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第二章 消失 ―〈英雄〉の凱旋― (3)


 一見、以前目にしたままのと同じ光景が広がった。部屋の奥の左右に階段があり、上に続いている。壁には、左右にそれぞれ海と山を表わす絵がかけられていた。床には、茶色く汚れ、半ば色あせた絨毯が敷かれている。
 壊れた、それでも上で数十本のローソクの火が揺れているシャンデリアを吊った高い天井を見上げ、ルチルが油断なくナイフを手にしたまま、うなずいた。
「魔物もいないし、罠もなさそう。一階は、今まで通りだね」
「気をつけるのは、二階からか」
 全員が部屋の中心に集まると、ルチルが適当に、右の階段を選んで顔を向ける。
 リル一人でステラの車椅子を持ち上げ、長い階段を登るのは大変なので、クレオとシータが左右から車椅子に手をかける。
 そうして、視線が下に向いた瞬間、彼らは車椅子の影が揺れ動いているのに気づいた。
 車椅子の周囲にいる三人が、同時に天井を見上げ――
「逃げろ!」
 男性陣がステラの車椅子を持ち上げ、リルとともにシャンデリアの下から脱出する。
 階段の一段目に足をかけていたルチルが驚いて振り返るそこに、大量のガラスが砕け散る騒々しい音を響かせ、シャンデリアが落下した。
「大丈夫?」
 飛び散る破片を身を引いて避けながら、階段をさらに登って、シーフマスターは全員の無事を確認する。
 周囲に逃げた四人の姿の中央に、半分以上が粉々に砕け、ほとんど原形を留めていないシャンデリアが横たわっていた。ローソクの火はほとんど消えているが、火が残っていたいくつかから、絨毯に引火していた。
「アクアブレス」
 放っておいてもそのうち消えそうな程度の火だったが、念を入れ、リルがステッキを振ってシャンデリアを示した。すると、冷たいシャワーが噴射され、燃えていた火のすべてを吹き消す。
 ほっと溜め息を洩らし、その場を離れようとした彼女は、シャンデリアの破片の中に、赤いものが見えるのに気づいた。
 しゃがみこんで、ステッキで破片をよけ、赤い何かの全体を露出させる。
「どうしました?」
 首をかしげるシータの前に、彼女は、小さな赤い箱を持ち上げる。宝石箱のような、シンプルな装飾が施された箱は、蓋に鍵穴が空いていた。
「たっ宝箱!」
 階段の手すりにもたれて様子を見ていたルチルが、一気に駆け寄る。初対面の美しい少女を見たときの、クレオの反応に劣らぬ速度で。
 思わずリルが差し出した箱を、シーフマスターは目を輝かせて、横から上下、裏表までじっくりと眺め回す。
「ル、ルチルちゃん?」
 どうやら、今の彼女には、クレオの声も聞こえないらしい。
 おもむろに盗賊七つ道具の一つ、針金を取り出すと、それで箱の鍵穴をいじり始める。鍵開けは、盗賊系クラスの主な技能の一つだ。
 ルチルが針金を動かし始めて、ほんの数秒後。
 ガチャリ。
 何かが外れる音をたてて、あっけなく、蓋が開く。少し引き気味で成り行きを見守っていた他の四人も、何が入っているのか興味津々でのぞき込む。
 箱の赤い内部に大事そうに置かれていた物――それは、石でできたメダルだった。メダルの表面には、文字らしいものが刻まれている。
「こんなの、以前はあった?」
 直には触れず、布で包んで持ち上げてみながら、盗賊の少女が疑問を口にする。
「見た覚えはないわ……上に行くのに必要なのかもね」
「誘われてる、ってことかしら」
 挑戦的に笑い、メダルを布に包んで懐にしまうと、彼女は皆を見回した。
「さあ、気合入れていこうか。もっと色んなお宝があるといいんだけど」
「ルチルちゃん、目的は友だちの救出だからね?」
 クレオが焦ったように言うのも聞こえない様子で、身軽な少女は、スキップで階段を駆け上がって行った。
 階段を登りきると、二階に辿り着く。本来なら、一階に似た内装の部屋のはずだが、五人が登り切った先で見た風景は、岩の洞窟の内部だった。
「さすが、構造のつながりを無視してるねえ」
