フォーシュ・ファンメルはシグナ・ステーション在住の私立探偵である。ステーション内の事件には彼女の関わらないものはないと言われるくらいで、GP――ギャラクシーポリスの刑事と調査をともにすることもある。当然、元GP刑事のロッティ・ロッシーカーも彼女とは旧知の仲だった。
フォーシュは、その実像を知る者なら1度は〈鉄の女〉ということばをイメージするような女性だ。物静かで沈着冷静な性格、狙撃と武術の腕前もさることながら、その姿も強烈な印象を与える。輝くブロンドに澄んだ青の瞳――しかし、服装は機能性を重視したものばかりで味気なく、アクセサリーのような物もほとんど身につけることはない。
自分が見ているのは捜査中の姿ばかりなのだから仕方がないだろう、と、ロッティは思った。どこか薄暗い雰囲気の、蜂の巣に似た居住区の壁を見回すと、こんな場所に住んでいるから服装までも地味になるのだろうか、とも思う。
まだ人口の少ない地区の、部屋が並ぶ住宅街だ。いつかはここも賑やかになるだろうが。
「ここか……」
円形の窓が並んだ、壁のひとつ。プレートに〈東区フロートロード3-23〉と記されていた。
それを確認し、ロッティは自動ドアを抜け、ワープゲートに入った。シグナに指示するまでもなく、光がゲートを満たす。
気がつくと、彼は3階にいた。ワープゲートの円柱形の壁から、狭い部屋の壁に書かれた数字が見える。
『フォーシュは右手側の3つ目の部屋だよ』
室内のスピーカーから、シグナが声を響かせた。
「どうも」
通路に出て、数人とすれ違いながら奥に進み、目的の部屋の前で足を止める。ドアの横のプレートにフォーシュ・ファンメルの名があった。
それを確認するかしないかのうちに、ドアがスライドする。
目を丸くするロッティを、澄んだ碧眼が冴え冴えとした視線で見上げていた。
「遅かったわね。それで、私に何か用かしら?」
相変わらず単刀直入な問いかけ。入浴後なのか、トレーニング中だったのか、スパッツにランニングという身軽な姿だった。突然のいつもと雰囲気の違う姿に、ロッティは少しの間口を開けなかった。
「……ああ、いや、これを頼まれてな」
我に返ると、肩にかけた鞄のなかから封筒を取り出す。ギャラクシーポリスからの召喚状だ。
「……まだこういう仕事をしているのね」
「今は取引先のひとつさ……それに、お互い様だろう」
「確かにね」
ふっと笑い、フォーシュは封筒を部屋の奥に放った。なかは薄暗く、必要最低限の調度品しかない。
これで用事は済んだが、ロッティはふと思いつき、何気なくきいた。
「行くなら、2、3日ここにいるから、声をかけてくれれば乗せていくぞ」
フォーシュはそれに、少し間をあけて答えた。
「そうさせてもらうわ。ただ、そのことを他の皆には知られないようにするのね」
珍しく、いたずらっぽく言う。その意味がわからないままに、ロッティは別れを告げた。
ドアの前から離れた直後、花束を抱えた男とすれ違い、彼はフォーシュのことばの意味に気づく。
すれ違いざまに振り返って不審な目を向けていたのは、フォーシュに好意を抱くメカニック、ジェイン・ラスローだった。
オリヴンのラボ〈リグニオン〉には、1人の客が訪れていた。
ラボ内にいてもまったく違和感のない白衣姿の青年が、バントラム所長らとともに巨大スクリーン前のテーブルについている。周囲の者たちの心配をよそに、ラファサは真っ先に客人にハーブティーとケーキを出した。その少女が人間でないことは、さすがにアンドロイドの分野にも詳しいストーナー博士にもわからなかったらしい。
ラファサにいくつか質問をした後、彼は本題を切り出した。
「実は、ガーベルドンのネットワークの暴走について調査を頼まれていてね。できれば、ゼクロスとキイに協力を頼みたかったのだが。滅多な船では地上に近づくのも難しくなっているんだ。それに、ゼクロスなら原因究明の力にもなってくれると思っていたし……」
『私はもちろん、お力になれれば良いと思いますが』
所長のバントラムが口を開く前に、スピーカーからゼクロスの応答があった。
「うむ、博士には恩もあるしな。ただ、キイが来ないことにはどうにも……」
と、バントラムがワープゲートに目をやると、はかったかのように、円柱状のゲートから光が洩れた。ラボの者たちは予想してたらしく、今さらそれくらいのことでは驚かない。
ラファサは、話には聞いていたものの、その姿は初めて見る。意外に小柄で、まるで画家志望の美少年と言った風情。ベレー帽に隠した髪も、底知れない深淵を映したような瞳も、つややかな黒一色だ。
彼女は気楽な足取りで、テーブルに近づいて来た。ストーナー博士の姿にも、見慣れないエプロン姿の少女にも、気づいているには違いないが、気にも留めない。
