エルトリア探訪日記

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・2007年7月11日:第7話 恐怖! 古城に彷徨う少女の霊PART2(上)
・2007年7月11日:第7話 恐怖! 古城に彷徨う少女の霊PART2(下)


第7話 恐怖! 古城に彷徨う少女の霊PART2(上)

 医務室の前まで来ると、足音が止まる。
 ガチャリ。
 机の前の椅子から凝視するビストリカと、ドアの近くで待ち受けるわたしとテルミ先生の目の前で、ドアノブが回る。
 静けさの中、テルミ先生が息を飲む音がはっきり聞こえた。
 そして、次の瞬間、ドアが大きく開かれると同時に、「おりゃああぁぁ」と大きな気合の声を上げつつテルミ先生がホウキを突き出し――
「あ」
 何か色々なものが詰まった声が、色んなところから出た。
 その裏で、バシャッ、がつっ、パリン、どさっ、とか、色んな音が重なっている。
 このときのわたしの心境は、自分でも上手く説明できない。とにかく、複雑な心境だったのは確か。
 事実だけを説明しておくと……我に返ったときには、ホウキを突き出したままの格好で凍っているテルミ先生の前に、リビート・ディルスラック先生が倒れていた。いつもかけているメガネがずれ、レンズが片方割れている。
 その後ろに、カンテラを手にした道化師さんが立ち尽くしていた。仮面のせいで表情のわかりにくい人だけれど、今はあきらかに――茫然としていた。
 この状況……起きてしまったあととなっては、なぜこうなったのかは明白だ。てっきり幽霊とやらが近づいて来たのかと思っていたが、ああ、勘違い。
「い、いけない! ディルスラック先生、大丈夫ですか!」
 一番遠くから眺めていたせいか、あるいは治癒術師としての自覚か。一番最初に我に返ったビストリカが、素早くディルスラック先生の脇にかがみ込む。
 人の良さそうな青年魔術師は、目を回していた。顔に引っかき傷ができたくらいで大きな傷もないが、倒れたときに頭を打ったらしい。
 一応、傷はビストリカの魔法で治され、気絶したままのディルスラック先生はベッドの上に運ばれた。
「巡回の人数が足りないので、何人か応援を頼んだ。リビート・ディルスラック教授も、快く協力してくれた一人なのだが」
 道化師さんがあきれとあきらめ半分の目で、ベッドの上の青年を見る。
「ごっ……ごめんなさいね、あたしの勘違いで」
「わたしも、雰囲気にのまれました」
 テルミ先生の攻撃があそこまで鋭くなければ、わたしも、鞄でディルスラック先生の顔をぶっ叩いていたかもしれない。
「まあ、勘違いは誰にでもあるし、こうなってしまったものは仕方がないな。教授のことは頼むぞ」
 道化師さんは肩をすくめて、開け放たれたままのドアに向かう。
「一人で行くんですか?」
 どこかで聞いた話によると、備え役のこういう巡回って、必ず二人以上で回ることになっているらしい。
「この状況では仕方がないだろう……別に不安はないさ」
「あのー、わたしも一緒に行っていいですか? 一応幽霊の顔見てますから、何か気がつくことがあるかもしれませんよ」
 ここでじっと待っているより、外を回ることに好奇心を大きくくすぐられた。ダメでもともとの申し出だったけれど。
「ええっ、アイちゃん、怖くないんですか?」
 ビストリカとテルミ先生が、自分たちにとっては考えられない、といった感じの表情でこちらに目を向けてきた。
「わたしは一向にかまわないが。どうせこのまま巡回しながら上に抜けるのだから、部屋まで送ろう」
 意外にあっさり、道化師さんは承諾する。
「気をつけてね、アイちゃん」
「そうですよ、何かあったら大声で呼んでくださいね。すぐ駆けつけますから」
 そう言って送り出す女性二人と、ついでに気絶したままのディルスラック先生を残し、わたしは道化師さんにくっついて、医務室をあとにした。
 周囲が静過ぎるせいか、石造りの床の上に、やけに靴音が高く響く。
「やっぱり……幽霊って、夢魔のことなんでしょうか?」
 歩きながら、わたしは問うた。
「一番最悪の予想がそれだな。そして、我々は常に最悪の事態を想定して動かなければならない」
 それが、備え役の役目だから、か。
「備え役に幽霊とやらを見た者はいないが、学生たちの作り話でもなさそうだし……きみも見たのだろう?」
「ええ……銀髪の子どもです。同じ幽霊とは限りませんけどね」
「確かにな。それに、幽霊ではなく、夢魔でもなく……何かの魔法の効果、という可能性だってある」
 最近の講義で、チラッと習ったことがあった。魔法の中には、周囲に幻覚や幻聴を起こす幻術というものが存在するのだと。
 こうやってわたしたちが会話できるのも、大昔にかけられた魔法によってことばが通訳されているおかげだけれど、その魔法も幻術の一種らしい。
「誰かが魔法の実験でもしてるとか……」
 そう考えると、あのリアス教授のことを思い出す。一瞬、あの箱の中身の深淵が思い出されて、慌てて頭の中から追い払う。
