チャリン、と、高い金属音が鳴る。
鍵の束が、コンビニ横に並ぶ三台のバイクの下に潜り込んだ。手前の俺のバイクのとなりの、バイトの先輩のバイクの下まで入ったらしい。
またか、と俺は肩をすくめた。べつに、誰のせいでもないが。
屈んで手を伸ばすのも面倒だった。俺は、ちょっとした特技で鍵の束を取ろうとする。
じっと鍵を見て――実際にはバイクの陰になって見えないので、透かし見るつもりで、その一点に集中し、こちらに引っ張るイメージを浮かべる。
すると、鍵が擦れるような音を立てて、アスファルトの上を、足もとまで滑ってくる。それを蹴り上げて、俺は立ったままで鍵の束を取り返した。
これが、物心ついたときから自然に身についていた、俺の力だ。
誰でもこれくらいのことはできると、幼い頃から思っていた。そのうち、そうじゃないんだと気づいて、人前で使わないように気をつけるようになった。
とはいえ、何てことのない能力である。どんなものでも十センチまでは自由に動かせるが、それだけだ。物が瞬間移動するわけでもないし、十センチ以上は、どうやっても無理だった。
それでも、他人から見れば、特異な力なわけで。
「あ」
後ろから、予想外の、驚きの声。
振り返ると、髪を肩の上で切りそろえた、背の低い女が立っていた。同じコンビニでバイトしている、日潟いつきだ。中学生くらいに見えるが、俺と同い年らしい。
もしかして、見られた……のか?
「ああ、俺、鍵の輪っかに指入れて回す癖あるから、よく落とすんだ。だから、紐つけてんだよ」
何度か、同じような場面で見られたことがあった。それ以来、言い訳を用意している。もちろん、紐がついているなんてのは、真っ赤なウソだ。
いつきは、驚くのをやめて笑った。その顔は、なぜかほっとしているようでも、残念そうでもある。
「そうだよね。朝人くん、慎重だし」
「そうだよ。運転もめちゃくちゃ慎重だしな……乗ってっか?」
バイトの終わり頃にもなると、辺りは、すでに真っ暗だ。高三にもなりゃ自分の安全は自分で守れる……とおれ自身に関しては思ってるが、こいつはどうも頼りなく見えて、一人にするのは落ち着かない。
「じゃ、頼もうかな」
家の方向も同じだし、これが初めてでもない。いつきは嬉しそうに、俺が差し出したヘルメットを受け取る。
「そういや、バイト掛け持ちしてんだってな。探偵のアシスタントだって? それ、危なくないのか?」
何気なく、俺はバイトの先輩に聞いた話を確認してみた。学校が違うので、いつきの話はバイトを通してのものしか知らない。
探偵、と言っても、推理物の小説やドラマに出てくるような華々しいものばかりでないのは知ってる。せいぜい浮気調査や家出人の捜索くらいだろう。
「あたしはほとんど事務だから、大丈夫だよ。結構大きいところだから、高校卒業したらそこに就職するつもりなの」
「そういうもんか」
適当に相槌を打って俺はヘルメットを被った。
それ以外、特に意味のあるような会話もなく、俺はいつきを家まで送り届けて帰った。
バイクを車庫に入れながら、今まで何も気にしないで使ってきたけど、この能力はできるだけ使わないほうがいいかもしれない、と思う。
でも、もう無意識のうちにも使ってしまうほどだし、あんまり、神経質に成る必要もないか。
俺は、そう考えることにした。
翌日、いつも通り、高校の授業を受ける。別に有名校でも何でもない普通の高校で、同級生はみんな明るく、勉強も部活も盛んだ。
でも、最近、放課後になるのが待ち遠しいことに気づいていた。もうすぐ卒業して、バイトもやめることになると考えると、ひどく寂しくなる。
ちょっと前までは、放課後はサッカー部に打ち込んでいたものの、もう、部活は引退の時期だ。
休み時間のクラス内の雑談でも、部活や行事についての話題は少なくなっていた。
「なあ、倉橋、知ってるか? 近くの昨日、コンビニに強盗入ったんだってよ」
クラスメイトの長居浩輔が、モップで床を掃きながら、話を振ってくる。
最近よく耳にする話題が、この連続強盗事件だ。コンビニが標的になることも多くて、やっぱりコンビニでバイトしている俺としてもけっこう気になる。
「段々、近づいて来てんじゃないか? お前、けっこう夜までバイトしてんだろ」
「一人になることはないし、大丈夫だろ」
一人にならないところで、べつに一緒にいる店員が格闘技の達人とかいうわけでもない。相手が武器でも持ってりゃ、こっちの人数は余り関係ない気がする。
必ずコンビニが狙われるのでも、俺がバイトしているコンビニが狙われるとも限らない。
友人の言うことを他人事のように聞き流して、俺は掃除を終わらせた。