 奇妙なことで感心しながら、ルチルがカンテラに火を入れる。窓らしい穴からいくらか陽は入ってくるが、充分な明るさではない。
「あそこから出られるみたい」
 リルが、ステッキで奥にあるハシゴをさし示す。そこまで続く地面の上には、特に障害物があるわけでもなく、見たところでは、楽に行けそうだった。
 それが、かえって怪しい。冒険者の本能がそう告げる。
「みんな、気をつけて」
 クレオは剣の柄に手をやり、シータはボウガンにカロアンで補充してきた矢をセットし、慎重に歩き出す。
 ルチルは特に、カンテラの明りが行き届かない部屋の隅に気を配った。もっとも、姿を消す魔物も存在する。その上、魔物関係のシステムにも異状が発生している現在は、昨日のリザードマンのように、突然敵が現われる可能性もある。
 できるだけ音を立てないようにしながら、凹凸のある岩の地面の上を一歩一歩、確実にハシゴまでの最短距離を縮めていく。
 緊張感を含んだ空気は冷たく、それでいてじめじめとまとわりつくようだった。狭い空間を支配しようとする闇は濃い。ルチルが掲げるカンテラの光を、少年少女たちは頼りなげに感じる。
 それでも、その光を頼りに歩いて、前方に近づくハシゴを見つける。
 もう少し。
 自分の心にそうささやいてほっとしかけたリルの前で、ステラが錫杖を掲げた。
「ステラ?」
 リルは迷わない。問いかけながら、自らステッキをかまえ、僧侶の視線を追う。
 闇に、ぽつりぽつりと、光の点が現われる。揺れ動く白い光は、尾を引きながら、誘うように宙で踊る。
「ひ、人魂ですか」
 突然現われた光に驚いたように身を引き、シータがボウガンをバッグに挿し込んで、慌てて杖を手にする。
 三体の人魂は、ぞっとするほど白い光をまとい、五人の周囲を回った。
 闇に踊る光はどこか神秘的で美しくもある。だが、それにじっと見とれていると、気力を吸い取られてしまうことを、ベテラン冒険者たちは知っている。
 すでに死んでいる者が魔物と化した、いわゆるアンデッドと呼ばれる種類の魔物で、実体が無いため、普通の武器による攻撃は効果が無い。僧侶系のクラスが、敵として得意とする相手だった。
「ステラ、頼むよ」
 ルチルのことばに、金髪の少女はうなずきを返す。
 彼女は目を閉じ、掲げていた錫杖を振った。その動きに合わせたように、光の粉が周囲へ飛んでいく。
「わたしの助けは必要なさそうですね」
 杖をかまえていたシータがほっと息を吐いたときには、すでに、人魂は溶けるようにして消えていた。浄化され、神のもとに召された――と、データ画面を呼び出したときの〈ライトブレス〉の魔法の説明欄には書かれている。
「疑ってたわけじゃないけど、ステラちゃんが三〇レベルってのはホントだね」
「やっぱり、あの時間表示とかは、間違いだったんだろうねえ」
 クレオとルチルがことばを交わすのを聞き、シータがリルのとなりに身を寄せ、声をひそめて尋ねる。
「時間表示の間違いって、どういうことです?」
「ここに来たときの話よ……ステラのプレイ時間とプレイ回数が、まるで初めて来たときのようになっていたの」
 説明しながら、車椅子の少女を見下ろす。
 すると、ステラは慌てて顔を背けた――かに見えた。
 この少女は、目が見えないはずだ。気のせいに違いない、と、リルは思う。ただ、たまたま気配を感じてこちらを向き、偶然そむけただけだろう、と。
「さ、三人ともぼやっとしてないで、行くよ。リル、ステラを持ち上げるのに、今回はあんたの魔法が必要になるから」
 クレオと並び、先にハシゴの下に着いたルチルが、遅れていた三人に声をかける。その声のもとに、ステラが慌てて車椅子を走らせる。
 リルとシータは一瞬顔を見合わせてから、その後を追った。
 ハシゴは金属製で、ところどころ錆付いていたが、充分な強度を備えていた。
 まずルチル、クレオの順で登り、次にリルがステラの車椅子に浮遊の魔法をかけ、上の二人がステラを迎え入れたのを確認してから、リル、シータの順に登り切る。
