Day 06 絶望から彷徨い出る者

 灰色の髪の、少年と青年の狭間のような年の頃の若者が、金属の骨組みが所々のぞいたような、飾り気のない通路を足早に進んでいた。胸に湧き上がる嫌な予感が、その歩みを目的地に近づくにつれ、より速くしていった。
 彼は、体当たりするような勢いで、目的地に足を踏み入れる。
 その途端に、綺麗な、そして肉声ならざる悲鳴が鼓膜をついた。
『やめてください! 助けて、誰かー!』
 壁際を埋めるコンソールに大きなモニター、その他のいくつもの画面が備付けられた、それほど広くはない一室に、3人の男たちの姿があった。色白の男がコンソールに手を伸ばし、体格のいい男が窮屈そうに椅子に座り、黒づくめの細身の男が背を向けて天井を見上げていた。
 彼らは、この部屋の新しい訪問者を一斉に振り向く。同時に、若者は叫んだ。
「何やってんだお前ら! 今すぐ出てけ!」
 できるだけ威圧的な声を作って張り上げる若者に、だが、3人はまったくこたえておらず、笑みを浮かべている。
「ちょっと遊んでただけじゃねえか。まったく、お前は口うるさいな。独り占めしたいのか?」
「黙れ! 任務に支障が出たらどうするつもりだ!」
 体格のいい男が、いやらしく口もとを歪めた。
「支障なんて出ないだろ。オレがいくらでも手伝ってやるぜ」
「あぁ、その通りだ」
 男に、他の2人が同調する。
 仕方なく、若者は奥の手を出すことにする。彼にとっては、余り使いたくない奥の手だったが。
「じゃあ、ルッサに報告するからな。お前らが任務を放棄して、大事な財産であるこの船のシステムに損害を与えていたって」
「まあまあ、そう言うなよ」
 笑顔のままではあるが、男たちはわずかに顔色を変えた。
「しょうがねえな」
「ユールは過保護すぎるぜ」
 口々に文句を言いながらも、部屋を去っていく。それを、ユールと呼ばれた若者がにらみつけるような目で、注意深く見送った。
 全員がドアを離れたのを確認し、ユールは素早く椅子に腰を降ろしてコンソールに向かう。
 パネルを操作して診断装置の画面を呼び出しながら、彼は姿のない相手に呼びかけた。
「ゼクロス、大丈夫か?」
 応答は、すぐにはなかった。ユールが訝るように天井を仰いだ直後に、声が降ってくる。その声はか細く、そして震えていた。
『大丈夫……あなたが、止めてくれたから。あの、ユール……ありがとう』
 綺麗な声の主――ゼクロスは、恐怖さめやらぬ調子だった。彼が答えている間にユールが調べたところによると、どうやら、大きな被害はないらしい。
 そうとわかると、若者は頭の後ろで手を組み、息を吐く。
「よっぽど暇なんだな、あいつら。こんどやったらタダじゃ済まさねえ」
 いつものように、鋭い声で凄む。それに意味がないことは、彼自身、充分思い知らされていたが。
 一方、ゼクロスは頼りない声を洩らす。
『いっそのこと、彼らが私を壊してくれるなら、それでいいのですが……
 早く、この存在を終わらせたい。
 それが、彼の唯一の願いらしかった。他に方法があるはずだ、あって欲しい……と思いながらも、ユールは沈黙を守る。
 世界の天空を巡りながら、命令通りに、街を焼き、人間を滅ぼす。それが、彼らの任務だった。なぜそうするのか、結果どうなるかなど、教えられていないし知ろうともしなかった。逃げられないことに変わりはないのだから。
 この船の連中は何を考えているんだ、と、ユールは思う。
 彼が育った場所でも、不思議なことはいくつもあった。だが、そのどれも、必要なことなのだと思った。実際、何度か周囲の大人に尋ねたとき、返って来たのは、耳障りのいい答ばかりだったからだ。
 だが、それは綺麗な結果だけを伝えられたのではないか、と、今は考えられる。結果のための犠牲は一部の者の目にだけ見えるよう、隠されていたのだ。
『ユール……?』
 ゼクロスの怯えたような声で、彼は我に返る。
『私、悪いこと言いました……?』
「ああ、言ったぜ。自虐的なことをな」
 どうやら、人工知能は機嫌を損ねたものだと勘違いしたらしい。ユールは彼のことばを思い出して、本当に不機嫌になる。
『私の存在は、多くの人の死……早く、止めないと……
 真剣なことばに、ユールは天井付近のセンサーをにらみつけて言い返す。
