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第一章 異変 ―闇に堕ちる星― (3)


 目を閉じて、ぬくもりをはっきりと感じる。
 首筋にかかる肌の温度と頬にかかる息遣い、肩のかすかな重み。そして――
 固いものが額にぶつかる感触で、クレオは情けない声を洩らした。
「イテーッ! 何やってんだよ、オヤジ」
 目を開けると、メインモニターの画像が視界に入る。画面の上からのびた白い光線が前方に浮かぶ岩に当たり、それを蒸発させたところだった。
「どうなってんの?」
 少女たちも目覚めたらしい。ルチルが最後部席から身を乗り出して画面に見入る。
「わからねえ。レーダーにも反応はなかったぞ。ったく、こんなボロシャトルを襲うとは、どこの海賊だ?」
 舌打ちしながら、ジェンガンは操縦桿を引く。画面の端に映し出された後部カメラからの映像に、急激に機首の角度を変えるシャトルの背後から追いすがる、黒の戦闘機の輪郭がかすかに見えた。
 角ばったカブトムシのようなシルエットを見ながら、上下左右に圧力を受けて、乗員は席にしがみつく。ジェンガンは小惑星や大きな岩の周囲をめぐり、それを障害物にして相手を振り切ろうとした。
「おっさん、外部シールド張れるか?」
 レイガンを手にしてエネルギー残量を確かめ、クレオが尋ねる。緩んでいることが多い少年の顔は、いつになく真剣だ。
 その様子をチラリと見て、ジェンガンは右手の指を黄色のボタンに伸ばす。
「いいか、二〇秒しかもたないぞ」
 シュッ、と小さな空気音がした。窓を模した側面モニターが横にスライドして壁に消え、直接宇宙空間が見える。シャトルの周囲をめぐる透明なシールド内は、気圧なども制御されていた。シールドの周波数をレイガンのそれと合わせることで、シールド内から光線を撃つことが可能だ。
 クレオは窓から顔と手を出し、レイガンのスコープをのぞく。
「一八……一七……
 ルチルがカウントダウンする。それを聞くと焦ってしまいそうなので、彼女の声を無視し、彼はスコープ内の円形の映像に集中した。中心のバツ印の向こうで、戦闘機が素早く揺れる。
 クレオは待った。迫り来るタイムリミットを意識の外から追い出して、背後の闇に溶け込みそうな戦闘機を見続ける。
 やがて――
 パシン、という小さな音がした。白い光の筋が真っ直ぐ、黒の上に線を引く。
 結果を見ないうちに、耳もとで機械音がして、クレオは慌てて身体を機内に引いた。窓が閉じ、再びシャトルの中と外が隔絶される。
「追ってこないようだな」
 メインモニターの隅の四角い枠内を見て、ジェンガンが無愛想に言った。少年が映像を覗き込んで、パイロットが言った通りの事実を確認する。
 ジェンガンは、後ろから乗り出してきた顔を振り返ると、口もとを軽く吊り上げた。
「なかなかやるじゃないか、坊主」
 左手の親指を立てて、少年を称える。
 少し照れたように、少年も親指を立てて見せた。
「あ~、クレオったら、素敵ィ」
 ルチルが後ろから、クレオの首に抱きついた。先ほどまでの勇ましい表情はどこへやら、少年は、えへへ、と、鼻の下を伸ばしてにやつく。
 それをよそに、リルは窓の外を見ながら、ジャケットの内ポケットに入れたレイガンの熱を持った銃口を、軽く指で弾いた。

 イルズ・ステーションは、人の姿であふれ返っていた。ステーション・ゼロより空間が狭い円盤状のステーション内では、中心部のロビーに並ぶ長椅子の周囲を初め、どこもかしこも人の姿だらけである。
 円盤の外周に並ぶプラットフォームのひとつに降り立ち、三人の少年少女は、側面ハッチを開けたままのシャトルに身体を向けた。
「ジェンガンさん、世話になったね」
「ああ。依頼料は確かに受け取ったぜ」
 ルチルが覗き込むと、クレジット・カードの小さなモニターで残金を確認していたジェンガンは、操縦席でそのカードを振った。
