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第二章 消失 ―〈英雄〉の凱旋― (1)


 怪我を治すと、五人はカロアンの町の門をくぐった。レンガ造りの家が建ち並ぶ町の入口付近は商店街になっていて、プレイヤーたちを含む商人が開く露店や客で賑わっている。シータが語っていた通り、いつもより冒険者の姿が多い。
 客引きの声を聞き流しながら石畳の上を歩き、先頭のクレオはとりあえず、小さな公園で足を止める。
「で、出発の準備だな。必要そうなものは、全部確保したほうがいいかな」
「罠も変化しているかもしれないし……あたしが全部そろえとくよ。その間、あんたたちは宿の食堂で夕食でも食べながら情報収集でもしといてくれない?」
 ルチルが慌てたように言い、懐から財布を取り出す。
 本来、情報収集も盗賊系の得意とするところだが、罠にかかわる装置や道具の知識も、シーフマスターが一番豊富だった。
 後でかかった費用を人数割しようと決めて、宿屋組みは赤毛の少女を見送った。
 この町には、どんなに冒険者がいても、宿は一軒しかない。〈知識の壺〉亭という大きな食堂付宿屋がそれだ。部屋数は、常に泊る人数分だけある。現実感とゲーム性の、妥協点のひとつだった。
「何か、オレたちだけ楽してるみたいで悪いような……
 宿の入口をくぐりながら、クレオがぼやく。
「その分、情報収集を頑張りましょう」
 リルの声は、ほとんど届かなかった。
 広い食堂の一角に設けられたステージ上で、一人の吟遊詩人が歌っている。青い長髪の青年が、ギターをかき鳴らし、歌声を響かせていた。観客たちがそれを聴きながら食事をし、あるいは、手拍子を刻んでいる。
 壁際の丸いテーブルについたリルは、メニューより先に、ステージ上の人物を確認する。
 黒いコートに、黒い三角帽子。帽子のつばで隠れて顔はよく見えないが、色白な顔に目立つ唇には黒のルージュが引かれ、死神を思わせる。それでいて、その声はなめらかで優しく、テンポの速い曲でありながら安らかな眠りへ誘うかのようだった。
「リルちゃんはどれにする?」
 メニューを眺めていたクレオたちが、じっとステージを眺めるリルに目を向けた。
「うーん、じゃあハイショックカレー」
……本気?」
 ほとんど上の空で完食できる者は数少ないという激辛カレーを選んだ少女に、クレオは念を押す。その声も、魔術師の少女には届いていない。
 ウェーターに注文を言ってから、彼はつまらなそうにステージを見る。
「リルちゃん……あんな男に……
 クレオは悔しげに拳を震わせるものの、誰も気に留めもしない。
 それが、急に立ち上がった。
「どうしたの?」
 さすがに気配に気づき、リルが振り向く。その視線の先で、剣士姿の少年は、この世界での連絡用アイテム、法螺貝を手にしていた。
「いや、ちょっと、友だちから連絡が……料理受け取っておいて」
 そう言い残すと、慌てて人の少ない隅に走っていく。デジャ・ヴを感じながら、リルは無言で見送る。
「友だちって、閉じ込められている方ですか?」
 シータが、少女の内心の疑問を代弁した。
 彼のほうを見ずに、リルは首を傾げる。
「そうかもしれないし、そうでないかもしれない」
 拍手が起こった。口を開きかけたシータがリルにつられたように目をやると、今までの曲が終わり、ステージ上の男が帽子を取って頭を下げる。その目は見えず、長い、不思議な色の髪の毛がばさりと垂れた。
「いっそ、あれくらい髪を伸ばせばわたしも……
「ますます女の子に見える」
 シータの独り言のようなつぶやきに、視線はステージに向けたまま、リルが反応した。
「では、思い切って切りましょうかね」
「ボーイッシュな女の子に見える」
「うう……
 テーブルの上に組んだ腕のなかに突っ伏す少年の肩に、ステラが手を置いた。憂鬱そうに顔を上げ、視線をやった先で、同じ髪の色をした少女は笑顔でうなずく。
「同情の目で見ないでください……
「シータ」
 目は変わらずステージに向けたまま、リルが呼ぶ。
