サーニンは、惑星ではなかった。
惑星と比べると人口も面積もはるかに少ない。十年ほど前、ある惑星の軌道上に不法投棄されていた人工衛星をルーナス・ゲインという若い富豪が買い取り、改造して移動基地に仕立て上げたのがその始まりだ。今では、ひとつの大都市ほどの賑わいを見せている。
ルーナスは誰も拒むことなく、サーニンに受け入れた。もともと宇宙探索船の基地の機能を持っていたそこには科学者や探検家が集まり、技術力は否が応にも高まっていく。彼らは、宇宙の謎に挑もうというルーナスに賛同したものたちだった。
サーニンは、様々な惑星で得た情報を集めながら、未踏領域に向かっている。
膨大なデータを集積したその官制システムは、別名『アカシック・レコード』と呼ばれた。
白を基調としたブリッジに、闇色に塗りつぶされたメインモニターが映えた。その左右に2つずつあるサブモニターは、現在、機体と針路のモニタリングに振り分けられている。サブモニターのひとつに描き出された機体の全体図は、同じ100メートル級小型宇宙船のなかでも、かなり個性的なものと言えるだろう。
紺の翼に、船名らしき文字が刻まれた白い胴体、羽飾りのような安定翼。何より特徴的なのは、機体の周囲を巡る白銀の輪、CSリングである。
『ポート02第1ラインに降下。CSリング解除。誘導ビーム受信中』
広いブリッジに、美しい、人ならざるものの声が流れた。サブモニターの機体の周囲からCSリングが消える。闇のなかにいくつもの光の点を散りばめ、クラゲに似た姿を浮かび上がらせているサーニンが、メインモニター全体に広がっていく。
それを見て、小型宇宙船XEX――ゼクロスに搭乗している唯一のクルーは、こう評した。
「まるで、頭でっかちな、昔ありがちなイメージのエイリアンのようだねえ」
黒目黒髪の女性は興味なさげにモニターから目をそらすと、組んだ膝の上に開いた、『誰でもできる! 日常会話で使える暗示』と題された本に集中する。ベレー帽にリボンのついたシャツ、ベージュのベストという男子学生のような格好と読書する姿は、よく似合っていた。本の題名さえ見えなければ。
『キイ……そんな本よりも、サーニンのデータベースのほうが色々とおもしろいことがわかるでしょうに』
「手っ取り早く情報を得られるのは便利だけどね、ゼクロス、情報自体でなく、学ぶことを楽しむのが大切なんだよ」
彼女は船を制御するAIに応じると、本のページをめくる。
キイ・マスター。それが、何でも屋を仕事とする彼女の名である。その出身地や年齢など、確かなことを知る者はいない。
『人間のほうが限られた時間を生きているのだから、せっかちなはずなのですがね』
シャトルや船が整然と並んだラインのひとつに、ゼクロスも危なげなく着陸する。重力制御されているらしく、周囲を生身の人間たちが歩き回っていた。
『目的地は東です。地面にナビゲーターがあるのでそれを確認しながら向かってください。ターゲットはすでにお待ちかねのようですよ』
キイは本を棚に戻してブリッジを出、側部ハッチから機外に出る。
「あいよ。迷子になったら案内よろしく」
『了解。それまでは調べ物でもしていましょう』
マイク兼スピーカーの役目を果たすイヤリングからの楽しげな応答に、キイは小さく笑った。
サーニンの外殻上にあるステーションには、いくつかの店や公共施設の他に、内部への入り口が点在していた。ワープを利用したものもあるが、そのほとんどは一気に中心部に飛ぶ緊急用・関係者用で、ほとんどはエレベータだ。わずかな来訪者用のワープゲートは込んでいると予想して、キイは手近なところのエレベータに滑り込んだ。
定員ギリギリの人数とともに下に送られ、広い通路に出ると、キイは床の印に従って東に向かう。通路は人の行き来が激しく、脇のスペースに展開された店からの客引きの声やざわめきが重なり賑やかだった。数日後にもたどり着くという最端の地、〈ミラージュベール〉の向こうに広がる〈果て〉をのぞむHR基地に似ていたが、それ以上に賑わっている。どこかの都市の地下街のようだ、と感想を抱きながら、キイは東を指し示す床の印を追う。
今回の依頼人が落ち合う場所として指定してきたのは、〈光の海〉という名のレストランだった。通路の壁に『レストラン〈光の海〉はこちら』という案内を見つけて間もなく、通路の脇に広がる大きなスペースにレストランを見つける。ガラス張りの壁の向こうに、並んだテーブルを囲んで食事を楽しむ人々の姿が見えた。
依頼人の名は、パメラ・レスティノ。目印に、青いリボンを身につけているという。
レストランに入ったキイは、窓際の奥のテーブルに当てはまる人物を見つけ、歩み寄って声をかけた。
「パメラさんですか?」
尋ねられると、相手は驚いたように碧眼を向けた。
「はっ、はい。キイ・マスターさんですか?」
「ええ。よろしくお願いします」
