NO.14 決着 - 因縁の終焉

 目の前に巨大な存在が在る。押し潰されそうなほどの威圧感と、『いつ、あの砲門の闇が光に満ち、こちらに向けられるか』という、限りなく事実になり得る恐怖。そして、その砲門に対して、自らの小ささに、人々は怯えるだろう。
 だが、その姿が画面全体に迫っても、キイ・マスターとその相棒は怯むことは無かった。
「AS搭載船3機を向こうに回しても恐れないその精神力には感心するよ……でも、今の私たちはわけが違う」
 キイはモニターの前に立ち、静かに言う。
 彼女は、接近するにつれて、〈ヘカトンケイル〉内のAS使いの精神が気の流れとなって辺りを取り巻くような感覚を抱いていた。少しずつ、相手の心の色が濃く見えるようになる。相手も、彼女の心を感じているだろう。
 今なら聞こえるのではないか。そう思い、ことばを続ける。
「ここにはAS使いが2人いる。でも、そんなことは問題じゃないんだ。数が増えただけでは、結果は同じだろう。しかし……想いの共鳴は、1足す1を3以上にもする」
 あなたは、誰との共鳴で精神を支える――?
 声のない問いかけが、球を描いてモニターの前に集まる光の中に消えていく。
『ルーインコード、セット。照準確認』
 キイは、無感動に、だが肩をすくめてうなずく。
『ASディザスター、発射』
 光が広がっていく。
 そのとき、世界がひとつになった。
 辺りに満ちたひとつの〈想い〉が、周囲のそれと共鳴する。その、一瞬だが長く感じられる時間、キイはAS使いたちの意思を見る。世界は、様々な存在の意思の葛藤により形作られている。その意思が、彼女らの脳裏で露呈される。
 キイは立ちはだかる敵を突き破るように動く。彼女がすべてを見極め無情にただ〈判断するもの〉なら、ゼクロスは敵をも救おうとする〈癒すもの〉だろう。だから、いつも攻撃は必要最低限に留められる。キイはそれを必要な相互作用だと認めていた。〈判断するもの〉が認めなければ、破壊の結果もまた違ってくる。
 一方、ランキムはロッティに忠誠を誓っている。その判断は大抵ロッティに委ねられる。ランキムは自らの意思で艦長に同調する。方向性は対照的であっても、レックスとノルンブレードもそれに近い。
 そして、ナシェルはどうなのか。
 透かし見えた彼の精神は、大勢の中にありながら孤独だった。誰とも想いを重ねようとはしない。
『想いからも自由になろうってのか……
 レックスの声は、光が薄くなるとともに小さくなっていった。
 メインモニターで、完全に機能を停止した戦艦がボロボロの姿を晒している。それでもなお、それは動いていた。
『ASの力だけで無理矢理動かしているようです……今、ブレードが対称方向から接近中』
「後は任せるか……
 席に腰を下ろし、キイは珍しく神妙な顔でつぶやいた。

 コンソールは火を噴き、あらゆる画面が危険を告げている。退避勧告をする機能など存在しなかったが、ブリッジのスタッフたちは自主的に脱出していた。それを、誰も止めはしない。
「もうだめだ、脱出しましょう! さあ、あなたも」
 床に倒れたまま動かないオペレーターをまたぎ、ミューノは席から1歩も動かないナシェルに声をかけた。炎は壁際で燃え上がり、ブリッジ内は異常に熱い。青年の蒼白い頬を汗が伝う。
 ナシェルは目を閉ざしたまま、微動だにしなかった。
「ここにいたら、蒸し焼きになるだけだ。計画を練り直そう」
 辛抱強く声をかける。しかし、反応はない。
 だが、あきらめかけたそのとき、炎の音に消されそうな、小さな声が答えた。
……逃げたい者は、逃げればいい。私は自分の心の赴く場所にいる。誰にも邪魔はさせない」
 その声は決して活力を失っていないが、どこか、不気味なものを感じさせた。
 ナシェルに一種の愛着はあるが、ミューノはむしろ、ここに残っていては邪魔者として処分されそうな気がした。殺気とはまた違う死の気配のようなものが、目の前の美しい青年から漂ってくる。
 ブリッジの入り口に引き返し、何か最後に声をかけようとして、ミューノは結局何も言わずに出た。どんなことばも、今のあの男には相応しくない――そんな思考が彼の頭のなかをよぎった。
 ブリッジは、オレンジに染まっている。床に倒れてすでに絶命している人間が2人ほどいた。その遺体と同じように、ナシェルは動かない。
