八、偉大な魂への糸
レナスの長い溜め息を最後に、重い沈黙が、もともと息苦しいような雰囲気の、狭く薄暗い牢屋内を支配した。
しかし、遠くに雨音が聞こえるだけの沈黙を破って、ナシェルが唐突に叫びをあげる。
「……素晴らしいっ!」
彼は、少年騎士の不可解な行動に茫然としているレナスに詰め寄った。
「恩返しせずにいられないとは……感動しました、師匠!」
「誰が師匠だ。誰が」
レナスはまったく悪意のなさそうな少年を横目でにらむと、セヴァリーに視線を移す。
「お前の連れか?」
「知りません」
視線を合わせないようにあさっての方向を向いたまま、力一杯断言するセヴァリー。他人のフリをする彼らをよそに、ナシェルは相手が聞いていないのもかまわず、わけのわからない熱弁を振るっている。
このままではうるさくて仕方がないので、レナスは仕方なく、少年に向き直った。
「師匠ってな……お前とは初対面だろう」
「ええっ、また!? 少なくとも剣士の方だから、近いと思ったんですが」
さらに、わけがわからない。
このままではラチが明かないと、セヴァリーが口を挟んだ。
「ナシェル、いったい今までにどれくらい師匠を間違えたのですか?」
呆れ半分のこの問いに、ナシェルは大真面目に、指を折って数え始め……
「……今回で、五〇人目です。記念すべき区切りの人ですね」
「ぜんっぜんありがたくない」
思わず、力を込めて否定するレナス。
「ともかく、どうぞよろしくお願いします、ぼく、これからも頑張りますから!」
「……何を?」
と、勢い込むナシェルのことばにキツイ突っ込みを入れたのは、何を言ってもムダだ、とあきらめかけてきたレナスではなかった。
セヴァリーに支えられ、ロイエがまだ顔を蒼白にしながらも身を起こしていた。もともと白い顔が青白くなっているものの、倒れたときに比べれば、多少は顔色が戻っている。
彼はこめかみを押さえつつ辺りを見回し、だいたいの状況を察したらしい。
「ここはレナスの部屋? ピー二の家からは遠いの?」
体調の悪さにかまわず起き上がろうとするロイエを、セヴァリーが押さえ付けた。
「無理してはいけません。おとなしく寝ていなければダメですよ」
だが、ロイエは表情も変えず、その手を振り払う。
「何、この期に及んで邪魔をする気? 動けるうちにこの町での役目を果たしたいんだ。邪魔するなら許さないよ……」
「あなたは、知っていたのですか……」
何となくそんな気がしていたが、セヴァリーは複雑な気分になった。そうまでして、この少年魔術師は師匠からの使命を果たそうというのか……
だが彼のそんな気持ちは知らず、ロイエは自分の服と杖を探し出す。
「またあの雨のなかに出ていく気か?」
レナスもナシェルも、セヴァリー同様、止めたそうだ。
「そんなの、魔法で防げるよ。水の魔法は得意なんだ」
出ていく寸前にレナスに答える瞬間、彼は一度、ほほ笑んだ。
「やはりわたしも行きます。他の皆とも情報交換したほうがいいでしょう」
セヴァリーがロイエを追って立ち上がると、ナシェルも続いた。
うざったそうにいつも通り毒突くロイエに、結局三人とも続くことになった。
「まったく、ひどい目にあったぜ」
ピーニに渡されたタオルで頭を拭きながら、ザンベルがぼやいた。
彼らが墓場の家に帰ってきたのは、丁度雨足が強くなってきて間もなくのことである。おかげで二人とも、頭からつま先までまんべんなく濡れていた。シリスがすぐに暖炉のクモの巣を取って火を入れ、帰ってきた二人は即座に炎の前に陣取る。
暖を取りながら、ピーニは手に入れた情報を語り始めようとするが――
「あれ? あいつは?」
そこにあるはずのもうひとつの姿が無いことに気づき、彼女は残っていたシリスたちに不思議そうにことばをかける。
すると、吟遊詩人の若者は表情を曇らせた。
「それが、二人が出て行ってからロイエも出て行ったんだけど……この雨だし、少し心配だな」
「一人で出て行ったの!? どーして止めなかったの!」
「一応、止めたんだけどね……」
急に表情を険しくして詰め寄るピーニに、シリスは少々怯んだ。ともかく、少女の動揺から、現状がよほどの一大事であることはあきらかである。
