ガギィッ!
分厚い金属製の扉が、耳障りな音を立てて床に倒れた。
薄暗い中をペンライトで照らし出し、白衣の男性が先頭になって室内に入る。瓦礫と化した扉を乗り越え、次に、ゆるくカーブした棒のような物を手にした少女、色黒な少年、油断なくレーザーガンを手にした女性、そして、ベレー帽をかぶった一見少年のような姿をした女性が続く。
その部屋の壁の一面には、巨大なスクリーンがはめ込まれていた。その手前にはコンソールが並び、表皮が所々破れて汚れた椅子が3つ、転がっている。
「ゼクロス、捕捉できているか?」
コンソールの前まで来ると、ベレー帽の女性が腕時計型通信機に声をかける。
それに答える声は、部屋のスピーカーから聞こえた。
『もちろんですよ、キイ。ここの機能もすでに掌握しています。詳細についてはシグナとともにデータを調査中です。研究室とリンクしましょう』
澄んだ声が告げると同時に、巨大スクリーンに灯が入る。そこに、白衣のエルソン人男性が映し出された。背後では、忙しそうなスタッフたちがコンソールに向かっている。
『ようやくたどり着いたな、キイ、ストーナー博士、フォーシュ、それと……』
「あたしはユキナ。こいつはディアロだよ、リットン所長」
快活そうな少女が、自分と色黒の少年を紹介する。
『よろしく。それで、そこで何をすべきかは、すでに博士に聞いているだろうね……シグナ、どこまで進んでいる?』
スクリーンの向こうで、シグナが答えた。
『対外警戒プログラムを掌握し、解除しました。ゼクロスは映像データを調べていますが、データの損傷が激しいようです。また、中心部分の電源は絶たれており、アーカイヴにアクセスできません』
「電源電源っと」
ストーナー博士がコンソールをのぞき込み、あるレバーに目をとめる。
そのレバーを引くと、死んでいたコンソールのパネルに、次々と灯りがともった。
「中心部の電源か……どうやらどこかで回線が切れてるようだな。それにしても古いつくりだなー」
中心部の入力パネルだけ、灯りがともっていなかった。スクリーンに電力供給状態を示すマップを映し出すが、中心部は電力ゼロを示している。
『断絶部分はわかっているよ』
シグナがスクリーンの映像に手を加えた。簡単な配線図に、断絶部が光の点で示される。
『この部屋の天井だね。ユキナのすぐ上だよ』
「この上か……」
少女は見上げ、棒のような物を左脇に挟んだ。右手を、その棒の先端、柄にかける。
刹那――
鞘から抜き放たれた銀色の閃光が駆け上り、天井を真四角に切り取った!
「あそこか……」
「お見事」
刀を納めるユキナに、博士が拍手を送った。
「じゃ、自分の仕事に取り掛かりますか」
転がっていた椅子を使い、天井裏をペンライトで照らしながら、配線を修理する。明かりがなくなったのに気づき、ゼクロスかシグナが部屋の照明をつけた。それもほとんど壊れていて、ひとつの電燈に灯が入ったのみだが。
間もなく、ゼクロスが告げた。
『接続完了を確認しました。調査を開始します』
スクリーンが分割され、片方にシステム内の掌握範囲のイメージマップが映し出される。赤いマップがあっと言う間に青に塗りつぶされていく。
『これは……とんでもないことです。ASがありますよ』
ゼクロスの驚嘆のことばに、画面の半分の研究所内がざわめいた。キイや博士もまた、ほう、と声をあげる。
「ASか……」
『しかも、ここのメインコンピュータの本体自体がAS内にシステムを構築しているようですね。この構築方法は私も見たことがない物です。是非後で自分のシステム構築に生かしたですね』
量子力学的情報を操作するという、アストラルシステム。ゼクロスもシグナもそれを有しているが、本体はあくまで他の人工知能と変わらない。
『アーカイヴにこの地下施設に関する記述がある。この施設の歴史だね』
『それに付随した映像もあります。スクリーンに出しましょうか?』
「そうしてくれ」
スクリーンいっぱいに、新たな映像が広がった。
