ミュートはルイスに先導され、町が広がるくぼ地を出た。くぼ地からの出口は踏み固められた土の段やはしご、石を敷き詰めた階段などがあるが、今回選ばれたものは、縄梯子だった。
縄梯子を登っている途中で、少女は街並みを振り返る。
破壊され、屋根が大きく引き裂かれた民家や、壁に不自然な穴が並んでいる倉のような建物が、街並みの端にいくつも見えた。
彼女はそれを視界に納めると、すでにルイスがはしごを登り切っているのに気づき、急いで後を追った。登り切ると、町に入った時に見た、丘と奇妙な穴を望む、長方形に近い建物の連なりが目の前に現われた。
「ここが隔離棟と監視小屋さ。今回の襲撃で、また何人か連れ込まれただろうな」
『隔離……ってことは、伝染する可能性のある病気とか?』
ミュートに抱えられたまま、流線型の魚にも似た小型探査艇が、深刻そうに少年に尋ねる。襲撃者が引き上げてから間もなく意識を取り戻した彼は、その鏡のようにつややかな側面に亀裂が残っている他に、一見して異状はないらしい。
「伝染って言うか……確かに、そばにずっといりゃあ、伝染るんだろうけどな」
顔をしかめて言い、ルイスは、丘の周囲に口を開いた、いくつもの穴を指差した。
「あの穴は、手遅れになった者の墓だ。ある程度症状が進んだら、バケモノになる前に……息の根を止めるしかない。その時にはもう、患者も自我を失ってるし、身体も変化しきってるから」
「変化……?」
「そうだ。人間の身体がどんどん植物みたいになっていくんだ」
『そうかい? 私は、あの向こうの穴から電子的な反応を感じるけど』
ルータのことばに、ルイスは首をかしげた。ミュートも、わずかに眉をひそめる。
「機械なんて、見たことないけどな。オレたちが見たことがあるのは、植物の怪物ヘカレルだけだ。……ついて来い」
徐々に不安が募ってきたミュートに手招きし、ルイスは建物の裏を通って、少し離れたところに案内する。そこには、数本の、自らの枝がつたのように四方八方に伸びて幹に絡みついた、白い木々が並んでいた。
それに、何の意味があるのか。
妙に凹凸のある幹と、その中央に突き立った矢に気がついたとき、ミュートは木の正体に思い至った。
「これは……人間?」
少女の視線を受け、少年は大きくうなずく。
「最初の頃の患者さ。暴れ出したから、退治された。最終的には、みんなこうなる」
『助かる方法はないの?』
ルータはついに、彼にとって重要な質問をした。
そのことばに、ルイスはおそらく努力して、無表情に、淡々と答える。
「ひとつだけある。完全体になった犠牲者が死んだ後の、この木の実を使うか、あの怪物自体からその実を奪ってくるか。でも、ここの木の実は全部使ってしまったから、今いる重症患者が完全体になって暴れるのを倒し、木になるのを待つくらいしか……」
完全体になった患者は人外の力を得るため、そして実は少なければ5、6粒しかならないので、倒す前に犠牲者が増える可能性が高い。だから、残酷ながら仕方なく、完全体になる前に絶命させるほかはない、と彼は付け加えた。
「ルータ、小さいから進行が早いよね」
ミュートは掲げるように探査艇を持ち上げ、決意の表情で言った。
「そんな、誰かが完全体とやらになるのを待ってる余裕はないよ。それに、怪物を倒せばこれから犠牲者が出なくなって一石二鳥」
ルイスは、彼女のことばに愕然とする。
「そんな無茶な……今までも退治しに行ったヤツはいたけど、全員やられちまった。あいつはデカくて早いし、しかも長い武器を何本も持ってる。で、飛び道具もある」
「でも、他に方法がないなら仕方がないよ。大丈夫、ちゃんと倒してくるから」
差し出された探査艇を受け取って、少年は呆れたように溜め息を洩らす。
「どうなっても知らないからな。まあ、好きにしな」
投げやりな彼に、ミュートはほほ笑みを浮かべて見せた。先ほどまでのような不安の色はまったくなく、すべて自分に任せておけば安心、という、不敵なまでに優しい笑顔。
毒気を抜かれた気分で、ルイスは軽く頭を振る。
「せいぜい、努力するんだな」
『ミュート、気をつけてね』
歩き始めた少女の背中に、適当な調子の彼とは違い、ルータは真剣な声を出した。
「すぐに終わらせるよ」
ミュートは笑顔のままで言って、左の手首を指さす。ルイスにはわからないが、ルータにはその動作の意味が伝わる。
小柄な少女の姿は、間もなく建物の陰に入って見えなくなった。
建物のうち、町に近いほうが隔離棟になっていた。毛布を吊るしただけの入口からなかに入ると、ベッドや床に敷かれた布の上に、5人の男が寝かされていた。その男たちを、看護婦と医者らしき男、そして、ベルトに短剣に近い大きさのあるナイフを挿した男2人が、世話をし、あるいは監視している。
部屋の奥に歩いて間もなく、ルイスは驚き、大きく息を吸い込んだ。
