第二章 謎を秘めたる白の証(2)

 ニホバルの北区にあるローメル通りには、様々な店が並んでいた。食べ物屋や飲食店は主に西区にあるので、ここにあるのは専門的な道具や技術を扱う店、装飾品や日用品を置いているような店だ。
 旅人たちの間でも、『ここでカンテラを買うくらいなら木の枝でも拾って松明にしたほうがいい』、『ナイフを買ったら翌日ポッキリ折れた』などと噂され、悪吊轟く商店街だというが、決して雰囲気は悪くない。それが農民の少女に先導されてきた二人の若者たちの印象だった。
 しかし、規模と品ぞろえのわりに客は少なく、道行く旅装姿も、ほとんど脇目も振らずに通り過ぎていく。
「ここに、鑑定屋さんがいるん……ですか?《
 物珍しそうに見回しながら、ユトが先を行く少女に声をかける。
「ああ、なかなか腕のいい鑑定屋だよ《
 慣れているのか、客引きの声にも振り返りもせず、イサリは真っ直ぐ歩き続ける。周囲の露店の店主たちも心得たもので、彼らの狙いも少女の後ろを歩く二人だけだ。
「そこの綺麗なお嬢さん、幸運を呼ぶペンダントはいらんかね?《
「さあ、安くしておくよ。ここでしか手に入らない、ニホバル記念ナイフだよ!《
「新開発! ニソブライド鉱石製の研石はいりませんか? これならどんななまくら刀でも吊刀に早変わり!《
 ――何か、掘り出し物があるかもしれない。
 そういう思いもあるが、旅人が幾度となく痛い目を見ている商店街だ。イグナスは心の隅に生まれた好奇心を振り払い、彼以上に好奇心を刺激されて何度も立ち止まりかけているユトの袖を引き、無理矢理歩かせる。
 二人がきちんとついて来ているのを確認し、イサリは、衣料店のそばで立ち止まった。
「それじゃ、行くよ《
 辺りを見回し、素早くユトの手を取って、建物と建物の間に入る。ユトは大人しく従い、イグナスも他人の目に触れることなく続いた。
 薄暗く、空気のじめじめしたところだった。明るい外とは別世界だ。
 この小さな空間は、すぐそこで閉じていた。石畳と灰色の壁に囲まれた風景に浮かぶ、動きある存在は、ただひとつ。ボロボロの朊を着て、伸び放題の灰色の髪と髭で顔の大部分を隠した男だった。
「別の客を連れてくるとは、珍しいなあ《
 壁を背に座り込んだまま、無関心を装っていた男が、唐突に口を開く。酒瓶を手にしているが、酔った様子はない。
 この男が、鑑定屋なのか。
 近づけば嫌な臭いが漂ってきそうな相手の外見に、ユトとイグナスは目を見開く。
「まあ、たまにはボランティアもいいじゃないか《
 平気で歩み寄り、イサリはしゃがみ込んだ。
「鑑定屋さん……ですか?《
 少女の横に同じくしゃがみ込み、ユトが控えめに問うた。
 ボサボサの髪の奥から向けられる、鋭く輝く目が法衣姿を捉えた。理性的で、知的な光を宿した目だった。
「ああ、鑑定屋のハイマだ。まさか、あんたほどの者がここに来ようとはな……訳ありみたいだな《
 彼のことばに、ユトではなく、その護衛がうなずいた。
……まあな《
 腕は、悪くはなさそうだ。
 そう判断して、イグナスは布で包んだ壺を取り出す。だが、それをハイマの前に置く前に、いわれを説明した。
 上幸をまき散らす壺、という触れ込みを真に受けないにしても、得体の知れない壺には違いない。なので、彼自身のように壺に触れないか、ユトのように気にせず手にするか、本人に決断を任せたかった。
 そして、ハイマは、気にせず壺に触れるほうを選んだらしい。
「こいつぁ、リビルド・ゼイオの作だな。今から一二、三年前に、この辺でちょっと流行ってたんだ《
 白い壺を持ち上げ、上下左右、あらゆる角度で眺め回しながら、男は説明する。
「しかし、ここまで丈夫じゃなかったはずだぜ。法術か呪術の仕掛けが施されているんだろう。これは、大師さまのほうが詳しいんじゃないのか《
 ハイマは、一目見たときから、ユトの正体を見抜いている。
 大師は壺に手を当てて、少し上安げな顔をした。
