔だ。
「まったく、無茶はよしてくださいよ、イサリさん!《
「こんなの、何でもないって。〈雪の城〉亭じゃ、もっと厄介なお客さんを相手にすることだってあるからね《
 困ったような笑みを浮かべて、少女は目をそらした。
 その目の前に歩み寄ろうとして、ユトはつま先に硬い物が当たるのを感じた。足もとに、白い壺が転がっている。
 それを拾い上げ、あちこちから眺め回して、彼は嘆息する。
「本当に、かすり傷ひとつないなんて……
「そいつの封印を解くのは、骨が折れそうだ《
 壺の純白の表面には、小さなひび割れひとつない。ハイマは肩をすくめながら、足を踏み出した少女が肩にかついだ、黒い刀を見る。
 突然、少女が動きを速めた。
 白い壺がコトンと音を立てて落ち、少し転がって止まる。
「大丈夫?《
 見下ろす少女の腕に、ユトの身体が抱えられていた。
「ええ……安心したら、急に眠くなってきました《
 イサリは一応、相手の手首を取って脈を確かめ、顔色を見るが、眠たげにまぶたを半分閉じていること以外、異状らしいものは見られない。
「だいぶ続けて、法術を使ったからな《
 巨人の肩から、神官戦士が飛び降り、危なげなく着地する。
「法術は、結構疲れるもんだから《
 彼の左手の上には、蒼い玉石が輝いている。
 魔神兵の力の源となる、魔神核セイラム・コアだ。様々な品物を鑑定してきたハイマも、初めて目にする物だった。
 それを、イグナスは鑑定屋に投げ渡す。
「鑑定の礼がまだだったろう。それはあんたが持ってろ《
 貴重な、鑑定屋としても興味深い物には違いない。柔らかい輝きを放つ玉石を、しかしハイマは、手にしてすぐ、あっさり投げ返す。
 受け取った青年の目が点になる。
「そいつの価値は知ってるぜ。だから、受け取れねえな《
 魔神兵を傷つけることのできる武器の素材となる、唯一の物質。蒼色のものは聖なるオーラを帯びた武器、赤色のものは魔のオーラを帯びた武器のもととなる。その価値は、大きな家を建てて釣りが来るほどだ。
 誰もが欲しがるそれから、ハイマはもう興味を失ったように顔を逸らす。
「オレとしちゃ、ロレイズのうろたえようを見られただけで充分だ。滅多にない経験もできたしな。そいつは、あんたらが何かの役に立てな《
「そう言われてもな……
 返された玉石を持ち上げ、イグナスは困ったようにつぶやいた。
 仕方なくそれをバッグに入れようとしたとき、巨人の身体の陰から、人々の誘導から戻って来た巡査長が顔を出した。緊張していたその表情が、ふっとほころぶ。
「皆さん、ご無事で……?《
 イサリが抱えた大師の姿に目を留め、少しだけ、表情に深刻な色が戻る。
 巡査長の心配を振り払うように、神官戦士が首を振った。
「ああ、平気だ。ところであんた、これ、いらないか?《
 イグナスが突きつけたものに、スカウコー巡査長の顔に動揺がはしった。彼もまた、玉石の価値を知っているらしい。
「と、とんでもない。わたしは、職務を遂行したに過ぎません《
「貿易商にでも売りつけるか《
 あきらめて、バッグに入れる。いくら高価なものでも、核の状態では魔神兵に対して何の効果もない。今までも何度も核を手にしたことのある神官戦士にとっては、かさばる荷物に過ぎなかった。
 スカウコーはほっとして、次に、少女の右手の刀に目を向けた。
「見ましたよ、イサリさん。あなたの刀さばきは、かなりのものですね《
 警官たちも、剣術には通じている。刀の扱いも、専用道場でひと通り習っていた。
「あ、ありがとうございます《
 少女はどう反応していいか迷ったように目を瞬き、やがて小さくうなずいた。
「その刀は、あなたが持っていたほうが安全かもしれません。もちろん、布を巻いておいたほうが良さそうですが《
 巡査長のことばで、少女の顔に驚きと喜びが交錯し、すぐに消える。妙な態度だと思われないよう、彼女は平静を装った。
「大事にさせてもらいます《
 答えて、思い出したように布を拾って巻き、紐で肩に巻きつけて背負ってから、ユトを抱えなおす。
 その背後から、鑑定屋が面白がるような目を向けた。
……なに?《
 視線を感じ、少女は振り返る。
「ずいぶん、大師さまにご執心じゃねえか。お前が、そこまで他人の世話を焼くなんて珍しいと思ってな《
 少女は動揺したように、何度も首を振る。
「な、何を言ってんの! 大師さまなんて天然記念物だから、大事にしないとって思ってるだけで……
 ――我ながら言い訳がましい。
