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001. クレヨン - 鮮烈な赤
若い画家はスケッチブックをめくりながら、二人の刑事を見上げた。
「発見したとき、本当に大変でしたよ。さすがに本物の遺体なんて見たことなかったから」
言いながら、彼はクレヨンの茶色を手に取った。画家は、クレヨンによる風景画を主に描いているらしい。今キャンパスを彩るのは、秋の紅葉だ。
「そりゃあ、大変だったでしょう。遺体はずいぶん切りつけられていたようですから。出血も多かったようですし」
髭をたくわえたベテラン刑事が言うと、画家は大きくうなずく。
その横から、若い刑事が、スケッチブックをのぞきこんだ。
「それにしても、風流ですね。クレヨンなんてわたしらが聞いたら子どものモンという印象ですが、クレヨンでも、これだけ描けるんですねえ。しかしこれほど大きな絵だと、すぐに消費しちゃうでしょう?」
「ええ、一枚につき大体一箱は消費しますよ。お金もかかります」
と、赤いクレヨンを手にしながら、画家は苦笑する。
「ほう。この絵もそろそろ完成ですね」
ベテラン刑事の目が、きらりと光る。
「なのになぜ、赤のクレヨンはそんなに長いのでしょうね?」
画家の手が止まる。
絵には、面積の半分以上に赤が使われている。どの色よりも消費しているはずだった。
「署までご同行願いましょうか」
こわばる顔を見下ろし、ベテラン刑事は告げた。
「その、血塗られた絵と一緒にね」
FIN.
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002. 階段 - 灰かぶり姫
まるで時計がどんどん焦りを増しているかのように早くなっているみたい。なぜ秒針の音が聞こえるのだろうと思っていたら、それは自分の鼓動だった。
それに追い立てられるように走る。こんな長い階段を慌てて走り下りるなんて危険だとわかっているけど、もう時間がなかった。
「待て、待ってくれ!」
あの人が後ろで呼んでいる。でも、止まれない。
会いたくて、会いたくて、やっと出会えた人だ。こんな何も考えられないくらい焦って逃げ出すような惨めな後ろ姿は見せたくなかった。でも、止まれない。なぜなら、時間が過ぎればもっと惨めなことになるから!
わたしは着慣れない豪華なレースつきのドレスの裾を摘んだまま、ひたすら階段を下り続けた。
階段が途切れるまであと、少し。
そんなことを思って心に小さな油断が生まれたのかもしれない。
「あっ」
思わず小さな声が出た。
何が起きたのかは感触でわかった。でも、振り返らない。一瞬の判断で、その出来事を無視することにした。
わたしは誰にも追いつかれることなく階段を下り終える。片足の裏の冷たい感触よりも、掛けられた声を振り切った背中が寂しかった。
楽しい一夜はとうに終わり、また厳しい日々が続く。
それでも、あの日の夜を思うだけでしばらくは気持ちを折らずに生きていける。
わたしは床を拭きながら、時折あのまばゆい夜を思い出していた。お客さんが来ているらしく、義母と義姉たちが周囲にいないのがありがたい。
でも、やがてわたしは呼ばれた。
お客さんの前に呼ばれるなんて珍しい。とにかく、あんまり厳しいことを言われないといいけれど――。
FIN.
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003. 荒野 - 潤いを求めて
あたしの目の前には、荒野が広がっていた。
ひどく乾き、荒れ果てている。
なんということだろう。
いや、あたしは今までにも何度も、この光景を目にしている。そして目にする度、水を入れ、なんとか潤いを広げようとした。でも、水気を取り戻したかと思えばそれは一時のことで、すぐに、砂漠になりかけた荒野に戻ってしまう。
とにかく、あきらめずに何とかしなきゃ。
あたしはまず、水を撒いた。これで、表面だけでも湿らせる。
次に、特殊な、ミルクに似た液体を塗りこむ。
丹念に、丹念に。心を込めて。
「よし」
とりあえず、潤った、と言っていい。
明日まで、もてばいいけど。そう祈りながら、私は眠る。
そして翌朝。
アパートの部屋に、目覚めたばかりのあたしの声が響く。
「あ~あ、またかぁ」
溜め息をつきながら、右手の甲を目の高さに持ち上げる。
あたしの目の前には、荒野が広がっていた。
やっぱり冬の寒さは、肌にもキツイ。
FIN.