「また機会があったら利用してくれ。この辺も最近盗賊団やらが増えたから、坊主もそっちの嬢ちゃんも、気をつけてな」
「ああ、おっさんもな」
「気をつけて」
 クレオとリルが交互に声をかけると、ジェンガンは手を上げて応える。その大きな姿が、上から下りて来たハッチに隠された。
 完全にハッチが閉じると、やがてシャトルは動き出す。新しい目的地へ。
 開いた出口から飛び出していくシャトルをプラットフォームで見送った三人は、とりあえず、中央部に向けて歩いた。中央部は少し床が高くなっていて、各方面行きのプラットフォームが一望できる。
「それで、さ。あんたたち、どうするつもりなの?」
 肩を並べて歩きながら、ルチルが顔を横に向け、クレオとリルを見た。
 ルチルと同行するのは、ここまでのはずだった。たまたま、同じシャトルに乗り合わせただけの相手だ。
 クレオは少し迷った後、彼女を巻き込まないことにしたらしかった。
「少しここで休んでから、ちょっと行くところがあるんだけど……ルチルちゃんはこれからどうするの?」
「どうしよっかなー」
 焦らすように言ってから、彼女は笑った。
「あたしも、少しここで休んでくことにするよ。その辺でジュースでも飲んでるから、出発するときになったら声かけてね」
 軽く手を振り、ジュースの販売機を探しに壁際に向かっていく。
 その後ろ姿を少しぼうっとして見送っていたクレオは、何を思い出したのか、急に焦ったようにリルを振り返った。
「え、えと、友だちに連絡とって来るから、ちょっと待っててくれる?」
 ジャケットのポケットから小さな通信機を取り出し、それを隠すように抱えて問う。
「その辺ブラブラしてるから」
 内心少年の様子を不審に思いながら、少女はその場を離れた。適当に歩き出して、数歩目に振り返ると、クレオが人の姿が少ない端のほうへ駆けて行くのが見える。
 それ以上追跡はしないで、リルは再び歩き出す。少年の背中が離れていくのと、反対方向へ。
 人込みの中を歩きながら、彼女は片手でコートの内ポケットに手をやり、通信機を探り当てた。そのまま、キーを見ずに、長いコードを打ち込む。すべてのキーを押し終える前に、彼女の左耳に、目立たないイヤホンが当てられていた。
 わずかなタイムラグのあと、低い声が流れる。
『おお、リルか。そっちから掛けてくるとはな』
「何かわかった?」
 短い、極限まで圧縮したような問いかけだ。
 それでも、相手には通じたらしい。
『ああ。どうやら、かなりの腕のクラッカーが数名関わってるのは確からしい。それだけ組織的だと、どっかの思想団体かもな』
「でも、それでセルサスがやられるなんて……
『かなり初期に作って放置してた、直通ラインの防壁を破られたらしい。丁度見直しが始まる寸前だったようだぜ。まったく、災難だな。……今のところは、こっちに入ってるのはこれくらいだな』
「そう……
 それほど期待をかけていたわけではない。それでも、少女は急転直下の解決をどこかで望んでいたのか、溜め息を洩らす。
「ありがとう、ジル。また頼むわ」
『ああ……土産、忘れるなよ』
 情報屋に、ささやくように付け加えられて、少女は肩をすくめた。
「わかってる……じゃあ」
 相手はまだ話したそうな気配だったが、それに付き合っているといつまでたっても終わらないので、一方的に通信を終わらせる。
 クレオのほうも終わったかと振り向くが、少年の背中は、まだ壁際にあった。
 少女は時間潰しに、方向を変えて歩き始める。行き交う人間の間を縫って、あるプラットフォームに向かって。
 あてもなくさまようような足取りで歩くうち、前方の左右から行き交う人の流れが途切れた。
 どこかで、悲鳴交じりのざわめきが聞こえる。
 じっと目を凝らし、人の姿の間にある、その奥の気配を感じ取る。異質な、人の動きから受ける印象とは違う気配が、五感とは別の所にある感覚を通し、伝わる。
 その気配を捉えながら、ゆっくりと近づく。
「暴走してる! 気をつけろ!」