依頼人は、想像以上に若かった。おそらくパメラも、キイに対して同じ感想を抱いただろうが。
「よろしくお願いします、キイさん」
向かいの席に座るキイに、姿勢を正して、パメラは言う。青いリボンのついたシャツに青のスカートの金髪碧眼の少女は、キイのほうとはまた趣の違う、芸術系の学校の生徒に見える。
緊張した様子の少女に、キイは肩の力を抜いて言った。
「まずは飲み物でも頼みましょう。ここは私が持ちますよ。依頼の詳細についてはそれからということで」
「はい……」
少女はぎこちなくうなずいて、ウェイトレスを呼んだ。彼女は紅茶とシフォンケーキを、キイはホットチョコレートを頼む。
「何かを探して欲しいとか。詳しい説明をお聞きしましょう」
注文したものが運ばれてきて一息つくと、キイは仕事にかかる。
「ええ……私が昔住んでいた家の、ある金庫なんです。そこには住めなくなって、もう十年も行っていないのですけど……」
「でも、それならもう別の人が住んでいるか、取り壊されているんじゃ……」
「いいえ、それはないと思います」
パメラはきっぱりと言った。
不審げな何でも屋に、彼女は少しリラックスしてきた様子で説明する。
「私はかつて、惑星ルミルの移民都市に住んでいました。フォートレットからの入植者が造り上げた、植物の遺伝子実験の研究所を中心とした都市です。ルミルは今はもとの軌道を外れ、人の住めない惑星になりましたから、実験も中止されて別の場所に引き継がれていますが……」
そこまで言うと、彼女は折りたたまれた紙のようなものをキイに手渡した。紙は何度も折りたたまれたり開かれたりしているらしく、折り目にそって破れかかっているところがある。
それをキイが慎重に開く。そこに描かれていたのは、地図だった。並んだ家々の中のひとつに、赤いペンで印がつけられている。
「当時の地図です。建物のほとんどはそのまま残されていると思います。目印の家のなかにある、一抱えくらいの四角い黒い金庫を取ってきていただきたいのです。できれば明日までに……」
何かを読み取ろうとするように見つめるパメラの前で、キイは地図をベストの裏ポケットにしまい、ホットチョコレートをひと口すすると、相手の目を見返した。漆黒の瞳を向けられて、パメラは少しだけ怯む。
「わかりました、お引き受けしましょう」
そのことばに、少女は安心したように息をついた。しかし、直後緊張したように口を開く。一体どうしたのかと、キイは不思議そうに依頼人のことばを待つ。
「あの……それで、依頼料のほうは……」
頼りない声で尋ねられて、何でも屋の女性は苦笑した。
「その前におききしていいですか? あなたが私に見つけて欲しい金庫の中身に入っているものとは、何です?」
パメラは、一呼吸の間を置いて答えた。
「そこにあるのは、記憶です。私と、両親と、亡くなった妹の誕生の記憶」
「そうですか……」
キイは立ち上がった。パメラが驚いたようにそれを見上げる。
「依頼料は、後で結構。まあ、見つけるのにどれだけ手間がかかるか次第ですね。それでは」
そう言い残して飲み物の代金をテーブルに置くと、少し不安そうな依頼人の視線を受けながら、キイはレストランを出た。
彼女はふと思い立って、違う経路で戻ることにした。脇に並ぶ店を眺めながら、通路を気ままに散策する。
多くの人で賑わう中央部に入ると、休憩所らしい空間や公園に、飾り付けられた、鉢植え入りの木が目についた。それに、店のなかにも、何かのイベントらしいイラストが張り出されていたり、飾りつけられているものがある。
「クリスマス……? ここで見かけるとは思わなかったな」
『ここは、毎日どこかの惑星の祝日なんだそうですよ』
イヤリング型通信機から、ゼクロスが待ちかねたように説明する。
『ここに住んでいる方々が様々な惑星の出身だということもあるでしょうが、変わり者のオーナーが、あらゆる記憶をここに留めておくべきだ、記念日も忘れないようにしたい、とおっしゃったとかで』
「記憶か……」
人込みを避けて、キイは中心部を離れた。人通りの少ない、サーニンの外周に沿った通路に出る。灰色の壁に、等間隔に小さな四角い窓が並んでいた。外に目をやると、出て行くシャトルと降下中の暗い灰色の小型宇宙船がすれ違うのが見えた。
普段はあまりやらないが、ゼクロスはキイの移動箇所を追跡している。あまり人の目を気にしなくていい場所に移動したと見て、彼は黙っていた分の時間を取り戻そうというかのように話し始めた。
『彼女は、他の皆やルーナスさんと同じく、ここに記憶を留めておきたいのでしょうね』
「亡くなった妹さんの記憶も、一緒にサーニンに乗せておきたいというわけか」
『サーニンは〈果て〉に向かっていますからね。HR基地で降りる方もいるでしょうが、残る方たちは、冒険者です。未知の危険、未知の場所へ行くのですから、確かな過去や記憶にすがって安定を求めるのでしょうね』