「そうだとしたら、平和的解決も見込めるが……」
 一階の見回りを終えて、わたしたちは二階へ。みんなすでに寝ているのか、動いている人の気配は全然ない。
 それにしても、暗い教室は不気味だ。
「夢魔でさえなけりゃ、そんなに危険はなさそうですね」
「夢魔でさえなければな。現状、その可能性もあるのだから、油断はできないが」
「夢魔が出てきたときは、道化師さんの魔法に期待しましょう」
 誰もいない教室を覗き込みながら、わたしは伝説級の魔術師に言う。魔法を使っているところは見たことがないけれど、実力的には信頼していた。
 相手は、なぜか明後日の方向に目を向ける。
「……魔法は頼りにしてくれてもかまわないが……その他のものが必要になったら期待するな。特に腕力の無さは折り紙つきだぞ」
「……はあ」
 ここは笑うところなのか?
 まあ、魔術師に腕力なんて、ヴィーランドさんを除いたら、最初から期待できないけど。
 そんな風に一抹の不安を残しながら、わたしたちは三階へ。
 ときどき、外で風が吹く。それが何だか、不気味に建物の内側に響いてきて、どきっとする。普段は全然、意識したことはないのに。
「まあ、こういう見回りも大抵の場合、何も起こらず終わるものですね。今回もそうだといいのですが」
 わたし自身のことばに、すぐに答が与えられることになろうとは。それも、あんな形で。
 もうすぐ、わたしの部屋の前を通りかかる。そこでわたしの巡回は終わりだ。
「だといいが……」
 と、道化師さんが言いかけた、その瞬間。
 ガチャリ、とドアノブが回される音を聞いたかと思うと、わたしは胸の辺りに衝撃を受けた。鞄を抱えていたおかげでダメージは軽減されているものの、衝撃で後ろに転倒する。
 あまりに突然のことで混乱はしていたものの、とっさに頭を打ち付けないよう庇うことはできた。
 床で打った背中とぶつかってきた何かを鞄越しに受けた腕が痛いけれど、それより近くでの破砕音が気になって、慌ててとなりを見る。
 膝をついている道化師さんも怪我をしている風でもないが、手にしていたカンテラが砕け散って床に散乱している。
 等間隔にローソクの火が壁に揺れているとはいえ、周囲が急に暗くなったような印象だ。
 ただ、目の前には別の光が差している。開かれたドアの向こうから部屋の明りが洩れ、その中に小さな人影が立っていた。
「こんな時間にうろうろしてるなんて、お前たち、悪い魔術師だな? ぼくがやっつけてやるから、覚悟しろ!」
 ホウキを両手にかまえて息巻いているのは、銀髪に、青い目の――
「きみ、あのときの……」
 少年は、わたしにとっては見覚えのある顔だ。相手も一応覚えてはいるのか、こっちを見て、あっ、という顔をする。
「悪の魔術師とは……ご挨拶だな。見かけで人を判断するのは感心しない」
 カンテラ――もう原型は留めてないけど――の火を厚い布で覆って消して、道化師さんが立ち上がる。
 彼の格好は子どもには怖がられるか、喜ばれるかのどちらかだと思うけれど、少年は、判断に迷うように、わたしたちを交互に見る。
「それじゃ、お前たち……何だ?」
「これこれ、その人たちは、見回りの人たちだよ」
 部屋の中には、少年のほかにも誰かいたのか。穏かそうな、老人の声が聞こえた。そういえば、薄っすらと記憶にある声だ。
 声の主が完全に姿を表わす前に、道化師さんが声をかける。
「シヴァルド学長……あなたが、なぜここに?」
 そうだ、茶色のローブをまとい杖を手にした白髭の老魔術師は、最初に説明されたときに、見たことのある顔だ。この研究所を創ったその人、マルニビット・シヴァルド学長。
 学長は穏かな顔に苦笑いを浮かべると、少年がまだかまえたままのホウキを左手で抑える。少年は、少し不満げにホウキを下ろした。
「この子は、パルトゥース・シヴァルド……わたしの、弟の曾孫だよ。エンガの町に家族と住んでいるんだが、勝手に家を出てきて、魔術師になるまで帰りたくないと言うもので、とりあえずここに住まわせていたが……言ってなかったかの?」
 ――がくっ。
 ここでわたしや道化師さんの心理を表わす擬音があるとすれば、そうに違いない。
「学長……そういうことは我々には伝えておいていただかなければ困る」
「いやあ、すまんすまん、申し訳ないことをした。ほら、パル、お前も謝りなさい」
 しきりに手を振って謝る横で、少年のほうは腕を組み、つんと明後日の方向に顎を突き出している。
 ――お母さん、育て方間違えたろ。
「では、図書館から本がなくなっていたり、別棟での幽霊騒動も……」
「パルが退屈だというから、こっそり本を借りさせるのに時空移動の魔法を使ったことがあったのう。移動の瞬間を見た学生が、幽霊だと思ったのかもしれん」
「なるほど……」
 パルくんと同じく腕を組んだ道化師さんが、呆れ顔で学長にうなずいたあと、こちらに顔を向けた。
 仮面越しに見える表情は、安心させるような笑顔。
「どうやら、何も起こらず終わるどころか、平和的な解決で終わりそうだな」
 わたしの心の中は、全力で謝りたい気持ちでいっぱいだった。

