「何をする気だ?」
戦闘機は、まだ背後のもう一機に注意を向けていない。
しかし、基地の周りを三分の一ほど走ったところで、後ろのビーグルが戦闘機のセンサー範囲内により深く食い込んだ。戦闘機はスピードを緩め、さらに近づく背後の獲物を待ち受ける。
「おい!」
声をかけるが、やはり、答は返ってこない。
やがて、ビーグルは戦闘機の警戒範囲内に入ったらしく――
シュッ。
小さな、ライターの火を点火するときに似た音が、スピーカーを通して聞こえた。同時にモニター上では、戦闘機とビーグルの間で光が交錯する。
唖然とするナユトとホナミの目に、プロペラの一部を吹き飛ばされて砂の海に沈む戦闘機と、火花を散らして反転する青いビーグルが映った。
驚きながら、ナユトはビーグルをUターンさせ、腹を上に向けているビーグルのそばでブレーキをかける。
「おい、大丈夫か!」
ハッチを開けて、ホナミとともに飛び出す。青いビーグルのほうも、のろのろとハッチを持ち上げた。
這いずるようにして出てきたのは、金髪碧眼の少年だった。彼は、額から血を流しながら、少年と少女を見上げる。
「オーリス……!」
愕然とするナユトに、オーリスは無言で、紙切れを突きつける。紙切れには、戦闘機の特徴が走り書きされていた。
「フレッセたちに話を聞いて……戦闘機の、仕様を調べた。あれは、敵対行動さえ取らなければ、致命的な対応はしないはず……」
「そんなこと言ったって」
死んでゆく仲間たちを思い、ナユトは焦った。敵対行動以外で、どうやって戦闘機の注意を引くのか。
「ほら……時間がない」
浅い呼吸のなか、砂を握りしめて、オーリスは声を絞り出した。
「レーザー砲は、さっきの一発だけだ。だから……もう一機は、きみたちが何とかするんだね。せいぜい……長生きしなよ」
血と砂に汚れた顔に、珍しく、ほほ笑みを浮かべる。
オーリスの笑顔を見下ろし茫然とするナユトを、ホナミが呼んだ。
「行きましょう。わたしたちがやるべきことをするの」
彼女の目は、決意の光に輝いていた。
覚悟はしてきたはずだ。自分も、グレスやイシュタも、オーリスも――その他の仲間たちも。
「絶対、やってやる!」
彼は叫び、一足先にビーグルに戻っていたホナミの後を追い、運転席に入ってハンドルを握った。
鈍い銀色のビーグルは砂のしぶきを上げると、一気に加速して基地に向かう。
「ぼくも、自分の好きなように生きてみたかったな」
残された少年は、去っていくビーグルを送り出すように、砂を握りしめた右手の拳を突き上げる。
その腕が地面に落ち、目を閉ざした少年の頬を、そよ風が撫でていった。
ホナミに言われ、ナユトは基地の手前でビーグルを止め、歩き出す。
周囲には、仲間たちのビーグルが点在していた。あるものは無造作に乗り捨てられ、あるものは横転し、あるものは建物に激突して煙を上げている。戦闘機のレーザーで貫かれ、穴を空けているものもあった。
さらに、駐車場に入ると、少年たちの遺体があちこちに横たわっている。ほとんどの遺体には、目立った外傷はない。
「……決して、無駄にはしません」
横たわるアルキの目を閉じ、つぶやくように言ってから、ホナミは戦闘機を見上げた。
その下では、石や、壊れたビーグルの部品を武器に、勇気を奮い起こして身がまえる少年たちが並ぶ。
「よせ、お前ら――」
ナユトの呼びかけは、聞き覚えのある音色に遮られた。
振り返ると、ホナミがオカリナを吹いていた。澄んだ音色を耳にして、少年たちもまた、怒りも憎しみも忘れ、少女に注意を向ける。戦闘機もありえないはずの音を認識したのか、機首を向けた。
綺麗なメロディーが、いつのまにか吹き始めた風にのって流れ始める。その音色を聞きながら、ナユトは思い出したように、オーリスに渡されたメモに視線を落とした。
敵対行動をとらなければ、致命的な対処をされることはない。敵対行動を取らずに相手の注意を引かなくてはいけない。
その方法に、ナユトも思い至った。
蒼く歪む月、遠い空の彼方……
一度聞いただけの、うろ覚えの歌詞だった。それでも、決して上手いとは言えないが、彼は歌った。ツキミの歌声を思い出しながら。
目を閉じると浮かんでくる、あなたの笑顔……
驚き、不思議そうにナユトを凝視していた少年たちも、やがて、彼の歌声に唱和する。
オカリナの音色に、少年たちの歌声。
戦闘機は、どう判断すべきか迷っているのか、宙に静止したまま動きを見せない。
風は運ぶ、このことば
