劇団のテントを出たミュートとルータは、散歩がてらに、周囲を散策してみることにした。ルータの地図と周囲の地理を重ね合わせ、できるだけ正確な現在位置を出すためだ。劇団のキャンプは、2人が気を失った場所からそれほど離れていないはずではあった。
強風にさらされながら、人の目を盗んでキャンプを離れる。誰かに見られると引き止められるような気がしたためだ。
『この辺りは、かなり大きな都市だったようだね。だから、機械部品もたくさんある。わりと被害の小さな地域もあるようだし』
瓦礫の向こうに、いくつか傾いた建物が見えた。ところどころ壁に穴が空いていたり、ひび割れが多かったりするものの、原形をとどめていない他の建物に比べれば遥かにマシと言える。
ミュートは瓦礫を乗り越え、時には迂回しながら、被害の少ない建物群の方向に向かって行った。
「ここらへんは、だいたいあのロズさんたちが調べただろうけどね」
『でも、彼らにとって大したことがない、私たちにとって重要な物が見つかるかもしれない』
「確かにね」
ことばを交わしながら、土台と壁の一部だけが残ったものの横を通り抜けようとする。
だが、壁の横から、脇に何もない場所に出ようとした途端、少女は違和感を抱いた。
一瞬眉をひそめ、その感覚の正体をはっきりとはつかめないまま、彼女は手を伸ばして空中のルータをつかまえる。そして本能的に半歩身を引くなり、横の壁の端が砕け散った。
「な……!」
叫びたくなるのをこらえながら、飛び散る破片をよけてさらに跳び退く。跳び退きながら横目で壁の向こうを見やると、少し不自然な輪郭を持つ人影が見えた。
『人間……!?』
ルータはミュートの腕のなかを飛び出すと、一気に高度を上げて相手の姿を確かめる。ミュートもまた、来た方向に走り抜け、壁の陰から出た。
黒一色の、やや丸みを帯びた、人型に近いロボットのようなものが、不気味な赤い目を輝かせて近づいていた。身長は2メートルもあろうかというほどで、右手の指が先端ですべてくっついたような部分を根もとに、鋭い刃が突き出していた。
完全な機械ではない、と、ミュートは判断する。身体の表面の大部分は鎧のような金属だが、間接部分などで、暗い緑色のなかが見えていた。そこは鼓動に合わせたように波打っており、見て気分のいいものではない。
「サイボーグ戦士……?」
突然、人造の存在らしい相手の膝の関節部が収縮した。
そして、収縮に反比例した跳躍。ミュートが突き出された刃をかわせたのは、条件反射に過ぎなかった。
よけたまま、下半身の力が抜けてへたり込みそうになるのを、少女は無理矢理動いた。ここで、動かなくては。やられるわけにはいかない、と、自分を鼓舞する。
冷静に相手を見ようとつとめながら、彼女は金属に覆われた左の拳をかわす。風圧で、生ぬるい風が頬をなでる。
冷静になると、ミュートには、世界がひどく静かに、落ち着いて見えた。人造戦士の視線がどこに向かっているか、今の体勢から移ることができる動作は何か、そこに乗せられた力はどれほどかが、瞬時に計算できる。
落ち着いてしまえば、何も怖いものなどない。生死の可能性や、その他の色々なことを頭のなかから追い出して、ただ、次の一手は何か、それに対する最良の策は何かの数種類のパターンを、思い描く。
彼女はただ、生き残ることを目的とする『勝負』に身を置いていた。
人造戦士が背後から打ち込んできた一撃を、彼女は膝をついて避ける。
「はっ!」
低い姿勢をとりながら、ミュートはポーチからナイフを抜いていた。手のひらに隠れるくらいの、平たい刀身をしたつや消しのナイフが、手品のように右手の中指と人差し指の間に現われた。
それが、人造戦士の膝の裏に突き立つ。ブチブチと弾力のある筋が切れる手応えが、ミュートの手に伝わった。
バランスを崩して動きがぎこちなくなったものの、人造戦士は素早く、脇に引き戻していた左手を振り下ろす。
ミュートは後ろではなく、突き立てたままのナイフを軸に人造戦士の股下をくぐりぬけて攻撃を逃れた。
『この……!』
馴染みのある声とともに、手に予想外の衝撃を受け、ミュートはナイフを引き抜いて相手から離れる。
ルータが体当たりを仕掛け、バランスを失っていた人造戦士は、そのまま、ドシャンと大きな音をたてて倒れた。
