Day 18 運命の交錯

 薄暗い室内に、ただひとりの人間だけが立ち尽くしていた。
 その人間は、枝毛ひとつないブロンドを背に流し、白い服をまとっている。顔立ちは秀麗で、もう少し若い風貌なら、『天使のような』という形容詞が与えられたかもしれない。年寄りめいてはいないが、彼女の顔立ちは幼さとは無縁な、〈大人の女〉のものだ。
 だが、その表情は無垢な天使とは似ても似つかないもの。目はいくつもある画面の中の凄惨な光景を眺めながら、それを笑う。逃げ惑う人々を嘲り、無力さを揶揄する。
「これがお前の力、お前の役目。人殺しがお前の仕事なのよ」
 さも愉快そうに、彼女は笑う。
「いいわ……もっとやりなさい。殺しなさい。滅ぼしなさい。それが、力の証明。生きる価値の証明よ。価値のない者は奪われ、壊される。さあ、もっと私を満足させて」
 力に酔った――己が巨大な力を手にしたのだと勘違いした女は、欲求の赴くまま、口の滑るままにまくしたてる。
「もう誰も、私に逆らえはしない。あのルッサでさえも。調整者なんて……滅ぼしてみせる」
 女は、知らなかった。それに、その飛行体の内部にいる誰もが。
 彼女らは、造られたものを使う、使い手に過ぎない。あることばをきっかけに発動する仕掛けられたプログラムの罠に、気がつけるはずもなかった。

 目が焼かれるような光を感じたのは覚えている。
 ただ、それ以降の記憶が抜け落ちていた。感覚も途絶えていたらしい。それが、意識が戻ると同時に戻ってくる。手足に負ったいくつもの擦り傷より、頭の後ろのほうがじんじんと痛んだ。
 幸い、大きな傷は負っていないらしい。そう確認してのしかかる瓦礫を押しのけながら上体を起こすと、もといたはずの場所より、十メートル近く吹き飛ばされていることに気がついた。よく、それだけ飛ばされて大きな怪我もなかったものだ、と、少年――ヒルトは思う。
 しかし、安堵している余裕はない。その目が背後に向けられると、頭の中がかき混ぜられたように混乱する。状況の異変の大きさに、反応しきれなくなる。コンピュータがフリーズするに似た状態。
 石造りの家々は崩れ、文字通り自然の岩のようだった。人の住んでいた痕跡など、少し離れて、外側から見ている分にはまったく見当たらない。あちこちに横たわる土色の小さな出っ張りのようなものが、布をまとった人間であるという予備知識さえなければ。
 これだけ多くの〈死〉を、彼は実際に目にしたことがなかった。それでも、彼が我に返るまでに要した時間は、少ないほうだっただろう。保安部員志望の彼は、映像では何度も事件や事故の現場を目にしているし、それに慣れる努力もしてきた。
「ユキナさん!」
 元いた場所へ走りながら、声を張り上げる。ユキナでなくてもいい。ミュートでも、ルータでも、とにかく、状況を違う目で見た相手を見つけたかったし、無事であって欲しかった。
 周囲を見回すが、付近に自分を除く人間の姿も、隠れそうなものもない。ただ、ルータはその限りではないと見て、ざっと点在する瓦礫の周囲を探ってみる。
 間もなく、彼は不思議なことに気がついた。
 瓦礫は、街の残骸だけではない。機械の破片が方々に散乱している。一瞬、ルータが破壊されたのかと肝を冷やすものの、見れば街の内部のほうにはもっと大きな機械部品なども転がっており、もっと巨大な何かの一部だと知れた。
 自分が無事なのだから、ユキナやミュートらも無事だろう。そう考えて、ヒルトは街の中心のほうへと足を向けた。無事な人間がいれば助けられるかもしれない、という、一種の使命感もある。
 街のなかは、酷いありさまだった。家は、ひとつ残らず崩れている。砕けた岩の塊と化した家々の間を歩きながら倒れている者に声を掛けて肩を揺するものの、誰もがすでに息絶えていた。外傷はまったくなくとも、何かの魔法のように絶命している。
 そのうち、崩れた家のひとつから呻き声が聞こえてきた。
