第一章 異変 ―闇に堕ちる星― (6)
「やはり、そういうことですか……まあ、わたしのように推測している者も、かなり増えてはいるでしょうけどね。大方は、大規模なバグが発生していると感じているようです。皆、修正されるまで町に閉じこもっているつもりのようですよ」
ラージスの森のような一つのダンジョン内でも、通常なら、他の冒険者と出会うことは珍しくない。
しかし、今回はシータと出会うまでには、一組も他のパーティーの姿を見なかった。理由を聞き、リルたちが抱いていた一つの謎が解ける。
「でも、オレたちはどうしても、アガクの塔に行かなきゃならないんだ。あそこで、友だちが閉じ込められてるから」
クレオが、時折見せる真剣な目をして言う。
危険を承知の上で、友だちを助けたい。止めても無駄と思わせる迷いのない視線を真っ向から受け止めて、シータはほほ笑む。
「どんな強力な魔物が出るかわかりませんよ。近くでファイヤードラゴンを見かけた者もいるそうです……それでも行くんですね」
ファイヤードラゴンは、まだ数組のパーティーしか倒したことのない、強力な魔物のうちの一体だった。最低でも、レベル三〇以上が四人は必要と言われている。ドラゴンを倒した者にはドラゴンスレイヤーの称号が与えられ、他の冒険者の間でも一目置かれるようになる。
いくらベテランプレイヤーでも、倒せるとは限らない相手だった。
それは、クレオも充分理解している。それでも、彼は怯まない。
ただ、彼は少女たちを振り返る。
「リルちゃん、ルチルちゃん、ステラちゃん……成り行きでここまでついて来てもらったけど、嫌なら、止めてもいいんだよ?」
仮想現実のワールドでの死は、あくまでゲームとしての死であり、そうでなくても、仮想現実は安全だ。五年間で、死者は初期に事故死したとされる女性プログラマー一名だけとされていた。
しかし、今はどこまで参加者の安全を守る機能が活きているかわからない。
真剣な目で自分たちの目を直視され、三人は、一瞬息をのむような様子を見せる。だが、すぐにルチルが肘打ちを飛ばした。
「な~に今更カッコつけてんのよ。ここまで来て、止められるわけないじゃない。あたしたちがいなくなったら、ますます生きて帰るのが難しくなるだろうにさ」
的確にみぞおちを突かれて悶絶する少年剣士をよそに、彼女は仕方なさそうに腕を組む。
「そうね。ヒマ潰しにもなるし」
リルも同意し、彼女が押す車椅子の上のステラも笑顔で、大きくうなずく。
皆、何の関係もないはずのクレオを、疑うことなく協力するつもりなのだ。それを再確認すると、肘打ちの痛みだけが理由ではなく、少年剣士の目に涙がにじんでくる。
その光景を眺めていたシータは、小さく肩をすくめた。あきれているようでもあるが、顔には、温もりを感じさせるほほ笑みが浮かんでいる。
「実は、わたしもあの塔をめざしています」
「今思いついたんじゃなくて?」
リルの即座のことばに、シータは一瞬手にしたカップを落としかけた。
「違います! あの塔には、わたしが会いたい人物もいるのです。町で会うはずが、どこにもいない……ということは、あの塔しかありません」
「へえ……」
クレオの中で、一人でも多く一緒に行ってくれるなら心強い、という期待と同時に、不信感と警戒が頭をもたげてくる。
「それで、あんた、強いのかい?」
答える代わりに、シータは自分のデータを表示させた。
名称シータ・T、クラス・ハンター、レベル四二。
数えるほどしかいないレベル四〇越えのステータスを目にして、クレオはことばを失った。戦力的には、文句のつけようもない。パーティーの安全を考えれば、のどから手が出るほど欲しい人材と言える。
「ハンター……遠距離攻撃を得意とする盗賊系の上位職か。魔法も使えるみたいだし、悪くないわね」
宙に浮かぶデータ画面を覗き込み、リルは淡々と分析する。
クラスチェンジの前に獲得した魔法や技能は、習得率一〇〇パーセントという条件を満たせば、別のクラスでも使うことが出来る。シータはどうやら、僧侶系のクラスも魔術師系のクラスも経験しているらしい。
「ま……そういうことなら……」
「皆さん、よろしくお願いします」
誰も、シータがパーティーに加わることに反対しない。
それを確かめ、クレオが渋々を装ってうなずくと、高レベルハンターは立ち上がり、丁寧に頭を下げた。
間もなく、新しい仲間を加えた一行は北上を再会する。ルチルの地理感覚では、町はすぐそばだった。
緑の葉の間から透かし見える太陽が、傾き始めている。時間の経過は、現実よりもやや速めに設定されていた。夜は昼間より魔物が活発に動くので、多くの冒険者は、夜に出歩くことはない。野宿の場合、見張りを立てて警戒する必要があった。
