▼DOWN
十センチ(下)
放課後、部活で後輩たちに教えがてらに軽く汗を流してから、俺は一旦自宅にバイクを取りに行く。高校へのバイク通学は校則で禁止されている。
今日は、バイトは休みだ。暗くなる前に、海が見えるバイパスへ、軽くドライブにでも行くつもりだった。
両親は、まだ仕事だ。俺がたまに夜のドライブに行こうと、べつに止めはしない。多分、俺が物凄い安全運転だから。
スピードは大した出さないにしても、風を切って走るのは気持ちがいい。
潮風の中を突っ切っているうちに、傾いていた太陽がすっかり山並みに沈んでいた。そろそろ親も帰ってくる頃だろうと想い、さしかかっていた峠から引き返す。
市街地に入ったところで、俺は、昼間の浩輔の話を思い出した。
そういえば、今日はいつきが先輩とバイトだったっけ。
俺は何となく、コンビニに寄って行くことにする。
街から離れたところにあるわけではないし、まだそこまで夜は更けていないが、コンビニの前の道は、夜になればほとんど人通りはなくなる。
帰るついでにちょっと様子を見に行ってやるか、という気分だった。
少々近所迷惑なエンジン音を響かせて、コンビニの前までバイクを飛ばす。何台か車の止まった駐車場でバイクを止め、数歩歩いたところで、同じくバイクにまたがった男が、サングラスをかけた男が、驚いたようにこっちを見た。
俺はピンと来た。――こいつは、怪しい。
男が、バイクを発進させる。ほんの少ししか離れていないとはいえ、同じくバイクで追いかけていたら追いつけない。
俺は自分の足で、逃げようとするバイクを追いかけた。そして、すぐに、相手の行く手に転がる空き缶を見つける。
それが、自ら意志を持ったように、男のバイクの前輪にぶつかる。大した力は加わらないが、男はバランスを崩す。
当然それを予測していた俺は、男を引きずり倒す。別に格闘技はやっていないが、けさ固めくらいは知っている。
「いつき、一一〇番だ」
ホウキを手に飛び出してきたいつきに、そう声を掛ける。
いつきは、目を丸くしていた。サングラスの男よりも、俺のほうに。
「朝人くん、やっぱり、今のは……」
……どうやら、いつきが驚いているのは、俺のけさ固めでも勘のよさでもなく、あの能力のほうらしい。
こいつに見られたのは、二度目。もう、誤魔化しは通用しない。
「……その話は後だ。とにかく、警察に通報しろ」
取られた売り上げは数万円で、怪我人もいなかったものの、男は警察に、強盗の現行犯で逮捕された。俺は面倒なことが嫌なので、警官がいる間は店の裏に隠れ、一応の話がついてから表に出る。
とはいえ、だいぶ時間が経ってしまった。そろそろ、いつきのバイトも終わる頃だ。
休みのはずが警察に呼び出されていた店長が、俺たちにジュースをおごってくれた。ジュースを飲みながらバイクに座って、いつきと並ぶ。
「べつに、大したモンじゃねえよ。単に、十センチだけ物を動かせるだけ。念動力、とかいうやつだな」
「でも、凄いよ。何でも動かせるの?」
ぶっきらぼうに説明する俺に、いつきは、無邪気な、憧れの目を向けてくる。そんな目を、真っ向からは見れない。
「ああ、十センチだけな」
「それだって、凄いことだよ。上手く使えば、人を助けることもできるって」
いつきのことばに、思わず振り向いてしまう。
彼女は大きな目を輝かせて、俺を見つめていた。俺は少し、顔が厚くなるのを感じる。
「今回だって、あの犯人に傷つけられるかもしれない人とかを助けたんだよ」
膝の上に手を組んで、なぜか、いつきも頬を赤く染めてうつむく。
こういうとき、どうするべきなんだろう。肩でも組むのか?
俺は、その白い手に目を留める。その手から俺の手間での距離は、丁度十センチくらいか。
「朝人くん……卒業したら、進学するの?」
「いや……叔父がやってる店を手伝うつもりだったけど」
叔父は、近くで修理屋をやっている。とりあえずそこで、もっとバイクの勉強をするつもりだった。
でも、その先のことは、まだ考えていない。
「よかったら、たまにでいいから、探偵の仕事……手伝ってくれない? きっとその力、役に立てられる……あたしも、朝人くんがいたほうが色々と……心強いし」
再びこっちを向いたところで、いつきは、何かに気がついたらしい。
その手が、引っ張られる。抵抗しないその手は、俺の右手のひらの上へ。
「いいぞ。たまに、くらいならな」
明後日の方向を向いたまま、無愛想に答える。
「ありがとう」
いつきが言った。顔を見なくても、満面に笑みを浮かべているのが想像できる。
俺が探偵事務所への就職を決めたのは、そのすぐ後のことだった。
FIN.