放課後、部活で後輩たちに教えがてらに軽く汗を流してから、俺は一旦自宅にバイクを取りに行く。高校へのバイク通学は校則で禁止されている。
今日は、バイトは休みだ。暗くなる前に、海が見えるバイパスへ、軽くドライブにでも行くつもりだった。
両親は、まだ仕事だ。俺がたまに夜のドライブに行こうと、べつに止めはしない。多分、俺が物凄い安全運転だから。
スピードは大した出さないにしても、風を切って走るのは気持ちがいい。
潮風の中を突っ切っているうちに、傾いていた太陽がすっかり山並みに沈んでいた。そろそろ親も帰ってくる頃だろうと想い、さしかかっていた峠から引き返す。
市街地に入ったところで、俺は、昼間の浩輔の話を思い出した。
そういえば、今日はいつきが先輩とバイトだったっけ。
俺は何となく、コンビニに寄って行くことにする。
街から離れたところにあるわけではないし、まだそこまで夜は更けていないが、コンビニの前の道は、夜になればほとんど人通りはなくなる。
帰るついでにちょっと様子を見に行ってやるか、という気分だった。
少々近所迷惑なエンジン音を響かせて、コンビニの前までバイクを飛ばす。何台か車の止まった駐車場でバイクを止め、数歩歩いたところで、同じくバイクにまたがった男が、サングラスをかけた男が、驚いたようにこっちを見た。
俺はピンと来た。――こいつは、怪しい。
男が、バイクを発進させる。ほんの少ししか離れていないとはいえ、同じくバイクで追いかけていたら追いつけない。
俺は自分の足で、逃げようとするバイクを追いかけた。そして、すぐに、相手の行く手に転がる空き缶を見つける。
それが、自ら意志を持ったように、男のバイクの前輪にぶつかる。大した力は加わらないが、男はバランスを崩す。
当然それを予測していた俺は、男を引きずり倒す。別に格闘技はやっていないが、けさ固めくらいは知っている。
「いつき、一一〇番だ」
ホウキを手に飛び出してきたいつきに、そう声を掛ける。
いつきは、目を丸くしていた。サングラスの男よりも、俺のほうに。
「朝人くん、やっぱり、今のは……」
……どうやら、いつきが驚いているのは、俺のけさ固めでも勘のよさでもなく、あの能力のほうらしい。
こいつに見られたのは、二度目。もう、誤魔化しは通用しない。
「……その話は後だ。とにかく、警察に通報しろ」
取られた売り上げは数万円で、怪我人もいなかったものの、男は警察に、強盗の現行犯で逮捕された。俺は面倒なことが嫌なので、警官がいる間は店の裏に隠れ、一応の話がついてから表に出る。
とはいえ、だいぶ時間が経ってしまった。そろそろ、いつきのバイトも終わる頃だ。
休みのはずが警察に呼び出されていた店長が、俺たちにジュースをおごってくれた。ジュースを飲みながらバイクに座って、いつきと並ぶ。
「べつに、大したモンじゃねえよ。単に、十センチだけ物を動かせるだけ。念動力、とかいうやつだな」
「でも、凄いよ。何でも動かせるの?」
ぶっきらぼうに説明する俺に、いつきは、無邪気な、憧れの目を向けてくる。そんな目を、真っ向からは見れない。
「ああ、十センチだけな」
「それだって、凄いことだよ。上手く使えば、人を助けることもできるって」
いつきのことばに、思わず振り向いてしまう。
彼女は大きな目を輝かせて、俺を見つめていた。俺は少し、顔が厚くなるのを感じる。
「今回だって、あの犯人に傷つけられるかもしれない人とかを助けたんだよ」
膝の上に手を組んで、なぜか、いつきも頬を赤く染めてうつむく。
こういうとき、どうするべきなんだろう。肩でも組むのか?
俺は、その白い手に目を留める。その手から俺の手間での距離は、丁度十センチくらいか。
「朝人くん……卒業したら、進学するの?」
「いや……叔父がやってる店を手伝うつもりだったけど」
叔父は、近くで修理屋をやっている。とりあえずそこで、もっとバイクの勉強をするつもりだった。
でも、その先のことは、まだ考えていない。
「よかったら、たまにでいいから、探偵の仕事……手伝ってくれない? きっとその力、役に立てられる……あたしも、朝人くんがいたほうが色々と……心強いし」
再びこっちを向いたところで、いつきは、何かに気がついたらしい。
その手が、引っ張られる。抵抗しないその手は、俺の右手のひらの上へ。
「いいぞ。たまに、くらいならな」
明後日の方向を向いたまま、無愛想に答える。
「ありがとう」
いつきが言った。顔を見なくても、満面に笑みを浮かべているのが想像できる。
俺が探偵事務所への就職を決めたのは、そのすぐ後のことだった。
FIN.