「本当にそう思うか? 自分が楽になりたいだけじゃねえのか。代わりのシステムが構築されるだけだろ」
『それがつらいのです。しかし、それには時間がかかりますから、今からなら、それほど高レベルなシステムにならないはず……こんな任務は、人工知能としての能力なんて要らなかった、そうでなくても、感情なんて……
……やっぱり楽になりたいだけか」
『調整者が必要ないことをやっているはずがないんです! 私がこのように造られたのは……不安定な感情、特異な声、危険に敏感で他人を極度に気にかける性格をもって造られたのは……最終的には、私を狂わせてただの殺人機械にさせるためです! それなら、最初から戦闘機を造ればよいはずなのに!』
 ユールは目を見張った。
「それは、あいつら……ワイトたちが言ってたのか?」
『ええ。少しずつ狂わせるのを自分たちが楽しむためだろうって。だから、彼らは任務に協力しているんだと』
「そんなことを聞くな」
 灰色の髪の若者は、即座に言い切った。
「余計なことは考えるな。お前はオレの言うことだけ聞いてろ」
 同時に、席を立ち、ドアに向かう。
『ユール、どこへ?』
 怒らせてしまったと思ったのか、恐怖を含んだ声が背中にかけられた。
……すぐ戻ってくる。大人しくしてろ」
 そのことばを残し、彼はドアの向こうへ姿を消す。
 やがて、彼のことば通り、再び姿を現わす。ただ、出て行ったときとは違い、両手一杯に毛布や枕、何かの装置、箱に詰め込まれたチップなどが抱えられていた。
……なんです、それ?』
 ゼクロスが、先ほどの悲壮な響きのある声とは違った、好奇心を刺激されたらしい、少し子どもっぽい声で問う。
 それを聞いて、ユールは上機嫌になった。
「ここで寝るんだよ。そうすりゃ、あいつらも手を出しづらいだろ」
『ユール……!』
 声に、喜びと感動の響きが込められる。ユールは、その響きが大好きだった。
「これも任務だよ、仕事仕事」
『でも……ありがとう……ユール、あなたには……
「ほんっとお前、泣き虫だな」
『泣き虫じゃありませんっ!』
 即座に否定するゼクロスの様子に、ユールは思わず笑みを作る。
 果たして、いつまで絶望の中でもわずかな喜びを見つけていられるのか。
 彼らが新たな任務を命じられたのは、2時間後だった。

 2人の少女と一機の探査艇が、並んで立っているテントのひとつに近寄ると、みつ編みの女性が勢いよく飛び出し、歩み寄ってきた。そのドカドカと音をたてそうな乱暴な足取りと細められた目に、少女たちはギクリとしながら立ち止まる。
「一体どこまで行ってたの! 心配かけて!」
 その女性――ルキシの声を聞きつけてか、テントの中から、ティシアやロズ、それに、見覚えのない顔の者たちが何人か出てきた。
 ミュートは、いたずらを大人に叱られる子どもそのままの心境で、頭を掻く。
「あの……これはまあ、ちょっとした、下見のようなもので……
 片手を頭に持っていったために、バランスを崩し、抱えていたものを落としかけて、慌てて押さえる。そこで、大人たちはミュートと見知らぬ少女が抱えているものに注意を移す。
「なに? それ……
 ルキシがのぞき込んでくるのに合わせて、ミュートは、抱えていた箱を少し前に傾けた。その中身、いくつもの缶詰を見た大人たちは、感嘆を洩らす。
「おお……こんだけありゃ、3週間は持つぞ」
「凄い。よく見つけてきたわねえ……
「それだけじゃないだろう」
 一番年長らしい、白いヒゲを生やした老人が、穏やかに遮った。
「最大の収穫は、別にあるんじゃないかね?」
 老人は、少し緊張した様子の、ミュートよりさらに若い少女に目を向ける。
『さ、自己紹介、自己紹介。みんな待ってるよ』
 硬い表情で成り行きを見ていた少女の耳もとで、ルータがささやく。
 少女は荷物を足元に下ろすと拳をきゅっと握り、意を決して口を開いた。
「あの、あたし、リエナっていいます。よろしくお願いします」
「よろしく、リエナ」
 幼い少女の精一杯の自己紹介に、皆、相好を崩す。
 次はこちらの番だ、という調子で、ルキシが中心になって紹介を始める。居合わせた者のなかには、ミュートとルータも初対面の者がいた。