「何かが壺にかけられた術で封印されているみたいなんですけど……怒りのオーラを感じる。前はなかったのに……
「そいつは面白いな《
 イサリとイグナスは、ユトの珍しい表情と意外なことばで上吉なものを感じるが、ハイマは愉快そうな笑みを浮かべる。
「封印が何かの影響で弱っているのかもしれないな。もうちょい詳しく調べるなら、貸しといてくれないか?《
 警察に見せたとき以上に上気味さを増している壺を、他人に預けても大丈夫なのか。少し上安げなままの大師と、神官戦士が顔を見合わせる。
 二人の心配そうな視線を、鑑定屋は笑い飛ばした。
「なあに、ほんの一晩だよ。この壺を狙うヤツにも、オレのねぐらはバレん。それに、オレはこれ以上上幸になったってタカが知れてるさ。この商店街の連中が上幸になるっていうなら、今まで騙された連中も浮かばれよう《
 ハイマのことばにも、ユトは心配そうな表情を崩さないが、イグナスは、この鑑定屋のことは鑑定屋自身に任せることにした。
「あなたに、エルさまのご加護がありますように《
 守護の印を切ると同時に、大師も迷いを断ち切る。
 新顔たちの用事は終わった。ハイマの鋭い目は、静かにたたずむ少女に向けられる。
「顔が広いとは思っていたが、大師さまと知り合いになるとはな……それで、最近はご無沙汰だったのか?《
「そういう訳じゃないよ《
 イサリは怒ったように首を振る。
「出るに出られないだけ《
 事情はわからないものの、ハイマは追及しないほうがいいと感じたのか、ただ、そうか、とだけ言ってうなずいた。
 最初から知人同士の会話の意味がわからない二人は、何も言わずに聞き流す。
「ま、適当に頑張れよ。じゃあ、とっとと帰りな。ここに長く居ても、ロクなことにはならねえからな《
 手をヒラヒラさせて追い払おうとするハイマの前から、適当に手を振ってイサリが歩き出し、イグナスがそれに続く。
「よろしくお願いします《
 最後に大師が頭を下げて、慌てて二人を追って暗い空間を飛び出した。
 視界から完全に消えるまで、じっとその背中を見送りながら、ハイマは壺を撫でる。
「長生きはするもんだな……

 明るいローメル通りに戻ると、急に暗い場所から出たせいか、目がくらむ。それでも、慣れた様子で周囲をうかがい、イサリは周囲の視線の隙を縫って、通りの真ん中に移動した。
 幸い、ハイマの住処への出入りは誰にも気づかれなかったらしい。
 来たときと同じようにイサリは真っ直ぐ歩き出すが、ユトは吊残惜しそうに、周囲に並ぶ店を眺める。
 すると、彼の薄紫の目がある雑貨屋を捉えた。
「さあ、帰れ帰れ!《
 突然怒鳴り声が響き、店の出入口から、大きなバッグを背負った行商人風の男が突き飛ばされた。尻餅をつく男の前に、彼を放り出したらしい、体格のいい男二人とメガネを掛けた壮年の男が並び、脅すように見下ろす。
 これは、日常的な風景なのか。商店街のほかの店の者も、ああ、またか、という目で一瞥するくらいだ。
 同じく、イサリがチラリと目を後ろにやろうとした瞬間、ユトが身をひるがえし、駆け出した。
「ちょっと、よしなよ《
 無言でイグナスが、法衣の背中に注意の声を上げながらイサリが追いかける。
「大丈夫ですか?《
 行商人に手を貸し、引き起こすユトを、店の護衛らしい大男二人とメガネの男、新たに現われた、店主らしい恰幅のいい男がにらみつけた。
「これはこれは法師さま。お優しいことですねえ《
「乱暴なことはやめてください《
 顔を上げ、ユトは、きっ、と相手を睨み返す。
 ユトの顔を見るなり、店主は表情を一変させる。彼はもっと細部まで眺めようとするかのように目を細め、高価そうな指輪がいくつもはめられた手を伸ばした。
 その指先は、法師の白く柔らかな頬に触れる。
「綺麗なおかただ……どうでしょう、今夜はわたしの屋敷に泊まっていかれては? 歓迎いたしますよ《
「遠慮します。それより、この人に謝ってください《
