NO.3 二重螺旋 - PART II

 人々は瞬きもせず、静止した状態で画面を凝視していた。指先も視線も、寸分たりとも動かない。それは正に、時間が静止した状態であるように見えた。
 しかし、画面の向こうでは時が移っているようだった。
 一瞬ブラックアウトしたかに見えた黒一色をバックに、2つの姿が浮かび上がる。
 ひとつは、黒いフード付きのマントを着込んだ人間の姿。
 もうひとつは、白い、空想上の動物、小型の竜に似ているような、しかし少しも獰猛さを感じさせない姿だ。
 そのふたつの姿は、画面のこちら側に注目していた。
 つまり、唯一この瞬間を知覚している存在――ゼクロスに。
……やあ、ゼクロス。この世界には苦労しているようだね』
 《時詠み》のことはゼクロスも知っている。少しでも知っている相手に出会えて、ゼクロスは少しだけ安心した。
『これは、どういうことなのです? この世界……ここは、惑星ではないのですか?』
『ある意味では、その通りだよ』
 白い竜が答えた。その声は、とても聞き覚えのあるものだ――
 ゼクロスが驚いていると、竜は苦笑したように言った。
『そう、これは私の人格を物理的に発現するための仮の姿。私はシグナだ。正確には、きみの知っているシグナではないけども』
『では、ここの人々の言っているあなたのことは……
『それも、正確には違う。この私にとっては、過去にあったことなんだ。私たちは本来ここの時間軸上には存在しない』
 ゼクロスは沈黙した。混乱しながらも、その優秀な頭脳は、相手の話を総合している。
『つまり、別の時間軸……パラレルワールドから来たということですか? 私も?』
 異世界のものが、この惑星に迷い込む。しかし、《時詠み》とシグナは、画面の向こうだ。自らの力でそこに現れている。ゼクロスとは状況が違う。
『ここはもともと、時間軸が絡み合っている。それとも、記憶の分離が希薄だと言おうか。だから、流されないようにするんだよ』
 画面の映像が薄れ始めていた。ゼクロスは必死に呼び止めようとする。
『待ってください!』
『我々は存在が希薄だから、また流される時だ……ゼクロス、どうしてキイの言ったことを守らなかったんだい?』
 《時詠み》のことばを最後に音声は切れ、映像も薄れていき、やがて、ブラックアウトした。

 茫然としているゼクロスの周囲に、時の流れが戻ってくる。画面を凝視していた人々は何ごともなかったかのように放映を終了したモニターから離れていく。いつの間にか空は夕焼けに染まり、丘をオレンジ色に染めていた。
 本当にここは異世界なのか。もう1度誰かに確かめても、むなしい思いをするだけかもしれない。それでも、すぐには信じられない。
 ゼクロスが茫然としていると、いつの間にか、人影が近づいてきていた。
「この世界には苦労しているようだね、ゼクロス」
『あなたは……!』
 黒いフード付きマントに身を包んだ、小柄な人間。つい先ほどまでモニターに現れていた姿と、まったく同じ存在に見えるが……
「そう、ボクはさっきの《時詠み》じゃない。きみの世界の《時詠み》とも違う。でも、世界の違いはどうでもいいことさ」
 その表情はうかがい知れないが、口もとは笑みを浮かべているように見える。
「きみを待っていたんだ。長かったよ。300年は」
『300……?』
 《時詠み》の笑みは、苦笑らしかった。
「それはあくまでボクの時間さ。それぞれの世界の時間は違う。でも、この空間自体の時の流れも違うから、外でどれくらい経っているかわからないな。一瞬か、何百年か」
『そんな……
「嫌なら、もとの時間に戻れるように願えばいい。記憶を物質界に反映させるこの世界では無意識の願望が時をも変える。それにきみはASを持っているんだ、量子力学的情報を操ることもできるだろう」 
『待って! あなたも行ってしまうんですか?』
 急に背を向けて歩き出す《時詠み》に、ゼクロスは悲しげに声をかけた。
「ああ、ここに迷い込んだのはきみだけじゃない。それに、きみの世界のきみだけでもないからね」
 引き止めることはできないだろう。この《時詠み》の世界は別に存在するのだから。
 彼は数歩歩いてから、突然姿を消した。
『情報を操るなんて……簡単に言ってくれますね……
 ともあれ、望みはある。それに、状況も見えてきた。
 しかし、いつこの世界に入ったのだろう? キイもこの世界に居るのだろうか?
