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・2007年10月5日:第18話 リビート先生のとある一日(上)
・2007年10月5日:第18話 リビート先生のとある一日(下)
第18話 リビート先生のとある一日(上)
昨日の昼休み。わたしは昼食後に外を散歩していて、門のほうで何やら弱っている様子のリビート先生を見つけた。
「いや、そういうのはここでは必要としませんので……」
「ではでは、こちらならどうです? この新型ゴーレムなら、消費魔力もだいぶ抑えられていますよ」
「そんなもの、研究所には入れられないでしょう」
――はあ、押し売りか。
門番役の二人が手を出すべきかどうか困ってる様子で眺めているのを向こうに見つつ、わたしはそっと先生の後ろから近づくと、タキシードに似た妙な黒い服を着た男が持つ本を覗き込んだ。図書館で借りた本でも見たなあ、こういうの。
「はあ、お高いですね。クーリングオフはできます?」
「クーリング……なんです、それは」
「気に入らなければ、一定期間以内なら返品できるって制度です。実物も見ずに高価な物なんて買えないでしょう?」
自信満々、当然のごとく言うわたしのことばに、調子のよさそうな相手も一瞬ことばに詰まる。
「確かに、一度実物を見たほうが買いやすいかもしれませんが、ここまで運ぶのは……」
「それじゃあ、どうにしろ買えないでしょう。あきらめてください」
はっきり告げると、相手は怯んだように後退り、「出直します」と言い残して門の向こうへ退散していく。
「助かりました。ああいうのを断るのは少々苦手でして」
見るからに苦手そうだもんな。リビート先生。
「でも、先生、どうしてこんなところに?」
授業は終わったとはいえ、荷物も持ってないし、家に帰る途中とも思えない。
「ああ、備え役の巡回の手伝いをしようと思って。そろそろ、同じ組の人が来るはずなんだけど」
振り返った先に見えるのは、いくつもある水色のローブ姿の中から抜け出して駆け寄って来る、見覚えのある学生さんの姿。こういうときに率先して協力するリフランさんだ。
個人差はあるらしいけど、まだあの魔法薬――リアス先生いわく、それ自体も強力な毒である解毒薬を口にした魔術師は、ほとんど魔法が使えない。だから、難を逃れた教授や学生さんが備え役に協力する姿がここしばらく多くなっている。エレオーシュの警備隊員の姿も多いし。
物見台に何度か行ってみたけど、そこも今はボランティアの学生さんが交代で見ている。四楼儀さんの姿は、あの日医務室から見送って以来見ていない。
魔法の実践授業も、テルミ先生が魔法を使えないため、キューリル先生に応援を頼んだり中止になったり。
「やあ、アイちゃん。きみも、巡回に協力してくれるの?」
「んー、どうしようかな」
べつに、ほかに用事があるわけでもない。昼休みの短い時間だし。
「何の役に立つかわかりませんが、一緒に回りましょうか」
そう言うと、リビート先生もリフランさんも喜んでくれる。ほんと、わたしなんていてもいなくても大した変わりないんだけれど。
わたしたちが回るのは、研究所の敷地の端だ。昼間は一番楽そうなルートかもしれない。もう陽射しがきつい時季でもないし。
ずっと向こう側に、シェプルさんとフリスさんが賑やかに話しながら巡回しているのが見える。最近じゃ、フリスさんもほとんど備え役の一員のようだ。
周囲を眺めながら、城壁の内側、そして湖畔を歩く。ほとんど、ただの散歩だ。
「そういえば、アイさんはコートリーでアクセル・スレイヴァの上級師官に会ったんですよね」
リビート先生が話を振る。あの日のことは、ビストリカやジョーディさんから詳細が伝えられているらしい。一部、伏せられた部分もあるけど……ビストリカの拷問魔法と、わたしがそのように頼んだ、幻術のこと。
「あれはどうやら、北東のサビキの町で何か事件があったから、らしいですよ」
「サビキって言うと、半分水没したっていう町ですよね」
リフランさんが興味を引かれたように口を挟み、
「おかげで、夢魔が良く出るようになって近くの町も苦労してるとか……それで、退治のために魔術師を送り込んだけど、何かまずいことになって、魔法薬が必要になったのかな」
と、推理する。さすが、肝試しの真実を見抜いた人だ――いや、今言った事実が合ってるのかどうかはわからないけど。
それにしても、やっぱり。普段は実感が湧かないものの、世界水没の危機は確実に近づいてるんだ。
「まあ、四楼儀さんが上手く話をまとめてくれたそうですから、大丈夫でしょう」