 生存者がいるのかもしれない。懐で無事だったレイブレードの発動機を取り出して軽く捻り、光の刃を発動させると、大きな岩を慎重に切り裂いていく。少しでも、下敷きになっている者を傷つけるわけにはいかない。
 岩を斜めに切り込み、滑らせるように取り除く。その作業を何度か繰り返し、やっと人間の姿が見えた。
 その姿をのぞき込み、少年は、はっと息をのむ。
 まだ若い、ヒルトよりひとつふたつ年上らしい少年がうつぶせに倒れていた。その少年の腰から下は、ヒルトが切り裂いた岩とは別の岩に押し潰されている。
 うう、うう、という低い呻き声も、間もなく途切れた。
 この世界は、現実じゃない。そう思い込むことでヒルトは胸の痛みから逃れようとしたが、この仮想現実での出来事は、なぜか〈現実〉を強く意識させる。今となってはまるで、現実として生きていた時間こそが夢の中のようだ。
 しばらく立ち尽くして、やっと顔を上げたとき、破片が目に入った。破片とはいえ、両手を目一杯広げたくらいの大きさはある。あちこちに点在する、巨大な何かの一部である残骸のひとつ。
 その破片は平たく、壁の一部だとわかる。緩やかに曲線を描くそれは、だいぶ色がはげ色あせているものの、見覚えのある黄色だった。
 初めて、ヒルトの脳裏にこの状況への具体的な疑問が浮かぶ。
 原因はおそらく、調整者の襲撃だ。それはわかる。しかし、この破片はまるで、《時詠み》に立体映像で見せられた調整者の飛行体のもののようではないか。だが、あの胡散臭い黒マントが言うことを信じるならば、常に用意周到で狡猾な調整者が、このような失敗を犯すはずがない。
 それとも、《時詠み》の言うことが間違っているのだろうか。
 あてもなく、歩き出す。とにかく、少しでも状況を変える相手に――あるいは物に、出会いたかった。
 いくつかの岩の塊を迂回したところで、彼はそれと出会う。
「あ……
 思わず、安堵を含む声が洩れた。
「ユキナさん!」
 家だったものふたつの間で、軽く屈み込んだ格好の背中が見えた。見える範囲では、怪我もないらしい。
 相手は振り向く。黒目が、心なしか濡れているように見えた。
「ヒルト、あんたも無事だったんだね」
「はい。あの、ミュートさんとルータは……?」
 歩み寄りながらの問いに、少女は立ち上がり、首を振る。
 そこで、ヒルトは気がついた。ユキナが何を見ていたのか。
 倒れ込む姿は、ほかの者たちと同じ土色の布に包まれているが、ここまでに見てきたものよりずいぶん小さい。幼い手にも、眠っているような顔にも、見覚えがあった。
 2人を街に受け入れてくれた、幼い少女。
「見てないけど……生きてるだろうよ。あいつら、あたしらよりしぶとそうだからね」
 無理矢理張り上げた明るい声は、それだけに、少し虚しげでもあった。
「そうですね。もう少し捜してみましょう」
 ユキナの努力が無駄にならないよう、ヒルトもできるだけ元気の良い声を出す。
 街の中心部には破片が多く散っているらしく、それらから出火した炎の壁が揺れている。細かな破片や土埃を巻き上げた風が中空で渦巻き、炎を煽るように荒れ狂っていた。

 ミュートは炎と岩の家の残骸を避けながら、中心部へ歩き続けていた。時折肌がチリチリするような熱風に晒されるものの、立ち止まることはない。
 その傍らに、探査艇は飛んでいない。軽いだけに烈風で吹き飛ばされたのかもしれないが、軽いだけに衝撃も小さく済むだろう、上手く風に乗ったに違いない、と楽観的に考えていた。
 彼女の勘も、それを告げている。なぜか今、勘が冴え渡っている自信があった。その勘は、彼女を街の中心へ導いている。勘に従いながらも、彼女は冷静に考え続けていた。
 その頭を占めるのは、調整者をやめた調整者、アルファのことだ。彼女のことばを仔細に思い返す。
 調整者の船からASを奪って欲しい。
 落ちたのは、調整者の船か。ならば、それも、船の乗員らしき姿がないのも、アルファの仕業か。行き先に自然と足が向くのも、ASを通して呼びかけられているのだろう。
