#DOWN
終結 ―遠い〈記憶〉の彼方―(12)
床を滑った銃は、サーペンスの前で止まった。手を伸ばして取ろうとするルチルの目の前で、男はレイガンを踏みつける。
ルチルは、男を見上げ、にらみつける。その顔を、青年は蹴り上げた。
「サーペンス!」
「刑事は嫌いだ」
怒声を上げる読唇者に、クラッカーは笑みを向ける。
「あんたには、最終レベルへの壁を突破するのを手伝って欲しかったんだけどな。協力は望めないか」
読唇者の目の前の空間が歪む。その姿が一瞬ブレたように動き、彼は数歩、後退る。
「……なかなかやるな」
常人の目には捉えることもできないが、攻撃を回避したらしい読唇者に、サーペンスが少しだけ感心の顔を見せる。
「でも、無駄な力だ」
読唇者がのけぞるように身体を折り、後ろに飛んだ。そのまま、数メートル先の壁に叩きつけられる。
身動きできないクレオたちも、絶対最後まで見届けようと、顔だけはサーペンスに向けていた。
しかし、クラッカーが狂気の笑みを向けているのは、無傷の、残る二人の少女だけである。
柱に手をかけ、静かに男を見つめるステラを庇うように立ち、リルは鋭い視線を返す。
「あなたは、世界を変えるだけの力を手にして、どうするつもり? 過ぎたオモチャを手にすれば、いずれ何もできなくなる」
「あきたら捨てりゃいい。こんな世界がいつまでも続くなら、楽しくなくなったときに次を考えるだけだ」
「そうして結局、すべてを失うの」
「失う? オレが?」
サーペンスは声を上げて笑った。あり得ない話を、笑い飛ばすような哄笑だ。
「この力があれば何でもできる! なんでも思い通りに作り直せるし、新しいオモチャを創ることも、破壊することもできる! そのためには、まず最終レベルへの厚い扉をこじ開けねえといけないけどな」
彼は夢見るような目で、柱を見上げた。もう、彼の視界に、床に這いつくばって見上げる少年たちの姿など入っていないらしい。
無力だ。
クレオが、床を叩く。サーペンスの力なのか、立ち上がろうにも、まったく膝に力が入らない。
見回すと、ルチルが倒れ、血が目に入るのを拭いながら、サーペンスをにらんでいた。身体は動かなくても、心は決してくじけていない。
シータは、鎖で完全に身動きが取れない様子だった。細い首にからみついた鎖で呼吸ができないのか、顔が青ざめている。
読唇者は、何とか方法を考えようとしている様子だ。
動くこともできず、ただ見ること聞くことだけが許された状態でも、誰もあきらめていない。
視線が集中する一点、サーペンスを除いた者で唯一立っているリルが、少しずつ歩み寄ってくる青年の前で彼を見据える。
彼女にも、止められる自信がなかった。だが、見過ごすことはできない。命の危険があったとしても。
目を細める少女の前で、男はその存在を無視して、柱に向かって手を伸ばし――
「さて……最後の壁、どう攻めてみるか」
「その必要はないよ」
唐突に。
中性的な、声が響いた。
誰もが、夢から覚めたような目で、声の主を探す。
声を発したのは、他の誰でもない。車椅子の前に立つ、金髪に空色の目の少女。その目は明確に、サーペンスに向けられている。
「もう終わったから」
誰もが、彼女が発した声を知っていた。しばらく前まで、毎日耳にしていた声。
サーペンスの白い顔から表情が消えていた。彼も当然、相手が誰か知っている。
「セルサス!」
仮想現実を管理する、人工知能。この世界にその名を知らぬものなどいない。
ステラ――セルサスは、その少女の形をした面に、静かにほほ笑みを浮かべる。
「あのクラッカーたちの侵入を許した瞬間……パーソナリティを含むプログラムの一部を切り離して、人間の意識体を偽装していたのだよ。ここまで辿り着くのに、苦労したがね」
当然、彼は自分のシステムの最深部へのパスワードを知っている。中心部に辿り着けさえすれば、後は思うがままだ。
静まり返っていた周囲が、騒がしくなっていた。囚われていた管理局のスタッフたちが解放されたらしかった。
「頭を冷やせ、サーペンス」
黒尽くめの男が口を開く前に、少女の姿をとったセルサスは手を振った。サーペンス・アスパーの姿が、景色の中に解け消える。
「さて」
振り返った途端に、彼はのけぞる。
頭から血を流しながら、ルチルが鬼の形相で、相手の首を絞めた。
「あんったぁ……そういうことなら、とっとと正体言いなさいよ!」
「そ、それには機能的な事情が……この今までの扱いとの差はナニ!?」
二人はもつれ合い、床に倒れ込む。
それを見下ろしながら、銀髪の少女はようやく、張りつめていた顔の筋肉がほころんでいくのを感じた。
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