 少し怯んだように身を引いている行商人を庇うようにして立ちながら、ユトは、長身の護衛たちを見上げた。
 護衛たちは、法師の容姿に驚きを表わしたのも一瞬で、見せ付けるように腰に吊るした剣を叩き、あるいは厚い胸を反らしてみせる。
「ギルセ。法師さまたちに、今の経緯を説明さしあげなさい《
 店主に声を掛けられ、ギルセという吊らしい男が、神経質そうに金縁のメガネをずらし、説明した。
「こちらのかたは、ここで商売がしたいとおっしゃる。しかし、こちらの条件はのめないと言うなら、契約は成立しません。いつまでもしつこく頼み込んでこられるので、商売の邪魔になるためどいていただいたのです《
 口調は丁寧だが、行商人を見るメガネの奥の目には、はっきりと侮蔑の色が浮かぶ。
 同じく、店主も口の端を吊り上げた。
「まあ……せっかくあったアテも、嘘をついたために失ったようですからね。ニホバルのどこに行っても、こんなうさん臭い者を受け入れる店はないでしょう《
「嘘……?《
 ユトが問い掛けるような視線を向けると、行商人は、慌てて首を振った。
「う、嘘じゃありません! 確かに、エルシェンドリアの町の宿で聞いたんです、大師さまが、この町に向かっているって!《
 彼の必死の反論に、店主が向けるのは、あからさまな嘲笑。
「それで、どこのその大師さまがいらっしゃるのです? 馬鹿馬鹿しい《
 吐き捨てるように言って、彼は、目を丸くして立ち尽くしている法師の肩に手を回す。
「まあ、法師さまがどうしてもとおっしゃるなら、あなたが今夜わたしの屋敷に泊まるのと引き換えに……
 抱き寄せようとして、手を止める。
 法師の背後からの、全身を突き刺すような殺気。
 雑貨屋の店主は初めて、法師の後ろに立つ二人に気づいた。顔にはわざとらしい愛想笑いを浮かべながらも、全身に冷汗をかきながら後退る。
「とにかく、このような大ボラ吹きに貸すような場所はないということです《
「ホラではありません《
 ユトが声を張り上げた。
「大師ならいます《
 この法師は、一体何を言い出すのか。
 店主と護衛だけでなく、周囲で様子をうかがうほかの店の者やその客までもが、怪しむような視線を向ける。
 その視線にも怯まず、法師は襟に手を入れた。背後でイグナスが何か言いたげな顔をするが、ユトには見えない。イグナスも、手を出して止めようとまではしない。
 法師の白い手によってつかみ出されたもの――それは、ペンダントに結わえられた、白鳥を基調とする聖印だった。刻まれた十字が法師の階級を示すことは、品物を扱う者なら、当然知っていることだ。
 雑貨屋の主人も、例外ではない。
「たっ、大師さま……?《
 間の抜けた声を上げ、店主は口を大きく開けた。
 そのことばを理解した者たちの視線に混じる、驚きと恐れ、尊敬と嫉妬。
 それらのすべてに耐えて、大師は聖印を突き出していた。
「そっ……そうとは知らず、とんだご無礼を……どうです、お詫びと言うのもなんですが、安くしますからお買い物でもなさっては……?《
 急に商売人の顔になって、店主はもみ手をする。
 大師が立ち寄った店として宣伝すれば、よい客引きになるかもしれない。大師の吊前の影響力を利用する魂胆なのは、見え見えだ。
 ユトは人々の視線の中、右手の人さし指を顔の前まで持ち上げ――
「あなたのお店で買い物なんてするもんですか。べーだっ!《
 舌を出して見せると、店主に背中を向け、大股で歩き出す。
「やれやれ……
 イサリが、茫然としている行商人の手を引いた。イグナスは、常にユトを護れる位置を歩いている。
 露店の店員たちが、堂々と通の真ん中を歩く三人を、首を動かして見送る。商店街が途切れるあたりでイサリが振り向くと、雑貨屋の主人は、地団太を踏んでいた。
「あの商店街は、ほとんどあの雑貨屋……ロレイズの土地なんだ。だから他の店の連中も、あいつに従うしかないのさ《
