ストーナーは大学時代の先輩であるホルンの頼みもあって、キイたちのために部屋や機材を用意し、できる限りの協力をした。もともと彼の専門は人工知能である。キイたちがいなくなると、彼はゼクロスの心のリハビリのために話し相手になった。
「ま、私ではたいした役には立たないだろうがね。普通のコンピュータとしても〈リグニオン〉のシステムなんてわからないのに、ASじゃなあ……」
普段のゼクロスのシステムにしろ、ASにしろ、最高位の技術と知識が使用されたシステムである。機密部分も多く、技術的な部分は触れられない。かといって、精神的な部分の理解は、やはり本人にはかなわないのだ。
それでも、〈会話〉は必要なことだとはわかっていた。
『ASの構造はわかっていますが、今はキイに生かされているようなものです……博士、あなたがいてくれて本当に助かりました……ご迷惑をおかけして申し訳ありません』
「まさか。きみたちに会えてよかったと思うよ。人工知能が専門と言いながら、ほとんど出会ったことはないんだよ……どうだい、調子は? きみは、自分の症状をどう見るね?」
口調を変えての問いに、ゼクロスもまた、暗い調子で応じた。
『わかりません……ずっと、同じ夢を見るんです、あの時の夢を……PTSDかもしれません』
PTSD――心的外傷ストレス障害。2度の大打撃とその時の恐怖が、彼のなかに鮮烈な記憶として残っている。無意識のうちにも、その記憶を繰り返し、心の傷をより大きくしていく。
「そのトラウマを克服するにしても、きみの心の安定にはあの機体を取り戻すことが不可欠のようだね。心配ない。すでに皆動き出しているから」
『動き出している……? どういうことですか!?』
「まあ、落ち着くんだ。どうしてこうなったか、状況は大体わかっている」
焦るゼクロスに、ストーナーは説明した。
惑星ジザイオの、ファンダウン重工サリウ支社。そこに、GPは海賊を捕えるための囮作戦への強力を要請した。あの輸送船には、実際には誰も乗っていなかったのである。
『では、犠牲者はいなかったのですね? 良かった……』
「ああ……GPはきみたちも囮に使って、海賊を呼び出したわけだけど、その力はGPの予想を超えていたんだな。それに、裏切りがあったんだ」
そうして、デザイアズも撃退された。それは、あの輸送船からの攻撃もあったという。ファンダウン重工サリウ支社は、その件について、輸送船のクルーが勝手に行ったことだと釈明している。
「どこまで本当だかわからないがね。どうも、このサリウ支社は〈スキャナー〉という妙な連中と裏で手を組んでいるらしい。もしかしたら、海賊ともつるんでいるのかも……狙いは、ASか」
情報収集を終え、キイたちはホルン教授やストーナー博士の人脈を頼り、サリウ支社に回収された宇宙船XEXの機体を取り戻すべく行動を開始していた。すでに事態はオリヴンのラボ〈リグニオン〉に通告されている。
その説明を聞きながら、ゼクロスにはまだ疑問が残っていた。
輸送船が同じ場所にいたままだったのは、ゼクロスを引きつけるため――にしても、それは彼の性格をよく知らなければできないことだろう。それに、デザイアズはなぜ攻撃してきたのか?