手で地面をかいてもがく相手の首に、ミュートはナイフを突き立てた。
再び、嫌な手応えがあった。赤黒い血が、地面に広がっていく。ミュートは我に返ると、慌ててナイフを放して後退る。
少女は、青ざめて両手を見た。
まるで、人間の息の根を止めたような感覚だった。そして彼女は、ナイフを刺す瞬間、それが当然の行動であるかのように思っていたのだ。
『ミュート……大丈夫?』
ルータの声も、恐怖の色を帯びていた。
ミュートは、思考を切り替え、動かなくなった人造戦士を視界の外にやった。考えないようにすれば、感情と切り離してしまえば楽だ。
「怪我はないよ。ルータは?」
『私も平気。勇気がいったけどね。それにしても、この戦士は一体……』
ルータのことばにつられて、ミュートは人造戦士に目をやる。その姿はすでに、感情を切り離した彼女にとって、ただの記号に過ぎなかった。
彼女はそばにしゃがみ込んでナイフを抜き、布切れで血を拭いて回収すると、手袋を取り出してはめ、人造戦士を仰向けにした。
『見たことがないな……流通してるロボット兵士とかじゃないね。生体部品を使った、適応能力の高い、なかなか高度なものだ』
正体を知る手がかりはなかった。ミュートは肩をすくめながら立ち上がる。
「ここにいるのは危険かもしれない。ねえ、どうする? 帰ろっか」
『そうだね。もしかしたら、このことを劇団の人たちは知らないかもしれない。だから、戻って報告したほうがよいと思う』
「うん、そうだね」
外にいたらしいロズやルキシは、寒さ対策はともかく、特に武装しているようには見えなかった。ミュートたちの運が悪いだけかもしれないが、近くで脅威と出遭った以上、注意しておいたほうがいいだろう。
そう思い、身体をキャンプの方向に向けかけたミュートを、ルータが呼び止めた。
『待って! 人がいる』
「えっ!」
ミュートは、目を丸くして振り返った。
傾いた2階建ての家のそばに、木の棒を組み合わせて作られた歪んだ十字架がふたつ、突き立てられていた。
その十字架の前で、1人の少女が手を組んで黙祷していた。年の頃は十歳前後で、長い茶色の髪をふたつに束ねている。
少女は凝視するミュートに気づくと、飛び上がって慌てて建物の陰に隠れ、首を突き出してのぞき見た。
『きみ! 無事なのか?』
ルータが大声で呼びかけると、少女は怯えたように首をすくめたものの、不安げに様子を見ながら姿を現わす。
「大丈夫、心配しないで。私たちはきみの味方だよ。きみは……ここに住んでいるの?」
ミュートが声をかけると、自分と余り歳がかけ離れていない人間の声を聞いて少し安心したのか、少女は興味津々で歩み寄って来る。
「あたし、リエナ……そこの家に住んでたの。お姉ちゃんたちは?」
怯えたような、それでも期待を含んだ声で、彼女は問うた。
「私はミュート。で、この超小型探査艇は、ルータ」
『よろしく、リエナ』
ミュートは、リエナに歩み寄った。ミュートも小柄なほうだが、リエナはそのミュートの肩までもなく、外見からして子ども子どもしている。とても、荒廃した世界で孤独に生きていけるようには見えない。
「きみは、あの家に住んでいたと言ったね……今まで、世界がこうなってから、他の人間に会ったことはあるかい? それに、食べ物とかはどうしてたの?」
「他の人に会ったことはないよ。食べ物は、うちにたくさんあったの。うち、食べ物屋さんだったから」
「ふうん……」
リエナの家に住んでいたのは、当然、少女だけではなかったはずだ。だが、ミュートとルータは、あえてお手製の墓のことを聞こうとしなかった。
『リエナ、もっと安全な場所があるんだ。一緒に行かない? すぐ近くだよ』
リエナは、首を傾げて、少しの間考え込んだ。
家族との思い出が残る、この家を離れたくない――
この幼い少女が、そう答える可能性もあった。その場合、ミュートは無理矢理にでも連れて行くつもりでいる。
しかし、彼女の危惧は取り越し苦労に終わった。
「うん……1人じゃ、寂しいしつまんないし。一緒に行っていい?」
『もちろんだよ、リエナ』
ルータが嬉しそうに即答した。
『ところで、まだ食料は残ってるかな? 残ってたら、できるだけ持っていきたいんだけど……』
「少なくなっちゃったけど、まだあるよ。案内してあげる」