 だが、不意にそのまぶたが持ち上げられた。
「遅かったな」
 後ろに向けられた目は、うって変わって力強く輝く。
 彼の瞳に捉えられたのは、彼と同年くらいの男の姿だった。頭に色とりどりのバンダナを重ねて巻いた、いかにも明るそうな青年である。
 青年――宇宙海賊レックスは、いつになく引き締まった表情をしていた。鋭い目が、相手に突き刺さる。
「もう逃げ場はねえぜ、ナシェル。大人しくしな」
「それは、こちらのセリフだ」
 ナシェルの右腕に、ASがあった。その装置を見て、レックスの表情が険しくなる。
「海賊は奪うもの。お前からブレードを奪ってやろう。そのためにまずは、お前の安全を奪う」
「やってみな」
 レックスは鼻で笑う。彼は、武器を手にしようともしなかった。
 ナシェルは苦笑し、軽く手を上げる。白い光線が天井から降り注ぐ。レックスは床を転がってそれをかわす。
「昔と変わらない。身軽だな」
 光線の雨が勢いを増す。床を転がり、炎のそばで一瞬動きの止まったレックスの右ももを、細い筋が貫いた。彼はわずかに顔をしかめつつ、炎から跳び退く。
「逃げ足と器用さ、それにズルさは海賊の必需品でね」
 レックスは痛みをこらえ、にやりと口もとをゆがめる。
 彼と対峙する男は、どこか悲しげに言った。
「お前は天性の海賊だったよ、レックス。私が1番望むものを奪って、決して届かない場所に持っていってしまった」
 意外なことばに、レックスの表情が変わる。
 何の予兆もなく、風を切る音が鳴った。彼の頬を見えない刃が切りつけていた。
「お前……あいつのことを」
「古い話だ」
 形のいい唇の端に、自嘲めいた笑みが生れる。
 かつての彼らの仲間、メカニックの女性。彼女はノルンブレードを制作して間もなく、些細な事故で亡くなっている。その死の情報を、ナシェルもどこかで得ていたらしい。
「お前は……
 片足を引きずりながら、レックスは相手に歩み寄っていく。
「お前は、何から自由になろうとしている? お前が自由になろうとしているのは、あいつへの想いからか」
「違う!」
 不意に、ナシェルは叫んだ。
「私がめざすのは体制からの自由。彼女はそのための手段だったに過ぎない。利用していただけだ」
 彼はレーザーガンをかまえた。それを、レックスの額にポイントする。
「そろそろ降参したらどうだ?」
「そういうのは、性に合わなくってね」
 銃口がわずかにずらされ、トリガーが引かれた。レーザーは相手の左の足首を撃ち抜く。
 レックスは転び、席に手をかけ、身体を引きずるように立ち上がる。
「ブレードには、手を出すなと言ってある。始末するなら、早く始末したらどうだ、ナシェル? オレの命を奪うのも、立派な海賊行為だろ」
 大分熱気が充満している。額に汗をかきながら、レックスは笑った。痛みのせいで、少々ぎこちないが。
 ナシェルは答えず、レーザーガンをかまえたまま、無言で海賊の姿を凝視している。ゆっくりと、確実に大きくなってくるその姿を。
 引き金に手をかけているのはナシェルなのに、レックスのほうが、まるで獲物を狙って舌なめずりをする獣のようだ。
「お前、自分の手で奪おうとしたことあんのか? ブレードのモデル以外によ」
……黙れ!」
 ナシェルの指先に力が込められる。
 同時に、レックスは手を伸ばした。その手には、白い筒のようなものが握られている。
「なに……!」
 レーザーは放たれず、ナシェルはすぐに、エネルギーが切れていることに気づく。
「オレは海賊だ」
 レックスが笑う。彼が握る筒状のものの先から、光の柱が生まれた。突き出される切っ先を、ナシェルはASによる結界で防ごうとしたが、その結界はひどくもろかった。
 刃が、ナシェルの胸を捉えた。
「彼女が……彼女が私を囚えていたというのか……
 ことばとともに、血が吐き出される。
「違うね。お前は自分の野望の世界に捕らわれ、自分自身の想いすら鳥かごに閉じ込めてしまったのさ。お前は、自分の感情を無視した……自由は、感情のない計算だけの心で感じ取れるものじゃない」
 室内の気温がかなり上がっていた。レイブレードを収めると、レックスは大きく息をつく。
『大丈夫ですか、キャプテン』