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004. マルボロ - わたしの味と匂い
世間の流れに逆らって煙草を吸い始めたのは、好きな人ができてからだった。
キスをするとき、どんな味なら恥ずかしくないだろうと考えたときに思いついたのは歌や小説に出てくる、キスをしたときに煙草の匂いがするという描写。彼も喫煙者だし、これならいいだろうと思った――のが甘かった。
キスどころか告白する前に彼は遠くに引っ越してしまい、やがては恋も醒める。ただ、煙草という習慣だけが残った。
「タバコ、やめないの?」
同僚の青年が、休憩時間に店の裏口の外で一服していたわたしに言う。彼は非喫煙者で、なかなか骨のあるいい男だった。
「身体に悪いのはわかってるけど、ついね」
「そんなに美味そうに見えないけどな」
「これは匂い消しの意味もあるのよ。昼間、レバニラだったし。なにかの拍子に誰かとキスをすることになっても、これなら大丈夫でしょ?」
そう答えると、彼はつまらなそうに鼻を鳴らす。
「わかってないなぁ。相手が何を食べたのかまで知りたいのが好きになるってことじゃないの。そうじゃなくても、相手の匂いや味を味わいたいのに、タバコの匂いと味になっちゃうじゃん」
確かに――自分の匂いは大切かもしれない。動物は匂いで家族や敵味方を判別したりする。人間の赤ん坊でもそんな話を聞いたかもしれない。大人の男女でも、フェロモンを発生させる匂いで恋愛感情が盛り上がったりするとか。
――煙草の匂いはクールだけど、情熱には欠けるかもしれない。
「じゃ、禁煙するか」
「その方がモテるよ」
わたしのことばに、彼は間髪入れず応じる。なんだか、彼がそう言うと本当に実現しそうに感じるのだった。
FIN.
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005. 釣りをするひと - 捕食者と捕食者
『ショックウェーブは禁止されています。あくまで配布された道具のみを使ってください。それでは――競技スタート!』
アナウンスを切欠に、一斉に色も形も様々な小型航宙機が青い惑星に突撃していく。やがて水飛沫が上がり、海中に潜ったそれらは必死にレーダーで捉えた魚群めがけて突進する。その機体の横や後、先端に棒が取り付けられ、棒の先には釣り針が垂らされていた。
「釣り竿の使い方ってあんなんでしたっけ?」
惑星軌道上の航宙機。モニターで様子をうかがう審判役の一人が問う。
「いや、違うが……。ここの魚類は凶暴だから、船から釣り糸を垂らすというわけにもいくまい」
年長の審判員が溜め息を洩らす。
そこへ、「参加機Aの二〇がクラーケンに飲み込まれました!」と報告が響くが、慣れたオペレーターは冷静に対応を指示する。似たような報告は次々と届くが慌てる者はない。毎回のことなのだ。
巨大な海だけのこの惑星にはそこの住人を食べる天敵もおらず、巨大で凶暴な海獣が多く生き残って進化していった。生態系は偏り、わずかに生まれた知性の芽も摘み取られる様子を危惧した銀河連合は、定期的にフィッシング・コンテストを開くことにした。賞品は釣果を調理して食べる権利である。
「わたしは考えごとをしながらの釣りの方が好きだが……この惑星でそれができるのはだいぶ先になりそうだね」
どちらが海獣でどちらが釣り人かわからない荒れ狂う海を見下ろし、年長の審判員は肩をすくめた。
FIN.
