モニターに映る闇色の海は、いつもと変わりなく星々の光を浮かべていた。サブモニターにゆっくりと、『船の墓場』と呼ばれる、廃棄された船が漂う光景が近づいて来る。その向こうには、衛星ミルドのくすんだ姿が見えた。
「異常はないか?」
背もたれにコートをかけて艦長席に腰を下ろしたまま、ロッティは短く問う。ブリッジは人間の姿ひとつだけに対して広く、どこか寂しさすら感じさせる。
その大きすぎる隙間を埋めるように、落ち着いた合成音声が響く。
『今のところ、ネラウル系内に航宙管理局登録ルート外のルートを航行中の宇宙船等はありません。また、ワープ関連の空間擾乱現象も感知できません』
以前から、ネラウル系の惑星ネラウル第2衛星の周囲には、海賊が出没するという噂があった。そして、実際に宇宙海賊レックスとその宇宙船が姿を見せたこともある。
「ガーベルドンには確認済みだな?」
『はい、艦長。オンラインで通じるところにはすべて確認済みです。あの巨大戦艦の行方は不明のままです』
すでに状況は、ギャラクシーポリスにも通報されている。あらゆる惑星の航宙管理局が、管轄下の領域に目を光らせていた。
「今は、待つしかないか……」
溜め息混じりに言い、背を伸ばす。どんなに焦れったくとも、絶対的な一瞬のタイミングを待たなければいけないときがある。それは刑事時代に嫌というほど思い知らされた、経験上の教訓でもある。
長期戦を覚悟したロッティだが、間もなく、ランキムが事務的な報告をした。
『後方約1キロメートルに空間の擾乱を感知。接近しますか?』
突然のことに、ロッティは腰を浮かしかけた。
「いや……針路修正後、探査艇1機とサーチアイを2機射出。メインドライヴ起動準備」
『了解しました』
艦内に、シュッという音が3度、小さく響いた。間もなく、探査艇と2機のサーチアイがレンズに捉えた映像を送ってくる。
深淵の闇に瞬く星々の光景が歪み、円状にくぼむ。そのくぼみの中から、大きな質量が飛び出してくる。ランキムはその質量を、小型宇宙船と同等程度と計算する。
異なる角度から異変を映すモニターに、ロッティは釘付けになった。
やがて、画面の中心に、見覚えのある宇宙船の姿がせり出してくる。
「本物なのか……?」
驚きながらもまず疑問が口をついて出るのは、長年刑事としてやってきた経験の賜物か。
ランキムは一呼吸の間を置いて答える。
『AS搭載船には違いありません。呼び出しに対して応答がありませんが、多方面と交信中のようです……今、惑星間ネットワーク内の一部のホスト・コンピュータの映像記録が差し替えられました』
「間違いない……」
天井を一瞥して、ロッティは再び画面上に視線を戻す。
画面のなかでは、紺の翼の小型宇宙船が、何かを待つようにたたずんでいた。
広大なブリッジでは、十人のスタッフが整然と持ち場についていた。段差の1番上で、黒髪の美青年、ナシェル・ニアトリンが満足げに辺りを見回している。
そこへ、スライド式ドアから、背の高いスーツ姿の男が姿を現わした。
「首尾はどうです、ニアトリンどの」
コンソールのモニターに目を落としていたナシェルは、かすかに笑みを浮かべ、顔を上げる。
「上々、とまではいかないが、満足のいく成果だよ。あとは、標的が現われるのを待てばいい。一瞬で標的の元まで行ける」
「問題は、捕獲できるかどうかでしょう。前の失敗もある」
「ああ、相手も優秀なAS使いだからな。今度は油断しないさ。ASを使って全力で仕留める」
力強く言い、メインモニターに目を向ける。その闇色の瞳は、何者も彼の行く手を阻むことなどできないという、自信に満ちていた。
そのとなりにあって、ミューノ博士は不安を覚えていた。彼は、ナシェルが力を得るために、どれほど綿密に計画を練り、危機を乗り越えてきたかを知っている。そして、必要ならば手段を選ばない男――つまり、必要になれば自分を切り捨てることもためらわない男だということも。
切り捨てられるかもしれない、という不安。そして、そんな信頼できない男に、部下がついていき続けるのだろうか。この男は、海賊たり得るのか?