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第7話 恐怖! 古城に彷徨う少女の霊PART2(下)

 せっかく初めてほほ笑みを向けてくれたのに、このときわたしはすでに、思い出してしまっていた。
「でも……」
 自分のその一声で、周囲の気温がかなり下がったような気がする。
「少女の幽霊は、銀髪に赤い目だって、学生さんたちが……」
 場の空気が凍りつく。
 それだけなら、まだ良かったのだけれど――いや、もしかすると、ここで口に出したことで呼び寄せたのかもしれない。
 ひたひたと、濡れたような足音が近づいて来る。音のするほう――わたしたちがやってきたほうへ目を向けると、ぼうっと全身が浮かび上がるような淡い光に包まれた、小柄な人間の姿が近づいて来るのが見えた。
 それは、銀髪に赤い目の女の子。年の頃は、十歳にも満たないと見える。薄いピンク色のワン・ピースのスカートを着て、熊に似た動物を真似たぬいぐるみを手にしていた。無表情なのが、格好にとても不釣合いで印象深い。
 気配とか読めないけれど、わたしにも、雰囲気からして人間じゃないってことはわかった。
「まさか、本当に……」
 幻覚じゃないのを確かめようと、声を出してみる。
 あいにく、幻ではなさそうだ。道化師さんも、パルくんも、シヴァルド学長も、目を同じ一点に向けている。
「学長、二人を頼む」
 道化師さんが言って、前に出た。
「二人とも、わたしのそばを離れるではないぞ」
 学長がわたしと、さすがに少し不安げな顔のパルくんに言って、杖を握りしめる。薄い光の膜が、わたしたち三人の周囲を覆った。
 ――戦闘態勢を整えているってことは、あの女の子は、夢魔?
 ちょっとだけ、背筋に冷たいものを感じる。
 でも、それほど身の危険は感じなかった。伝説級と呼ばれる魔術師二人がいるんだから、大丈夫だよね、という希望的観測のおかげで。
「大人しく魔界に帰れ」
 唯一魔法の結界の外にいる道化師さんが、近付く少女の前に立ち塞がる。
 その右手に、光が生まれた。
「〈ヴァルスランク〉!」
 光の中から、いくつもの小さな光弾が飛ぶ。
 魔法を安全に使うために、呪文やら何やらの手順がたくさん必要になった、と教わったけど、学長も道化師さんも面倒な手順はすっ飛ばして使っている。まだ魔法については素人同然のわたしでも、二人が凄いってことはわかる。
 白い尾を引いて少女の姿に向かった無数の光弾は、当然命中。少女の姿は、蒸発するように消える。
 が、しかし。これだけじゃあ終わらない。
 消える一瞬前、少女は手にしていたぬいぐるみを、ぽーんとこっちに放り投げた。
 ぬいぐるみは空中で、ふたつの青い影に分かれる。
「ほう、分裂したか」
 学長はのんびりした調子で言うけど、青い影が間近に迫ってくるのを見ているわたしやパルくんは、そんな悠長な心境じゃない。
 人影は、あの無表情な少女の姿に変わる。こちらに飛び掛ってこようとするものの、防御結界がそれを遮った。
 それでも少女は無理矢理侵入しようと顔をグイグイ押し付けてくる。ゴムのように弾力のある結界の内側に、少女の顔の形が浮き出てくる……凄く不気味。