それは、宇宙の闇をバックにした宇宙船だった。青みがかった銀色の、魚に似た姿。
『シグナ、詳しいデータは?』
『ほぼ把握しましたが、この日誌は……一筋縄ではいきませんよ。順を追って説明しましょう……』
時々ゼクロスが発掘した映像を交えながら、シグナは話し始めた。
『エリオスを出発して3ヶ月が過ぎていた。移民船シャーレルはトラブルもなく、青き惑星プリコットを目差している。そう、シャーレルに任せておけば何も問題はない。実際、旅はこの上なく順調といえた。少なくとも、今までは……』
エリオスを出発して3ヶ月が過ぎていた。移民船シャーレルはトラブルもなく、青き惑星プリコットを目差している。そう、シャーレルに任せておけば何も問題はない。実際、旅はこの上なく順調といえた。少なくとも、今までは……
「レイン艦長、天体ラボの調査結果が出ました。すべてシャーレルの推測通りです」
科学主任のフィリス・レイモニカが、そう私に報告してきた。同時に、目の前のコンソールのモニターに、天体ラボで捉えられ、分析された映像が映し出される。
やはり、ガスの主成分に問題はなさそうだ。明日には、この船はそのガスの帯の中を突っ切ることになるだろう。
「明日はゆっくり休暇が取れそうですね、艦長?」
フィリスの笑みを含んだ声が、スピーカーから流れた。すると、ブリッジに遠慮がちな笑いが起こる。
「ああ、明日は皆ゆっくりできるだろう」
私も笑ってそう答えた。
自分の、妻のことばに。
その翌日、移民船シャーレルはガスの帯の中に突入した。だが、別にいつもと変わりはない。私はブリッジを副長に任せ、妻と居住区で休日を過ごしていた。ここには公園があり、店があり、プールや映画館など、あらゆる物がある。一種の街を形成していると言えるだろう。
私たちは公園に居た。子どもたちが芝生の上で遊び、噴水のそばやベンチでくつろぐ者も多い。
しかし突然、船が揺れた。それほど大きな揺れではなく、一度で収まったが、人々は怪訝そうに天井を見上げる。
「シャーレル。何かあったか?」
私は常に持ち歩いているコミュニケーターのスイッチを叩き、この宇宙船の頭脳に声をかけた。
シャーレルはいつものように、一瞬も置かずに即答する。
『はい、艦長。岩石を感知したので回避しました。当たっても微細なダメージですが、副長の指示もありましたので回避行動をとりました。副長に確認しますか?』
「いや、いい」
こういうことは初めてでもない。ここは、副長に任せて問題ないだろう。
人々もすぐに、緊張を解く。シャーレルが機内のスピーカーで事情を説明し、人々を安心させる。
「何も起こりはしないわよ。この船は何事もなくプリコットに到着するでしょう。賭けてもいいわよ」
フィリスがいたずらっぽく笑った。
その夜、私は毎晩の日課で、自室の近くの休憩所でシャーレルから今日1日の経過を聞いた。ブリッジでは特に変わったこともなく、例の岩石のために回避行動を取ったくらいだ。
『ただ、ひとつ気になることがあります』
このままいつも通りに終わるかと思っていたが、最後にシャーレルは告げた。
『今まで医務室を訪れた者は1日平均で34.7人ですが、今日はその倍以上が訪れました。しかもその半数は入院を要する上に、皆似たような症状が見られます』
「似た症状……?」
伝染病などならまずい。すぐに隔離しなければ。
『頭痛とめまい、手足のだるさなど……重症の者には意識の混濁や幻聴、幻覚が見られます。今のところ、ウイルスのようなものは検出されていませんが……』
珍しく、困惑したように言う。
「ガスが原因とは考えられないか?」
『ガスが機内に入り込むことはありません。しかし、間接的に関わっている可能性はあります。あらゆる可能性を検証してみましょう』
「頼む」
それから、シャーレルは『おやすみなさい』を最後に黙った。私は休憩所を出ると、妻の待つ部屋に戻る。
「ずいぶんかかったわね。何か問題でもあった?」
