#DOWN

決意 ―背神者たちの〈追走〉― (14)

 今は、目の前にある、するべきことをしなければならない。
 心を落ち着けて、ルチルはナイフをかまえた。その銀色にきらめく刃に、不意に、蒼白い光が宿る。振り向くと、車椅子の少女が、色の白い顔にいつものほほ笑みを浮かべていた。
 それに笑みを返し、彼女は駆けた。
「てあっ!」
 気合を込め、魔力を帯びた刃で魔物の表面を薙ぐ。緑色の液体が飛んでくるのも気にせず、彼女は隙を見ては斬りつけた。
「攻撃は一応通じるみたいね……まず、一匹減らしておきましょうか」
 ステッキを振り、リルが一番自分に近い魔物を示す。
「シャイニング」
 ファイヤードラゴンに使ったのと同じ魔法だった。まばゆい光がグロテスクな魔物を焼き、黒い炭に変える。
「よし!」
 心に溜まっていた重いものを忘れ去り、ルチルはナイフを振るう。
 勝てる。
 その唯一の希望をめざして、彼女は確実に、目の前の自分の仕事をこなした。
 どこまでも、かび臭い石造の通路が続いていた。窓もない周囲は薄暗く、壁際に並ぶ石像の輪郭が不気味に見える。
 一体、何体の石像の前を走り過ぎたのか。
 通路の入口が完全に見えなくなったところで、走り続けていたシータは足を止める。たちまち、左肩を押さえる右手の指の間から血が滴り落ち、床に赤い斑点を散らした。
「その怪我でいつまでもつかな、坊や」
 声は、正面から聞こえた。
 床から、キダムの顎から上がせり上がってくる。顎から下は床に埋没したような格好のまま、彼は笑みを浮かべて見上げた。
 死を悦ぶ者の笑みを、シータは穏やかなほほ笑みで受け止める。
「これくらい、何てことはありませんよ。サーペンス・アスパー」
 その名前が、何かの魔法だったかのように、黒尽くめの男の笑みが崩れた。
 キダム。そう自らを称した青年の、真の名。殿堂入りした十人のうちの一人が名のる、単語の連なり。
「その名を知られているとはな」
 サーペンスは、白い顔から笑みをひそめた。
 直立している長身の身体が、ズルズルと床から引きずり出され、シータと対峙する。
「消えてもらうしかない」
 何の予兆もなく、暗い通路の景色の一部が歪んだ。
 歪みはドリルのように渦巻き、白いローブ姿をつらぬこうと、鋭い先端を三つに分かれさせて襲いかかる。
 素早い一撃だった。時間的にも距離的にも、かわす余裕などない。
 そのはずなのに、攻撃が終わった後も、シータは平然と立っている。
「どういうことだ?」
 攻撃が失敗に終わったことを察知すると、サーペンスの顔に初めて笑みではない表情、驚愕が広がる。
 それをじっくり眺めながら、少女にも見える少年は、手を伸ばす。
「上には上がいるというだけです」
 黒い鎖が四方の壁から伸び、サーペンスに絡みついて縦横に張る。足首から吊り下げられ、男は金切り声を上げた。つい数秒前までの余裕など、完全に尽き果てた様子で。
「わかった、お前は強い! そ、そうだ取引をしよう! 何でも言ってくれ!」
「本当でしょうね?」
「ああ、俺は強い者には従う、絶対だ! 命さえ助けてくれたら、知ってることは全部しゃべるし、持ってる物はなんでもやる!」
 逆さになりながらも帽子を深く被ったまま早口でまくし立てる男の前で、シータは溜め息を洩らした。
 十人しかいない殿堂入りプレイヤーのうちの一人であり、荒くれ者の中でも恐れられる伝説級のクラッカーが、危機を前にすればこの調子だ。
「やれやれ……殿堂入りの評判を落とされなければいいですが」
『そう心配する必要もないだろうよ』
 どこかから、読唇者がことばを挟んできた。突然の声にも、シータは驚くこともない。
「だといいですけどね」
『十人の中でも、その男は最下層なんだろうな。……いざとなれば手を貸そうかと思っておったが、必要なかったようだ』
 読唇者のおせっかいにほほ笑みで答え、彼は、逆さ吊りの男に視線を戻す。
 抵抗する気もない様子で吊るされている男は、再び目を向けられると、怯えたように身を震わせる。

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