すっかり信用しきったのか、リエナは快諾した。年端もいかない少女が、幾日もの間、1人きりでいたのだ。ようやく出会えた人間たちにすがりたくなって当然だった。
ドアが傾いた玄関から家に入っていく少女を追いながら、ルータがミュートの頭の高さまで高度を下げた。
『彼女……純粋に、この世界の人だね』
声を抑え、ミュートの耳元でそうささやく。
ミュートははっと顔を上げた。彼女自身もルータも、それに劇団やロズたちも、皆、エルソンのVRDを利用し、この世界にさまよいこんだはずだった。しかし、リエナは違う。この世界の、もともとの住人だ。
「そうか……じゃあ彼女、この世界で生きていかないといけないんだ」
元の世界に戻れば安全が確保される、自分たちとは違う。そう考えると、ミュートは少し暗い気分になった。
一方、長い髪の少女は明るく、軽い足取りで廊下を先導していく。横手にある階段といくつかのドアを通り過ぎながら、突き当たりの、両開きの扉に辿り着く。扉は、片側が引き裂かれたような断面を見せながら、傾いて隙間を作っていた。
リエナに続き、少し扉を引き開けてミュートが侵入する。嫌な匂いが鼻をついた。どうやら、食料には無事でない物も多いらしい。
倉庫代わりの大きな部屋は、小さな窓がひとつあるだけで、薄暗かった。天井と壁はひび割れ、何かコードが垂れ下がり、不気味である。
「あの箱の中に、缶詰が入ってるの。もう、残り少ないけど」
「じゃあ、私が取ってくるから、待ってて」
ミュートは言い、奥に進む。
リエナが指し示した箱は、クモの巣のようにからみ合い、垂れ下がったコードの下にあった。天井の一部が今にもはがれ落ちそうで、安全地帯とは言えない。
一歩踏み出すたびに、床がギイギイと鳴った。床が崩れ落ちるんじゃないだろうか、という心配をすぐに意識の外に押しやって、慎重に、真っ直ぐ目標への歩みを進める。
やがて、箱の中身が見えた。一抱え分ほどの、魚や肉料理、果物など、様々な種類の缶詰が転がっていた。
それらをすくい上げようと、腰を落とし、手を伸ばす。
ギリギリと何かを引っかくような音が、かすかに耳に届いた。
それが、即座に耳障りな爆音に変化する。
ミュートは、腰を伸ばして振り返り、見た。それがその瞬間での、彼女の限界だった。
黒光りする腕が、ガラスの破片を飛び散らせながら、窓から伸びている。それに続いて、兜をかぶったような頭部と、やはり鎧を着けたような胴体が空中を横に直進する。腕の先に伸びた刃と赤い目は、立ちすくむ少女を狙っていた。
『さがって!』
ルータが軽く少女に体当たりしながら、間に入る。リエナはバランスを失い、尻餅をつきそうな体勢になった。
その前に、刃の先はルータに届く。
ミュートは、ポーチに手を伸ばそうとする。だが、目標を視界に捉えるまでが遅すぎた。
「く……」
間に合わないと直感しながら、ナイフを手にする。
そこで、刃とルータの間に、蒼白い火花が散った。
刃が探査艇の金属の表面を削っている――わけではなかった。見えない壁のようなものが、刃に抵抗しているのだ。
動きを止めず、彼女はナイフを放った。続けて、4本。
その4本はすべて命中し、人造戦士を壁に縫い付けた。壁が、赤黒い液体で塗りたくられる。
ミュートが動きを止めた人造戦士を凝視しているうちに、ルータが落下した。同じく、尻餅をついたまま茫然としていたリエナが、慌てて足もとの探査艇を抱き上げる。
「ルータ、大丈夫かい?」
立ち尽くしていたミュートも我に返り、駆け寄った。
『大丈夫……少し怖かったし、疲れたけれどもね。それに、驚いたよ。今の力は……』
その先は、ミュートにはわかった。
彼女もまた与えられた、使命を果たすための力。ASの力だ。ルータは無意識のうちに、その力を操って身を守ったのだろう。
その力を自由に使いこなせれば、人造戦士も簡単に葬り去れるのではないだろうか。
「……ここにいれば、また襲われるかもしれない。早く立ち去るのが得策だろうね」
ミュートは強力な力に対する欲求を断ち切ると、ナイフを回収し、缶詰を箱ごと抱え、まだ身体が半分硬直したような状態のリエナの手を引いて、建物を離れた。
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