 一見いつも通りだが、その声の調子は、どこか耳にした者の意識にくい込むような、強い響きを含んでいた。
「あなた、嘘をついたでしょう」
……嘘?」
 突っ伏していたシータが、わずかに顔を上げ、少女の横顔を見上げる。
「森で出会ったのは、偶然じゃない。あなたは、吸血コウモリが飛んできた方向にいたわ。それも、すぐ近くに」
「システムの異状もあります。わたしには、見えなかったのかもしれませんよ」
「戦いの物音くらい、聞こえたはず。あなた、あたしたちに何をさせたいの?」
 ようやく振り向き、彼女は問うた。
「目的は、説明した通りですよ」
 不思議そうに二人を眺めるステラのとなりで、かすかな苦笑を浮かべ、ローブ姿のハンターは穏やかに応じた。相手の疑問から、逃げも隠れもしないというかのように。
「ただ、あなたたちについて、いくつか確かめたいことがあるだけですよ。あなただって、裏表がないわけではないでしょう」
 わずかに目を細める彼の前で、〈銀の妖精〉は、一瞬表情を変えた。
「あなた、まさか……
 少女の問いかけが、歌声に消され、途切れる。
 次の曲が始まったらしい。ギターの音が声に続いて響き始め、郷愁を誘うメロディーを紡いでいく。
「あたしも、確かめさせてもらうわ」
 近づいてくるウェーターを見ながらつぶやいた、己の耳にも届かないリルのことばが伝わったのか。
 シータはほほ笑み、小さくうなずいた。
 彼らの間に漂う、かすかな緊張を含んだ雰囲気に気づいた様子もなく、ワールドのプログラムの一部であるウェーターが、注文した料理をテーブルに並べた。青年は軽く会釈して、カウンターの奥の厨房に消えていく。
 入れ替わりに、クレオが戻って来た。
「このショーが続いてるうちは情報集もできなそうだし、とりあえず食べてようか」
「いただきます」
 ステージから目を離さず、リルはスプーンで、とても人が口にするものとは思われないほど赤黒いカレーをかき回した。
 その様子に気づいたクレオが、ムッとしたようにステージを振り向く。
 吟遊詩人の青年が、ギターを弾きながら歌声を響かせていた。美しくも物悲しい旋律に聞きほれ、人々はじっと彼に見とれている。
 その姿を見ていると、クレオは、とうに忘れ去ったはずの、幼き日の両親の笑顔を見たような気がした。今の彼が見ることのない、世界が希望に満ちていると思っていたころの、父と母の面影だ。
 そんなはずはない――そう思い、目をこする。だが、胸にこみ上げてくる奇妙な懐かしさは、気のせいではない。
 何かがおかしい。
 まるで、うたたねに入る瞬間のような感覚に襲われた途端、少年の心の一部が警告を発した。それが、精神撹乱系の魔法をかけられた時の感覚に似ている、と。
「ちょっと……みんな、なんともない?」
 自分の頬をつねって正気を保つクレオを、シータとステラが不思議そうに見る。リルも、カレーを口に運びながら、視線を戻す。
「何のこと?」
 キョトンとしたように言われ、クレオはことばに詰まる。
「ええっと……いや、その……つまり、魔法的なものを感じないかと……
「そういえば、周囲の人々の様子が変ですね」
 話しているうちに自信を失いつつあった少年に、シータが同意した。
 他の客のうちのほとんどは、彼らと同じく、ワールドに参加しているプレイヤーが扮する冒険者だ。その、レベルもクラスも様々な者たちの多くが、ステージ上から目を離せないでいる。
「確かに、怪しいと思う。でも、魔力は感じないし……
 クラスの技能を使ってもっとよく調べてみよう、と、彼女が目を凝らすと、丁度、最後の弦が弾かれたところだった。
 青年は今度は帽子を取らず、頭を下げる。途端に、拍手と歓声が店内を満たした。
 客席の一角から口笛が響き、ステージを降りる詩人が手にしたカゴに、次々と金貨が入れられる。まだ拍手が鳴り止まない中、彼はテーブルの間を歩き回った。
「お兄ちゃん、上手いね。名前はなんてぇんだい?」
 おひねりを渡しながら、ベテラン風の女剣士が声をかけた。
 クレオらのテーブルの、となりのテーブルだった。四人の少年少女は、手を止めて耳をそばだてる。
 それに気づいているのか、いないのか。
