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四、終結 ―遠い〈記憶〉の彼方― (4)


 開けた視界の先に見えたのは、落ち着いた空色の壁の、短い通路だった。通路のあちこちに、別の部屋へのドアやアーチ状の出入口がある。
 シータとリルが部屋を出ると、直後に、覚えのある話し声が耳に入る。
「そこにいるのですか? クレオ! ルチル!」
 シータが叫ぶ。
 続いて、ドタバタと、騒がしい足音がした。
 出入口のひとつから現われた二つの姿は、間違いなく、クレオとルチルのものだった。クレオのほうはもう一方の少年少女を見つけると、猛スピードで突進する。
「やっぱりこっちと一緒になってたか! リルちゃん、何か危ないことされたりしなかった?」
「ううん、全然」
 深刻そうにのぞきこむクレオに、銀髪の少女は平然と首を振る。
 そのとなりで、むしろ、されかけたのは自分のほうだとシータは思うが、そんなことを口に出すわけにもいかなかった。
「まあ、無事みたいで何よりだけど……ステラちゃんは?」
 クレオの後ろから、少し遅れて歩み寄ってきたサイバーフォースの一員である少女は、心配そうに二人に目を向ける。
 二組のどちら側にも、車椅子の少女の姿はない。脱出することができず、空間に閉じ込められているのではないかと、四人は不安げに視線を交わした。
 待っていれば、何かいい手が浮かぶかもしれない。
 シータは、そんな虚しい期待を胸に沈黙するのは、すぐに止めた。無言で周囲を見守るだけのクレオたちを置いて歩き出すと、ミッション・ルームへの出入口に向かう。
「おい……
「彼女に我々と一緒に来る気があるなら、そのうち出てくるでしょう。無理なら、早くセルサスを復帰させて空間を正常に戻せばよいのです」
 クレオの問いかけに、出入口の前で足を止め、振り返る。面倒臭そうに言うべきことだけを言うと、彼はまた、歩き始めた。
 残された、三人全員が納得しきったわけではない。それでも距離を詰めようと駆け寄ろうとする前で、急に、シータが足を止める。
 その後ろ姿の向こうに、少女がいた。〈ミッション・ルーム〉の文字を刻んだプレートがはめ込まれたドアの前に車椅子を横付けにしたステラが、やってきた四人の姿に気づき、顔を向けてほほ笑んだ。
「彼女のほうが、先に行く気持ちが強かったみたいね」
 ほっとしたように顔をほころばせ、リルが前を行くシータに声をかけた。
 少年は苦笑し、軽く振り返ってから、ドアの前に進む。ステラは通路の端に避け、隙間に、シータに負けじとクレオが入った。
 ドアの向こうから、誰もが胸が騒ぐような妙な気配を感じる。皆、ここが終わりの場所だと直感する。
 クレオは、剣の柄に手をかけた。
「行こう」
 気合を入れるように、声を張り上げ、彼は、ドアに近づいた。
 ドアが音もなくスライドする。
 閉じていた空間が、前方に向かって開かれる。
 その、新しく視界に加わった景色の中に、少年少女たちは飛び込んでいく。
 大きな円形の部屋に、コンソールや椅子が配置されていた。中心には、モニターや入力機器などがまとめられた、直径数メートルもの柱状の装置が床と天井をつないでいた。
 室内の機器は、生きているようだった。部屋は明るく、やけに暑い。
「やっと来たな」
 野球帽を被った男が、待ちくたびれたように顔を上げる。
 おそらく、待ち伏せを仕掛けていたのだろう。出口に向かい、二人の若い男が立っていた。野球帽の男に、サングラスをかけた細面の男だ。
「これが全員ではないでしょう?」
「ああ、もう二人いるはず……
 ことばを交わす少年たちに、サングラスが向けられる。その男の目は見えず、口はかたく閉じたままだ。野球帽のほうとは逆に、表情が見えない。
 結局彼は口を開かず、野球帽の男が、代わりに話を続ける。
「黙って見てるって言うなら、何もしない。賢者さまの最後の温情だと思え。言うことを聞かないなら、何としてでも排除する」
「だったら、こっちは何としてでも通らせてもらうぜ」
 クレオが剣を抜いた。後ろでは、ルチルがレイガンをかまえる。
 男たちの雰囲気が変わる。話し合いや取引での解決など、最初から考えていない。
「しゃあねえな」
 野球帽の男が、ズボンのポケットに突っ込んでいた両手を出す。
 彼に何かさせては駄目だ。スコープを覗いて狙いをつけていたルチルは、心の深いところからそんなささやき声が聞こえた気がした。長年培ってきた自分のカンに応えて、人さし指に力が込められる。
 しかし、トリガーが完全に引かれる前に、彼女は壁に向かって弾き飛ばされた。何の予兆も、脈絡もなく。
「いたぁっ!」