「おはようございます、所長。ストーナー博士がわざわざお越しになるとは、仕事ですか?」
「話が早いな、キイ」
ハーブティーを口に含み、ストーナーが顔を上げる。
「その荷物といい……何かあるとしか思えませんからね」
ストーナーの足もとには、これから数ヶ月、旅行に出かけるという感じの荷物がまとめられていた。いや、実際に旅行に出かける場合でも、大抵はほとんど手ぶらのままが主流である。現代では、必要な物は何でも現地にそろっているのが普通だ。
荷物が多くなるのは、未開の地に出かける調査員か、特殊な技能を生かすために必要な機器を持ち歩く専門家か、馴れた物を手放せない性分の人間くらいだろう。
『キイ、良いでしょう?』
「まあね……」
耳馴れた声に、彼女は即答する。
「ただ、きみは昨日ずっと寝込んでたそうじゃないか。大丈夫なのかい?」
『平気です。もうほとんどもとの通りですよ』
ストーナーも、同じことを心配していたのだろう。ゲートの小型宇宙船を振り返り、安堵の表情を見せた。
所長も賛成とあって、断る理由はない。ガーベルドン行きが決定すると、早速キイはゲートに向かって歩き出そうとする。
それを、ラファサが呼び止めた。
「待ってください。私も、連れて行っていただけませんか?」
意外な申し出に、博士らが少女に注目した。キイも足を止め、振り向く。見透かしたような視線に、ラファサは一瞬立ちすくんだ。
「あの……今回の件ではきっとお役に立てると思うんです。それに、私は起動して間もないから、色々な所を見てみたくて……」
「確かに、きみがいてくれれば心強いが」
ラファサも、自身がそうであるだけに、人型ロボットなどについての知識が豊富だ。先ほどストーナーが彼女に質問したのも、そのことである。
博士は、何かを求めるようにバントラムを見た。
ラファサがこのラボに来て、まだ2日目。そのため実感がないのだが、所長はようやく、自分が彼女の保護者なのだということを自覚する。
「まあ、当人の希望もあることだし、いいだろう。キイ、ラファサを頼むぞ」
「よろしく、ラファサ」
キイは保護者の承諾が取れるなり、あっさりラファサの申し出を受け入れた。
『キイ、ラファサはナシェルさんの研究所からいらっしゃった人間型生体ロボットです。ナシェルさんはトラム研究所の方だったのですね』
誰もキイにラファサを紹介していなかったので、ゼクロスが紹介役を引き受けた。
『あと、もうひとかた新しいメンバーがいるんですよ。ほら、フーニャ、ご挨拶』
白い毛並みに黒の斑の子猫は、バントラムのとなりの席にいるアスラード博士の膝の上にいた。丸くなっていた子猫はゼクロスの楽しげな声に答えるように、みゃあ、と一声鳴いた。すでにラファサ以上にこの空間に馴染んだ様子である。
「賑やかになったものだね。ま、もともと賑やかだけど……博士、こちらはいつでもOKですよ」
「そうか、早速」
ストーナーが立ち上がると、彼が手を伸ばす前に、キイとラファサが彼の荷物を持った。女性に持たせるのは悪いと思いながらも、その好意はありがたく受け取っておく。
「気をつけてな。無理はするなよ」
アスラードが軽く手を振る。その膝の上で、フーニャがまた小さく鳴いた。
ブリッジに入ると、ラファサは物珍しそうに周囲を見回した。知識は色々詰め込まれているものの、正に昨日生れたばかりの彼女である。その色の白い顔には、初めて宇宙に出る期待と不安が入り混じって表われていた。
「じゃ、行きますか」
『メインドライヴ起動。目標、ガーベルドン』
モニターに灯が入る。何の振動もなく、機体が動き出した。慌てて席につこうとするラファサが拍子抜けするほど、身体にかかる圧力も感覚も変化がない。
ただ、メインモニターの映像だけがめまぐるしく変わっていた。空色が広がったかと思うと、すぐにそれが闇に溶けていく。ゼクロスは発進前にオリヴン航宙管理局の許可を取り、現在航行中の船の航路を計算している。何の問題もなく大気圏を飛び出し、青い惑星を背に、底知れない闇の広がる宇宙空間へ。
キイはヒマ潰しのためか、本を取り出してきた。しばらく茫然としていたラファサは、それを見て我に返り、自分がホウキを持っていることに気づく。当然ながら彼女の持ち物と呼べる物はなく、機内に持ち込んだのはそのホウキくらいなものだ。
掃除をするのは自分の心を落ち着ける効果がある、と、ゼクロスは分析したが、それを声には出さなかった。今、彼の関心は別のところにある。
『キイ、博士、これを見ていただけますか?』