そんな科学者の思考を、若いオペレーターの声が中断させた。
「艦長、出て来ました、ゼクロスです! ネラウル系内にワープアウトして来ます」
「そうか」
腕を組み、ナシェルは満足げにうなずく。
「AS超拡張ドライヴ起動。全兵装、用意しておけ。近くにあいつもいるだろう。まあ、今となってはノルンブレードなど取るに足らない戦艦だ」
言って、彼は鼻で笑う。
「この戦艦、〈ヘカトンケイル〉にとってはな」
おぞましい、そして威圧感すら伴ったその名。
それが、彼の求める、理想の中の彼自身の姿だろう。
肩をすくめてナシェルから目をそらしたミューノは、巨大なメインモニターに集中した。
ワープインすると画面の中の闇が深くなり、それが星々の光を覆い隠す。黒一色の巨大な画面の端に、ただワープ中を示す文字列だけが赤く輝いていた。
ほんの十秒ほどその状態が続き、パイロットが「ワープアウト」と短く声をかけると、画面の映像が切り替わる。そこに突如として現われた映像は、求める小型宇宙船の姿だった。ブリッジ内に、小さく歓声が洩れる。獲物を前にした狩人たちの歓喜だ。
ナシェルの目にも、爛々とした鋭い光が宿る。
「サーチアイ3機と探査艇を2機射出。近くにノルンブレードもいるはずだ、付近を見張れ。レーザー砲用意」
指示を下しながら段差の低い階段を降り、艦長席に座る。手すりに並ぶボタンのひとつを押し、彼は意識を集中した。
巨大な戦艦が、手足のように感じられる。辺りから他の人間たちの姿は消え去り、ナシェルは己を戦艦ヘカトンケイルとして意識した。辺りに広がるのは無限の宇宙。そして正面に、どこまでも深い闇に対してちっぽけな存在が、静かにたたずんでいた。
彼は、センサーの感度を上げる。重力に引かれて漂う小惑星群とスペースデブリ、その向こうに廃棄された宇宙船群と衛星ミルド。その狭間に、普段は存在しない質量があった。形態は、ややいびつな球。明らかに人工のものだ。それが、7機。
「サーチアイか……」
予測していたことだ。サーチアイにもいくつか種類があり、高価な物はデブリなどとほとんど変わらない反応を返す。実際は感知した数の2倍はあるだろう、とナシェルは判断した。
「撃墜しますか?」
「いや、いい。結界を展開しながら接近しろ」
部下に答え、画面をにらみすえる。宇宙船XEXの姿が近づいて来る。
いつ、画面の中にノルンブレードが現われるか。ナシェルは目の前の船自体より、そこに注目していた。
「ロックオンされています!」
不意に、オペレーターが叫んだ。
「回避」
下部スラスタが点火し、〈ヘカトンケイル〉の巨体が素早く滑る。ミルクをこぼしたような白い光が、船の腹をかすめた。
「ダメージ、微量。反撃しますか?」
「いや。重力波で動きを封じて接近しろ」
戦術担当に面倒臭そうに応じ、ナシェルは結界に集中する。ASによる攻撃が最も警戒すべきものだ。
続けて放たれた魚雷を結界で受けながら、〈ヘカトンケイル〉はゼクロスのすぐそばまで接近した。
刹那、光がモニターを横切る。
「来たか!」
機体が揺れる。サブモニターのひとつが内部の損傷箇所を赤く浮き上がらせるなか、ナシェルはむしろ、歓喜の声を上げていた。船と感覚を同化させ、攻撃の発射地点に注意を向ける。
そこにあった姿は、彼が予想していたものではなかった。
白を基調とした機体に、紺の翼。白銀に輝く輪に守られた小型宇宙船は、〈ヘカトンケイル〉正面にある物と寸分違わない。そして、急接近するその姿を見ながら、ナシェルは〈ヘカトンケイル〉前方の気配が変わらずそこに在り続けているのを感知している。瞬間移動などではないのだ。
ほんの一瞬、彼の集中に動揺が生まれた。それを見計らったように、モニターが光に染まる。
「前後からの同時攻撃です! 避けきれない――」
オペレーターの金切り声が響く。
それを聞きながら、ミューノは目を閉じた。
透明な天井を通して、シャトルが遠ざかって行くのが見えた。常に人工の大地の上空を覆っているチリが爆風に飛ばされ、黒い筋を引く。黒のなかに、いくつかの光の点が見えた。
チラリとだけ上に目を向けていたキイは、すぐに奥の通路に歩き出す。通路の先には、出口があった。第2衛星ミルド管制塔に付属の飛行場と危険な外界を結ぶ、透明で高度な技術による扉が使用されている。