 それがこっちに迫ってくると、いつか耐え切れなくなって結界が風船のように割れるんじゃないか、という恐怖に襲われる。
「だ、大丈夫なの?」
 パルくんが学長のローブの端にしがみつきながら、ちょっと泣きそうな顔をしていた。
「大丈夫、大丈夫。ちと、目障りだが」
 目の前に迫ってくる顔に、眉をひそめながら学長が請合う。
 少女の姿が這いまわる結界越しに道化師さんともう一体の動きを見たところでは、この夢魔は消されそうになると逃げて分裂するらしい。消滅させる前にまず、動きを止める必要がありそうだ。
 そんな風に冷静に考えられたのは終わってからの話で、このときのわたしは、あまり冷静だったとは言えないけど。
 ただ、冷静になれ、冷静になれと心の中で自分に言い聞かせたところで、やっと、ずっとあの笛の音が鳴り響いていることに気がつく。
 ――もうすぐ、応援も来るだろう。
 少しほっとしてから、腕に生温かいものを感じ、何気なく見下ろしてみる。
 結界にめり込んだ、少女の顔。
 不気味なそれが……わたしの腕に当たっている。
 わたしの中で、何かが切れた。
「目障りだこのっ、どりゃあああぁぁぁ!」
 何を思ったか鞄をブン回し、結界の内側から顔をぶっ叩く。すると、どういうわけか少女の姿は蒸発した。
「あれ?」
 気の抜けた声を出すわたしの視界の隅に、こちらに駆けつけようとして足を止めた道化師さんと、反対側で茫然とこちらを眺めている応援の人たちが映った。

 結局のところ、騒ぎの大元の原因は、開かずの間にあった絵画だったらしい。夢魔が封じられていたのが長年の時を経て解除され、開かずの間から外へ出され、解き放たれたのだという。
「やれやれ……これでしばらくは、騒ぎもなくのんびりできそうだね」
「いつものんびりしてるでしょ」
 あくび交じりの四楼儀さんのことばに、わたしは即座にツッコミを入れる。
 時は朝。物見台には、わたしと四楼儀さんのほかに、道化師さんもいる。
「まだ、あの少年のことがあるが……学長が何とかするだろうな。我々備え役が出る幕ではない」
「だといいがねえ」
 四楼儀さんはいつも通りやる気なさげに言って、視線をわたしの手元にやる。
「しかし、地球の物には夢魔に通じる力でも宿っているのかねえ? わんは、少し驚いたよ」
「わたしは、アイがきみの弱みを握っていることに驚いたがな」
 少しも驚いた素振りのない二人の会話を聞きながら、わたしは鞄の中身をチェックしたりしてる。幸い、携帯電話は壊れていない。
「一体、どんな弱みがあるというのか……」
「それは、四楼儀さんのオトモダチが――」
「言うなっ! 絶対言うな!」
 即座に道化師さんのことばに反応するわたしに、四楼儀さんも即座に反応。
 その慌てぶりを、道化師さんはちょっと驚いたように眺めて、
「四楼儀のこんな慌てぶりは初めて見たぞ……まったく、きみは恐ろしいな……」
 と、なぜかわたしに恐れをなす。
 何だか、また備え役の間で妙なウワサを立てられそうな気がしながら、それを頭の隅に追いやって、わたしは、平和な勉強の日々が続くことに感謝した。


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