とりあえず人のいない部分から掃除に行ったラファサ以外の2人に、ゼクロスはサブモニターの映像を切り替えて見せた。ワイヤーフレームで表示された、闇に浮かぶ〈何か〉。それぞれのワイヤーの横に表示された数字を見て、ストーナーは目を見開いた。画面の端には、その現象がオリヴン軌道上で起こったことが表示されている。
『ほんの134分の1秒の間だけですが、空間の歪みのようなものが観測されました。例えば宇宙船がワープインする直前やワープアウトした直後などに見られますが、宇宙船の姿はありませんでした』
「おかしいな……」
ストーナーはもともとこういった分野の専門ではない。しかし、以前読んだ論文に行き当たる。
「ワープにはいくつか副作用があって、そのひとつにこういうことがあったような……。それに、誰かが新しいワープ航法の研究をしているのかもしれない。中央航宙管理局の許可が必要なはずだが」
「あとは、超時空要塞とか」
キイは、興味なさそうに言った。特に被害が出たわけでもなく、ここで議論していても仕方のない現象である。
「帰って来たときに航宙観測センターにデータを転送しよう。今はそちらより、ガーベルドンの調査が先だ」
機体は、すでにとなりの星系に入っている。ガーベルドン到着まで、あと30分あまりの予定だった。
ラファサは、ほとんど使われていない倉庫に入った。薄暗いなかに入るなり、自動的に照明が点灯し、埃のたまった床を照らし出した。掃除のしがいがありそうだ、と、ラファサは碧眼を輝かせた。
『ガーベルドンの軌道に到達しました。着陸態勢に入ります。ラファサ、ここの掃除は別の機会にしたらどうです?』
天井のスピーカーから、ゼクロスが問い掛ける。
「できるだけでも、やっておかないと。ずっと放っておくと取れなくなりますよ」
少し残念そうな表情を見せたものの、気を取り直し、ラファサはホウキで床を掃き始めた。昔キイが掃除しようとしてやめたときに持ち出してきた強力な掃除機が壁際にあるのだが、ホウキに何かこだわりがあるのだろうと思い、ゼクロスは言わないでおいた。
機体は灰色にくすんだ惑星めざし、降下していく。地図が整備されているわけでもないが、一応中心都市と呼ばれている場所、グロイスへ。
『航宙管理局からの応答がありません。ビーコンも故障している模様です。勝手に降りて大丈夫でしょうか』
「事前に連絡が行ってるからな。大丈夫だろう」
ストーナーが溜め息交じりに言い、背もたれに寄りかかった。
「もともと、故障の原因を探るために呼ばれたからな」
ガーベルドンは、〈ガラクタの星〉という、あまり印象のいいと言えない別名で呼ばれている。使い古しのシステムで何とか惑星としての機能を保っている、技師たちの星だ。政府などない、歴史の浅い自治区のようなものである。引退した技師や、貧乏なフリーの技師などがねぐらにしている。
機器の故障は、日常茶飯事だ。しかし、今回ほどの広範囲に渡る機能不全は今までにないことである。ビーコンの助け無しで、センサーが妨害されやすい上に雑然とした街の外れに降下できるのは、よほど腕に覚えのある者だけだろう。無論、ゼクロスがそのなかに含まれていないはずはない。
しかし、慣性航行に入っていたゼクロスは突然、ドライヴを起動し、横にターンした。サブモニターに、機体をかすめていく球体が見える。
『自爆型追尾ミサイルを感知しました。緊急回避』
「どこから発射されたんだ?」
キイとゼクロスは慣れたものだが、ストーナーは宇宙での戦闘を経験したことなどない。その声は、緊張でかすれていた。
『惑星の裏から無人の警備用戦闘機が接近して来ます。高周波ビット5機展開を確認』
「暴走してるのか? CSリング、電磁シールド展開。一応、ラファサを呼び戻しておけ」
『了解』
こうなると、ストーナーに口出しできることはない。大丈夫だと思いながらも、無事にこの事態を乗り切れることを願う他ない。
サブモニターに、バリアとCSリングの展開が表示される。そして、急接近してくる、シャトルにもいびつな人型にも見える姿が。
「新装備のテストだ。好きに料理してしまおう」
ラファサがブリッジに戻って来たのを確認すると、キイは緊張感無く言った。
戦闘機が左右に回り込む。念のため、ゼクロスは惑星から距離をとった。高周波ビットと戦闘機が羽虫のようにまとわりついてくる。
『まずは、超精密レーザーを試してみましょうか』
ゼクロスもキイ同様に緊張感無く、どこか楽しげに言い、狙いをつけた。
映像が拡大される。戦闘機の左右にある主砲のうちの一方が、何の前触れもなく火を噴いた。主砲の銃口を狙ったらしい。
『これならどこでも狙えますね』
装置の性能に満足した彼は、精密射撃で次々と高周波ビットを撃ち抜いた。
戦闘起動と聞いて、青ざめた顔で席に座っていたラファサは、メインモニター上で展開される映像に目を見張る。これが戦いと言えるのだろうか?