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007. 毀れた弓 - 三度目の夏休み
二人の少女が海岸沿いの道を歩いていた。脇の岸壁に荒波が押し寄せては散る音が、蝉の鳴き声をかき消すように響いていて涼しげだ。
「ねー、ハスミー。もう夏休みも今日で終わりだね。やだな、学校行きたくないなー。プールもなかなか行けなくなるし」
「ホント、ユカは泳ぐの好きだね」
歩きながらジャラジャラとキーホルダーのついたバッグを振り回す親友に、ハスミは笑顔を向けた。
「でもほら、これから受験もあるしそっちも大変でしょ? 泳ぐのは、合格してからだよ。宿題ちゃんとやった?」
「失礼な。それくらいはちゃんとやってるもん」
「なら、いいけど。ユカは将来有望なんだし、今勉強するのも大事だよ」
「なんか、お母さんみたい」
「せめてお姉さんって言ってよー」
少女たちは日に焼けた顔に笑みを浮かべ、カラカラと屈託なく笑う。
二人は他愛のない話をしながら、小さな公園に足を向けた。崖の上の休憩のためにあるような公園で、ベンチと日よけと小さな物見台があるくらいだが、水平線を望む景色はいい。
「ハスミも、今年の夏休みは充実してたんじゃない? あ、脚のことは……残念だったけど」
「いいのよ」
まずいことを言ったかもしれない、という風に途中で表情を変える親友に、ハスミは笑顔で首を振る。
彼女は幼い頃から、バレエダンサーを目指して厳しい練習に精を出してきた。しかし二ヶ月ほど前に事故で右脚に怪我をしてしまい、手術をして最近まで病院に通っていた。
最終的な判断が下されたのはこの夏休み中のことだ。
結果は――二度とバレエの舞台には立てない。
ユカはベンチに座ると、ことばを選びながら口を開いた。
「何言っても安っぽくなっちゃうかもしれないけど……きっと、バレエと同じかそれ以上に打ち込めるものと出会える日が来るよ。ハスミは色んな才能あるもん。ほら、この夏休みだって色々いいこともあったじゃない?」
「そうねえ……」
競馬をやっている父に「あの名前の馬が良さそうだよ、買ってみたら」と言えばそれが的中し、資格試験を受ける弟に「ここが出そうだよ」とアドバイスをしたらそれも的中して受かったなどと、ハスミの家ではささやかだが目出たいことが続いていた。
「バイトも、遊びも一杯やってたみたいだし……けっこう充実してなかった?」
「うん、そうだね」
笑いながら、ハスミは木製の柵に脚をかけ、座る。柵を越えてしまえば崖まで遮る物は何もない。
「お父さんとお母さん、お祖母ちゃんとお祖父ちゃんにも育ててくれたお礼がしたかったし、弟にも強く生きて欲しいって伝えたかった。それに、ちゃんと思い出を作りたかったから頑張ったんだ」
柵から滑り降り、すとんと地面に足をつく。
「ハスミ、そっちは危ないよ」
「そのためにこの夏休み、一日も無駄にしないように計画を立てて動いたの。馬券が当たって少しでも両親が楽になるように、弟が試験に受かって将来に希望が持てるように、バイトしたお金でお礼ができるように……他にも、色々と」
注意を無視して一歩一歩、踏みしめるように歩き出した親友の様子に何かを感じて、ユカが立ち上がる。
「信じられないかもしれないけど……わたしにとって、この夏休みは二度目なの」
彼女の夏休みが、すべてが終わったはずの瞬間。気がつけば、夏休み一日目の自分の部屋のベッドに寝転んでいた。
「一度目は衝動的に行動してたから、後悔することがたくさんあった。だから神さまがもう一度夏休みをくれたのかもしれない。だから二回目は後悔なく行ける」
少女は笑って足を宙に踏み出した。
「さようなら、ユカ。今までありがとう」
そのまま、身を空中に投げ出す――はずだった。
しかし、踏み出しながら振り返ったそこに親友の姿はなく、しっかりと腕をつかまれている感触がある。
とっさに止めようとして間に合う距離ではない。なんで、と見上げた親友の顔は薄っすらと安堵のほほ笑みを浮かべながらも、真剣そのものだった。
「ハスミ。あなたにとってこの夏休みは三度目なの」
信じられない。そうは思いながらも、ハスミは親友のことばを信じるしかない。
「あたしはとても後悔した。だからきっと、神さまはもう一度夏休みをくれたんだと思う。でも、あたしはあなたと違って記憶力が悪いから、宿題は二度目でも苦労したわ……だからもう後悔させないでね?」
FIN.
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009. かみなり - 希望の光、命の雫
「あたし、人工衛星になりたいのです」
九歳の少女の発言は、数十年も前なら幼児期にありがちな他愛のない夢物語としか思われなかっただろう。
しかし、今や人類は思うがままの姿に変わることが出来る時代。人は皆、なりたい姿の肉体や機体にプログラムをインストールするかのように意識を移す。
そして、少女が発言した場所は正に、衛星制作プロジェクトチームが人工衛星に意識を移す個人を検討している会議室だった。
「しかし、実際までは生まれたままの肉体で過ごさなければならないという法律が……」
「来月には十歳になるです」
戸惑うプロジェクトチームの面々と、同じく科学者である父親のあきれ顔をよそに、少女は迷いのない様子ではきはきと答える。
居合わせた者たちは顔を見合わせた。
実際の少女を人工衛星に、というのは同義的に許されるのか?