 目的は変わらない。まずはキイを探すのが先決だろう。
 もともと、ここへもキイを探しにレミエラに言われてきたのだ。ゼクロスはもう1度、周囲の状況を確認した。 
 モニターを見ていた者たちは、すでにほぼ全員いなくなっている。自宅に戻ったのだろう。
 そんな中、モニターの向こう側から、見覚えのある姿が近づいてきていた。
『キイ!』
「ゼクロス、やっぱり来たのかい?」
 キイは苦笑した。丘を駆け登り、高度を下げたXEXの船内へ。
 ブリッジに入ると、キイは溜め息を洩らした。そして、いつもの席に座る。いつもの場所、いつもの光景だ。
『良かった……キイ。無事だったのですね』
「ああ、何とかね。でも、いつまでも安心してはいられない」
 キイは気を引き締めたように言い、右手を伸ばしてキーボードを叩いた。モニターの画像が切り替わる。それは上空を映し出していた。
「ゼクロス、超時空要塞をどこまで感知できる?」
『はい?』
「ASを使うんだ。軌道から妙な信号が出ているだろう」
 ゼクロスは言われた通り、ASを起動した。その結果を、それ自体もまたASで変化させたセンサーで感知する。
 確かに、正体不明の信号のようなものが感じ取られた。ASでないと感知できないのだから、その発信元もまた、高度な装置だろう。
「それが、人々の記憶や感覚を狂わせているのさ。あの要塞はその名の通り、時空を超える。そして、それぞれの世界の記憶を溜め込んでいるんだ。その記憶が、人々を操っているとも言える」
『そうなのですか? 私、《時詠み》を見ましたが……
 キイは苦笑した。
「誰かが《時詠み》役の記憶をもらったんだね」
『画面の中に現われたのは?』
「映像は作れる……いや、あの要塞がASのようなものを持っているとしたら、そんな幻を作るのもたやすい」
 要塞の記憶に支配され、操られた世界。要塞の記憶に、ここから脱出する方法はあるのだろうか。
「記憶には必ず、自分が含まれている。コギト・エルゴ・スム――我思う、故に我在り、ということだね」
 皆まで言う必要はない。ゼクロスは超時空要塞を目的地に、ハイパーAドライブを起動した。
 多くのシャトルや宇宙船が停泊するタワーを横目に、機首を上に向け、雲を突っ切っていく。
 しかし、宇宙へ出るか出ないかのところで、ゼクロスは異変を感知した。
『上方に戦艦らしき機体が17機』
 機体を停止させる。鈍い銀色の機体が、グルリと周囲を取り囲もうとしていた。
「アマワールの艦隊か……
『通信が入っています』
 ゼクロスが告げた。キイは無言でうなずく。
 ゼクロスが通信を取り次ぐとモニターの映像が切り替わり、黒い椅子に座る隊長らしい中年男性が映し出された。男は、厳しい目を向けている。
 そして、その姿に合った低い毅然とした声が響く。
『こちらはアマワール機動隊のサベル・レイトフだ。大人しく降伏すれば悪いようにはしない。まずはASを渡すんだ』
 一方的な要求に、キイは苦笑をこらえたらしかった。
「おことばですが、私はそうする必要性を感じません。この星を出て行く者が、この星に危害を加えることもないでしょう」
『きみのことは知らないが、その船が今までに多くの犠牲を出したのは事実だ。逃すわけにはいかない』
『私が、私が何を?』
 ゼクロスは愕然とした。
 そのとき、映像のレイトフ隊長の向こうに、ひとつの人影が現れた。それは影から出て、姿をあらわにする。
『何を言っているの、今さら! あなたが連中の仲間であることは周知の事実なのよ!』
 そこにいたのは、確かにレミエラだった。彼女は憎しみをたたえた目でこちらをにらみつけている。
 キイは苦笑し、小声で言った。
「ゼクロス、通信を切れ」
 一瞬茫然としていたゼクロスは、我に返って映像と音声通信を切った。
「みんな記憶を植え付けられているんだ。要塞を何とかしないことには終わらない」
『では、振り切って早く終わらせてしまいましょう』 