幸い、地理には異状が起きておらず、予想通りの地点で森を抜ける。
心地よい風の駆け抜ける草原が広がり、城壁に囲まれた街並みが見える。その向こうには、茶色い石造りの塔がそびえていた。
「やれやれ、ここまで来ればもう一息ですね」
最後尾で木々の間を抜けたシータが、油断なく背後を気にしながら肩をすくめる。先頭のほうは、相変わらずルチルが警戒を続けていた。
もっとも、町を目の前にしたこの辺りでは、ほとんど魔物が出ることはない。それに、視界も開けているので、近づいてくるのを発見するのが簡単だった。
そんな思いから、自然と足を速めた、その瞬間――
「あっ!」
ルチルは、すぐには何が起こったのかわからず、声を上げた。後頭部に衝撃がはしり、地面の上を転がる。
「一体どうなってっ……!」
文句を言いながらクレオが走り寄る。剣が一閃した直後、身を起こしたルチルは、やっと自分を襲ったものの正体を見た。
棍棒を手にした、堅い皮膚を持つトカゲ男、リザードマン。その大群が、周囲にうごめいていた。
ほんの瞬きの間に、気配も、もちろん姿もなかったはずの魔物が、視界を埋めていた。空気も一変し、よどんだ風が渦巻いている。突然の出現に混乱しながら、シーフマスターはとりあえずナイフをかまえる。
取り囲む魔物たちの輪の中心に集まる五人の周囲を、蒼白いような半透明の膜が包み、消えた。ステラが錫杖を振って防御力を上げる魔法を使ったらしい。
その横で、リルもステッキの先をリザードマンの群に向ける。
「ファイヤーボール」
炎の球が飛び、群の中で爆発した。数匹が灰になり、周囲の数匹も火傷を負う。
「こりゃ、魔法に頼ったほうがいいかな」
じりじりと間を詰めてくる相手の数を数えていたクレオが、二〇匹目までを目にしたところで音を上げた。
彼と背中合わせに立つシータも、それに同意する。
「そうですね……ライトニング」
右手にボウガンをかまえたまま、杖を左手に携えて魔法を放つ。
蒼白い爪が、彼に襲い掛かろうと数歩前まで近づいていた数匹を撃ちすえる。撃たれた者は、黒い煙となって消えた。
「ええと、二四匹」
「厄介ですね」
溜め息を吐きつつ、シータはボウガンで一匹減らしてから、もう一度繰り返す。同じく、リルも火球を投げつけ、相手を減らす。
だいぶ近づいて来たリザードマンを剣を振って牽制してから、クレオはもう一度数えた。
「えーと、二五」
「キミ、算数できる?」
自分が伝えた数の意味に気づいていない剣士に、ルチルはあきれの声を上げる。
「……まずいかも」
三度目の火球を放ってから、ウィッチの少女が淡々と告げる。その目は、リザードマンの群の端に向けられていた。
「増えてる」
短いことばに、ルチルとクレオはわずかな間、動きを止める。
「これも、異状の一環ですか……」
シータはボウガンの矢の一本につき一匹をしとめていきながら、疲れたようにぼやく。彼は魔法とボウガンを使いかなりのハイペースで相手を減らしているが、それでも全体の数は減っていない。
「ここは、全力でいかないと」
クレオがかまえなおす剣の刃に、ステラが強化の魔法をかける。赤い光をまとった刃をかかげ、剣士は一人、今まさにステラらに飛び掛らんとしていたリザードマンたちのなかへ飛び込んだ。
「無茶な戦い方だねえ」
言いながら、ルチルはナイフ投げで剣士を援護する。
クレオが離れると、リルがシータと背中を合わせた。
「空間がおかしくなってる。離脱の魔法も使えない」
「つまり……誰かが我々を戦わせたがっているのでしょうね」
苦笑しながら、ハンターは魔法を放つ。七匹のリザードマンが消え、それ以上の数が補充されたように見えた。
「増えるペースが速くなっているんじゃ」
何かが、リルの袖を引いた。
見下ろすと、ステラが錫杖で、背中を向けているルチルを示していた。その横から迫る、リザードマンの姿も。
「ルチル!」
名を呼んで促しただけでは間に合わない。リルはとっさに、赤毛の少女に跳びついた。そのまま転倒する頭上を、棍棒が行き過ぎる。
もう、包囲網はかなり狭まっていた。それに気づいたシータが周囲を見渡し、慌ててステラの前に出る。位置を入れ替えた直後に、リザードマンの尾が宙を薙ぎ、ハンターを吹き飛ばす。
草の上を転がりながら、シータはボウガンでステラの前に出る魔物を狙い撃った。
「ちょ……」
めまぐるしい展開についていけず、ルチルが混乱したような声を出す。彼女はリルの下から、標的に向けて再び突進してくる緑の魔物を見ていた。
リルは、すぐに立ち上がると、迫ってくる相手に身体を向けた。
「リル?」
