#DOWN
終結 ―遠い〈記憶〉の彼方―(7)
薄っすらと笑みを浮かべて、少女は一歩、足を引く。
シータは張りつめた空気を感じた。大きな圧力に締め付けられたように、指先を動かすこともできない。
彼女は、何か、自分でも抵抗できない――抵抗する気になれない力を持っていると、少年は気づいていた。
立ち尽くす彼に、急に少女の手が伸ばされる。
目にも留まらない速さだった。一歩で距離をつめ、身体ごとぶつかるように突進し、首に手を回してくる。
ドサリ、と、二人は床に倒れ込んだ。
「……避けないのね」
細い指は、軽くシータの首に触れている程度だった。リルは相手の上に乗って、のぞき込むように少年の顔を見下ろす。
顔を横に向けて目を閉じていたシータは、強い視線に反応したように、まぶたを持ち上げる。
「あなたが……殺さないからです」
「ここで死ぬ気はないくせに」
少女の視線が、本来壁があるべき場所へ向く。そこで、再び彼女の記憶の断片が再生される。
「あたしは、あなたの行方を捜すと同時に、あなたについての情報をひたすら求めた……それこそ、クラッカーまがいのことをしてまでもね」
立体的な映画のワン・シーンのように展開されたのは、先ほどと同じ、ホールの母娘を中心とした風景だった。ただ、映し出されているのは、銀髪の母娘の背中である。
「そして見つけたの。現場にいた人が、無意識のうちに覚えてた、記憶の欠片」
女が、長椅子から落ち、床に倒れる。それを、少女が必死に支えようとする。
ことばを交わし、手を伸ばす母親。
その手には、鈍く光るナイフが握られ、切っ先を娘の首に向けていた。
「どうしてお母さんがああしたのかはわからない」
ふっと、ホールの一角を切り取ったような映像が消えた。
「でも、あなたがああした理由はわかる……何も知らず、復讐を求めていたあたしがこんなことを言うのは、罪深いことかもしれないけど」
身体を少年の上からどけ、リルは、そのままそばに腰を下ろす。
彼女の灰色の目が、シータの緑の目を捉える。色の白い頬が、かすかに紅に染まった。
「ありがとう。助けてくれて」
今まで彼女が誰にも聞かせたことのない、優しい声。その甘い音色に、驚いたように目を見開き――少年は、ほほ笑む。
「どういたしまして」
銀の床の上に仰向けに転がったまま、彼はまた、目を閉じた。
「あなたが本当に私を傷つけるとは、思っていませんでしたけどね……痛い目に遭うのは嫌ですから、助かりましたよ」
「あら、傷つけずに痛い目に遭わせる方法もあるのよ?」
「ええっ、それはっ!」
またのしかかってくるような重さを感じた少年が慌てて目を開くと、リルが両手で軽く肩を押しているだけだった。
赤面して、軽く咳払いをしてから、少年は身を起こす。
「行きましょう。もう、クレオたちは着いているかもしれません」
「そうね」
二人の望みに、形態に関する規定の曖昧な空間は、即座に応えた。
ドーム状の、簡素な調度品が置かれた小部屋だった。中央には長方形のテーブルがあり、四つの椅子が並ぶ。モニターにもなる壁は白く、自然の陽射しに似せた光が天井からそそがれる。
一見して、簡単な打ち合わせや来客の応対のための部屋と知れた。
シータは、そのすぐ近くにミッション・ルームがあることも知っている。
スライド式のドアに駆け寄り、彼はふと、リルがついて来ないことに気づいて振り返った。
それを待っていたように、銀の妖精は口を開く。
「死なないで」
念を押すように、静かに告げる。
彼女は、どこまで感じ取っているのか。すべてを見通されたようで、シータは内心、畏れに近いものを感じざるを得ない。
それでも彼は、笑みを浮かべる。
「努力はしますよ。この先に、それを許してくれる相手がいるなら」
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