 このままでは気持ち悪くて仕方がない。ゼクロスは再び動き出した。艦隊の間を突っ切り、上昇。
 要塞は、わりとすぐに見えてきた。星々をバックに、不気味な暗い姿がモニターに横たわっている。それは、鍵穴状の灰色の要塞だった。
『ASルーインコードセット。座標捕捉。信号発生地点を破壊します』
「一応バリアを張っておきなよ」
 ゼクロスは結界を張りつつ、白い光を放つ。
 一瞬モニターの画面が優しい光一色に満たされ、視界を埋め尽くす。
 それでも、キイはまばたきもせず、凝視していた。
 やがて光が収まり……要塞は消えている。微塵の痕跡も残さず。
『レスト・ステーションを感知しました。艦隊は消えています。あれも、要塞の記憶が創り出した幻でしたか』
「あるいは、私たちの記憶が創り出したのかもね」
 ゼクロスの安堵した声に、キイはいたずらっぽく言う。
『私は、自分を犯罪者にしたいなんて願いませんよ。あなたはどうなのですか?』
 キイは笑った。
「どうだろうね……無意識の願いかもしれないだろう。それとも、記憶かな?」
『そんな記憶はありません。私は忘れませんからね』
 ゼクロスはレスト・ステーションを目指していた。急ぐ必要もなく、ゆっくりとステーションへ向かっている。
「私の老化の度合いもかい?」
 言ってから、彼女は笑った。
「これも幻だ」
 彼女の顔から、表情が消える。
 それは、日ごろから感情の動きの薄い彼女ですら滅多に見せたことのない、仮面のような顔だった。
『キイ……?』
 ゼクロスは、異変を感じながらも、キイのことばの意味がわからなかった。
 見慣れた姿は無表情のまま、席から立ち上がる。
「きみは、自分の記憶が欠陥のない完璧なものだとでも思っているのかい?」 
『私の記憶は……
「きみは、オリヴンで自分が制作された直後のことを覚えているのかな? それに、教育を受けている間のことも」
 記憶にない。そういうことがあった、という知識だけで、体験の記憶ではないもの……それがいくつもあることに、ゼクロスは初めて気づいた。
『嘘です……どうして?』
「曖昧な記憶。それは過去が曖昧であること。いや、今すらも」
 キイの姿が変化していた。
 キイ・マスターではない者へ。
……あ、あぁ……!』
 キイ・マスターではないものの、それは見覚えのある姿だった。
 金髪をひとつに束ねた女性。
 彼女は笑みを浮かべていた。そうしてブリッジに立つ姿は、夢のなかから抜け出したかのように、どこか非現実的だ。 
 ゼクロスは、自ら破壊したはずの要塞の信号を再び感じた。ほとんど無意識のうちにターゲットを捕捉。
『ぁぁああああああ……ッ!』 
 光がほとばしる。
 何もないはずの宇宙空間に。

「そろそろだね」
 艦長席で、キイ・マスターは独り言のようにぼやいた。
 年齢・出身地等、詳細不明の女性。その男装のような姿から、一見、少年とも見違う。
「とっとと済ませていきたいな」
『何をせっかちな。時間はたっぷりあるでしょうに』 
 美しい声がブリッジに響く。白を基調としたブリッジはクルー1人に対しては広過ぎるほどだが、席の後ろにある雑然とした棚が、寂しい雰囲気を打ち壊していた。
『それとも、そろそろ人生を無駄使いしたくなくなりましたか?』
 ゼクロスはゆっくりと方向転換した。そのメインモニターに、レスト・ステーションが横から滑り込んでくる。 
 キイは次の目的地を高度な科学文明を持つ惑星、オリヴンに決めていた。キイとゼクロスが拠点としている惑星でもある。
「そうだな……覚えていられることにも限りがあるしね。私は過去はみんな覚えていたいから」
『欲張りな……
 キイは補給のため、ステーションに寄り道をすることにしていた。
 彼女の両手には、花束は抱えられていない。

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