コーヒーを入れていたフィリスは、待ちくたびれた様子でこちらを振り返る。
彼女は、科学主任だ。何かわかるかもしれない。
私は、今この船で起きているかもしれない異変について、残らず話した。
「……医学的なことはちょっとね。でも、幻覚や幻聴なら、脳に影響を及ぼす科学物質か何かがあるのかもしれないわ。ま、どうにしろ患者さんを診てみないことにはねえ」
私たちは、明日、医務室を訪れることにした。
「今日も次から次に患者が運ばれてきます。ああ、忙しい」
ドクター・メルニコフは、少々迷惑そうに我々を迎えた。
医務室はとなりの休憩所まで拡張され、並んだベッドに横たえられた患者がうめきいている。中にはブツブツと何かつぶやき続けている者や、怒鳴り声を上げている者もいた。
「まるで、麻薬に毒された者の禁断症状ですよ。とにかく、脳に以上があるのは間違いない」
ドクターが溜め息を洩らしたその時、近くのベッドの患者が床に降りた。
「きみ、まだ起きては……」
ドクターは患者へと振り向き、表情を凍りつかせる。その男性患者は剥き出しにした歯の間からうなりを上げた。まるで獣のようだ。
彼は、近くの台に置いてあったハサミを取る。危険だ。
「保安部? 至急医務室へ!」
男がドクターに向かって走り出すと同時に、フィリスが保安部に連絡を入れた。ドクターは逃げようと、こちらに向かって走り出す。しかし、足がもつれて転倒した。
悲鳴が上がる。私はそばのベッドのシーツをつかみ、男に突進した。
「おおぉぉぉぅぅぅぅっ!」
意味をなさないことを叫ぶ男に、私はシーツを引っ掛けた。近くにいたらしい保安部員が走りこんでくるのを横目で見ながら、シーツを取ろうと暴れる相手を床に倒す。もつれ合って倒れた私の肩に、シーツの下から、男の手にしたハサミの先が刺さった。
すぐに、保安部員が駆けつけ、男を床に押し付ける。そして、ハサミを奪い取り、男を失神させる。
「艦長、お怪我を?」
立ち上がった私に、若い保安部員がきいた。心配そうな顔のフィリスが歩み寄って来る。
「心配ない。かすり傷だ」
「すぐに治療を」
床にへたり込んだままのドクターが仕事となるとすっくと立ち上がり、私を呼んだ。
「あれが重症者の最終的な症状か……」
「あそこまで顕著な例は初めてです。しかしまあ、今までの傾向としても、凶暴化はありましたな。まるで脳が退化して、闘争本能に目覚めたようです」
私の怪我を治療しながら、ドクターは溜め息を洩らす。
「でも、CTスキャンでは異常はないんでしょう?」
フィリスが看護婦の真似事をしながら、口を挟んだ。
「ええ。脳の萎縮はありません。寄生虫やウイルスも検出されていませんし……」
再び、彼は深い溜め息を洩らした。
それから、私も妻も休暇を早めに切り上げて原因の究明に当たったが、一向に成果は上がらなかった。患者に共通点はなく、いつ自分が発症するかもしれないと言う不安に、人々は徐々に活気を失っていった。
スタッフも、シャーレルも全力を注いでやってくれている。しかし、ガスの帯から出たあとも事態は改善せず、正体不明の病に冒される者は増えていった。最初の患者が出た10日後には、ブリッジからも犠牲者が出た。
『最終的に死に至ることはありませんが、彼らは何かを破壊したい衝動にかられているようです。警備を強化する必要があるでしょう』
人手が足りない。凶暴化した患者はベッドに縛り付けられ、保安部員が見張っていた。しかし、保安部にも患者は多い。
このままでは、エリオスの血が途絶えてしまうかもしれない……私は患者を完全に隔離し、徹底調査を開始していた。この船の、至る所を、ゴミ一粒も見逃さぬよう、調査を行う。
それは、この船の中枢も含めてだ。
「艦長、ご苦労様です。全システム、調査終了しました」
技術部のジェスニードが、管制室を訪れた私を迎えた。
「セルフモニターも、隔離監視モニターも異常なしです。そうだな、シャル?」
『……システム的な異常も、物理的な異常もありません。……艦長、お話があるのですが』