法律上は問題なく、この時代の義務教育も終了している。意識の劣化による寿命はあるが、年齢が経験の差以上の意味を持たなくなった昨今では成人に等しい。
それに今は耐熱仕様の肉体が大半とはいえ、この夏の尋常ならぬ暑さはさまざまなものへ悪影響を及ぼす。気象操作衛星の打ち上げは急がれた。その上これを逃せば、意識を移してくれる者もなかなか見つからないだろう。
だからと言って、やはり前例がないことへは腰が引けるものだ。
「あなたはそれでいいのか?」
同僚の一人が助け舟を求めて、少女の父親に問いかけた。
「ああ……家族も親戚も、近所の人たちも、もちろんわたしもそれを望んでいる。何より、本人たっての希望だ」
そこまで少女を人工衛星にしたいなど、何か下心があるのではないか――と下世話な勘繰りをする者もその場にいたかもしれない。娘を世紀の試みに差し出せば、彼の科学者としての名は多少なりとも知れるだろう。
だが父親の表情はそこまで晴れ晴れとはしていなかった。
「こうするより仕方がない。娘をよろしくお願いします」
まるで娘を嫁にでも出すような様子で、彼は深々と頭を下げた。
一週間の訓練の末、少女は気象操作衛星になった。
多くの人類が耐熱表皮を採用した身体を持つ近年、健康面では夏の暑さも大した問題にならない。恒例の水不足も、水を生成する装置でいくらでも確保できた。
それでもどうしても大量の水、雨が必要になることはある。生態系の維持のため、そして田畑のため。未だ<食べる>という行為は娯楽として人気が高い。
『人工衛星になったら、最初に雨を降らせる地域はあたしが決めていいって聞いたです』
人工衛星の少女が最初に雨雲を発生させたのは、彼女の家がある辺りだ。そこには広く田畑が広がっている。
「これがやりたかったのか? 水なんていくらでも作れるのに」
地上の基地内のオペレーターが驚き半分、あきれ半分の声を上げる。
野菜も食品も大半は自動運転の工場で作られている。今も手作業の農業にこだわる人々がいることも聞いてはいたが、都会育ちのオペレーターには遠い世界の話だった。
『うちの野菜、食べてみてよ。すっごくおいしいですよ!』
「確かに、手作りの方がランク高くて美味しいって言われてるみたいだけど……」
正直、彼には素人の自分がわかるほど違いがありそうだとは思えなかった。
それをよそに、少女は確信を持って言う。
『お祖父ちゃんが言ってたの。〈おいしくしよう〉っていう人の意識が人の手を通して野菜に入るから美味しいんだって。だから、機械で全部やるよりおいしいの』
監視モニターに、上空から撮られた雨が降り注ぐ田畑の並びがアップになる。雷がきらめくのを合図に、いっそう雨は激しくなる。
「……今度、味わってみようかな」
オペレーターは神妙にモニターを眺めながら、少女の〈おいしくしよう〉という意識が降り注ぐのを確かに見届けた。
FIN.