「オレは、キダム。さすらいの吟遊詩人ってところさ。またどっかで会ったら、ひいきにしてくれよ」
「もちろん、こっちから追いかけたいくらいさ」
 気さくに相手とことばを交わして、キダムという名らしい男は、慌てて料理を食べるのを再開する四人のテーブルに近づいてくる。
 金貨を用意しているリルの前で、キダムが足を止めた。そばにいてさえも、その目は、帽子のつばに隠れて見えない。
「いい歌だったわ」
 言って、少女は金貨をカゴに放る。
 リルがそれ以上干渉しない様子なので、同じく金貨をカゴに入れながら、クレオが相手の進行方向を遮るように身をのり出した。
「あの、さっきの歌……なんていう歌かな? 気に入っちゃって……歌の名前がわかれば、またどこかで聞けるかなー、って」
 焦ったような少年のことばに、詩人の唇が、笑みの形に吊り上げられる。
「一曲目は『辿り着けるように』、二曲目は『すべての源に還れ』、さ。でも、他の吟遊詩人に頼んでも聞くことは出来ないと思うぞ? なにせ、オリジナルだからな」
「え……じゃ、じゃあ、あなたはこれからどこに行くの? 行き先で、そのうちまた会えるといいな」
「うーん、吟遊詩人つーのは、あてもなく流れ行くものだからな」
 肩をすくめ、彼は少年のことばに困ったような声で応じた。しかし、軽く歪められていたその口もとは、すぐに笑みに変わる。
「まあ、きみたちとは、すぐに会えそうな気がするな。もし会えたときには、よろしく頼むぜ」
「ええ、こちらこそ」
 話している限りには、悪い人には見えない。それでも、目が見えないのが、少し不安を煽る。
 そんな印象を持ったクレオが身体の向きを直すと、視界の端に、油断なくキダムの背中を見送っているリルとシータが見えた。
「二人も、気になるの? あの人のこと」
 キダムは最後のテーブルを回ると、店の主人と一言交わして、外へ出て行く。それを確認して、ようやくリルがスプーンを動かし始める。
「普通の冒険者の気配と少し違う気がする。でも、気のせいかもしれないし……
「何もなければ、それでいいのですが」
 言って、空にした皿を寄せると、シータは席を立つ。
「少しは情報収集をしておかないと、ルチルさんに怒られますからね」
 キダムのショーが終わり、ようやく店内はいつもの風景を取り戻しつつある。今なら、他の冒険者から情報を引き出すのも容易いだろう。
 情報を求める者に、与える者、仲間と談笑しながら食事をとる者など、普段より人数は多いものの、一見、いつもの冒険者が集う飲食店の様子だ。その中で、シータに続き、クレオとリルも、聞き込みでアガクの塔の情報を得る。
 しかし、情報のほとんどは、役に立つかどうか怪しいものだった。塔の窓から人魂が見えたという者がいれば、ドラゴンが上空を飛んでいたという者、巨大な蜘蛛が壁を這いまわっていたという者など、目撃された魔物は様々だ。
 ただひとつ共通していた情報は、システムに異状が発生してからも内部に侵入したパーティーは何組かいるが、それが、一組も戻って来ていない、ということだった。
「かなりヤバイことになってるみたいだねえ。盗賊ギルドでも、罠が今まで通りに作動してるかどうか怪しい、って話が出てたよ」
 太陽が完全に山並みに姿を消そうとしている頃になって、ルチルが〈知識の壺〉亭に姿を見せ、遅い食事を注文した。
 彼女は道具を買い込んで来るついでに、盗賊系クラスのサポートや関係する仕事の登録と依頼などを司る機関、盗賊ギルドにも寄って来たらしい。
「見た者はいないし、いたとしても帰って来てないんだから、内部の情報源はないね。未知のダンジョンに入るつもりで行くしかない」
 リルの淡々としたことばで、一同は、表情を引き締める。
「もう、友だちが閉じ込められてから、三日近く経ってるはず……みんな、よろしく頼むよ」
 クレオは真剣な目で、テーブルを囲む仲間たちの顔を見回す。
 彼が友だちを助けるために集めた仲間たちは、ほほ笑み、あるいは仕方なさそうな表情で、うなずきを返した。

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