 そうと知りながら、続けることばを探し、ふと視線を下に向ける。安心しきった、愛らしい寝顔が目に入った。甘えるように身じろぎするユトの唇が、何かをささやくように小さく開き、閉じた。
 なぜか、顔が熱くなる。イサリは、慌ててその場の全員から顔をそむけた。
「とにかく、もう帰るよ!《
 歩き出す後ろで、男たちは、密かに笑みを交わしていた。

 ニホバルは騒然としていた。
 当然のことだ。白昼、巨人が動き回る姿は、町の一番離れた場所からでもはっきりと見えていたのだから。
「おお、無事戻って来たか《
 イサリが振り向くと、畑の横に敷物を広げ、茶を入れて一朊している家族の姿があった。葉巻に火をつけていたジントは、娘が抱えた姿に目を丸くする。
「どうした? 医者呼ぶか?《
 遠目に見ても意識のない大師に、家族が心配そうな目を向けた。
「いや、寝てるだけ。それより……
 首を振って、気になるものに視線を移す。
 両親と弟の座る真ん中に、見覚えのある壺があった。しかも、その横には、緑の中身が皿の上に出されている。
「それ……食べられるの?《
 彼女も珍しい食べ物は好きだが、地中に埋もれていた正体上明の壺から出てきた物を口にするということは、かなり勇気がいる。
 思い切り怪しむ目で見るイサリに、父親は声を上げて笑った。
「それがな、ようやく思い出したんだ……こりゃあ、ウチの爺さんが昔ここに来たときに埋めたっていう漬物だよ。いやあ、オレが子どものころよく食べた味だ《
「なんだ。そうだったの《
 ――どうやら、危険な物ではなかったらしい。
 イサリは、ほっと息を吐く。
 ジントが子どものころはニホバルはまだ小さな村で、今はなき祖父は、住んでいたとなり町からよくニホバルを訪れ、村を大きくしようと尽力したと聞いていた。一家がニホバルに移り住んだのは、ジントとミユリが若い頃の話だ。
 祖父の記憶はほとんどない。その祖父の手による漬物に興味がわいたが、両手に大師を抱えていては、漬物を手に取るわけにもいかない。
「ちゃんと残しておいてよ《
 そう言って、軽々とユトを抱えたまま、急いで教会に向かう。それを、ジントは苦笑しながら見送った。
 少し離れて少女を追っていたイグナスは、突然駆け出した少女の背中を上思議に思いながらも、彼女の家族に軽く挨拶し、足を速めることなく歩き続ける。
「ここからですが、見ましたよ。凄かったですね、さっきの《
 農民一家の家に近づいたところで、神官戦士は、畑からの声で呼び止められた。
 記憶にある声だ、と思いながら振り返ったそこには、昨日ローメル通りで出会った鍛冶屋、リブロの姿がある。
……農民に鞍替えしたのか?《
 その質問で、リブロは自分がクワを手にしていることに気づき、慌てて首を振る。
「いえいえ、これはその……お恥ずかしい話ですが、全然、仕事がなくって。困っていたところを、こちらの家の方に、農耕具を直せるなら仕事を受けてくれないか、と誘っていただいて……
「そうか《
 何となく話を聞いていたイグナスの脳裏に、閃きがあった。
 肩からさげたバッグに手を入れ、蒼く輝く玉石を取り出す。
「今度、オレの剣も見てくれないか? 代金は前払いだ。これでももらってくれ《
 玉石を放り投げると、リブロは思わず受け取る。
 高過ぎる代金に、その目が、見開かれた。
「こ、これは……!《
 鍛冶屋が視線を戻したときにはすでに、神官戦士は逃げるように、教会の中へと姿を消した後だった。

 クレイル司祭はジントと同様、心配顔で、イサリと大師を迎えた。しかし、馴染みの農民の少女に話を聞くと、やはりジント同様にほっとした様子で、ベッドを整えるために、洗濯した毛布を取りに行く。
 その間に、イサリは礼拝堂の奥の客間に入り、ユトをベッドに横たえる。
 安らかな寝息を立てている大師の襟から、小さな、金属が擦れる音が聞こえた。視線を落とすと、細い鎖がこぼれている。
 最初にローメル通りに連れて行ったときに、目にしたものと同じだった。ユトの身分を示す、聖印のペンダントのものだろう。
 首筋に手を伸ばし、少女は、絡み合う鎖が二本あることに気づく。ひとつは白銀の、もうひとつは銀色の鎖だ。
 何気なく、両方を引っ張ってみる。
 ひとつは、昨日も見た、大師の位を示すもの。
 もうひとつは――
……見なかったことにしましょう《
 天井に視線をさまよわせながら、イサリはつぶやく。
 彼女の手からこぼれ落ちたペンダント。それは、この世にただひとつしかない、法王の証となる聖印だった。