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011. 柔らかい殻 - ミレニアムアンバー
科学者が差し出した小箱の中には、黄金に似た輝きが照明を反射してまたたいていた。
ミレニアムアンバー。
千年の時を経て発掘された琥珀であり、半透明で雫型の、未知の小さな虫らしきものが硬化した樹液に閉じ込められている。どういう自然の作用か、人工的にカットはしていないのに美しい形に整っていた。
「これがミレニアムアンバーか……素晴らしい」
それを手にするときを心待ちにしていた女王は、目を輝かせて受け取った小箱を見下ろす。
「折りしも、我が王国は今年が千年祭に当たる。これは王家の宝として大切にしていこう。礼はなんなりとしますよ。あなたたちの研究への援助も惜しみません」
「ありがたき幸せ」
そう言って頭を下げる二人の科学者の顔が少しも幸せそうではないことに、女王は気がつかなかった。
「本当に良かったんですか、先輩?」
宮殿を出た科学者の一人が、となりを歩く同僚に声をかける。
ミレニアムアンバーを差し出すことで、彼らはこの異国の地で膨大な支援を取り付ける事ができ、名声も確かな立場も手に入れた。
だが、失ったものも大きい。
もともと発掘した物は彼らの研究チームで研究が終わるまで保管できることになっていた。ミレニアムアンバーもそうした発掘品のひとつに加わるはずだったのである。何せ、千年物の琥珀にその内部の未知の生物など、美術的価値だけでなく科学的価値も高い物なのだ。
しかしそれが発掘されたことを知らせるニュースで映像を一目見るなり、視聴者もマスコミも王族も、あらゆる人々が美術的価値だけに夢中になった。女王から献上の要望があったのも自然の成り行きだ。
もちろんこの国の科学者にも美術品より研究対象として扱うべきだと知っている者もいたが、よその国の研究チームに渡るくらいなら自国の女王に献上された方が良いと考えたに違いない。
「そりゃあ悔しいが、拒否すれば追い出されかねん。もともとこの国の物でもあるしな」
先輩科学者は肩をすくめて答える。
「それに、今までの発掘品を思い出してみろ」
「今までの、というと……非常に高度な文明の残骸や建物などですが」
はるか昔、この国には科学が発達した文明が広がっていた。今はむしろ発展途上国と言えるレベルのこの国にその痕跡を発掘する技術力はなく、先進国である外国の研究チームに発掘させるのと引き換えに発掘料を取って儲けを出している。
「それを見ると、どうして滅んだと考えられる?」
「ええと……あちこちから人骨が発見されています。墓以外からも。よって、現在発掘中の街は突然滅んだのでしょう。しかし建物や調度品などはほぼ壊れもせず残っていますし、戦争や地震・火事・隕石の落下などではなさそうです」
それらに備えている様子もなく、発掘に携わる者たちには、大昔の人々はまったく滅亡を予想していなかったように思えた。
「その通り。地質調査の結果からして毒ガスの線はない。残る線は、病気だよ。未知の伝染病が一気に広がり全滅したんだろうさ」
その説明に納得はしたものの、後輩の方の科学者には先輩の意図が良くわからなかった。まるではぐらかされているとしか思えない。
「それとあのミレニアムアンバー、何か関係が?」
タクシーに乗り込みながら、その質問を予想していたらしい相手は表情だけで笑う。
「まだ調査中だが、ミイラ状態で発見された遺体に雫型の小さな空洞が見つかった。二体目まで調査が終わっているが、二体ともだ」
タクシーが研究所に向けて発車する。
一拍の間を理解するために費やし、若い科学者は目を見開く。
「それじゃあ、あのミレニアムアンバーが? あの生物が外に出て、また病気が広がる可能性もあるということですか?」
声を潜めながらも、その声は驚きに震える。
強欲な女王の国など滅びてもかまわない。先輩はそういう考えなのか。
「まさか」
しかし、相手は軽い口調であっさり否定した。
「あの虫に支配された場所にこの国の先祖が発生したんだぞ。むしろ、ああして女王が持っているのが一番安全なのさ」
「異国人の我々が持っているより、免疫がある……それも血の濃いこの国の王族が持っていた方がいい、ということですね」
真相を知り、若い科学者はほっと息を吐く。
彼らの乗るタクシーが潜り抜けた宮殿の門が背後に小さくなる。
その門の中央に雫型の、この王国の紋章が刻まれていた。
FIN.