 誰かが叫ぶ。
 逃げるように人の姿が離れていく一角に、リルは真っ直ぐ歩いた。感じ取れる気配が、強く、はっきりとしてくる。
 低い、エンジンの駆動音らしき音がした。キャタピラーにドーム状の中心機構を搭載した清掃用ロボットが一機、人々を追い立てるように、アームを回しながら走る。何人かが接触して転倒し、ひかれそうになって、周囲の者に助け出されていた。
 充分に離れた者は、遠巻きに騒動を眺めている。
「ちょっと、どうなってんの!」
 聞き覚えのある声を耳にして振り向くと、リルは多くの人の姿の間の奥に、予想通りの姿を見た。
 ルチルが、光線銃――レイガンをかまえ、彼女の正面に迫りつつある清掃用ロボットに銃口を向ける。
 ほとんど狙いをつけてもいない早撃ちで、光線が発射された。それは正確に、ロボットの停止スイッチに当たったらしい。
 種類にもよるが、このワールドに出回っているレイガンは、威力を自由に変えられるものが多い。ルチルのレイガンの出力は最小に設定されていたらしく、ロボットへの影響はスイッチを押すだけで終わる。
 ロボットは停止し、一瞬何が起こったかわからなかった人々の間から、拍手が起こる。皆、ほっとしたような笑みを浮かべていた。
 だが、リルは、その人々のなかに加わる気分にはなれない。
 ゲームの世界の行動と言えども、ある程度、個人のセンスや思考速度が反映される。今回は、本来あり得ない事態なので、尚更だ。その異常事態に即座に反応したこと、射撃の正確さからして、ルチルは普段から銃を扱いなれているということになる。
 ――厄介なヒトと関わってしまったかもしれない。
 面倒臭そうに肩をすくめながら、人込みから抜け出そうと、人の少ないほうへ移動する。
「どうした!」
 背後から、新たなざわめきといくつかの悲鳴、そして、それに消されそうなほど小さく、とさっ、と軽い落下音が届く。
 その瞬間、彼女は身体を反転させ、走り出した。
「何をする気だ!」
「お嬢ちゃん!」
 横から呼び止めようとする声が聞こえたのを知りながらも、彼女は止まらない。正面の一点、ひっくり返った車椅子を見てプラットフォームに駆けつけ、そのまま、シャトルや宇宙船の通り道となるゲートに飛び降りた。
 危なげなく着地して、チラリと見上げる。段差は、それほど高くない。しかし、リルの身長の倍よりは高い。
 頭上で大勢の客が見下ろしている。ゲートの中央部方向にあるトンネルからは、何か大きな質量が押し出されてくる気配があった。
 それも気にせず、リルは閉ざされた出口の方向を見た。細い線が二本引かれただけの床の上に、ブロンドの少女が倒れていた。
 駆け寄って、背中に手を回して上体を抱え起こす。
 肩にかかる金髪に色白な肌、大きな空色の目。リルと同年くらいの、美少女だった。彼女は起こされると目を開けるが、まだ朦朧としているように視線を泳がせる。どうやら、落下したときに頭を打ったらしい、とリルは思った。
「あなた……
 話しかけようとして、彼女は口をつぐむ。
 上のざわめきに、切迫したものが混ざり始めていた。顔を上げると、トンネルから鋭い機首を突き出してくる、シャトルが見える。
 彼女は、金髪の少女の背中と膝の裏に腕を差し込むと、持ち上げた。自身より少し背の高い身体を抱え上げても、まったくふらつきはしない。
 シャトルは、高速で近づいて来た。
 小柄な少女の身体めがけて。
「リルちゃん!」
 悲鳴のなかに、聞き覚えのある声が混じる。それを聞き、迫ってくるシャトルを直視しながら、リルは両足で地を蹴った。
 彼女がプラットフォームに降り立つ下を、シャトルが通過していく。
 その姿を、人々は打って変わって静かに見つめていた――まるで、妖精が現われた瞬間を目にしたように。
 それほど、体重が感じられないような動きで、少女はふわりと着地した。

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