Last modified: Sun Jan 28 20:20:18 JST 2001
これで思うのは,親が子を育てることの難しさ.親がカルト宗教に走るきっかけのうちなにがしかは子育てに行き詰まってというのがある.カルト宗教に入れば,その宗教が与える作業(布教だったり農作業だったり)をこなしていれば,子供を育てなくてもいいのである.それで子供に問題が出たら,信仰が足りないということでさらに作業に励めばいいのである.カルト宗教が,子供に向き合う必要はないと言ってくれるのだ.
子供の問題行動というのは,たいがい親の注目を浴びたいから(=親からかまってもらえていない=愛情を行動として示してもらえず愛情を感じられない)起こるのだが,それでもカルトにはまっている親は子供をかまわない.「子供がかわいいので,まずカルト信仰を全うして自分,そして子供を含む周りを幸せにしよう」と考えるのである.子供が親に見捨てられるのは虐待である.しかして親は自分で気がつかないまま子供を虐待するのである.
また,カルトが子育ての方針として,(度を越した)体罰を要求する場合もある(エホバの証人など).
とにかくそうやって逃げたくなるほど(いや本人は逃げているとは思っていなくて,真剣に取り組んでいると思っているあたりが問題なのだが),子育ては(場合によっては)大変なのだろうなあと思うことしきり.子供は共同体が育てるのだという行き方は,その大変さを分担しようということなのだと考えてみる.
とは言え現状そういうことを言うと,単なる保守反動に取り込まれてしまうし,そもそも昔それでうまく行っていたとしても,現状ではまず無理である.まずその共同体が現状ではほとんど存在していないから.保守反動の人はそれを無視して昔に戻れとか言うけれど(あと「バーチャルリアリティーは悪」だっけ(笑)),まずそもそもの共同体をどうやって再構築するか,それは出来るのか,という辺りから話をはじめないと現実味はありえないことに気づいていないのはどうにかしてほしい.
とりあえずカルトの児童虐待についてはこの本の他に,別冊宝島461「『救い』の正体。」にもいくつか文章が載っている.ただ別冊宝島は増刷はせずに文庫に落とす形になっているらしいから,現在どういう形で入手できるのかは分からない.
別冊宝島はいいルポルタージュが多いから好きなんだけどね.