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記念すべき日(2)

 特に祐輝は、早くこの退屈な時間を終わりにしたかった。すぐに目的のものを見つけて、早く海に入りたい。彼が教授に連れてこられたのは、熱心な学生だったこともあるが、スキューバダイビングを趣味としていて、インストラクターの資格まで持っている、という理由も大きいだろう。
 初めて遺跡を肉眼で見た人間になれるかもしれない、というのは魅力的だった。だいぶ陽が傾いてきたとはいえ、まだ少々暑苦しい船上を離れ、涼しい水中に入りたいという願望もあるが。
 ペットボトルのぬるくなったお茶を一口すすり、祐輝はモニターから目をそらしてパイプ椅子に座った。当分の間異変は起きないだろう、いや、いつまでたっても起きない可能性もあるだろうが、とたかをくくって、今まで手をつけていなかった、スポーツ雑誌に手を伸ばす。
 しかし、状況は、即座に彼の予想を大きく裏切った。
「あっ、見てください、あれ」
 興奮気味な那美の声の唐突さに驚き、祐輝は雑誌を落としそうになった。急に自分の鼓動が早くなったことに気づきながら、彼は急いで、那美と教授が食い入るように見つめているモニター画面をのぞき込む。
 黒い泥の煙幕が、画面の端を隠していた。しかし、その煙幕の向こうに、確かに、人工物らしいものが見えた。鈍い金色の、角が大きく欠けた、長方形の塊だ。
 ことばもなく、三人は画面に見入っていた。やがて舞い上がっていた泥が落ち着き、全体像が見えてくる。一抱えほどの大きさの長方形の下には、同じ素材で造られたらしい床が広がっていた。床は途中から土で埋もれており、どこまで続いているのかわからない。
「あの長方形に何か書いてるように見える。もっと拡大できないか?」
 教授のことばに答えて、那美は機械オンチな祐輝にはさっぱりわからない操作を行なった。画面上で、長方形の表面をズームアップされる。
 光沢のない金色の表面に、確かに文字にも見える図形が彫りこまれていた。くぼみに土がたまり、黒い筋となって表われている。
 しばらく文字を凝視して考え込んでいた教授は、やがて白旗を揚げた。
「見たことのない文字だ……しっかり記録しておこう。それにしても、これは一体何なんだろうな」
 考古学者の眼鏡の奥の目が光る。祐輝は、また悪い癖が出たか、と思う。
「先生、理論は後にしましょうよ。これからもっと、色んな材料が出てくるだろうし」
 言いながら、彼はすでにダイビングスーツに着替え始めている。
「ああ、祐輝、頼むよ。慎重にな」
「わかってますって」
 答えて、祐輝は笑った。この瞬間を待ちわびていたのだ。はやる心を抑えつけ、自分自身に何度も、落ち着くように言い聞かせた。
「気をつけて」
 船べりに立った彼に、那美が軽く手を上げて言う。
 祐輝も手を上げて答えると、船べりに座り、背中から海中へとダイブした。
 船上ではずっしりと感じられた酸素ボンベが軽くなり、やわらかいものに包まれているようなかすかな感覚が全身に伝わる。祐輝はできるだけ水に逆らわないイメージで身体を回転させ、海底のほうを向く。
 この辺りは、それほど深いわけではない。彼も、何度も潜った経験のある深さだ。
 暗い青緑のなかを、ゆっくりと降りていきながら、進む。行くべき道は、海底探査機の本体に続くケーブルが示してくれた。
 水深が深くなるにつれ、少しだけ、水が濁ってくる。ライトで行く手を照らしながら、祐輝は慎重にケーブルをつたっていった。
 やがて、彼は目的地に到着する。
『探査機と例のもの発見』
 通信機を使い、短く船上に状況を伝える。
『異常はないな? 探査機の前のほうに回りこんでみてくれ』
 教授の意図を察して、祐輝はカメラの前に回った。ゆっくりと動いたが、土が舞い、それがおさまるまで、しばらく動かずにいる。
 土煙がおさまると、おそらく、教授と那美には、ところどころに身体の線をなぞる蛍光のラインが入った、黒いダイビングスーツ姿の青年が見えていることだろう。
『それで、どうします? この長方形、動かせそうだけど』
 指示を仰ぎながら、彼は、そっと手を伸ばして、金色の、欠けた長方形に触れた。
 途端、祐輝は軽い痺れのようなものを感じて手を引っ込める。その一瞬のうちに、頭の中に、ある光景が浮かんだ。
 ぬめりのある、えぐられたような断面を見せる大地。大きなくぼみのようなそこに、動物の骨らしきものや、干からびた魚の死体がいくつも転がっていた。遠くでは、水溜りが水蒸気を噴き上げている。


1:次項
*:前項
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