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エピローグ


 管理局は、セルサスらによってクラッカーたちが捕らえられた、数時間後には本来の姿を取り戻しつつあった。
 機器だけが生きていた建物内に、人の気配が、声が戻ってくる。それだけで、時には無機質な印象を与える景色に、活気と温かさが生まれた。
 忙しくスタッフたちに指示を出す合間に、パストール局長は医務室の少年たちのもとに顔を出した。
 そこにいる少年少女は、ルチルとクレオだけだった。
「おや……もう二人はどうしたね?」
 読唇者は、いつの間にかいなくなっていた。しかし、その後少年たちがここに移動するまでは、確かに、リルとシータの姿はあったはずだ。
 ベッドに腰かけていた少年が、つまらなそうな顔をして首を振った。
「シータは、色々尋問されるのが面倒だとか言ってさ。リルちゃんはそれを追いかけて行った。さよならも言わずにいなくなるなんてさ」
「ふられたな」
 意地の悪いニヤニヤ笑いを浮かべる局長に、クレオは飛び上がって抗議する。
「いいや、絶対見つけ出して、振り向かせて見せるっ」
 ぐっと拳を握り、右手を天井めがけて突き上げる。なぜか、周囲の者たち――局長と看護師らから、拍手が起きた。
 そのまま、今にもリルを追って飛び出して行きそうな少年の手を、ルチルが取った。
 ガチャリ。
 突然の金属音につられて少年が振り返ると、彼の左の手首に、鈍い銀色に輝く手錠がかけられていた。
「え……ええぇぇっ !?」
 何が起こったのかやっと認識して、驚きの声を上げる。
 赤毛の少女は、笑っていた。
「逃がさないわよ。これからあんたの身柄は、サイバーフォースが預かる」
「ちょっ……確かに、色々悪いことはしたかもしれないけど……
「まずは啓昇党の活動についての尋問。洗いざらい、話してもらうからね」
 手錠のもう一方の輪は、彼女の右手首にかけられている。そのまま、鎖でつながった相手を引きずるように歩き出す。
 転びそうになりながら歩くのがやっとの状態で、クレオはルチルの背中を見た。
「ル、ルチルちゃん? オレも、犯罪者として裁かれるってこと?」
「ま、情状酌量の余地はあるでしょ。それより、キミにはやってもらうことがあるんだから。両親を説得する自信、ある?」
 啓昇党のメンバーは全員拘束され、管理局内にあるサイバーフォースのオフィスに集められていた。そのなかには、長年教会で一緒に暮らしてきたクレオの両親もいる。
 彼は、一瞬怯んだような表情を浮かべ――それを笑みに変える。
「もちろん!」
 強い意志を込めて、少年はうなずいた。

 春の公園を再現した空間に、二つの姿があった。
 桜の花びらが舞う木々の間で、金色の髪の少年は足を止める。
「逃がしては、くれなさそうですね」
 彼が振り返ると、少女が木の幹に寄りかかるようにして、顔を向けていた。
 銀の妖精と呼ばれるその姿は可愛らしくも神秘的で、周囲の景色とあいまって花の妖精を思わせる。
「今まで、さんざん逃げられたもの……簡単には放さない。放せば、消えてしまいそうだから」
「消えはしませんよ、リル」
 彼は、なだめるようにほほ笑んだ。
「あなたこそ、どうなのです? あなたには、わたしを捜すという目的がなくなった……これからは、外の世界から呼びかけがあるまで、多くの人間たちにまぎれて生きるのですか?」
「サーペンスじゃないけど、人のやることに限りはないわ。絶望し続けるには、この世界は広く、深過ぎる……無為の時を生きるつもりもない。あなたを捜すためにやってきたことにも、少しだけ、意味を見つけたの」
 彼女は、桜の花びらのそそぐなか、少年に近づいた。
 真の名をクレアトールという少年――シータには、少女のことばの意味がわかっていた。
「あなたなのですね……ルシフェル」
 それもまた、有名なハッカーの名。クラッカーたちの邪魔をし、何度もその狙いを潰しているという、少女の名だ。
 クレオと会う一週間前にサーペンスの悪事を阻止したのも、迷うクレオにことばをかけたのも、彼女のしたことだ。
 スペース・ワールドやレイフォード・ワールドで見せた、外見に似合わぬ腕力や体術。それも、彼女のハッカーしての力で、一時的にワールドのプログラムをいじったことが原因で表われたもの。
 謎の少女、ルシフェル。
 その、三つ目の名を、銀の妖精の別名も持つ少女は、否定しなかった。
「あなたや読唇者のように、おせっかいなハッカーになるのもヒマ潰しには充分だもの。それに、あなたを目指しているうちにそうなったの……いつか追いついてみせる」
「殿堂入り、ですか」
 少年は笑い、背中を向ける。
「そのときを、楽しみにしています。それでは、――いつか、また」
 白い後ろ姿が消えた。
 幹の太い木々の間に、あたたかい風に銀髪を揺らす少女だけが残される。
……よかったのかい?』
 どこからともなく、声が響いた。レイフォード・ワールドでの読唇者の声にも響きが似た、直接脳内に伝わる声。
 聞き慣れた、それもしばらく聞けなかったセルサスの声に、リルは笑顔で首を振った。
「また、会えるもの」
 いつか、また。
 それは、再会の約束。
 約束のことばを胸に刻んで、少女は歩き出す。
「さて……この世界が続く間、何をしようか。まずは、いつものところかしら……
 ジルに礼を言い、心配性のマスターに顔を見せて、安心させなければ。その後は――気になるワールドが、いくつもある。
 彼女は軽い足取りで公園を歩いていく。
 妖精にも似た少女の姿は、ピンク色の吹雪の向こうに消えていった。

  〈了〉

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