本来なら管制塔の許可が必要なところだが、キイは何事もなくドアのあるべきところへ足を踏み出した。センサーがそれを感知し、本来のドアが消える一瞬前にキイの背後にドアをつくり出す。ドアと同じく、有害な物質のみを除外する膜が彼女の身体を包んでいた。すべては、ASによる業である。
枯れた木や焼き切れた何かの部品が散らばった大地を歩き始めたキイを、上空から、突然の光が照らした。キイはジャケットのポケットに入れていたサングラスを素早く取り出してかけ、空を見上げる。
白っぽくもやのかかった空のわずかな闇から、急接近する船の姿が見える。続いて、音量を拡大された声が響いた。
『キイ、何してる! とにかく、早く乗れ』
ロッティ・ロッシーカーの声だった。飾り気のない戦艦が百メートル近く離れたところに着陸し、爆風で砂埃が舞う。目を閉じて腕で顔を覆うキイに、少しの間砂混じりの風が叩きつけた。
風が収まったときには、ランキムはラダーを降ろしている。キイはそれを駆けのぼった。
「上じゃもう戦いになってるぞ。それにしても、よくここまで来れたな」
ブリッジに見知った姿が入って来るなり、ロッティは航法システムに再浮上を指示する。
「バスと、ヒッチハイクでね。それより、状況は?」
「見たほうが早いだろう」
ランキムは機首を真上に向け、一気にミルドの薄い大気圏を抜ける。『船の墓場』の横に回り込んだとき、損傷を受けた巨大な戦艦が画面中央に飛び込んできた。戦艦の表面には、叩き潰されたようなクレーターが刻まれていた。ところどころ、潰れたなかの様子が剥き出しになっている部分もある。
戦艦の周囲には、探査艇の他に、見覚えのある船が2機。
『キイ、やっと来たか。どうだ、いい眺めだろ?』
ランキムが無言でノルンブレードの乗員からの通信を取り次ぐ。ゼクロスの姿を偽装していたブレードは、今は紅の翼に戻っていた。巨大戦艦を挟んで向こう側に、紺の翼の船も見える。
「まだ油断はできないよ。未知の技術を持った敵だからね」
『わかってるさ』
ブレードの放ったレーザーとゼクロスのグラビティボムが同時に敵艦を襲った。細かく震えながら、敵艦は反撃のレーザーを発射する。
『回避。敵艦移動。スターボード、ベータ13』
ランキムが事務的に言い、直進してきた攻撃を避ける。ブレードは避けながら攻撃を続けた。すでに、巨大戦艦の外郭が元の形状を留めないほどになっている。
『そろそろ決着をつけるぜ!』
レックスの嬉々とした声が響く。直後、ランキムが報告した。
『強大な出力の収束を感知』
「一応バリアを張って後退だ」
ランキムと同じく、画面の奥でゼクロスが距離をとる。周囲の船が退避を完了していないうちに、ブレードは光を放った。
眩しさに、ロッティは目を細める。メインモニターは白以外の色を映してはいない。キイは、サングラスを通してじっと前方を見ていた。
光が収まるまで、十秒以上がかかる。その間、ランキムはゆっくりと横に移動していた。
『……レーザーを感知。後ろからです。回避済み』
「後ろ……?」
サブモニターに目をやるとほぼ同時に、光が薄れた。横にやりかけた視線をメインモニターに戻して、元警部は表情を変える。
「船の中から……別の船だと」
画面中央に、先ほどまでとは違う船が出現していた。ひと回り小さいが、それでも一般的な宇宙船と比べると巨大である。円柱に近い機体は半透明で、中央に走る光の柱が透かし見えた。キイは、宇宙の使徒たちの聖船〈アトラージュ〉を思い出す。
『ブレード、損傷24パーセント。敵艦……〈ヘカトンケイル〉と名のる船より通信が入っています。接続しますか?』
珍しく、ランキムの声が戸惑いのような揺らぎを示した。眉をひそめながら、ロッティは黙ってうなずく。音声と同時に映像が転送され、メインモニターのなかの画面が切り替えられる。
黒髪に色白な肌の、整った顔の青年が席に腰を下ろしていた。
『初めまして、ロッティ・ロッシーカーどの。そちらに、ゼクロスのオーナーどのがいらっしゃるようですね。少しの間、お時間を頂戴しますよ』
「……何か用かい?」
相手の出方を確かめるように、キイはゆっくりと言った。
『こちらとしては、素直にゼクロスの所有権を渡してくれるとありがたいのだがね。考えてもらえるだろうか?』
キイは表情を変えず、しばらくの間反応しなかった。だが、やがて口を開いたとき――彼女は笑みを浮かべていた。
「それはできないね。私の一存で決められることじゃない。いつまでも、私がオーナーでいられるわけでもないしね……」
そのことばに、ロッティは不思議そうな顔をする。ナシェルも意外そうな顔をするが、すぐに仮面のような無表情に戻した。