 椅子の上に落下して、少女は声を上げる。肘を背もたれで打ち、レイガンが床に転がった。
「ルチル!」
 クレオが駆け寄ろうと足を出し、ぴたりと動きを止める。
「動くな」
 初めて、サングラスの男が口を開く。
 クレオには見える。自分の首に、細い糸のようなものが張られているのを。それは光を受けて銀に輝き、嫌でも刃の輝きを思わせる。
 世界に直接干渉できる、ハッカーの力。
 何か行動を起こそうとした段階ですべては読まれ、止められる。武器を、相手に向けることすらできない。
 圧倒的な差だった。クレオは唇を噛み、目で相手を倒そうというかのように、サングラスの男をにらみつける。
 野球帽の男が肩をすくた。
「悪いが、これも仕事なんでな。さよらなだ、救世主さま」
「いなくなるのは、あなたたちですよ」
 シータが、見えない何かをつかんで捨てるような仕草をする。剣を手に固まっていた少年が、銀の糸が消えていることに気づく。
 二人のクラッカーが、それだけのことで相手の実力に気づき、だらしなく口を開く。
 クレアトールというハッカーの名を、彼らも知っていたに違いない。それが金髪の少年だと、知ってはいなかっただろうが。
「しばらく、遠くで頭を冷やしなさい。さようなら」
 シータが言うなり、二人の男たちは消えた。
 余りのあっけなさに、クレオは、消えた男たちが最後に浮かべていた表情と同じように口を半開きにして、振り返る。
 シータは、まだ油断はできないと言いたげに、小さく首を振った。
 そして、彼は、そこに何かが存在するのを感じ取った様子で、中央の柱に顔を向ける。
 柱の影から、三人の男が現われた。
 一人は、法衣を身につけた、白髪の老人だ。その両脇を、兄弟なのか、顔のよく似た黒髪の青年たちがかためる。
「映像で見たことある」
 ルチルが床に転がるレイガンを拾い上げ、足を引きずるようにして、クレオのそばまで歩いていく。
「ネファース……かつてプログラマーだった男よ。数年前に一度逮捕されたけど、釈放された」
「それが、〈賢者〉さまの正体か」
 クレオは、迷いなく相手に剣先を向けた。賢者さまに祝福された聖剣、というふれ込みの剣を。
 啓昇党にいた頃も、彼は、賢者の顔を見たことはない。常にその姿はベールに包まれ、神秘的な存在として崇拝されていた。
 少年は、ベールの向こうからのその男の優しいことばに、何度も疑問と、信じるべきだ、そうしたほうが楽だ、という葛藤を抱いてきた。
 それも、今は微塵も感じない。迷うことなど何もない、相手は、聖者の皮を被ったただの偽善者だ。
「クレオ……残念だよ。英雄たるべきキミが、悪の甘言に惑わされるとは」
 ネファースが、優しく声をかける。慈悲深い、哀しげな目を向けて。
「うるさい! あんたがしたいのは、結局自分たちの思い通りの世界を創ることじゃないか。それに手を貸すようなヤツを、英雄なんて言わない!」
「人は、何かを決断するときも、必ず別のものの影響を受ける。わたしは、人々に平和でわずらわしいもののない世界を提供しようというのだよ。もっとも大切な、進化のための思索に集中できる世界だ」
 子をさとすかのような、穏やかな声。
 彼はその口調と仕草の端々から、誰も傷つけないように見える、奇妙なカリスマ性を漂わせる。
「人は、進化のために存在してるわけじゃない。あなたが言ってるのは、結局あなたの意志だけが反映された世界よ」
 リルが、灰色の目を細める。ネファースはそちらに優しい目を向けた。
「人々が充分に成長するまで、見守ろうというだけだよ。時が来れば、世界を人々に還そう」
「あんたが、人々の成長を見極める? あんたの判断が正しいって、誰が判断できるって言うんだ!」
 哀れむように、賢者は自分の元部下の少年を見た。
「クレオ、目を覚ますんだ。キミがわたしに剣を向けているのを見て、ご両親も悲しんでおられるよ」
 ことばを向けられた少年は、まるで、全身に電撃が走ったような気がした。
 ここで動けば、教会に残っている両親が殺される。彼には、ネファースのことばの真の意味が、直接脳に叩き込まれたように理解できた。
 賢者の狙いを知ったのは、彼だけではない。
「聖者が脅しとは、お笑い草ですね。偽善者……綺麗ごとは聞き飽きました」
 シータが軽く腕を振った。
 三本の黒い鎖が床から伸び、一瞬で柱の前に立つ三人の目の前へ直進する。
 その先端があと少しというところで、半透明な赤い膜がネファースたちを包むように見え、鎖を弾き飛ばす。
 クレオは愕然とし、シータもわずかに顔色を変える。
 一方の賢者たちは、涼しい顔だ。

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