いつか言えるはず



 世間は相変わらず、この時期になると騒ぎだす。アスファルトの道が電飾で輝き、サンタクロースの道のりを伝えていた。普段は色気の欠片もないくせに。
 わたしは早足で家に急ぐ。狭いアパートの一室でも、家は家だ。同居人はすでに帰って、大して美味くない夕食を得意げに作り始めている頃だろう。
 ちょっと寂しいくらい静かな住宅街の、白い二階建てアパート。カンカンと乾いた音を立てて外付け階段を駆け上がりながら、わたしは素早くバッグから鍵を取り出し、ドアに差し込んだ。
 でも、ガチャガチャやってドアノブを引いても開かない。
 もしや、と思ってもう一度鍵を回し、引いて開ける。
  エプロン姿の同居人が、内側のドアノブに手を伸ばした形でこちらを見ていた。
「やあ、おかえり美沙ちゃん」
 驚いて放心したような顔に毒気を抜かれそうになりながら、わたしは怒り顔を作った。
「もう……ちゃんと鍵閉めてって言ったじゃないですか。不用心だなあ」
「いや、ごめんごめん。忘れてた」
「ほら、料理もわたしがやりますから」
 ドアに鍵を掛けてバッグをソファーの上に置くと、わたしは着替えもしないまま、上にエプロンを着ける。
「ぼくも、ちょっとは親らしいことしたいんだけどなあ」
「いいから、慎二さんは座っていてください」
 そう言われると、彼は落ち込んだようにうなだれていたものの、すぐにテレビに夢中になった。
 慎二さんは、わたしよりいくつも年上。でも、一回りも離れていない、微妙な年の差。外見的に年よりも若く見えるし、とても親子には見えないと思う。
 実際、血はつながっていない。高校二年の夏、わたしは事故で一気に家族を亡くした。その事故で唯一生き残った、父の部下で親友の磯貝慎二さんがわたしを引き取り、新しいお父さんになってくれた。
 父、と言っても当時からバイトでほとんど自活していたわたしは慎二さんの養子にはならず、苗字も変わらないまま。今さら『お父さん』なんて呼べず、お互いさん付けで呼び合っている、そんな微妙な関係。
 でも、まだ数年だけど、こんな家族もいいかも、と思い始めていた。
「父親らしいことがしたいなら、今年のクリスマスプレゼントは奮発してくださいよー」
「うわ、高くつきそうだな」
 わたしが欲しがっている物は彼も知っている。わたしは昔から、小さな人形つきのかわいいオルゴールを集めていた。
「まあ、仕事で行く古書店街にアンティーク小物のお店があるから期待しておいて。でも、値段が張るのは期待しないで」
 慌てて付け加えられたことばに、わたしは苦笑した。
「安心してください、値段は見ませんから。でも、それじゃあこっちも頑張らないといけませんね」
 フライパンに並べたウィンナーを転がしながら、わたしはどこでプレゼントを買おうかと、わたしあれこれ思い浮かべていた。