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020. 合わせ鏡 - 嘘から出た恋人
墓地は以前と変わらず線香臭かった。目前の墓に置かれたばかりの花束も、その香りを完全にかき消されている。
「もう三ヶ月になるんだね。ほら、今月もリクも来てくれたよ」
制服姿の少女はどこか寂しげな笑顔で語りかける。同じ紋章入りの制服を着た少年は、少し照れくさそうだった。
「安心しろよ、ユキ。ミカはオレが護るから」
誓うように語りかける。
ミカとユキは双子の姉妹だ。一年下のリクも幼馴染みで、中学生になるとミカとの関係は恋人同士に変化したものの、変わらず三人は仲が良かった。三ヶ月前、ユキが事故死するまでは。
当時のことをリクはあまり覚えていない。ただ病室のベッドに横たわる、妹に瓜二つの顔が目に焼きついていた。
「また来るね、姉さん」
近況を報告すると、二人は墓地をあとにした。
空は晴れ渡り強い日光がアスファルトを照りつける。散歩には長い距離を歩くと、のどが乾いて仕方ない。
「何か飲む? 奢りだよ」
「じゃあコーヒーで」
自動販売機を見つけるなり、ミカは嬉々として駆け寄ってジュースを買う。コーヒーと炭酸入りのレモンスカッシュを。
「炭酸、苦手じゃなかったっけ?」
缶コーヒーを受け取りながらリクが指摘すると、少女は一瞬目を丸くして慌てたように口ごもり、
「うん、でもこれだけは大丈夫なの。だから暑いときだけはこれを飲むの」
「そういうもんか」
早口で必死にことばを連ねる様子に、それ以上追及する気にはなれなかった。心に残るもやもやを振り払うようにして話題を変える。
「ところで、あいつは来たか?」
あいつ、というのはユキの彼氏らしき男だ。とはいえ実際に会ったことはない。昔一度だけ見た、姉妹と一緒に写っていた髪を茶色に染めた少年で、制服は同じ学校のものだ。
この質問にも、少女は少し慌てる。
「ああ、うん、何度か来たよ」
「恋人が死んだのに冷たいな」
「そういうわけじゃ……姉さんも引きずって欲しくないだろうし」
何でミカがそこまで庇うんだろう、と思うものの、相手と面識がないリクは再び「そういうものか」と流すことにする。
流せなくなったのは、彼女の家に着く直前。
「あれ、今日何かあったっけ」
家の脇の駐車場に車がないのを見つけ、ミカは携帯電話を取り出す。じゃらり、といくつものストラップが音を立てた。重なっていたそれらがばらけたそこにたまたま目が行く。
「お前、それ……」
『ゆきちゃん』と名前入りの犬のマスコットがついたストラップだ。中学校の修学旅行の土産として姉妹それぞれに名前入りの物を渡していた。
メールを見ようとしていた少女もリクの視線に気がつき、顔を強ばらせる。
リクの中では、今までもやもやとわだかまっていたものが一気に収束していた。少しずつ積み重なった違和感の正体がそこにある。
「やっぱり……お前、ユキだな! ミカが死んで、入れ替わってたのか」
「そ、そういうつもりじゃ……」
少女は目を見開き、焦ったように口をパクパクと開閉する。
「今まで家に入れなかったのも、入れたらバレるからだろ!」
後ろからの制止の声を無視し、リクはズカズカと家に上がり込む。姉妹の部屋を見れば確信が得られるはずだという思いつきだ。
だが、部屋に着く前にそれはやってきた。
「ユキ、姉さ……」
奥から歩いてきた見慣れた笑顔が凍りつく。合わせ鏡のように、先ほどまで見ていた顔と同じ顔立ち。
その顔と同じく、リクも表情を凍りつかせた。後ろから追いかけてくる少女がユキなら、目の前の少女は誰だ。
否、答はひとつしか有り得ない。
「なんで……死んだはずじゃ……」
やっと声を絞り出すと、目の前の少女は溜め息を洩らす。
「なんだ、バレちゃったんだ。せっかくあんたから雲隠れできたと思ったのに」
「それは、どういう……」
「そのままの意味よ。本当に覚えてないのね」
三ヶ月前の事故。本当は、ユキだけではなくリクも一緒に事故に遭っていた。ユキは軽傷だったが頭を打ったリクは記憶を一部失い、人格も変わってしまった。
その後、ミカは自分が事故死したことにして時折ユキと入れ替わっていた。
「だって、もう昔のリクじゃないもん。あたしが好きだったリクは消えちゃった」
そう言って彼女が目をやった先には、一枚の写真が写真立てに入れられ飾らられていた。写真からは髪を染めた少年が視線を返している。
改めて見ると似ているが、他人にしか思えない。
「……そうか。この三ヶ月は、全部嘘だったんだな。でも、オレはもう知りもしない昔のオレには戻れない。嘘のオレのまま生きるよ」
真実を知ると、自ずと覚悟は決まった。ここで昔と決別し、生きていく。
振り切るように後ろを向くと、玄関に立ち尽くす少女と目が合った。
「嘘じゃないよ。あたしの気持ちは嘘じゃないから!」
ユキはそのまま顔を真っ赤にして走り去っていく。
リクはほとんど無意識の反応でそれを追いかけながら考えていた。
確かに、この気持ちだけは嘘じゃないと。
FIN.
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