 次に広がる光景は、灰色の大きな石を敷き詰めた壁で構成された、長い通路だった。窓も無いのでわかりにくいが、三階に当たる部屋である。
「何ていうか……すでに、塔の広さも無視してるわね」
 一見して、ルチルがそう感想を述べた。
 通路は、どこかの要塞か、城の地下のような雰囲気がある。二階と同じく、狭苦しく重々しい空気をまとっているが、壁には等間隔に燭台が備え付けられており、明るさは充分だ。
 カンテラの火を消して袋に入れ、左手のナイフを右手に持ち替え、例によって、シーフマスターのルチルがパーティーを先導する。
「ここの階段を登れば最上階か……
「そこに、あなたの友だちが閉じ込められてるんでしょう?」
 クレオが歩きながら神妙な口ぶりでつぶやくのを、その背後を歩く魔法少女が聞き咎める。
「うん、まあ……無事でいてくれるといいけど。一応、食糧も水も充分持ってたようだし……ただ、内側から出口を開けられないだけで」
「ふうん。そうだったの」
「そういえば、詳しいことは話してなかったっけ……友だちは三人。付き合いの長い連中なんだ。それにしても……
 急に何かを思い出したように、少年は振り向く。最後尾のハンターのほうは見ないようにして、彼は、不思議そうに銀の妖精を見た。
「ほんとに……よく、オレの頼みを聞いてここまでついてきてくれたよね。オレやオレの友だちのことなんて、全然関係ないのに」
「言ったでしょう。退屈しのぎよ」
 銀髪の少女の口ぶりは、関係の無い他人のために危険にさらされているこの状況も、自分にとっては何でもない、と言う調子だった。
「でもさ……一歩間違えば……ゲームオーバーになったら、死ぬかもしれないんだよ? もし、セルサスがこのまま回復しなければ……それで、意識の情報が失われれば……
「ずっとこのまま、セルサスが復帰するのを待つのは性に合わないの。ルチルの考え方に近いのかもしれないけど。それに……
 一度口を閉じ、彼女は目をそらす。
「ヒトを捜してるの。そのヒトが、ここに来ているかもしれない。手がかりはないに等しいけど、酒場でじっとしてるより可能性があるから」
「へえ……それって、男?」
 前を行くルチルがここぞとばかりに振り向き、口を挟んだ。その目は、獲物を見つけた猫のように、爛々と輝いている。
「ええ、まあ」
「まさか、恋人じゃないよね?」
 なぜか嫉妬にかられたように口を尖らせる少年剣士に、リルは首を振る。
「恋人じゃないけど、どうしても捜し出さなきゃいけない、運命の人……とでも、言うかしら」
 どこか遠くを見る目で答える少女を、クレオは不思議な気分で見つめる。
 いつも泰然自若としたこの少女が、誰かに運命を感じるなど、想像できない。しかし、いくらワールド内ではレベルが高く、常に冷静な少女でも、『現実世界』では、自分たちと変わらない少女なのだ。
 少なくとも、かつてはそうだったはずだ。約五年前までは。
「それほど会いたい人なら、こんな用事に付き合わないで、捜したほうが良かったんじゃないんじゃないか?」
「今までもさんざん捜したわ。でも、相手は殿堂入り十人のうちの一人なの……簡単に見つかるわけない。それに、セルサスをこのまま放っておくわけにもいかないから」
「え? セルサスを何とかするなら、やっぱりオレに付き合わないほうが――」
 言いかけて、クレオは息をのむ。
 いつも表情の変化が少ない少女が、今まで見たこともないほど優しく、ほほ笑んだのだ。妖精の二つ名に相応しい、透明感のある微笑。
「ゴールに通じる道は、ひとつじゃないの」
 言って、少女は目を伏せる。
 クレオには、彼女のことばの意味がよくわからなかった。だが、意味を問いただそうとはしない。彼のための答が返ってくるとは思えなかった――答は、自らの目で確かめ、つかむものだと、少女の笑顔が伝えていた。
 もしかしたら、答に一番近い所にいるのは、自分かもしれない。
 シータと目が合い、視線をそらしながら、少年は密かにそう思った。

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