戦闘機がレーザーやミサイルで攻撃するが、バリアにすら触れない。機体を回転させ、激しく回避行動をとりながらも、機内では少しも異変が感じられないのだ。
『そろそろ片付けさせてもらいましょう……』
機体を反転させ、その後方、惑星がたたずむほうに通常のものとは違うバリアを展開。
『グラビティボム、発射!』
戦闘機の、光沢のある灰色の装甲が陥没した。一瞬時間が止まったように静止した後、火花を散らし、爆発する。
同じく、もう1機も破壊された。
『目標、すべて機能停止』
「戦艦じゃないなんて、まったく信じられんな……」
ストーナー、それにラファサはほっとしたように溜め息を洩らす。艦長席のキイはモニターを見てもいないが。
ゼクロスはバリアとリングを消し、再びガーベルドンへ向かって飛ぶ。
だが、またその針路が変更された。
『キイ、惑星の裏側に空間の揺らぎを感知しました。宇宙船がワープインして来ます』
新しい異変に、ストーナーは再び表情を変え、ラファサと顔を見合わせる。今までの戦いにも興味を示さなかったキイが、不敵な笑みを浮かべて顔を上げた。
「おもしろい。見てみようじゃないか」
惑星の裏側に向けて、ガーベルドンの衛星軌道上を行く。
これほど惑星に近いところにワープインすることは、通常禁じられている。しかし、ASを使用したワープの場合、例え惑星上にワープインしたとしても何か悪影響が出ることはない。
それがなかったとしても、キイとゼクロスには予感があった。そう、すべてはASゆえだろう。
目的の座標に着くと、ゼクロスは停止。
『来ますよ。小型戦艦が2機――5、4、3……』
キイは、バリアとCSリングを再展開するように指示した。
『……1、ワープ・イン』
モニターの背景の星々の光が、ぐにゃりと歪んだ。波紋が広がり、その中心に機首のシルエットが突き出してくる。
一気にこの空間に吐き出されたのは、見覚えのある機体だった。それを追って飛び出した、もう1機のほうも。
1機は、飾り気のない元GP戦艦。
もう1機は、銀で縁取られた、紅の翼。
「あれは……ランキムと、もう1機は……ノルンブレード……!?」
ストーナーも、その姿を見たことがあった。首を傾げるラファサに説明する。
「ネラウル系をねぐらにしているはずの海賊さ……なぜ、こんなところに? ランキムを追ってきたのか……」
両機とも、すぐにゼクロスの存在には気づいたはずだ。どう動くべきか思案しているように、2機は向かい合って静止する。ただ、どう動くべきかわからないのは、キイたちも同じだった。
しかし、もしランキムとノルンブレードの戦いとなれば、ゼクロスがランキムに加勢するのは決定事項と言える。ゼクロス、ランキムと同様に高度な人工知能を搭載した宇宙船であるノルンブレード、そしてそのパイロットである海賊レックスも、この場で戦闘起動とはいかないだろう。
短いようで長いような沈黙を破ったのは、レックスだった。
『よお、キイ、ゼクロス。また会ったな』
先手を取ろうというのか、レックスはASを使って、ゼクロスのブリッジと交信する。
彼の声は沈黙を破りながらも、ブリッジ内に新たな、奇妙な沈黙を作り出した。