水も陽のぬくもりも、花の香りも
大地の上を吹き抜けて、心を潤す
新しい風を身にまとって
子どもたちは走り出す、次の時代へ……
音色と歌声が、静かな、砂漠の真ん中の無人基地を通り抜けていく。この基地のどこかにいるシェザースに届け、と願いながら、少年たちは声を張り上げた。
歌が終わり、オカリナが最後のメロディーを終えると、ナユトは再び、空中の戦闘機を見上げた。
黙って見上げる少年たちの間に、沈黙が降りる。戦闘機の低い起動音と、風の音だけが、世界を支配する。
それが、どれだけの間、続いたか。
やがて戦闘機のプロペラが回転数を減らし、浮力を保てなくなった機体はゆっくりと沈んでいく。
舗装された地面に叩きつけられたプロペラの破片は遠くに折れ飛び、機体は半壊して、内部が見える亀裂から、青白い火花を散らす。
「やった……のか?」
戦闘機が完全に停止するまで微動だにせず見上げていた少年たちは、金属の残骸が噴き上げた煙が完全に晴れたころ、ようやく表情を動かした。
「システムが停止した……?」
生き残った少年たちがざわめく。
ナユトは無言で、ホナミと目を見合わせた。
ざわめきが徐々に、歓喜に変わっていく。少年たちは手を取り合い、抱き合って、生き残った喜びを分かち合い、あるいは、地面に横たわる仲間に声をかけた。
そのなかで、ナユトはまだ一歩も動かず、基地の建物を見つめている。
そして――
「あ……」
彼は、戦闘機の残骸の向こうから、近づいてくる姿を見つけた。
「シェザース!」
青年が、よろめき、戦闘機の残骸によりかかる。
「ずいぶん、無茶をさせてしまったな」
周囲の惨状を見渡し、駆け寄ってくる少年たちの顔ぶれを見て、シェザースは青ざめた顔に苦笑いを浮かべた。その、胸の前で左手に押さえられた右手首が、血に染まっていることにナユトは気づく。
「その手……」
彼が声を上げた時には、シェザースが何をしたのか、一目瞭然だった。
青年の右手の、手首から先が切り落とされていた。彼は、その右手ごと、紋章を切り離したのだ。切り口に巻かれた布も朱に染まり、血は、流れ続けている。
ことばを失う少年たちの前で、リーダーはあぐらをかいて座り込んだ。
「システムは停止した。お前たちは自由だ……まあ、しばらくたてば、アレツ政府が制圧に人をよこすかもしれないが、オレは、咎人たちが力を合わせれば、対抗することができると信じてる」
ふっと笑い、少年たちが知る、数少ない咎人の『大人』は、地面の上に大の字になって転がった。
「自由の風か。お前ら、ちゃんと自分の頭で考えて生き延びろよ」
「シェザース……」
「リーダー!」
少年たちは、自分たちのリーダーがこれからどこに向かおうとしているのかに気づき、声を上げた。
聞き慣れた仲間たちの声を耳にしながら、シェザースは目を閉ざし、ほほ笑んだ。
「オレの人生……悪くなかったぜ。お前らも、楽しめよ」
小さな、楽しげな声で言い、青年は呼吸することを止めた。
周囲の少年たちがリーダーの名を呼び、あるいは涙をこぼす中、ナユトは暗い空を見上げた。
「自由の風……でも、リーダーも、オーリスも、グレスも、イシュタも、アルキも……もういない」
自由を手にした彼の目に映るのは、荒涼とした砂漠の稜線と、ビーグルの残骸、そして仲間たちの遺体だった。一緒に、自由を謳歌したかった仲間たち。
果たして、自由を手にした意味なんてあるのか。
まばたきもせずに見上げる彼の手を、細い、少女の両手が包んだ。
「それに、ツキミもレモも、亡くなった……自由を夢見ながら」
振り返ったナユトの視線を、少女は、優しいほほ笑みで受け止める。
「自由の意味は、これから、わたしたちが作っていくものだと思います。妹たちが命を賭けた自由の意味を、わたしたちが作り上げる。今のわたしたちになら、何でもできる……この大地に新たな緑を植えることも、未開地区を探検することも、新たな知識を蓄えることも、それを使って新しいものを作り上げることも」
「ああ……オレたちにしかできないこともある」
風が吹き抜けていった。
死者たちを思い、悲しみにくれていた少年たちが顔を上げる。新しい、自由な生への希望に。
「……行くぞ。まずは、町に連絡して人を呼ぶんだ。犠牲者を弔ったら……オレたちの、新しい時代を始めよう」
政府にも、紋章にも支配されない、咎人たちの時代――
動き出した少年たちと大地を撫でていく風が、惑星ガロンが囚人惑星と呼ばれなくなる時代が近づいていることを予感させた。
〈了〉