少女は状況を知るなり、まだ濡れているのもかまわず、立ち上がった。
「仕方がないね。捜しに行くよ」
「その必要はないよ」
突然、聞き慣れた声がした。
次の瞬間、銀色の光が小屋を満たした。ピーニは眩しさで目を閉じるが、シリスとリンファは、細めた目で、四つの人間の輪郭が光の中に浮き上がるのを見ていた。
ロイエにセヴァリー、レナスにナシェル。とはいえ、ピーニが知っているのはロイエとレナス、シリスたちが知っているのはロイエとセヴァリーだけで、ナシェルのことは誰も知らない。
「この狭いところにずいぶんと大所帯で……。レナス、あんたもかい。そっちは誰と誰?」
突如現われた姿に、ピーニは驚き、目を見開く。
とりあえず、全員の顔ぶれを知っているロイエが面倒臭そうに紹介役を務めた。それが終わると、彼はすぐに、情報交換に入ろうとする。
その前に、シリスはロイエの顔色を気にした。
「風邪でもひいたかい? 雨に当たったようだしね。顔色が悪いよ」
ロイエは内心、シリスの気配りが憎らしいような、嬉しいような、妙な気持ちを抱きながら首を振る。
「ちょっと寒いだけ。それより、何かわかったのかい?」
身体を温めようと暖炉の前に座り込むと、彼は同じく炎に当たっている、闇市に行っていた二人にきいた。温かいココアを入れようと立ち上がったピーニに代わり、ザンベルがそれに応じる。
「ああ。闇市で聞き込みしたんだけどよ、二週間前には売ってたらしい源竜魂が、すぐに地元の金持ちに売れたって話だぜ。三百億の値がついたとか」
三百億カクラムといえば、一般人には想像もつかない額である。しかし、源竜魂の本当の価値を知っている者は、いくら積まれても売らないだろう。
「一番の金持ちと言えばベーダ・ローハン、次が女実業家アルテア・ゼナードだが……」
「それが、もっと厄介なところなんだよ」
盆にココアのカップを載せてきたピーニが、昔からの知り合いである若い剣士のことばに首を振った。
「カレト・ドーナントのところなんだ」
カップを全員に配りながら、彼女は説明する。
カレト・ドーナントは、いわゆる闇の総元締めなのだ。グラスタの、暗黒の部分の最高権力者。その組織の規模から言えば、レナスが告げた二人の富豪もしのぐほどであろう。人買いや武器の売人、暗殺や強盗、邪神をあがめる教会、あらゆる犯罪組織を統括する巨大な組織の総元締めだ。
「源竜魂はアモーラ教会のほうに渡されたとか……なんかの儀式に使うらしいね」
ピーニのことばに、フィリオーネの様子を診ていたセヴァリーが顔を上げる。
「儀式ですか……?」
銀髪に法衣の魔術師に、一同の視線が集まる。特にロイエは、ほんのわずかな手がかりを隠していたとしても許さない、という雰囲気の、問い詰めるような目を向けた。
同じくセヴァリーに目を向けてから、ナシェルは少し前に自分が見たものを思い出し、手を打った。
「ああ、そういえば何かやってましたね、あの教会」
「知ってるの!」
唐突に首を絞めそうな間合いにまで詰め寄るロイエの様子に、さすがのナシェルも一瞬怯んだ。使命に関する手がかりに対しては、ロイエは見境がない。
「あ、はい。師匠にお会いした場所の近くにあったアモーラ教会ですよ」
「今から行くつもり?」
すぐにも出発する気満々なロイエを、珍しくリンファが咎めた。
「せめて、服が乾いてから行こうよ」
「儀式が終われば源竜魂がまたどこかに運ばれるかもしれないじゃない。そうなったら責任とってくれるの?」
リンファのことばに続けるシリスに、ロイエは非難の目を向ける。吟遊詩人は、降参、という風に、両手のひらを見せた。
「じゃあ、せめてココアを飲んで温まってからにしよう。この雨だ、向こうもそうすぐには動けないよ」
ロイエとしては、やはり一秒の間も惜しかったが、これ以上シリスを困らせるのはためらわれた。
彼は溜め息を洩らすと、冷えた手に温かいカップを撫でながら、その中の甘く身体の芯まで温めるような液体を飲み始めた。
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