――本当に、大丈夫かなあ。
そう思いながら歩いているうちに、見慣れた風景が迫ってくる。
丘の上に、幹が千切れかけた、傾いた木。危険なので切ってしまおうという意見もあったものの、まだわずかにでも命をつないでいるものをわざわざ死なせることもないということで、太い縄で補強して看板を立てて、そのままにされることになった。
その木を視界に入れたときから、そんな気がしていたけど。
「巡回か……お疲れさま」
木の陰に座り込んでいるのは、やっぱり、一風変わった臨時備え役の姿。
「あれ? 道化師さんは巡回しないんですか?」
リフランさんが尋ねると、軽くこちらを振り返っていた相手は、湖に視線を戻す。
「しばらく休みをもらった。今のわたしがいたところで、足手まとい以下にしかならないからな」
「それじゃあ、まだ魔法は……」
リビート先生のことばに、道化師さんはひとつ息を吐き、いつもは必要ない呪文を唱え始め――
「〈マピュラ〉」
その指先に、光がともる。
でも、それはみるみるうちに小さくなって、ふっと消えてしまう。
まだあれから一週間くらいしか経ってないし、普通に魔法を使うのは無理なのか。
ま、まあ、道化師さんは働き過ぎとか言われてたし、これもいい機会なのかもしれない……凄く落ち込んでるみたいなんだけれど。
「きみたちには世話をかけるが……頼んだぞ」
「ええ、みんなも協力してくれますし、大丈夫ですよ。我々に任せて。休暇だと思って休んでください」
リビート先生は、それとなく気を使ってるなあ。何か疲れてる様子の道化師さんも、少しはほっとしたらしい。
わたしたちは丘を離れると、そのままもとの位置まで一回り巡回した。その辺でだいたい昼休みが終わる。
午後の授業を終えると、わたしは医務室でビストリカとお茶をしてから、一緒に食堂へ。空いていたので窓際のテーブルにつき、地球で言うところのグラタンとプリンを注文。
「テルミ先生、来なかったね」
そんなに落ち込んでる様子じゃなかったけど、ここ数日、あまり医務室で見かけない。
「アキュリアさんは最近、護身術が得意なサニザ教授に手ほどきを受けてるみたいです。もともと、体術をかじったことくらいはあると言ってましたし」
サニザ教授、という名前は聞いたことがない。主に別棟で学生さん相手に教えている先生らしい。
「あのホウキ捌きは伊達じゃなかったわけだ」
「あのときは、大変でしたね。ディルスラック先生も災難でした」
思わず、二人揃って思い出し笑い。
「でも、ディルスラック先生って、案外体力あるね。授業やって、備え役の手伝いやって、それに、エレオーシュの町から毎日通ってるんでしょ」
窓の外に、図書館の手前で学生さんと話をしている、人の好さそうなローブ姿の青年が見える。
「先生は、ここやここの人たちが好きなんでしょうね。ご自身も奥さんも地元のかたですし。だから、ここを守ろうという気持ちも強いんだと思います」
――なるほどねえ。
ごく一般的な感心とともに、その話題は過ぎ去る。ほんの他愛のない、雑談のネタだ。
それをすぐに実感することになろうとは、このときはわからず当然だった。
第18話 リビート先生のとある一日(下)
ゆっくり読書をして、物見台に行ってみたり――知らない学生さんが担当だったので、すぐ戻ってきたけど……医務室でお茶したり。そんな普通の放課後を過ごし、そろそろ寝るころだと、一階廊下に出たところだった。
「あれ?」
角を曲がった途端、扉のそばに見覚えのある姿を見つける。
「レンくん、どこか行くの?」
レンくんは借り物らしい上着を羽織って、カンテラを手にしていた。いかにも、これから外に出ますという感じだ。
「ああ、アイちゃん。これから、巡回に参加しようと思って。ヴィーランドさんや学生の人たちも行くんだ」
ボランティア精神にあふれた人たちだなー。ただ、今回はリフランさんはいないだろう。なぜなら、医務室のほうを手伝ってたから。
わたしは直前まで、手伝おうとかいう気はなかったのだけど……ふと、好奇心にかられたのだ。
「じゃ、わたしも行こうかな」
「ほんと? じゃあ、一緒に行こう」
レンくんが嬉しそうに言って、扉を開ける。夜の空気が流れ込んできて、ちょっと寒い。
外へ出ると、備え役二人とイラージさんを含む三人の学生さん、それにヴィーランドさん、アンジェラさん、リビート先生、テルミ先生と……リアス先生までいる……。
マリーエちゃんが来ようとして止められてたとか、リアス先生は一応魔法が使える戦力として呼ばれたとか、そんな雑談を少しだけ交わしたあと。
「おおっ、嬉しいよ。ボクらのためにこんなに美しいレディたちが集まってくれでッ」
