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第一章 異変 ―闇に堕ちる星― (5)


 周囲には、緑の木々が生い茂っている。その光景の中に、白い軽鎧を身に着けた少年の姿だけがあった。
 剣を一振りして鞘に戻すと、彼は気配に気づき、茂みを振り返る。
 赤毛の少女――ルチルは、相変わらず、身軽そうで露出度の多い服をまとっていた。周囲の緑に合わせた色のスカーフを頭や腰に巻きつけ、太腿のベルトには、美しい宝石で飾られたナイフが鞘ごと固定されている。
 盗賊の上位クラス、〈シーフマスター〉が持つ七つ道具をアクセサリーなどの形で身につけた少女は、見せびらかすようにクルリと一回転すると、得意げに少年に向けて顔を突き出す。
「どう? 似合う?」
「あ、ああ、うん」
 思わず身を引き、頬を軽く染め、少年はうなずく。
 その答に満足したように、ルチルは軽いステップで一旦茂みの陰に戻り、今度は、慎重な動きで姿を現わした。
 彼女に押されて、金髪の少女を乗せた車椅子が、少年の前に進み出る。
「へえ……
 感嘆が、クレオの口をついて出る。
 ブロンドの少女は、防御や治療系の魔法の使い手、僧侶のクラスを選んだらしい。白い法衣をまとい紋章が刺繍された帽子を被った姿は、シンプルだが、少女の愛らしさと純粋な雰囲気を引き立てる。
 彼女、ステラは銀の錫杖を両手に握り、膝の上に置くと、嬉しそうにほほ笑んだ。
「でも、何レベルかな?」
 見とれているクレオの脇をつつき、ルチルが少し意地悪に横からのぞきこむ。
 ステラが、軽くうなずいた。すると、目の前に半透明な青の正方形が現われ、ステラのデータが表示される。
 その画面をのぞきこみ、二人はのけぞった。
「レ……レベル三〇? あたしたちより高いじゃない!」
「ほ、ほんとだ……
 茫然とデータを確認するが、何度確かめても、ステラのレベルの値は間違いなく、三〇と表示されていた。
「凄い……あれ? でも、これ……
 不意に声の調子を変えたクレオが指をさすのにつられて、ルチルもじっとのぞきこむ。
「参加回数一回目……? 今回が初めてってこと?」
 データには、参加回数やクラスチェンジ回数、ゲームオーバー数なども表示されている。それらの数字が、どれも最小を示している。
 一つの世界にずっと没頭するプレイヤーもいるが、ステラの場合、プレイ時間も、クレオらが今回ここへ来てからの経過時間しか表示されていない。
「それでレベル三〇……? どうやって?」
 ルチルが首をひねって見下ろすと、曇りのない目が彼女を見上げてきた。その澄んだ瞳からは、データを改ざんする凄腕クラッカーである可能性などは想像もつかない。
「セルサスの異状のせいかもね」
 淡々とした少女の声が木々の間から響く。
 声の主を求めて振り返った三人の少年少女は、ようやく現われた最後の仲間の姿に、目を見開く。
「ウィッチの装備って、こういうのしかないみたい……
 わずかに頬を染めて木の陰から歩み出たリルは、魔術師の上位クラスのひとつ、ウィッチの装備をまとっていた。丈の短いスカートにカラフルなジャケット、杖というより短めのステッキというその出で立ちは、魔女というより、魔法少女といった雰囲気だ。
 どうやら彼女は、今まで、ウィッチ用の装備から別の格好を模索していたらしい。
「かっわいー! リルちゃん、似合うじゃん!」
「ほんと、似合ってるよ」
 嬉々として言うルチルと、ぼうっと見とれながら言うクレオ。ステラも、リルの姿自体は見えないものの、楽しげに小さく手を叩く。
 当の本人は木の横で恥ずかしげにうつむいていたものの、やがて決心したように、三人の前に歩み寄る。
「レベルも充分だし、パーティーのクラス配分も悪くないと思う……それで、アガクの塔の試練、クリア経験はある?」
「一応、一回はあるよ」
 ルチルが答え、クレオもうなずく。