「オヤジ!」
声をかけ、床に寝かされた男に駆け寄る。頭に鉢巻を巻き、無精ひげを生やした40歳前後の男が、苦笑いで少年を迎えた。その左肩には、赤い染みが広がった包帯に覆われていた。
「おお、ルイス。無事だったんだな。その脇に抱えてるのは、うちに売るつもりだった何かか?」
「何かじゃねえよ! あんた、何やってんだよ……祭りやるんじゃなかったのかよ」
ことばの途中で気力をなくしたように、少年は相手のそばで、崩れるように床に両膝をつく。
鉢巻の男は、白々しい笑みを浮かべることもできず、かといって深刻な表情を作るわけにもいかず、曖昧な表情のまま、困ったように少年の姿を見つめた。周囲の者たちも、かけることばもなく、成り行きを眺めるほかはない。
辺りを支配する沈黙を破ろうと、少年の脇で探査艇が身じろぎした。
『あのう……ジャンク屋のおじさん?』
会話からそう見当をつけて、合成音声が呼びかける。
うなだれていたルイスはようやくその存在を思い出し、周囲の人々は、その存在に目を白黒させる。
「なんだい、そりゃあ……通信機か?」
『違うよー! 私は、ルータ。最新鋭の宇宙船航法制御型人工知能。この探査艇は、ええと……仮の姿ってところだよ』
奇妙な機械をまじまじと見つめるジャンク屋に、ルータは声だけで反論した。
ルイスは気を取り直し、あぐらをかいて座り、その上にルータを抱えた両手を載せる。のぞき込んでいる周囲の者にも、壁に備え付けられた燭台の灯を反射する側面に走った筋がよく見えた。
「これは、あいつの……」
ジャンク屋がルイスに視線をやると、馴染みの少年はうなずいた。
「そうか、オレと一緒で、今回の襲撃でやられたか。運が悪かったな、最新鋭のAI殿とやら。おれも、生きて帰れるといいがなあ。せっかく、火を調合して花火まで準備してたんだぜ。せめて、最後に一花咲かせたいぜ」
『大丈夫、生きて帰るよ』
この隔離棟には、ジャンク屋のほかに、4人の患者が隔離されていた。そのうちの3人が、ルイスの左右からルータをのぞき込み、つついたりしている。
一見したところでは、3人とも、異状は目立たなかった。1人だけ、首が白く、カサカサになっているのがわかる程度だ。
ただ、ルータの〈目〉は人間とは違う。彼は、3人とも服に隠れた部分を包帯で幾重にも覆われ、その下の肉体の細胞が、一部変化しているのを感知することができた。
『花火、楽しみだな。おじさん、私にも見せてね』
「ああ、その時までこの手が動いたらな」
投げやりでも、絶望した様子でもなく、ジャンク屋は手を振った。完全なあきらめ故の明るさらしかった。その、物事はなされるがまま、という様子を、ルイスは複雑な目で見る。
一方のルータは、あきらめも絶望もない。
『ミュートが戻ってくるまで、私は寝てよう……起きたときには良くなってる、多分』
希望を失った人々がそのことばを悲痛な表情で聞いていることを知りながら、ルータは人の手のぬくもりの中で、眠りに落ちた。
町では余り感じられなかった、冷たい、荒れ狂う風が大地から砂埃をさらう。
ジャケットのチャックを襟の端までしっかり上げて、ミュートは自分の持ち物を確認した。ジャケットやハーフパンツのポケットに、ベルトのポーチの中。そして、袖口、靴のかかと、内ポケットなど。
そして最後に、左の袖をまくってみる。
そこには彼女の期待通り、腕輪型の装置がはめられている。
「……よし」
小さく気合を入れると、彼女は大地に開いた穴に近づいた。
穴の向こう側に、より大きな、アリ地獄の巣のような穴がある。それを視界の端に捉えると、少女は丘を迂回し、回りこむようにして、大穴に近づいていく。
ピキ、ピキという、小さな植物の茎が折れるような音がした。彼女は反射的に足もとを見るが、この辺りは赤茶けた柔らかい土で、足音すらほとんど響かない。
やはり、音は穴の奥からか。
注意深く、徐々に全容をあきらかにしていく穴を見守りながら、音もなく接近する。ピキピキという音に、何かが引きずられるような音が混ざり始めた。
そして、穴のふちに、底のほうからのびてきた白い根の先のようなものがかけられ――
刹那、大きく飛び退くミュートの目の前に、その太いツタが振り下ろされた。棘が生えたツタが地面に食い込み、土を舞い上げる。
さらに5本のツタが大穴のふちにのび、それを支えにして、ツタの持ち主が飛び上がる。
「こいつが……」
少女は、ポーチのひとつに手を入れながら、赤黒い空を背後にしたヘカレルを見上げる。
先ほど、ルイスに案内された元は人間だったという木に似ていた。ただ、こちらのほうが人間の輪郭に近く、それでいて、棘のある太いツタが幾重にも巻きついたような姿をしている。顔に当たる部分にはびっしりと長く鋭い棘が生え、全体が牙をむき出しにした大きな顎のようだった。