「夜中に大声出すな」
両腕を広げて語るシェプルさんの頬に、シュレール族の固い裏拳での容赦ないツッコミ。この時間、さすがにフリスさんは部屋に戻っているようだ。
そういや、シェプルさんも魔法は使えない状態のはずなんだけど……タフだなあ。
妙なことに感心してる間に、ジョーディさんがバランス良く組分けして、担当ルートを決める。四人ごとで三組だ。わたしは、リビート先生とヴィーランドさん、シェプルさんと同じ組。
「やった、アイちゃんと一緒だ」
と、残念がるレンくんに見せ付けるようにヴィーランドさんが喜ぶ一方で、
「おお、なぜボクはもっとレディの多い組じゃないんだい?」
と、シェプルさん。
ふ……どうせわたしは口説かれたことないよ。
「まあまあ、皆さん、仲良くやりましょう。備え役のあなたを一番頼りにしていますよ、シェプルさん」
「そうかい? では行こうか、ボクたちの友情を確かめながら!」
リビート先生のことばに、喜び勇んで先陣を切るシェプルさん。何かこの人、昼間はフリスさんに抑えられている分、いつも以上にノっているような。
それはともかく、慣れてるシェプルさんに先導してもらうのがありがたいのは確か。で、わたしたちが巡回するのは、敷地の南側だ。
建物の内部の巡回のほうが時間はかかるしわずらわしいことが多いだろうけれど、外の巡回も、昼間とはわけが違う。暗闇の中を歩くのは慎重にならざるを得ないため、一組の巡回担当範囲も狭くなる。
「獣とか出ます?」
カンテラを持って、シェプルさんの後ろをほかの二人と並んで歩きながら、質問する。歩いてる間にも、どこかからクワクワという妙な動物の鳴き声が聞こえてちょっと不気味だ。
「街のほうには出ないけど、ここじゃあ、たまにどこかから迷い込んでくるみたいですね。大抵、すぐに追い払えるようなものですが」
シェプルさんは自分の世界にイッちゃってるので、リビート先生が答える。
「まあ、獣くらい大丈夫だろう。さすがに熊は出ないだろうし、そんなのオレが追い払ってやるよ」
笑顔でヴィーランドさんが胸を叩く。何だか、わけもなく頼りになりそうに思えるから凄い。
湖に囲まれてるし、まあ、獣だってそうそう入り込めないだろうな。夢魔だって、滅多に出ないそうだし。
が。
異変は、意外な方向からやってきた。
「何やってるんだろうね、あれ」
ちょっと素っぽいシェプルさんのことばにつられ、目を向けた先にあるのは、別棟の二階窓。開かれた窓から明りがもれている。
近づいて、よく見ると……。
――えぇっ?
「危ない!」
シェプルさんが走り出す。驚いて立ち止まりかけたわたしたちも、慌ててそれを追った。
女子学生さんが、窓枠に手をかけてぶら下がっている。今にも落ちてしまいそうだ。
その手がずり落ち、枠にかかっている指が三本になり、二本になり。
間もなく、落下。
「おいっ、大丈夫か!」
ヴィーランドさんが大声を上げる。落ちても、あの高さなら死にはしないよね……などと、自分を安心させながら、わたしも必死に走って窓の下へ。
そばに寄ると、女学生は無事なのがわかった。彼女のお尻の下でシェプルさんが潰れているが。
「怪我はありませんか? 確か、二年生のアデリーンさんですね」
「ええ……平気です。ありがとうございました」
リビート先生が手を取って助け起こすと、相手は少し放心した様子で立ち上がる。肩にかかる長さの金髪巻き毛の、可愛い系の女学生さんだ。
「シェプルさん、生きてますかー?」
わたしはさすがに可哀そうになって、カンテラを地面に置き、ピクピクしているシェプルさんを引っ張り起こした。この人も魔法使えないから、身体張って精一杯のことをしたんだしな。
「でも、窓から落ちるなんてドジだなあ。気をつけないとダメだぞ?」
ヴィーランドさんが注意するものの、相手はまだ混乱しているのか、しばらくの間口を半開きにしたまま目を丸くしている。
しかし、やがて。
「そ、そうだ、あたし……召喚魔法を試してみて、失敗しちゃったんです。それで……」
魔力を感じた。
窓を見上げると、何かが飛び出してくる。白い、クチバシの大きな、鋭い目と長い爪を持つ鳥が。
「伏せなさい!」
リビート先生がわたしと女学生を突き飛ばした。わたしはそのまま、素直に地面を転がる。
ざくっ。
そばで、風を切る音と、嫌な音。
先生の左の手首あたりに、赤い線が走っていた。
鳥は後ろのほうへ抜け、宙で方向転換。
「魔獣の一種だ。まとめて切られないよう、少し間を取って!」
いつの間にか復活してるシェプルさんが叫ぶ。