 耳もとの小型スピーカーから、かすかに心配そうな声がする。内心ほっとしながら、彼は笑った。
「ああ、フォローすまなかったな。上手くエネルギーを奪ったもんだぜ。助かった。傷は痛むが、そんなに心配か?」
『とにかく早く帰ってきてください。私はこれ以上、その爆発しそうな戦艦のそばにいたくありませんので』
 平然とした声に、レックスは苦笑を浮かべながらブリッジを出た。

『巻き込んだようで悪かったな、キイ、それにGPの旦那』
『元GP刑事だ』
 海賊のことばを、ロッティが即座に訂正する。席にもたれかかってやり取りを聞きながら、キイは現役のGP刑事がいたらありえない会話だ、と思っていた。ランキムが通報したので、間もなく現役を乗せたデザイアズがやってくるだろう。
『子どもたちは、すでに知り合いに頼んで送っている。航宙管理局に問い合わせてみるといい』
『はい、確認しました』
 オリヴン航宙管理局のデータを呼び出し、ゼクロスは一瞬で確認作業を終える。
『素直なことはいいことだな。まったく、こっちとは大違い――』
 スピーカーから、ドタン、という音がした。
『いてててっ、ブレード、何しやがる!』
『あなたが余計なことを言うから、気が散るんですよ』
『賑やかな連中だなー』
 騒がしい物音と同時に、ロッティのぼやきが聞こえた。
 ひと通り騒ぎが収まると、レックスは気を取り直して声をかけてくる。
『まあ、そんなことで、キイ、ゼクロスを大事にしろよ。あんたは手段を選ばないところがあるそうだからな……そうだ、いっそうのこと、海賊にならねえか? きっと向いてるぜ』
 不意に、その口調が低くなる。
『体制に納まるヤツじゃねえだろう……自分の世界を築く力もある。自由の空気が似合うと思うぜ、あんたにはな』
 キイは一呼吸の沈黙のあと、小さく笑った。
「すべてのものから自由になろうとすれば、すべて自分で決めなくてはいけないという不自由に縛られる。そんな面倒臭いこと、御免だね」
……それがあんたの答か。なるほど、な』
 どこか感心したような声が応じる。そこへ、ゼクロスがことばを挟んだ。
『キイ、面倒臭がり屋ですしね。通信のやりとりくらい、自分でしてください』
「いいじゃないか。きみの存在意義のためだよ」
『交渉も航行も私任せ……それだと、あなたの存在意義は悪人を殴るくらいですね』
「いいんだよ、それで」
 あっさりと言いながら、キイは『全惑星種に対応-関節技100選-』と表紙に書かれた本をめくった。

 GPは〈ヘカトンケイル〉から脱出したそのスタッフたちに話を聞き、早速調査を開始した。デザイアズが駆けつけたときはすでに巨大戦艦は破片を撒き散らしながら爆発を繰り返し、原形を留めないまでになっている。飛び散る破片には大気圏中で燃え尽きない大きさのものも少なくなく、ミルドを含む周囲の惑星は航行機を飛ばし、あるいは人工衛星の機能で、斥力や砲撃を利用して地上を守った。
 少しづつトラム研究所に侵入し、支配していたナシェル・ニアトリンが中心となった事件であることは後に数々の証言で明らかになるが、当人がどこにも見つからず、その出身地すら明らかでないため、捜査が終わった後も目的や動機は不明のままだった。
『よかったですね、皆、無事で』
 オリヴンのラボ〈リグニオン〉に戻ったキイとゼクロスは、まずミライナと孤児院の子どもたちの顔を見た。ミライナの話によると、彼女らをベルメハンまで送ったのはある運び屋らしい。
「ま、怪我がなくて何よりだよ。海賊は丁重にもてなしてくれたみたいだね」
「ええ。でも、緊張の連続で疲れたわ」
 ミライナは疲労の色が現われた顔に、うっすらと苦笑を浮かべる。なれない体験のためか、子どもたちもいつになく大人しかった。
『こんなことになってすみません。またいつか、きちんと宇宙散歩に行きましょうね。遠くの星でもいいですよ』
 気を使ってか、ゼクロスが優しく子供たちに声をかける。すると、まだ少し緊張気味だった子どもたちの顔に嬉しそうな笑みが広がっていった。
「じゃあ、エルソンに行こう! 色々おもしろいのがあるんだって」
「えー、〈ギガコスモポリス〉のほうがおもしろそうだよ」
「せっかくだから、〈果て〉に行ってみたいなー」
 賑やかに希望を言い始めた子どもたちを見て、ミライナはほっとする。