背後から名を呼ばれながら少女は一歩、自ら相手に踏み出す。
そして、棍棒を避けながら伸び上がるように膝蹴りをくらわせた。堅い鱗状の皮膚に、一見それほど力がこもってるでもなさそうな一撃を受けたリザードマンが、大きく吹き飛ばされて消滅した。
「格闘系技能も持ってるの……?」
「まあ、ちょっとね」
曖昧な苦笑を浮かべて、彼女はルチルとともにステラのそばに戻る。すでに、シータも戻っていた。
「大丈夫?」
リルが腹部を押さえているシータにきくと、相手はわずかに引きつったような笑みを返した。
「かすり傷です。ただ、普通のリザードマンの攻撃力とは、あきらかに違いますね」
矢がなくなったのか、彼はボウガンをバッグに入れ、代わりに背負っていた杖を手にする。
「逃げることを考えたほうがいいかもね。そのうち、魔力も尽きるし」
クレオが横に戻って来るなり、切迫した調子で言う。その姿のあちこちに赤い花が咲き、額からも血が流れていた。
この異常な状況でゲームオーバーがどんな意味を持つのか、予想は出来なかった。
いつも通り途中から再開か、セルサスが正常に戻るまでしばらく冬眠することになるのか、あるいは、永遠に精神が凍りつくことになるか。
誰も試したいと思わないのは確かだ。
「魔法で脱出が無理なら、これはどうかな」
ルチルが、懐から灰色の袋を取り出す。きつく縛られた袋の口からは、長い紐がのびている。
それを、彼女は思い切りよく魔物の群の中に投げ入れた。袋が緑の身体の間に消える前に、リルを振り向いて叫ぶ。
「リル、頼むよ!」
言われるまでもない、という様子で、銀髪の少女はすでにかまえていたステッキの先を袋の落下地点に向ける。
「ファイヤーボール」
オレンジ色に燃え上がる球が、袋を追うように放り込まれる。
その炎が袋に引火するなり、周囲が、白に染まった。
「今のうちに……!」
口を押さえ、シーフマスターが叫ぶ。
罠や役に立つ道具を作るのも、盗賊系クラスの技能のひとつだ。相手の目をくらまし逃げ出すための道具、煙玉は、そのなかでも一般的なものだった。
五人はお互いの手を引き、リルはステラの車椅子を押し、標的を見失っているリザードマンの間を駆け抜けていこうとする。先頭のクレオががむしゃらに剣を振って、血路を斬り開く。
しかし、遅々として進まない。まるで、動く壁がどんどん厚くなっているようだ。
「ここで立ち往生は危険ね……」
リルがつぶやき、彼女の存在に気づいて棍棒を向けてきた一匹を、ステッキで無造作に叩いて消す。それを目撃したルチルとシータは、ギョッとしたように目を見開くが、リルは気づかない。
白い煙が、徐々に晴れていくようだった。視界が完全に開けてしまうと、全方向からの攻撃を受けることになる。
それまでに、脱出しなければ――
それだけを胸に、剣を左右に振りながら、クレオは焦った。一向に出口の見えない、リザードマンの包囲網に。
「くそっ!」
思わず悪態をつきながら、振り上げた刃を大地を抉るように打ち下ろす。魔力を帯びた剣は、空を切ると同時に衝撃波を発生させ、前方の魔物たちを吹き飛ばす。
それでも、空いたはずの進路は一瞬にして埋まる。
「仕方が……ありませんね……」
惨状を見て、シータがナナカマドの杖を握る手に、力を込めた。
だが、杖を掲げたのは、車椅子の少女のほうが先だった。
「ステラ……?」
しゃらん、と錫杖の輪が立てる涼しげな音を耳にして、皆が振り返る。ステラは、いつものように、柔らかな笑みで四人の視線を迎えた。
法衣姿の少女が錫杖の先端を軽く振ると、周囲の景色が一瞬歪む。
目眩に似た感覚に襲われた直後、五人が目にしたのは、カロアンの町の門だった。
「へ……?」
抜き身の剣を手にしたまま、クレオが気の抜けたような声を出す。
つい今まで、確かに周囲をリザードマンに囲まれていたのだ。それが、一瞬にして消えたことに対応できず、彼は少しの間、茫然とする。
背後に広がるのは、空の色を映して淡いオレンジに染まりつつある、草色の絨毯。その向こうに、ラージスの森の緑が見える。魔物の姿はどこにもない。
「脱出魔法は使えなかったはずだけど……僧侶の魔法は使えたのかしら?」
リルは、車椅子の少女にそっと視線を向ける。
データ画面の上ではレベル三〇はあるという僧侶は、いつものほほ笑みを浮かべたまま、治療魔法で仲間の怪我を治していた。
もしかしたら、データ画面がおかしいだけで、ステラはリルたちの知らない魔法や技能が使えるのかもしれない。それに、システムの異状も一定ではなく、たまたまリルの脱出魔法は使えず、ステラは使えたのかもしれない。
そう考えながらも、リルは奇怪なものを感じざるを得なかった。