その姿が、ドスンと音を立て、地面に降りる。同時に、鞭のようにしなるツタが地面すれすれを薙いだ。
それを前方に跳んでかわし、ミュートは走る。背後から別のツタが振り下ろされる気配を察知し、それも跳んで回避すると、大き目の投げナイフを2本手に突進する。
目の前に迫った大きな姿から、小さな種のようなものが飛び出した。それを反射的に膝を落として避けると、2本のナイフを指の間に挟んだ右の拳を突き出す。相手の、白いツタがうごめく脇腹に向かって。
「むっ」
堅い反動を手首に感じて、彼女は左に転がった。そのそばの空間を、ヘカレルの胸の辺りから弾けるように発射された茶色っぽい種のようなものが、銃弾のような速さで飛び去っていく。
彼女が切り裂いた部分のツタは、すぐに別のツタに隠され、見えなくなる。
転がって一旦離れ、身を低く保ちながら、周囲を見渡す。そして、ミュートは、ヘカレルのそばの地面に、常にその身体を構成するツタに組み込まれた、根のようなものがあるのに気づく。
「行け!」
袖口からもう1本投げナイフを抜き、地面からのぞく根のような白い筋に投げつける。それはわずかに、標的をかすったようだった。
それに反応したのか、一瞬、ヘカレルの動きが止まる。
だが、その場に立ち尽くしたまま、怪物の形状か変化していく。何かが折れ、えぐれるような音とともに、顔や手が下にずれ落ち、まるでサナギがふ化するように、一番表面にあるツタを残し、大地に向かって潜り込もうとする。
ミュートは、「地中を追ってくる」という、ルイスのことばを思い出す。
地中から攻撃されるのは厄介だ。我に返った彼女は、だらりと地面に横たわったまま細かく震える、ツタのひとつを持ち上げた。気をつけて触れたものの、棘で手のひらの皮膚が破れ、わずかに鮮血がにじんだ。
かすかな痛みにも捕われず、精神を集中する。
炎が、ツタから噴き上がった。オレンジ色の炎は生き物のように、ヘカレル本体に向かう。
しかし、それが本体に届く前に、別のツタがしなった。それが、先端から灰と化しつつある自らのツタを引き千切る。
「炎が駄目なら……」
地中に向かいつつある本体に走りながら、少女は走る。彼女の右手の2本のナイフ先端の間に、青白い火花が散った。
少女の突進を妨害しようと、ツタが彼女を追う。それを転がって避ける彼女の頭上を、ビシュッ、という、激しく空気を切り裂くような音が通過する。本体に肉薄すると、低い位置から、ツタの表皮を破って種が発射された。
ミュートは、それをよけない。よけていては、本体が完全に地中に隠れるまでに間に合わない。
種が、彼女のむき出しの左太ももに食い込む。軽くバランスを崩しながら、右手を伸ばしてナイフを本体を覆うツタに突き立てた。
刃は、奥にまで通らなくていい。刃を介して注ぎ込まれる電撃は、ヘカレルの内部からツタの端まで荒れ狂う。
ギギギ、ギギ……
初めて、ヘカレルがその内側からの音を出した。それは声などではなく、生命なき何かが壊れるような音だった。
ヘカレルはもがくようにツタを踊らせ、身体を震わせながら持ち上げる。巻き添えを避けるため、ミュートは左足を庇いながら離れた。
それから間もなく、最後に大きく痙攣して、ヘカレルは動きを止める。
「終わったか……」
溜め息と一緒に吐き出し、生温い鮮血が流れる左足を引きずり、地面に半ば埋もれたままの相手に近づく。
矢じりに似た形の、宝石のような、とても植物の実とは思えないつややかで硬そうな黒い実が、本体に巻きつくツタにぶら下がっていた。それを摘み取ろうと手が触れると、実のひとつが輝き、まるで魔法のように、手のひらに吸い込まれる。
驚いて手を引っ込め、ミュートはその手を見た。
「これが解毒作用……ってこと」
やがて、その事実だけには納得すると、ナイフで他の実を摘み取り、ポーチの中に滑らせる。幸い、6つの実を確保することができた。
しかし、それですべてが納得できたわけではない。
包帯と傷薬を取り出して手のひらと左のももに応急処置を施すと、ナイフを手に、ヘカレルの身体を構成するツタを取り払った。
白いツタが千切れ、深い部分にナイフが届くと、その先端が堅いものに当たる。ナイフを置いて両手でツタの束を引き裂くと、鈍く光る金属の表面が見えた。
眉をひそめ、彼女はふと、大地に飲み込まれた根のような筋を引っ張り、ナイフを当てた。すると、植物の表皮に包まれていたコードらしきものが外気にさらされる。
怪訝そうに目を細めながら立ち上がり、ミュートは、ヘカレルが横たわる辺りの大地を透かし見るように見下ろした。
一体、なぜこうなったのか。それとも、これは誰かの意志なのか。
不可解なものを感じながら、少女は大穴を後にした。
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