 アガクの塔には、一人の魔女が住んでいた。その魔女の試練を乗り越え、最上階で魔女が召喚する魔獣に打ち勝ったものには、財宝の一部と大いなる名誉が与えられる――というのが、塔を制覇しようとする冒険者の間に伝わる情報だった。
「とりあえず、道具の買出しに町に寄ろうか。あたしたちが知らないうちに、仕様変更があったかもしれないし」
 ワールドは、成長する世界だ。プレイヤーの要望やバグの発見でイベントが修正されたり、上級者向けに新たなイベントが追加されることもままある。
「じゃ、まずはカロアンだね」
 クレオは地図を広げ、三つの大陸のうちの中央大陸南部にある町を指差す。『ラージスの森』と、現在地が赤い文字で表示されているそこから、北に少し行った所にある町だ。そのさらに北に、アガクの塔がそびえている。
 魔法で町にも塔にも移動できるが、短い距離なので四人は徒歩を選び、森のなかを北上した。ステラも器用に車椅子を操作し、遅れることなくついていく。
「近くに他のパーティーはいないか……なんだか、今日は静かだね」
 軽い足取りで先頭を行くルチルが、つまらなそうに伸びをした。
 空は晴れ渡り、緑の木々の間からは鳥が鳴き交わすのが聞こえる。イベントの演出や、時折天気が変わる以外、いつも冒険者が目にする旅の風景だ。
 もっとも、平和的な雰囲気でも、常にプレイヤー側を倒そうとする敵――魔物と出くわすなどの危険がつきまとうことは、皆、知り尽くしている。
 特に危険を察知する能力に長けた盗賊系クラスであるルチルは、視界の隅に奇妙な光を捉えると、反射的にナイフを抜いて身を屈めた。
「魔物?」
「らしいね。吸血コウモリが四体……ザコか」
 真後ろのクレオの問いに答え、シーフマスターは、技能を持つ彼女にだけ見えるデータ画面の魔物名を読み上げる。
 吸血コウモリは、高レベル冒険者なら一度は戦ったことのある、下級レベルの魔物だった。
「油断はしないに越したことはないよ」
 スラリと剣を抜き、少年剣士は前に出る。
 黒い影が木々の間から飛び出してきたのは、それとほぼ同時だった。
「アイスアロー!」
 剣士が動く前に、ステッキをかざし、リルが魔法を放つ。魔法を使うたびに消費する魔力を節約しようと、もっとも弱い攻撃魔法で氷の矢を飛ばす。
 矢はコウモリの一匹に当たり、相手を地面に落下させる。翼を凍り付けにされた小型の魔物は、恨めしそうにもがく。
 しかし、それを見たリルは、わずかに眉をひそめる。
「後は任せて!」
 少女の懸念を知らず、クレオは跳び、剣を一閃する。標的になった吸血コウモリは一刀両断されて消滅した。
「んっ」
 表情を変えながらも、動きを止めずにもう一匹に斬りかかる。
「こいつら、何か硬い!」
 手ごたえから、普通の吸血コウモリとは違う防御力の高さを感じ、彼は驚きの声を上げた。静観を決め込んでいたルチルが弾かれたように動き、ナイフで最後の一匹を葬る。
 二人が息を吐き、振り向くと、ステラが錫杖の先端で軽く凍り付けのコウモリを叩き、粉々に砕いたところだった。
「何とか終ったけど……確かに、普通と違ったね」
 ルチルが感触を思い出すようにして、ナイフを握ったままの右手を見下ろす。
「普通なら、アイスアローでも一発で充分なはずだもの……
 リルもまた、可愛らしいデザインのステッキを振ってみる。
 だが、クレオは迷いなく、剣を鞘に収めた。
「まあ、考えても仕方がないことは考えないようにしよう。倒せたんだから、それでいいじゃない……大丈夫だって」
「あんたは、ほんと、気楽だねえ」
 あきれたようなシーフマスターに、剣士は照れたような笑みを見せ、彼女に替わって先頭を歩き出した。
「ほら、そう何度も魔物に会わないだろうし、このまま町に」
「誰かいる」
 のん気な科白を、リルの鋭い声が遮った。
 突然のことに、クレオは一歩を踏み出そうとした格好のまま硬直する。それを木の陰に引っ張り、ルチルが気配を殺して様子をうかがった。
 どうやら、先は木のまばらな、開けた空間になっているらしい。そこに、人間一人分の気配があった。