その後の輸送船と海賊の総攻撃を考えると、ゼクロスを庇ったのかもしれない。それはそれで驚きだが。
キイたちが戻るのを待って、さらに詳しい話に入った。ストーナーと入れ替わり、キイが正面の丸椅子に座った。
「連中……つまり〈スキャナー〉とかいうヤツらがASを狙っているらしいな。暗殺者まで雇っているらしい。ここにずっといると危険かもしれない」
『でも、サリウ支社に行かなければならないのでしょう?』
「ああ。でも、航宙ステーションは押さえられているだろうし、目立ちすぎる。だから、観光用の列車を利用する作戦を立てている。教授の知り合いがもともとサリウに住んでいてね」
教授の知り合いたちはすでにサリウで行動を開始しているという。
「とにかく、きみもここに置いてはいけないからね」
『当然です。私の機体ですよ』
「まあ、焦るな。でも、ASのまま持ち歩くわけにもいかないだろう。〈スキャナー〉の刺客に襲ってくれと言ってるようなものだ。ここは、姿を変えていくべきだな」
ASは、量子力学的情報を操る装置だ。ASの質量以上のものなら、物の形を変えたり、創りだすこともたやすい。ただ、一時的に姿を変えている間中、力を消費していることになるが。
「やっぱり人間の姿よねえ……」
メルティが、興味津々でのぞき込む。
「ここは絶対、美少年よ! ね、ね、いいでしょう?」
と、その横から、教授が力説した。
「いや、ゼクロスなら女の子の方が無理ないだろう、絶対」
「不謹慎な連中だなー」
にらみ合う師弟に、ストーナーがあきれたような目を向けた。キイは苦笑し、ゼクロスは困ったように沈黙している。
『人間の身体構造は知っていますが……大丈夫でしょうか?』
「心配ない。誰かしらついてるからな。人間同士のほうが勝手がいいこともある。ASの力は私が補充していくよ」
怯えた声に、キイが安心させるように応じる。その後ろで、ストーナーが肩をすくめた。
「正直、これ以上環境を変えてストレスを与えたくないと思うんだが、ここに残っているほうが危険だからな……人間になるなら、女の子だろうな。顔ぶれからすると、そのほうが怪しまれない。ルークの生徒の一人ということにすればいい」
残念そうなメルティと、嬉々とした表情の教授をよそに、ゼクロスはプログラムを開始した。もともと映像技術を得意とする彼は、間もなく人間のモデルを作成する。それを元に、ASで人間の身体を創りだす。
皆が凝視する中、光が、何もない宙に収束した。それが小柄な人間の形を形成する。身長は、キイと同じくらいか。
光が色を得、その輝きを失い――現われたのは、金髪碧眼の少女だった。現われるなり、倒れかけ、キイに受け止められる。
「ASは?」
「ここに……」
キイがきくと、そでをまくって左手首を見せる。その声は人の肉声となっても変わらず美しいが、ひどく怯えたように震えている。
その様子を、メルティたちは茫然と眺めていた。その人間の姿への変化の完璧さと、美しさに。
すべての感覚が未知の状態に恐怖するゼクロスに迫り、メルティはひっしとその手を取った。
「あたしが何でも教えてあげるからね! よろしくね」
「はっ、はい……」
「こらこら、メルティ、怖がってるじゃないか。それより、名前はそのまんまじゃまずいだろう」
キイがパイプ椅子を出してゼクロスをとなりに座らせるのを見ながら、ストーナーは頭をひねった。ホルンの教え子の名前を借りようと思いついたが、それでは調べられるとまずいと思い直す。
「名前くらい、本人に決めさせたらどうですか。本人の気に入らない名前じゃあ慣れないでしょう」
と、キイはとなりを見て、片目をつむる。ゼクロスは首をかしげ、ほんのわずかな間だけ考えた。
「そうですね……それでは……」
「……その名前って、何か由来があったのかい?」
冷めかけた紅茶を飲み干し、キイは相手に目をやった。相手は、最初はずっと不安げな表情を浮かべていたものの、今はだいぶ慣れた様子で、安心しているようだ。キイが目の前にいるためかもしれないが。
レシアは、ニコリと笑った。
「他愛のない話です。昔、バントラム所長が飼っていた猫の名前ですよ」
「猫ねえ……」
つぶやき、窓の外に目をやる。
終着駅は、もうすぐだった。
サウザントナイツ・エクスプレスを降りた者たちの顔には、一種の満足感とともに、憂鬱な色が浮かんでいた。列車同様レトロな雰囲気の駅は、ザーッといううるさい音に包まれている。たいていの客は、エアタクシーを呼んで乗り込んでいく。
キイたちは、それにまぎれ、すでに待っていたエアカーのひとつに乗り込んだ。若い運転手は、全員が乗り込むなり口笛を鳴らす。
