第二章 光亡き街


  七、呪われた暗黒街


 ナシェルという予定外の同行者を連れ、セヴァリーはとりあえず、一息つける場所を探していた。
 とはいえ、ここは暗黒都市の暗黒街である。宿屋のようなものはないこともないが、待遇は最悪で、そのうえ代金は信じられないほど高く、寝込みを襲われたり、閉じこめられるのが関の山だ。この町における宿屋の大半は、強盗団の罠としてのみ存在するのである。
 せめて雨だけでもしのごうと、彼らは建物の軒先に入った。
「教会でもあればいいのですが……
 辺りを見回しながら、セヴァリーは溜め息を洩らす。
 それを意外そうに、ナシェルが聞き咎めた。
「師匠は知らないんですか? この町が崇めているのは、邪悪な女神、アモーラだけですよ。困っている人を助けてくれそうにないです」
 言って、彼は狭い汚れた道の脇を指差した。
 建物の陰からのぞき見えるそこには、のそのそと音を立てずに歩く、十以上の、黒いフード付マントをつま先まですっぽりかぶった、奇妙な姿が見えた。そのなかには、いくつか体格の良さそうな者が混じっている。彼らの行く手には黒く汚れた教会があり、黒い姿により何かが運び込まれていくのが見えた。
 邪神アモーラは破滅と混乱の神で、ほとんど外の世界には信者がいない。セヴァリーも、その神殿があるという話は今まで聞いたことがなかった。
 何のアテもなく、伝説の魔術師は途方に暮れて再び辺りを見回す。
 ザーッと、視界を覆い尽くすほどの豪雨のべールに、黒々とした街並みが暖昧に映っている。その映像が、わずかに揺らいだ気がした。
 やがて、はっきりした形が水のべールから抜け出てくる。
「セヴァリーじゃない。こんなところで何してるの?」
「あなたは……
 青いローブの美少年魔術師を、セヴァリーは覚えている。となりに見知らぬ姿もあるが、それはお互い様だ。
「おそらく、あなたたちと同じ目的ですよ。他の三人はどうしました?」
「シリスとリンファは安全なとこで待ってる。後は別行動だね。ぼくも情報収集しにきたんだけど、雨のせいでさっばりだな……
 溜め息を吐こうとして咳き込みつつ、ロイエは答えた。雨に濡れるままなので、風邪でもひいてしまったのかもしれない。
「ともかく、どこか屋内の安全なところを知ってるなら、案内してくれませんか? 代金が必要なら多少は払えますよ」
 びしょ濡れのまま立ち話をしているわけにもいかず、少し焦ったようなセヴァリーのことばに、ロイエはいつものいたずらっぽい笑みを浮かべ、
「そうだね、確かにお金は必要かもね……。後は、ちょっとした勇気かな? 墓場だし」
「墓場?」
 セヴァリーはちょっと怯んだ。
 しかし、それよりも愕然とした者がいる。レナスは動揺し、しかし怯むより怒りと焦りの混じったような表情を浮かべ、荒々しくロイエの襟首を締めあげた。驚くセヴァリーとナシェルが止める間もなく、彼は苦しげなロイエに迫った。
「貴様、なぜあの隠れ家を知っている? 一誰にあの場所を聞いた? あの場所には貴様の連れがいるのか……いったい何が目的なんだ!」
「あの隠れ家に……住んでる人に聞いたんだよ、他の町で出会って……。目的は、言えないね……そこのセヴァリーと同じだよ」
 荒い息をしながら、ロイエはかすれた声をしぼりだす。
 手を緩めるレナスを、セヴァリーも止めに入った。
「わたしたちは、この町であるものを探しているだけです。あなたたちに迷惑をかけるつもりはありません」
 彼が割って入ると、レナスもようやくロイエを放す、
「他の町で……ということはピー二か。あいつは警戒心がなさ過ぎる」
「そう言えば、フィリオーネさんがあんたの名前を言ってた気がするね」
 ふと思い出し、ロイエは咳き込みながら言う。安心するなりレナスは心配になったのか、苦しそうにしているロイエの背中をさすった。ロイエの咳は、ゆっくりおさまっていくように見えたのだが……
「うっ!」
 突き上げてくる衝動に、彼はのけぞった。
 ごぼっ!