 クリスマス・イヴの日は、わたしは休日だった。慎二さんは仕事で、特急列車で二時間かかる別の町に行っている。帰ってくるのは夕方だろう。それまでに、すっかりディナーの準備を済ませてしまうのだ。
 わたしは午前中のうちに食材を買いそろえ、料理の下ごしらえとツリーの飾り付けを終えた。
そして午後にじっくりとプレゼントを選ぶことにする。
 こうしてどこで何を買おう、という選ぶ楽しさも、渡す相手がいなければなかったこと。料理だって、食べてくれる人がいるから苦にならないんだし。
父子モドキでも、いてくれて良かった。心からそう思う。
 ことあるごとに思い知らされる感謝を胸に、わたしは店を渡り歩いた。
 ネクタイか、手袋か。マフラーは去年あげたし……。趣味の物をもらう予定だから、趣味の物にしようか。
 慎二さんは車と食品が好き。でも植物のことはよくわからないので、電気屋さんの車用品売り場を物色し、マグカップディーラーを買った。確か、なかったはずだし。
 本当はもっと奮発したいけど、手持ちはないし、手ごろな値段で買えるような物はなかなかない。最近は車のなかでDVDが見られるのも珍しくないらしいけど……
 そんな風に考えながら電気屋さんをふらふら歩いていると、アナウンサーが読み上げるニュースが耳に入ってきた。
『新しいニュースが入ってきました。今日午後五時前後に特急○○五号が脱線した模様です。現場や怪我人の有無など、詳しい情報はまだ入っておりません』
 ――慎二さんが乗ってる列車だ!
 一瞬、目の前が真っ暗になった。
 ニュース番組じゃすぐには詳しい情報が入ってこなさそうなので、わたしは急いで店を出て、慎二さんの携帯電話に電話をかけた。でも、返ってきたのは電源が切られているか電話に出られない場所にいる、というアナウンスだけ。
 雑踏で立ち尽くしそうになって、わたしは我に返り、家への道のりを辿った。賑やかな街の喧騒が、ジングルベルが遠ざかる。それにむしろ安心する。今は、異世界の音のよう。
 家族を失ったときのことを思い出す。
 わたしだけ、外せない用事があった。出かけた先からの帰り道、事故で家族は亡くなった。
 離れたところで、わたしの知らないうちに。
 そのときよりは、妙な覚悟がある。突然じゃなくて、覚悟して、家で待ちたい。それができるだけで、あのときよりはまし。
 そう、自分に言い聞かせる。でも、心の中は色々な思いに埋め尽くされている。また、誰かを失うのはいやだ。プレゼントなんていらない、生きて帰ってくれればそれでいい。
 部屋に戻ると、すぐにテレビをつけた。脱線した列車の走行ルートが、地図上を赤い線でなぞられ、途中に×がつけられていた。その×が、『駄目』と言われているようで目に痛い。
 暖房は入っているのに妙に寒くて、わたしは一度脱いだ上着を肩に掛けて、テレビに見入っていた。
 しばらくしてようやく、現場の映像が流され始める。現場は山の上で、狭そうな山道から到着した何台かの救急車に、シーツに包まれた怪我人が運び込まれるのを、祈るような気持ちで見ていた。
 なのに、そんな緊張感の中で、いつの間にか、わたしは眠ってしまったらしい。
 目覚めると、時計は十時を回っていた。
 壁掛け時計を見上げたところで、わたしは何かが焼けるような音に気がつく。
 まさか、寝る前に何か焼いてたりするわけ……
 慌ててキッチンに目をやると、信じられないものが見えた。
青いエプロンをつけた、見慣れた後ろ姿。
 これは夢? それとも、列車が脱線したって言ったうほうが夢だったの?
 そう思ってテレビに目をやると、脱線して横倒しになった列車の映像が流れている。
『怪我人は百名に上る模様です。現在、死者の情報は入ってきておりません』
 わけがわからず、わたしはやっとのことで、口を開いた。
「慎二さん……?」
 鼻歌交じりにフライパンを揺すっていた彼は、驚いたように振り返る。すぐに笑顔に戻ったその顔は、見慣れたものだった。
「起きたかい。そろそろ起こそうと思ってたんだ。ちょうど良かった」
 すぐにはことばを返せない。信じられない目で相手を見上げていると、彼もわたしの様子に気がついたらしい。
「幽霊じゃないよ」
 笑いながら冗談を言う。
「奇跡的に怪我もなくてさ。それでも救急車に乗せられそうになったけど、どうしても今日のうちに帰りたいからって、無理言って帰って来たんだ」
 そうか。無事だったんだ。
 やっとそれがわかってわたしは脱力してしまった。でも、慎二さんはそれにも気がつかず、楽しそうに話を続ける。
「いやー、大変だったよ。山の間だから、タクシー呼ぼうにも携帯電話は圏外だし、電話できるところまで歩いて降りたんだ。だから、こんな遅くなっちゃった」
 そう言って、フライパンの中身を皿に移し、すでにいくつも料理が並ぶテーブルに置いた。
 エプロンを取り、彼はわたしの向かいの椅子に座る。
「でも、待っててくれたんだ。じゃあ、食べよ食べよ。メリークリスマス!」
 わたしは我に返り、彼に倣ってワイン入りのグラスを掲げた。
「メリークリスマス!」
 ふたつのグラスが触れ、涼しい音が鳴る。
 続いて食べ始めた料理は、わたしが味付けしたからかもしれないけれど、どれもとてもおいしくかんじた。
「あ、そうだ。ごめん、美沙。本当は、無傷じゃなかったんだ」
 突然のことばに、わたしは驚く。
「まさか、怪我でも……?」
 心配するわたしに、彼は置いてあったバッグから、小さな箱を取り出す。
 それをテーブルに載せ、箱から出したのは、三人の小人がピアノに乗った、瀬戸物製のオルゴール。わたし好みのかわいい物だけど、少し、ひびが入っていた。
「ごめん。かばったつもりだったんだけど……。今度、新しいの買ってくるから」
「これでいいよ」
 わたしは慌てて、オルゴールをこちらに引き寄せた。
「こっちのほうが……思い出になるじゃない」
「本当にいいの?」
「充分嬉しい。ありがとう」
 プレゼントより、無事に帰ってきてくれたことが嬉しい。
 そんなことは、まだ言えないけど。
 言えるようになるまで、この微妙な関係を続けたいと思う。



   FIN.