わたしは、これだけはどんな緊急事態でも唱えられるようにしておこうと決めている魔法の呪文を唱え始める。
でも、先生のほうが早い。半透明な白い壁が、わたしたちの前に立ちのぼる。
「〈エルファジオ〉!」
消滅系防御結界か。これに触れると相手は消滅するはず。
が、魔獣は直進して来ないで頭上高くに飛び上がり、翼を広げる。
高速でダーツのような羽根が降りそそいだ。
「〈ソルファジオ〉!」
わたしの防御結界がいくらか防ぐものの、到底全体を守れる大きさじゃないし、反応も遅れた。女学生を守る先生とわたしを庇ったシェプルさん、ヴィーランドさんに刺さる。
わたしもこのとき少し怪我をしたらしいが、気がつかない。頭の中では、ただ、早く敵を片付けてビストリカのところに行かないと、と焦るばかり。
「ずいぶん強い魔獣を召喚しましたね」
突き刺さった羽を抜き、額や腕から血を流しながら、リビート先生は苦笑する。その落ち着きぶりから、割と戦い慣れているように見えた。
カンテラの火が消えて見えにくいが、鳥はわたしの結界が消えたのとタイミングを合わせたように急降下。風を切る甲高い音が耳に届く。
先生は呪文を唱え、わたしの前ではヴィーランドさんが拳を作って身がまえ、次の攻撃に備える。
わたしも、大して役に立たないかもしれないが、もう一度結界用の呪文。身を守るためでなく、鳥をぶつけることもできるはず。あの速さなら相当のダメージになる――速いからこそ、タイミングも難しいが。
鳥は一直線に、わたしたちの真ん中めざして降下してくる。飛行速度が速過ぎる、呪文が間に合うか?
「〈ソルファジオ〉」
先生の魔法。
これでぶち当たる――かと思われた途端、魔獣は半透明な壁を避け横へ直角移動。普通の鳥じゃないからってそんなん有りかっ!
が、しかし。
「〈シャルデファイン〉」
続けざまに先生の魔法。シャルデは氷の魔法名だ。
そして、氷の塊は充分、壁の役目を果たした。魔獣の長いクチバシは折れ、そのまま落下。
「〈ソルファジオ〉」
わたしは結界で、落ちた魔獣を地面に押し付ける。鋭い爪が地面を掻いてもがくものの、もう逃げ出す気力はないようだ。
「〈シャルデファイン〉」
先生が魔獣を氷に封じる。使っていたのはほとんど基礎魔法とはいえ、大怪我しているのに集中も乱さないのはさすが。
氷にヴィーランドさんがカカト落としをキメると、魔獣は氷ごと砕けて蒸発した。
「はあ……お疲れさまでした」
敵の消滅を確認すると、どっと疲れたような様子で、リビート先生は肩をすくめる。
騒動の原因になった女学生さんは、ほっとして人心地ついたら返って怖くなったのか、泣きながら何度も謝った。
――うーん、彼女のしたことは周囲には多大な迷惑をかけたわけだけど……召喚魔法を独学で勉強しようとしているわたしにとっては、身につまされる顛末だ。
「まあ、事故なんだから、そんなに咎められないだろ」
「そうだよ、レディ! キミの可愛い顔が涙に濡れるのを、ボクは見たくない。ボクがキミを笑顔にさせてみせる!」
普通に慰めるヴィーランドさんと、顔に血をダラダラ流しながら力強く夜空の星を指差すシェプルさん。
「はいはい、皆さん医務室に行きましょうねー」
脛の辺りの痛みにようやく気がつきながら、わたしはビストリカの声を真似たのだった。
――それにしても、笛、鳴ってなかったな……。四楼儀さんがいないと、やっぱり気がつきにくい部分とかあるんだろうな。
そんなこんなで、魔法の重要さとか、シェプルさんのたまに見せる備え役の自覚とか、リビート先生の不幸だけど悟ったような落ち着きぶりとか、ヴィーランドさんの怪力とか、四楼儀さんの働きを再確認した一日だった。
翌朝。早めに目が覚めたわたしは、昨夜の現場を確認してみたり、四楼儀さんを捜してみたり、ちょっと外を散歩していたのだけれど。
門の手前辺りにリビート先生を見つけ、近寄ってみる。彼は財布を手に、溜め息を洩らしていた。
まさか……。
「何か売りつけられたんですか?」
聞いた話じゃ、この人、そういうことは一度や二度じゃないらしいし……。
しかし、先生は首を振る。
「いえ、テルミ先生に、買い物に付き合うように言われまして……」
「なるほど、それは断れませんね……」
――まさかテルミ先生もそれほどおごらせようとしたりはしないだろうが、荷物持ちだけで済めばいいけれど。
そんな思いのわたしに見送られ、彼はこういうときにいつも見せるちょっと引いた感じのほほ笑みを浮かべたまま、不幸の予感をまといつつ、テルミ先生に引っ張られていった。
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