 最後に、あの老人が口を開く。
「私は、グレン・マックイーン。この劇団の団長だよ。よろしく頼むよ、お嬢さん方」
「ああ、あなたが……
 顔を合わせた途端、そんな気がしていた。落ち着いた老人の正体に、ミュートは納得する。
 紹介が終わると、全員テントのなかに入り、リエナは少し不安げながら、ティシアに連れられて一旦ミュートたちから離れることになる。一方、ミュートらは団長やロズたちとともに、広い空間に通された。
 そこには、赤毛の男と、作業服姿の黒目黒髪の男が先に席について待っていた。彼らはそれぞれ、リグとグエン、と名のる。ロズとルキシの同僚の技術者たちだ。
 ミュートは円形のテーブルの、ルキシのとなりの席についた。ルータは、彼女の腕に抱えられる。
「では、私から簡単に説明しよう」
 団長が、ミュートとルータのために、短く今までの話し合いの流れをまとめる。
 劇団もロズたちも、当然もとの世界に帰りたかった。そのために、まず、今の状況を把握する必要があった。彼らは1人1人、この世界に引きずり込まれた時の状況を突き合わせて、ここが仮想現実だと結論づける。
 ならばシグナが関わっているはずだが、まったく応答はない。しかし、シグナが停止しているのにVRDが作動したままというのはあり得なかった。
 では、何者かが、VRDをシグナから奪い取り、支配しているのか。
「しかし、それは難しいはずだ……でも、シグナが支配権を手放していないなら、今の状況自体、あり得なくなるね」
『つまり、不慮の事故が起きたということ?』
 ルータが、話を先読みする。
「ああ。あくまで推理だし、わからないことは色々あるが……なにせ、情報が少ないものでね」
 肩をすくめてから、グレンは目でロズに合図を送った。技術的な話は任せる、ということらしい。
「ああ……原因が何であれ、今のオレたちの状態は、一種のデータだ。その蓄積された記憶やデータを脳の中身に書き込んで覚醒状態にすればいい。データを転送して書き込む方法と、安全に覚醒させる方法が必要だ」
 言って、彼は懐から巻物を取り出す。
「ワープドライヴを利用した、データ転送方法だ。部品も半分はそろってるな」
 細かく書き込まれた、素人目には何を造ろうとしているのかさっぱりな設計図が、テーブルの上に広げられる。
 すかさずその上に飛び出すルータをよそに、ミュートは首をかしげた。
「仮想現実の中で作ったものを、使えるの?」
 彼女の問いに、技術者たちは苦笑する。
「確かに、きみの言う通りに徒労に終わる可能性もある。でも、ワープ自体は、きちんと現実世界のように動作するんだ。つまり、そこには現実と同じ理論が流れているわけだ……それを利用するには、知恵がいるけどね。悪意を持った第3者が事態を引き起こしたのであれば、もっと理論の通らない世界を作ったはずだ……希望的観測かもしれないが」
『いけるかもね』
 ルータが、技術者たちを喜ばせる一言をさらりと言った。シグナの弟機である彼は、VRDのこともシグナの次位に詳しいだろう。
『最大の難関はどうやって〈世界の壁〉を壊すかだけど、後で私が方法を教えてあげる。部品もすぐにそろうだろう。他にも、色々アドバイスできることがあると思う』
「ありがたい」
 皆の顔に、明るい兆しが表われる。
 ただ、ミュートは無表情だった。ルータの声もまるで他人事のようだが、皆そのことばの内容に聞き入っていて、気づいてはいなかった。
 しかし、ルータが続けた次のことばは、ルキシが聞き咎める。
『教えられることは、今夜全部教えてあげる。その設計図には、さすが、訂正することはないがね。しっかり計画を練ろう、私を解体しないなら、付き合ってあげる……今夜だけね』
「今夜?」
 ルキシはルータを見、ミュートを見た。
 その動作を見て、ルータのことばの意味を理解した一同は、目を丸くする。
「明日、発ちます。もう決めたことですから」
 誰かに止められる前に、少女は宣言した。
 決定事項であるかのような口調と、誰にも曲げられそうにない意志の光を湛えた闇色の目に、大人たちは、制止のことばが告げられなかった。

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