『そうか』
たった一言を残し、通信が切れた。同時に、横に引っ張られるような衝撃が叩きつける。クルーたちは椅子にしがみついた。
『左舷尾部被弾。損傷3パーセント。一部回路断絶、自動修理中。復旧まで約30秒。攻撃は敵艦の探査艇とサーチアイから発射された模様です。同時にノルンブレードとゼクロスも微量の損傷を受けた模様です』
闇の中に放たれた多くの探索機が、自動的にレーザーを撃ち続ける。すぐにエネルギー切れになるだろうと、ランキムは少しの間遠巻きに戦場を巡るが、予想に反してエネルギーは供給され続けているようだ。
周囲の攻撃の雨の中心で、〈ヘカトンケイル〉はブレードを集中的に攻撃する。ASでそれを防ぐものの、少しずつ、ブレードの出力が低下していく。それを庇うように、ゼクロスが前に出る。
ロッティはランキムに、探索機の排除を指示した。バリアに包まれたサーチアイを、ひとつづつ確実に破壊していく。
「探索機にもえらく金をかけているんだな……」
「破壊される運命だというのに。もったいない」
『ターゲットより熱反応』
不意の警告の直後に、サーチアイが爆発した。被害が出るほど大きな爆発ではないが、撒き散らされた破片やチリが視界を塞ぐ。ランキムはサブモニターの、自艦の探査機から転送されて来た映像を一時的にメインモニターに移す。
爆発した探索機は、ひとつだけではない。多くの細かな破片が、宇宙の闇にもやをかける。勢いで分散せず、それは意思があるかのように、不自然にそこに留まった。
『敵艦、通常空間から離脱した模様です』
光がどこかから広がる。相手を見失いランキムはただ、回避行動をとるほかない。
「ASでなんとかならないのか……? こちらは3機、相手は1機だって言うのに……」
「ゼクロスと連絡は取れないか?」
苛立ちが募ってきた様子のロッティの横から、サングラスをしまいながら、キイが口を出す。それに、ランキムは否定的な返事をした。
『現在通信困難な状況です……しかし』
不意に、その声の調子が変わる。
『探査艇を使えば意思の疎通は可能でしょう。やってみましょう』
探査艇の1機がモニターの奥を横切った。その先端のライトが消え、ロッティが首を傾げる前にまた点灯する。ライトを明滅させながら、探査艇は画面の端に消えていく。間もなく、ブリッジの2人はランキムのとった手段に気づいていた。
まったく突然に、サブモニターに見慣れた船が現われた。ランキムに接近するためか、それとも損傷を受けたのか、CSリングは消失している。
クリアとは言えないが、接近しているため、ゼクロスとの通信が可能となっていた。
『キイ! そこにいるのですね? 今、ドローワープ収容します!』
キイが何かを言いかける前に、ゼクロスは彼女の考えそのままを実行した。ランキムはタイミングを合わせ、一瞬だけバリアを解除する。ロッティに軽く手を上げた格好で、キイはランキムのブリッジ内から消えた。
『せっかちな……』
見慣れたものに変化した光景のなかに戻って、キイはまず最初に、、ロッティの苦笑混じりの呟きを聞く。
「それぞれに相応しい居場所って言うのがあるからね……」
満足げに言い、彼女だけに許された艦長席に座る。
『まったく、当然です。あなたがいないと、私は弱くなるんですよ』
「情けないことをそんな誇らしげに……」
『事実を認めなくては、戦力計算はできませんから』
どこか嬉しそうに言い、彼は状況報告に移る。
『被害状況、現時点で12パーセント。ASなしでは航行速度が7分の1パーセントほど低下しています。また、手動での作業無しでは搭載機器を射出できません。現在サーチアイ2機が艦外探査中です』
サブモニターに機体内部の立体的な図面が出る。ピックアップされた損傷箇所も、どれも大したものではないようだ。
ブレードは交戦中である。〈ヘカトンケイル〉は強力なバリアで攻撃を防いでいた。あのバリアを作り出しているASの所持者はかなりの精神力を持っている、とキイは思う。しかし、彼女は馴れ親しんだブリッジに戻って来た今、負ける気はしなかった。
「敵艦に接近。レックスとブレードには悪いが、主役の座は奪わせてもらおうか」
『立派な海賊行為ですね』
楽しげですらあるキイのことばに、ゼクロスもおもしろくて仕方がないような調子で応じる。
探査機を駆除しながらランキムが見送るなか、もう1機の小型宇宙船は青い風となって消えた。