「おや……あなたたちも、冒険者の方ですか?」
 かなりの手錬、と、ルチルは直感する。彼女に今まで気配を悟らせなかった上、すぐにシーフマスターたる彼女の動きに気づいたのだから。
 すでに気づかれたものは仕方がないと、四人は森の中の広場に進み出た。もちろん、武器こそかまえていないものの、いつでも戦闘態勢に移れるだけの警戒をした状態だ。
 相手は、焚火を前に、温かい飲み物の入ったカップを右手にして座り込んでいた。白いローブに、肩にかかる金髪。色の白い顔には、柔らかな笑みが浮かぶ。どこか、ステラに似た雰囲気があった。
 どこかで、見たことがある気がする。
 一目見るなり、リルは奇妙なデジャ・ヴを覚え、目を瞬いた。
 相手の姿を視界に入れるなり、反応した者は、ほかにもいる。クレオは、超一流スピード系格闘家もかくやという速さで相手に迫り――
 茫然としている相手の華奢な手をギュッと握り、言う。
「結婚してください!」
 真摯な、少年剣士の目。
 驚く相手。
 あきれる少女たち。
 そんな構図の中で、なんとか我に返り、金髪に緑の目の相手は言った。
「あの……わたしは男ですが」
…………ホント?」
「ホントに」
 少年剣士は、顔から地面に突っ伏した。
「いくらなんでも、性別も関係なしとはねー」
「よっぽど愛に飢えてるんでしょうね……
「ほんっと、見境ないわよねえ」
「そのうち、その辺の木に結婚を申し込むかも」
 ここぞとばかりに女性陣はあきれの声を上げ、ステラももっともらしくうなずく。額を地面にこすりつけたまま、クレオは情けない声を上げた。
「そんなぁ、ステラちゃんまで……ああっ、哀れみの目で見ないで~!」
 必死に懇願する彼の耳に、いかにも愉快そうな笑い声が届く。見ると、今しがた彼を失望させた男が、笑顔を向けていた。
「何やら……おもしろい方たちですね」
 柔らかな物腰に、天使のようなほほ笑み。中性的な顔立ちは、女に間違えられても仕方がなかった。
 その顔を見ると、クレオは、沸々と怒りが湧いて来るのを感じる。彼は身を起こし、顔を突き出した。
「そもそもっ! あんたがややこしい格好をしてるからっ!」
「わ、わたしのせいですかっ?」
「そーだそーだ! あんたがそんな格好してるから悪い!」
 そんな格好と言われても、と自分の姿を見下ろすローブ姿の若者の前に、ルチルが歩み寄り、クレオの首根っこをつかまえて引き離した。そのまま転がった剣士は無視して、少女が真剣な目を向ける。
「あたしはルチル。そこでのびてるのがクレオ、あっちの魔女っ子がリルちゃんで車椅子の子がステラ……あなたは?」
「私は……シータ。そうお呼びください」
 まるで、本当の名前ではないかのようだ、と少女たちは思う。しかしそこは追求せず、交渉も得意なシーフマスターは相手の目を見る。
「こんなところで一人で……かなりレベルが高そうだね。良かったら、これからどこへ行くつもりなのか教えてくれない?」
「特に予定はありませんが……あなたたちはどうするのですか?」
 ルチルは、シータの背後に置かれた荷物にボウガンと杖を見つけて警戒感を強めるが、相手のほうには、最初から警戒が感じられない。実に気軽な口調で尋ねてくる。
「わたしたちは、アガクの塔に行こうと思うの」
 ステラの車椅子を押して近づきながら、リルが簡単に答える。
 シータは、わずかに表情を変えた。
「今は、魔物たちも普通の状態ではありませんから、よしたほうがいいですよ。この辺りにも、ステータスの値がおかしくなった魔物が出没しますし」
 先ほど戦った吸血コウモリのことを思い出し、リルたちは顔を見合わせる。端に捨てられていたクレオも真剣な顔で、焚火の周囲に戻ってくる。
「ってことは……もう、セルサスの異状がかなり知れ渡ってるのか?」
「いいえ」
 シータは、意味ありげに笑った。

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