シャーレルがこういう言いかたをするのは珍しい。この場で言えないような話と言うことか。
「わかった。休憩所へ行こう」
不思議そうな顔をする技術スタッフを残し、私は近くの休憩所に向かった。
誰もいない室内に入り、紙コップにコーヒーを次いで椅子に座る。
「どんな話だ、シャーレル?」
『艦長。私はあなたたちの故郷、エリオスで造られたのではありません。あなたたちの文化や性質については色々学んで来ましたが、わかっていない部分もあるでしょう』
突然、何を言い出すのだろう。
私は不思議な気持ちで、続きを待った。
『……あなたたちの体質については、他の種族とほとんど変わらないと聞きました。それでも医療に必要な部分は情報収集を行いましたが、そこまでのものが必要になると思いませんでした』
「……そこまでのもの?」
『遺伝子情報です』
私は、何か嫌な予感がした。
しかし、他にどうしようもない。私は、我々の遺伝子情報の研究を行うように指示した。
研究、とはいえ、答自体はすぐ出ている。ただ、ドクターらで研究会を開き、一つの仮説を立てたのだ。
『エリオス人の遺伝子には、すでにこの病気の情報が存在していました。それが一種の電波のようなもので発現したのです』
「つまり、我々は生まれながらに感染していた。それがガスの中を通ったのをきっかけとして発症した、ということです」
ドクターは厳しい表情で言った。
「あいにくこの船には遺伝子治療を行う設備がありません。今のところ対策はありません……」
船の内部の治安は悪化していく。発症した者をすべて処分しようなどと言う案も出たが、却下された。
こんな状況だが、全員が発症するわけではないかもしれない、プリコットに着きさえすれば何とかなるという希望を頼りに、士気を保っていった。
だが、一人、また一人と、見慣れたブリッジのスタッフも姿を消していく。
「シャーレル。到着予定時間まであとどれくらいだ?」
『6日と22時間45分ほどです、艦長』
船は、間もなくプリコットの恒星系に入る。その恒星系を横切り、恒星の向こうのプリコットへ――。
あと少し。
時を数えながら、私たちは耐えた。
後、3日。暴動の知らせが届いたのは昼過ぎだった。
「保安部? 状況は!?」
『もう限界です、艦長』
パニックになりかけた保安主任の声は震えていた。
『早く、無事なものを退避……うわっ!』
通信が途切れる。
シャーレルに人々の誘導を命じ、私はいても立ってもいられず、通路に出る。フィリスも後に続いた。
医務室に向かう途中で私たちが見たのは、地獄絵図だった。
意味もなく、傷つけ合い、殺し合う人々。
「この世の終わりだわ……」
フィリスがつぶやく。
シャーレルが茫然としている私たちを呼び、安全な場所に誘導した。私たちはただそれに従い、ブリッジに戻った。
何も考えられない。私も発症したのか。
最後に、私はひとつのことを決定した。
恒星に進路を変更することを。
スタッフも、誰も反対しなかった。この船はもう、脱獄囚が歩き回っているも同じだ。そして彼らは、船を壊し始めている。
「あなたと同時に死ねることを嬉しく思うわ……」
フィリスが、潤んだ目を向ける。彼女も発症しかけているのだろう。
「この旅は……失敗だ。でも、これが私たちの、最期の旅になる……」
オレンジ色に煮沸する熱い星が、メインモニター一杯に広がり始める。
「皆、よくやってくれた。きみたちのことは忘れない」
ブリッジを見回し、ずいぶん少なくなったスタッフに言う。彼らの目が潤んでいたのは病のためか、それとも……。
私は、最後を妻と部屋で過ごすことに決めていた。日誌を書くのもこれが最後だ。
今、我々は消えようとしている。でも、我々が存在していたのは確かだ。たとえ不完全な遺伝子により構成されていたとしても、それが私たちの存在、私たち自身だったことには違いない……。
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