 状況をそう結論付けて、歩き続ける。進むごとに、瓦礫に船のものらしい残骸が増えていく。
 そして、行く手に大きな障害物が現われた。
 半透明な、大きな箱が見える。それを取り囲むように、さまざまな機材がついた壁の一部がせり上がっている。機材の一部からはコードが伸び、箱にまとわりついていた。
 そわそわするような、胸のざわつきを覚えながら、少女は足を速める。
 異質な音が彼女の動きを急激に加速させる。
 身を捻りながら振り向く黒目に、光沢のある黒の身体を持つ姿が映る。両腕は、手首の辺りから先が刃となっていた。
「調整者の機械兵か……
 運良く、破壊を逃れたものもあったらしい。ミュートはポケットからナイフを取り出し、そのまま投げ放つ。相手の、線がむき出しになった右足膝へ。
 一瞬、機械兵の動きが止まる。だが、すぐに動きを再開した。空中で。
「飛行可能なのか」
 少し疲れたように言って、別のナイフを手にする。
 機械兵は空中へ高く飛び上がると、光線で地面をえぐった。岩が弾け飛ぶのを避けながら、少女はナイフの狙いをつける。
 通常なら、ただ逃げるだけしかない状況だ。だが、彼女にはASがある。投げ放つナイフに、ただ少し、力を加えてやればいい。標的に届き、標的をつらぬくだけの加速を。
 見た目にはただのつばのないナイフに過ぎない銀光が、弾丸のような速度で機械兵の金属の頭をつらぬいた。
 それで停止しなければ2撃目を放とうと、ミュートはさらにナイフを用意していたが、使うまでもなく、機械兵は落下して爆発する。
 炎を噴き上げる残骸を目にして、少女は舌打ちした。ナイフ2本は回収できそうにない。
『あなたなら……
 落胆する背中に、声がかけられた。頭の中に直接響くようなその声は、哀しげで、優しげで――ミュートが耳にしたことがないほど綺麗だった。

 少女は、半透明な箱に近づく。
 箱の中には、大きな宝石のように輝くものが浮かんでいる。それは、彼女の左の手首にあるものに似ていた。
『私を……破壊してください』
 人間のものと思われない声は、確かにそのASから発せられている。
 心がざわつくのを感じながら、ミュートは見下ろす。宝石のような輝きを放っているものの、何の素っ気もないモノのはずだ。それが、なぜかとても、気にかかる。親しく感じる。深く知りたいと思う。
 その感情は、アルファの狙いに添った、彼女自身のASによる誘導なのかもしれない。それでも、それに従いたいと、ミュートは思う。
 しかし、彼女は相手が何者なのか、どう考えているのかを察していた。だから、彼女は何を言われるのか知りながら、それを待っていた。悲しげな、漆黒の瞳で。
『強力なASの使い手……あなたならできるでしょう。破壊してください』
 ミュートは手を差しのべるように突き出した。手のひらの上に光点が生まれ、それが一気に引き伸ばされ、太さを増す。
 光の槍を握り、少女は振り上げ、振り下ろす。
 火花が散った。コードは千切れ飛び、箱が割れる。
 ASを取り出して、ミュートは自分のASを使い、感覚で内部を探る。そこには確かに何かの意識があり、今は眠っているように思えた。なぜか、残念な気分になる。
 その場を離れ、歩き出す。さまよい歩いているかのようだが、彼女はまた、呼ばれているような感覚に従っているに過ぎない。
 どこに向かっているのか、予想はついていた。間もなく、街外れの辺りで予想通りの相手と出会う。
「ずいぶん、派手な方法を選んだものだね」
 赤毛の少女に向けられたミュートの声に、嫌味はない。
 少女アルファの狙いのために、街は崩れ、人々は死んだのだ。しかし、それを責めるつもりは、少女にはない。より大事なもののためには何かを犠牲にすることも必要だということは理解しているし、街の者たちは仮想の存在なのだ。
「私も、完全に事態をコントロールできているわけではない。偶然性のある作戦でなければ調整者の目など欺けないからな。だが、犠牲を出す覚悟はあった。すべては私の責任だ」