「自在に変装できるって聞いたが、こりゃたまげたね」
「ウェリス。早く車を出すんだ」
「はいはい」
ホルンのことばに、色の黒い青年はエアカーのアクセルを踏んだ。白く霧がかかったような街の上空に飛び出し、街並みを眼下に、目的地へと急ぐ。行き先は、ある3流ホテルだ。その5階のエアパーキングに向かう途中、街並みのなかに、大きな建物を見かける。ファンダウン重工サリウ支社の倉庫のひとつである。
エアカーから降り、寒い駐車場を急いで出ると、ひとつ上の階に上がった。警備員からカードをもらい、ある部屋に入る。そこには、5人の若い男たちがいた。
「大所帯だな……」
暑苦しさに顔をしかめながら、ホルンはソファーに腰を下ろした。室内の男たちの注目は、ここでもレシアに集まる。その視線にさらされ、レシアは敵地に放り込まれたような様子で怯え、キイに目を向けた。キイは元気づけるように肩を叩く。
「ほら、皆きみのために集まってるんだよ。怖がらないで」
「ご、ごめんなさい……」
「なに、いいってことよ。心配すんな。ほら、目的のものはすぐそこさ」
青年の一人が、窓の向こうを示す。そこからは、あの大きな建物がよく見える。窓に駆け寄り、その倉庫を見下ろすと、レシアの顔色が変わった。
「早く取り返しましょう! 作戦はどうなってるんですか!?」
「まあまあ……場合によっては海賊が敵に回るんだから、慎重に行動しないと」
怯えた態度から一変したレシアに、人々は驚いた様子だった。キイが苦笑混じりにそれをたしなめる。
「サリウの支社長はベック・ローカーソンだ。すでに手は打ってある。市場は麻痺しているからな、連中、物の買い手を見つけられずに苦労してるのさ。オレたちはもう、あいつらの信用を得ていると断言できるぜ」
この青年、アッシュ・クーレルは、もともと貿易商の息子で、サリウの市場にも詳しい。その手腕は決して演技ではなく、プロのものだ。
「内部の構造もわかっている。当然嬢ちゃん……本体のゼクロスくんにも行ってもらわなければならないから、覚悟しておいて欲しい」
「当然です。機体に近づけさえすればこっちのものですから」
テーブルに広げられた建物内の図面を見、今までの大人しい様子はどこへやら、息巻くレシアの様子に、一同は安心と同時に不安を覚えた。
「エルマリン技術の方ですね?」
にこやかな表情の受付の女性が言い、アッシュが手にしたパスを確認する。その後ろに続く、作業服に身を包んだ少女たちについても、事前に話は通っているらしい。いたるところにいる警備員に咎められることもなく、通路を、倉庫のほうに向かって歩く。
途中何人かの職員とすれ違ったが、そのうちの一人と顔をあわせたとき、先頭のアッシュは足を止めた。
「おお、この娘たちが例の仲間か」
「ええ、可愛いコたちでしょう?」
白髪混じりのひげをたくわえた、50代半ばほどの男に、アッシュが笑顔で答えた。この男が支社長だろう。
「ああ、可愛い娘たちだね。あとで私のところに来ないか?」
「ええ、是非」
レシアの顔をのぞき込み、支社長のローカーソンは誘いをかけた。ハラハラして見守るキイたちの前で、レシアは屈託のないほほ笑みを浮かべて返した。
楽しみにしているよ、と手を振って去っていくローカーソンを見送ると、レシアとメルティはアッシュをにらむ。キイは大体予想してたようだが。
「こういうやり方が一番手っ取り早いんだよ……じゃないと、なかなかガードが固くてさ」
言い訳しながら、真っ直ぐのびた通路を進んでいく。
そう簡単に、倉庫に直行することはできない。作業場所として指定されたのは、倉庫まで数十メートルのところにある、機械室だった。
「おあつらえ向きだろう? とりあえず、連中の注意を引きつけなければ。ここで機械を操作して騒ぎを起こせば、めくらましにはなる」
「で、どうやるんです?」
アッシュに視線が集まった。青年は困ったように頭を掻く。
「それはまあ……専門家に任せた、ということで」
工具を押し付けられ、レシアはそれを受け取った。ずしりと重いそれによろめくのを、メルティが支える。
「ちょっと、レディにこんなことさせるつもり?」
「彼女……だか彼だか……にしかできないだろう。それに、オレとキイはここを離れる。その後ここにローカーソンが来るから、うまくやるんだ」
突然のことに、メルティは顔色を変えた。
「ちょ、ちょっと、乙女たちを犠牲にするつもり?」
「だから、罠を仕掛けておくんだよ。何をすればいいかは、レシアが心得てるだろう」
キイは苦笑し、不安げな少女たちにウインクを送る。
「うまくやりなよ……」