カウンセリング技術に詳しいゼクロスは、専門家らしく分析した。
キイが他の通行人とすれ違う間、彼は黙る。通行人は小さなクリスマスツリーの模型を抱えていた。
「今準備中ってことは明日がクリスマスかね」
『キリストの降誕祭ですね……今日がクリスマスイヴでしょう……あの、キイ。先ほどから考えていたのですが、誕生日は祝うものなのでしょうか?』
キイは、珍しく目を丸くした。
「そりゃあ、誕生日を祝う習慣の無い惑星や地域もあるだろうが……。オリヴンにそういう習慣は無かったのかい?」
ゼクロスを開発したのは、科学の進んだ惑星オリヴンの研究所〈リグニオン〉である。オリヴンは、キイとゼクロスの拠点にもなっている。
『あると思いますが……〈リグニオン〉で誰かの誕生日を祝っているのを見たことはありませんが』
「まあ、皆忙しいし、あまりそういうのを大切にする人種ではないだろうね」
『あなたもですよ、キイ』
断定されて、キイは頭を掻いた。緩やかにカーブした通路の先に、エレベータが見える。
「もう自分の歳も誕生日も忘れてしまったよ。ひとつ言えるのは、もう祝うような歳でもないってことか。私が誕生していたことを祝う人もいないだろうね」
『そんな。私はあなたがいてくれて良かったと思いますよ』
「そりゃどうも」
エレベータから、数人の男女が降りる。空になったなかに乗り込むのは、キイ1人だった。
『あなたの誕生日がわからず残念ですね。しかし、私はどうなんでしょう?』
「きみは誕生日を覚えているはずだろう」
『いつを誕生日とするのですか? プログラムが完成した時? 最初に自己を認識した時?』
「人間でも同じ議論はあるな。いつを生まれた時とするか。司法判断などで便宜上規定されていることもあるが、今でも様々な説がある」
エレベータのドアが開くと、大小様々な航宙機が宇宙の闇を背後に並ぶ、見慣れないものなら壮大な印象を受ける光景が広がっている。視界の奥に見慣れた紺の翼を見つけ、キイは大股に歩き出す。
『クリスマスには、子どもたちはプレゼントをもらえるんですよね。それに、誕生日にももらえるんでしょう?』
「それも、大抵子ども時代だけの話だよ」
『キイ、私、3歳~』
「都合のいい時だけ子どもになるんじゃない」
ゼクロスは近づいて来るキイの姿を認めて、側部ハッチを開いてラダーを降ろす。キイは馴れ親しんだ機内に入り、ブリッジのいつもの艦長席に腰を下ろした。その膝の上には、ブリッジに入ってきた時に手にした読みかけの本が置かれている。
『ルミルは現在、HR基地の近くまで流れています。サーニンより一足先に〈果て〉に向かおうとしていますね。〈ミラージュベール〉に着く前に、早めに済ませたほうが良さそうです』
「じゃ、行こうか」
ゼクロスは離陸許可を得ると、補助ドライヴを起動した。
『座標、惑星ルミル。発進』
紺の翼は垂直に数十メートル浮き上がると、わずかな間停止し、機首を傾けた。
サーニンのパーキング・エリアでそれに気づいた数人が見上げた時、すでに小型宇宙船は闇の彼方に消えていた。
サーニンからルミルへは、メインドライヴで片道2時間の旅だった。特にそれ以上急ぐことも無いので、キイは例によって読書で退屈をしのぐ。
『あなたがそんなに読書好きとは思いませんでしたね』
「退屈が嫌いなだけだよ」
『そんなに退屈なら、〈デイジー・デイジー〉でも歌いましょうか』
顔も上げずに答えるキイに、ゼクロスは楽しげに言う。そのことばに興味を引かれたのか、キイが顔を上げた。その顔には、からかうような、意地の悪い表情が浮かんでいる。
「またしょうもないことを覚えてきたようだね。いいだろう、歌ってもらおうじゃないか」
『う……恥かしいからいいです。……地球のことについても、色々おもしろいことがわかりましたよ。あなたの嗜好や特徴を分析すると、あなたはアジア系のはず』
「どうだろうね? 移民都市の2世か3世かもしれないし、似た文化と身体的特徴の別の惑星にある地域出身者かもしれないよ」
『意地悪なこと言わないでくださいよー』
ことばの内容は情けないが、その声には、話題がそれてほっとしたのとキイの関心を引けた嬉しさが表われている。
しかし、不意のその声の調子が変わる。
『キイ、別の船が我々を追っています。ルミルを目的地とする者がそうそういるとは思えませんが……どうします?』
サブモニターに相手の座標と距離が表示される。距離は一定に保たれているようだ。
「交信を求めてきたり、戦闘起動は認められないんだな?」
『ええ。それはありません』
「じゃ、かまうことはない。何か仕掛けられたら対処すればいいさ」
キイは気楽にいい、本に目を落とす。
彼女のことばにしたがって、ゼクロスは一定距離を置いて追跡する船を先導し、ルミルをめざした。
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