「そろそろお暇させていただくわ。長い間ここにいては、作業の邪魔でしょうし」
 〈ヘカトンケイル〉との交戦で、ゼクロスも多少のダメージを受けている。マリオンら技術者陣はすでに修理を開始していた。
「ああ、気をつけて」
「また今度な」
 キイと、読んでいた資料から顔を上げたアスラードが声をかける。それに答えて、手を振る子どもたちとミライナがワープゲートに消える。
『キイ、子どもたちは無事に戻りましたけど……
 子どもたちの姿が消えて間もなく、ゼクロスは小声でキイに声をかける。彼の言いたいことに、キイだけでなく、周囲のスタッフたちも気づいていた。今、その姿がラボの中に存在しない人物のことだ。
 コーヒーを手にして一息入れていたバントラムが、溜め息混じりに振り返る。
「私が保護者として責任をとらなければならないが……今彼女をここに連れ戻すと、GPに色々詮索されるかもしれん。だが、あの娘の帰る場所はここだよ。早く見つけ出さないと」
「彼女はオーサー教授のもとにいますよ」
 キイが口を挟んだ。彼女の次のことばを待って、辺りが静まり返る。
「安全は保証します。教授は考えさせることが上手いから、しばらく教授のもとにいるのもいいかもしれない。自分の意志でまたここに戻ってこれるまで……
 無理矢理連れ戻しても、心の中でひとつの決着が付かなければ、ただ周囲の雰囲気に流されるだけだろう、とキイは思っていた。自分を騙して生活するのも悪いことではない。時々、嫌なことを思い出すくらいだ。それで折り合いをつけて生活するものもいる。
 だが、歪みはいずれ、何かの引き金となるかもしれない。
『本当に大丈夫でしょうか……? ラファサは、私たちに罪の意識を抱いているでしょう。それに……彼女は人間ではありません。失礼な言い方ですが、教授の専門は生物学です』
「それが、教授はしばらく、ファジッタの大学に出向くことになったのさ。トラム研究所には知り合いもいるそうだから、心配ない」
『それは、ラファサのトラウマを刺激するのでは……
「問題と向き合わなくてはいけない。事実を認めなくては、戦力計算はできないだろう。それに……ファジッタには、きみの師匠がいるじゃないか。強力な精神と、心をやわらかくする技術のスペシャリストが」
 師匠とは、心理学、特にカウンセリングの専門家、ベッキィ・マイト博士のことである。ゼクロスにカウンセリング技術を仕込んだ人間だ。キイとゼクロスは何度かファジッタを訪れたことがあり、名医として有名なドクター・フランクリンとも顔見知りである。両方のファジッタ人とも、ゼクロスの技術協力を受けたことがある。
『私の心をも救ってくれた方ですね……。ファジッタにはアーティもいますし、環境はこれ以上ないほど優れている。教授にお任せしましょうか……
 納得した様子ではあるものの、ゼクロスの声は少し寂しげだった。
「まあ、いずれまた会えるさ。何年もいなくなるわけじゃないんだから」
『でも、教授もラファサも、1度にいなくなるなんて』
「会いたい時に会いにいけるでしょう」
 エイシアが苦笑しながら、ゲートに近づいて来る。その腕の中から毛の塊が身軽に飛び降り、みゃー、と鳴いた。
『ああ、フーニャ、あなただけはどこにも行かないでくださいね~』
 それに答えるように、子猫は再び鳴き声をあげる。
 それを見た〈リグニオン〉のスタッフたちから、笑い声が洩れた。

 翌日、遅くとも昼過ぎにはやってくるはずのキイは、なかなか姿を見せなかった。
『遅いですね……ラファサに会いに行っているのでしょうか?』
 ほとんど修理は終わっており、ラボ内にスタッフの姿は少ない。いつも通りのオペレーターのエイシアの他は、アスラードが椅子に座り、資料をチェックしているくらいだ。
「そうかもな……
 アスラードは顔を上げることなく、小さく応じる。
 その様子がどこかいつもと違うことに、ゼクロスは気づいている。だが、あえて何も聞かなかった。沈黙を嫌がるように、エイシアの膝の上で丸くなっているフーニャが鳴く。
 すでに外は夕焼けに染まっていたが、ゼクロスは待ち続けた。
 しかし、待ち人は、2度とベルメハン上空のラボを訪れることはなかった。

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