 口を覆った両手の指の間から、鮮血がこぼれ落ちる。鮮やかな赤い雫が地面にポタポタと落ち、雨と混ざって薄い染みとなって広がった。
「お前……
 レナスが驚きの声を上げると同時に、ロイエは意識を失って倒れかけた。それを慌ててセヴァリーが受けとめる。
 さらに強くなっていく雨のなか、彼らは慌ててロイエを運んだ。
 行く先はセヴァリーとナシェルは聞いていなかったが、着いたのはレナスが寝泊りしているところだ。そこは、壊れた古い地下牢の一室だった。他の牢にも人がいるが、それには見向きもせず、レナスは一番奥へ向かう。
 牢といえ、もともとは貴族用のものらしく、なかなか広い。暖炉もベッドもついており、レナスが持ち込んだのか、タンスやテーブル、それぞれデザインの違う椅子も三つあった。
 ロイエを寝かせると、レナスは暖炉に火を入れ、タンスからあれこれ服を選び出し、忙しく動き回る。会って間もないセヴァリーにもなんとなくわかるのだが、彼がこれほど何かに一生懸命になるのは珍しいのだろう。責任を感じているのか、他に何か理由があるのだろうか。
 そのうちロイエは彼にピッタリ合う白い寝巻きを着せられ、部屋も暖まり、セヴァリーとナシェルの服も乾いた。
 窓がないので外の様子はわからないが、未だザーッという音がうるさいくらいに響いている。
「出血もあれ以上はないようですし、今は落ち着いたようですね。もちろんこれからも安静が必要ですが」
 布団に埋もれるようにして静かに眠っているロイエの状態を見て、医療の心得があるセヴァリーが診断する。だがそれより、レナスのほうがよく知っているらしい。
「この町で一番多い病気さ……。早いうちに特効薬を飲むか、医者にかからないと衰弱して死ぬ」
「ええっ、じゃあ特効薬を買いましょうよ」
 世問知らずなナシェルのことばに、レナスはどこか自嘲気味に笑った。
「闇市で買っても、一人分が五〇万カクラムはするぞ。それに、いつも売ってるとは限らない……
 セヴァリーはほとんど金を求めて働くというようなことはない。ナシェルは貴族なので、ある程度の持ち合わせはあるのだが……
「十万カクラムしかないですぅ……
 ごそごそ財布を探っていたナシェルも、がっくりした様子だ。
「早く用事を済ませて外の町に出ましょう。それしかなさそうですからね。……あなたはなぜ、この町から出ないのですか? それに、ピーニという人も」
 レナスとロイエの会話から、セヴァリーは彼らが外に出る抜け道を知っていることを察していた。事実、ロイエはピーニと他の町で会った、と言っていたのだ。
 レナスは暖炉に薪をくべ、振り返りもせず答える。
「フィリオーネさ……
「フィリオーネ?」
「ピーニの義理の姉で、そいつと同じ病気にかかってる。あいつは誰にも何も言わず、隠し通して死んでいこうとしているが……ある日、オレとピーニはそれを知ったんだよ。あいつを治そうと、特効薬の代金を蓄めようとしているが……
 彼は長い溜め息を洩らした。それだけでも、彼らの目標の遂行がはかばかしくないことがよくわかる。
 セヴァリーは、別のことにも気付いていた。彼はロイエの髪を撫でながら、暖炉の前にうずくまっているマントにフードの後ろ姿に目をやる。
「それだけじゃないでしょう? 弟さんのことも関係あるんじやないですか?」
「おとうと?」
 キョトンとして聞き返したのは、ナシェルである。レナスは、否定もしなかった。
 なぜ、セヴァリーがそう推理したのかと言うと、ロイエに着せた服のことだ。それは明らかに、レナスが着るには小さ過ぎる。彼が選び出していた服はすべてそれと同じサイズである。
 レナスは観念したように、話し始めた。
「ああ、弟がいたよ。生きてれば、そいつと同じくらいのな。病弱なヤツで、十歳の頃には、もう寝たきりだった。そいつと同じ、病気だったのさ……。あいつはどんどん弱っていった」
 だが、そんな時だったという。彼らがフィリオーネと知り合ったのは。
 彼女は病気の症状が出る前から、薬代を蓄めていた。だがそれが集まって薬を手に入れると、彼女はそれを、レナスの弟に使ったのだ。その時すでに、彼女はかなり弱っていたというのに。
 それも、彼女は隠し通すつもりだったのだ。
「結局、弟は別の病気で死んだが……五年も生き長らえた、ムダだとは思わない。ただ、その後、フィリオーネが自ら死を覚悟してあきらめたのを、黙って見過ごす気にはなれなかったんだ……
 再び、彼は長い溜め息を吐いた。