「おかげで、もう調整者の船による破壊がなくなったのは確かでしょう」
 ミュートは奪ってきたASを突き出した。
「どういうものかはわからないけれど、それが重要だってこと、わかった気がする」
……そうか」
 約束のものを受け取りながら、アルファはかすかに眉をひそめる。
「だったら……もう少し、付き合ってくれないか。きみにとっても悪い話ではないはずだ。この世界を出てからの話だが」
 調整者はこの世界を出る方法を持っているのか。ミュートの目が、わずかに細められる。
 赤毛の少女はその目を真っ直ぐに見つめた。
「ひとつの、調整者に対するカモフラージュだ。いつまで持つかはわからないがな」
 その提案を、ミュートは受け入れた。
 アルファが大事にする彼への興味と、存分に利用しようという打算とともに。

『おーい、ミュート!』
 少年と少女を背後に従えるようにしながら、超小型探査艇が飛ぶ。
『ミュート、どこにいるのさ! 置いてくよー!』
 スピーカーの音量を目一杯上げて呼びかける。
『ミュートのチビ! 耳年増! 意地っぱ――イテッ』
 こつん、と石が放られ、罵詈雑言を中断させた。
 岩の陰から、黒目黒髪の少女が現われる。それを見て表情を変えたユキナとヒルトが駆け寄った。
「やっぱり無事だったか」
「そういうお2人も、良く無事で」
 誰もが、生きている人間と顔を合わせるとほっとする。廃墟の中でも、かすかに笑みがこぼれた。
「でも、調整者の船がなくなったとはいえ、早くここから逃げたほうがいいですよ。船に乗っていた調整者のほとんどは生きているでしょうし」
 そう提案する少女に、ユキナとヒルトは、一緒に逃げよう、などということばをかけることはなかった。2人は1度視線を交わすと、ユキナが意を決したように口を開く。
「ミュート。あんたに、伝えなきゃいけないことがあるんだ。《時詠み》から」
 ミュートは、それが当然であるかのような、納得顔でことばの続きを待つ。
 ユキナは腕を持ち上げると、ある方向を指差した。
「あっちの方向に、最後の場所へのゲートがある。待っている、だそうだ」
 それをミュートとルータに伝えること。それがユキナとヒルトの役目だった。
 ミュートは強くうなずいた。覚悟はできている、そんなほほ笑みを浮かべて。
「それで……お2人は、どうするつもりで?」
 少女が訊くと、岩に腰を下ろしていたヒルトが少し困ったように首を捻り、
「《時詠み》は、役目を終えたら安全なところにいろって言ってたけど……
『それなら、私たちが前にいた町にいるといい。向こうは向こうで、この世界からの脱出方法を見つけてるかもね』
「そうか。じゃあ、そうしようかな」
 ルータのことばを聞き、ほほ笑む。少し寂しげにも、悔しげにも見える微笑だ。
 『役目を果たしたら、どこか安全なところにいるといい。そのうち、すべてが解決しているさ』――というのが、《時詠み》のことばだ。知らないところで事件は始まり、自分とは関係のないところで解決してしまう。それがとても寂しいような気はするものの、ヒルトにはまだ、事態の中心に躍り出る自信も力もない。それを、彼自身自覚している。
 そして、おそらく事件を解決することになるひとりと1機には、そうする力がある。
「行こうか」
 ルータが彼らが出てきた街の詳しい場所を伝え終わると、ミュートが告げる。
『そうだね……ヒルト、ユキナ。今度会うときは、現実世界でだね』
 探査艇を見上げ、2人はうなずく。
「気をつけて行きなよ」
「戻ったら、話を聞かせてくれると嬉しいな。ルータ、ミュートさんも」
 すでに歩き出しながら、アイス・ミュートは振り返って笑った。
「再会のときには、土産話を持って行きますよ」
 それじゃあ、と、瓦礫の中を歩き出す。
 彼女がヒルトと再会するのは、事件が解決してからも、だいぶ先のことだった。

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