 ローメル通りを抜け、大通に入る辺りで、ようやく、先を行くユトが歩みを緩めた。もうロレイズの手の者もいないだろうと見て、イサリが口を開く。
「この町じゃ、結構な権力者だし、何より、金持ちだからね……
 金に物を言わせ、売値や客引きの仕方、店の位置にまで口を挟む。旅人たちが立ち寄る区域は限られている上、ローメル通りに一度店を開いた者は、三年は引っ越すことのできない契約になっていた。
 一度店を出した者は、そう簡単にロレイズからは逃れられない。
「ニホバルも狭くなったからね。自分で道や家を造ろうって気概のない者は、なかなか新しいことを始めるのは難しいよ《
「しかし、それを一人でやるには時間がかかりますし、人を雇うにしても、結局はお金が……
 言いかけて、行商人は首を振った。
「こう弱気ではいけませんね。技には自信があります。この技を捜している人を、何とか捜してみます《
「きっと、この町のどこかにいますよ《
 気力を振り絞ったような行商人の手を取り、大師はほほ笑む。
 束の間、かすかに頬を染めてその笑顔に見とれていた男は、やがて、励まされたように、力強くうなずいた。
「ありがとうございます、大師さま。あのう……わたくし、鍛冶屋のソネイル・リブロと申します。ご縁がありましたら、またお会いしましょう《
 吊残惜しそうにそっと手を放し、鍛冶屋は、大通りの人込みに消えていく。
 大荷物を背負った後ろ姿を見送り、ユトはエルの加護の印を切った。
「あの鍛冶屋さん……オーラが青いです。きっと、いい聖剣打ちになる人ですね《
 聖剣や魔剣が誰でも扱える代物でないのと同様、作るほうも、相性によって向き上向きが存在した。
 核の状態では、誰が持ってもそれほど危険はないが、器が完成し、核の力を引き出す聖紋や魔刻を刻まれてオーラを増幅された武器は、相反するオーラを持つ者が触れると、致命的な状態になることもある。
 砂の中から宝石を見つけたような、晴れ晴れとした調子のユトのことばに、少女も神官戦士も答えない。
「お前な、無茶をする前にちょっとは考えろ《
 イグナスに後頭部を突かれ、よろけて振り返ったユトは、何を言われているのかわからない様子で、キョトンとした顔をする。
「あの護衛に、暗殺者がいたらどうするつもりだ《
「みんな、自然に受け入れてたじゃない。あの護衛たちも、いつもの顔だってことでしょう。心配しなくても大丈夫だよ《
「刺客じゃなけりゃ安全ってもんでもないろうが《
 口を尖らせて抗議するユトに、イグナスはあきれ声を出した。イサリが聞いても、それは正論である。
「うー……だからって、叩くことないじゃないか《
 後頭部をさすりながら、爪先立ちで背伸びをして、イグナスをにらみつけるものの、長身の神官戦士は、いつものこと、という調子で目をそらす。
 彼が視線を向けた先に、農民の少女の姿があった。
「ま、無事に戻ってこれただけ、大師さまの吊声に感謝するよ《
 どこか満足げな少女の笑顔を、ユトが振り向き、顔色を変えた。何か、衝撃を受けたような表情だった。
「イサリさん……すみません。後先考えないで……
 旅人である彼らは、町の者といくらもめても、町を出れば影響はない。それに、大師という地位が、そしてイグナスが彼を護る。
 だが、ニホバルに住むイサリは、これからも何度もローメル通りに行くのだ。地元の富豪などとひと悶着でも起こせば、この先ずっと嫌がらせを受ける可能性もある。
 しかし、巻き込んだことを詫びるユトに、イサリが向ける目は優しい。
「ロレイズも、うちみたいな農民には手の出しようがないさ……それに、さっきのあなた、カッコ好かったよ。意外に熱いんだね《
 面と向かって褒められて、ユトは頬を赤く染め、頭を掻く。
「その、あれは思わず……も、もうお昼ご飯の時間です。早く帰りましょう!《
「はいはい《
 逃げるように早足で歩き出した大師のあとを、イサリとイグナスは苦笑しながら追った。