第二章 光亡き街


  四、闇の中へ


 晴れ渡っていた空が、今は灰色の壁に遮られていた。四方にそびえたつ崖の影が周囲を染め、夜のような闇をつくり出している。
 ナーサラ大陸中央四国の、西に位置する国、エアンセ公国。豊かな大地の広がる農業の国で、多くの農産物を各国に輸出しており、『大陸の台所』と呼ばれている。魔物も少なく、平和な国だ。
 それが、まだその国の中だというのに、五人の旅人たちが立つ岩場は、まるで、今まで目にしてきたのどかな風景から突然異世界に迷い込んだような眺めだ。
 しかし、ここはただの玄関口に過ぎない。本当の〈異世界〉は、ここを抜けた先にあるのだ。
「いいかい? この先からは、油断しないことだ。ちょっとしたスキを、虎視眈々と狙ってるやつらがいる」
 少女は、厳しい顔で同行者たちを見た。溜め息交じりに、女性と見まごうラベンダー色の髪と赤い瞳の吟遊詩人、誰もが見とれる美しい女魔術師、やはり人目を引く顔立ちの少年魔術師を見やる。そして、少し間を置いて、最後に屈強の剣士に視線を移した。
「ザンベルはいいかもしれないけど……他の三人は、出歩かないほうがよさそうだね。人目につかない道を行くから、はぐれるんじゃないよ」
「ああ。案内、よろしく頼むよ」
 商売道具の槍と竪琴を背負い直しながら、シリスが苦笑交じりに応じる。
 一休みを終えて、彼らはピーニを先頭に前方の崖に向かって進んでいく。
 崖のすぐそばまで近づくと、その下部のほうに、小さな穴が口を空けているのが見えてきた。地面の岩の出っ張りの陰になっており、遠くから見ただけではまず気づかない。大人一人が四つん這いになってなんとか通り抜けられそうな大きさの穴である。
……ここを通るのかい?」
 と、シリスが意味ありげにザンベルを見る。
 ザンベルは穴を見てからしかめっ面をしていたものの、やがて陽気な笑い声を上げた。
「なあに、穴を広げながら行けばいいんだよ。魔法ならすぐだろ」
「そうだね。じゃあ、ザンベルはぼくたちが通り抜けるまでそこでまっててね」
 ロイエが、巨漢の剣士をチラリと見上げて言った。彼の親切なことばに、ザンベルは何か不吉なものを感じる。
 ザンベルの不可解そうな視線を背中に向けられながら、ロイエはピーニに続いて、狭い通路に侵入した。それに、リンファ、シリスの順で続く。
 ゴツゴツとした地面の感触が手のひらに痛い。シリスは、持っている革製グローブの片手をロイエに貸した。一方の手にさえ着ければ、そちらに体重をかけて進むことができる。リンファが魔法の光球を飛ばしていたため、内部は外よりも明るかった。
 洞窟を出たところからは、上部がせり出してくるような崖に囲まれた、暗い、廃墟のような街並みを見渡すことができた。
「じゃあ、次はザンベルの番だね」
 洞窟の奥からの反響する声を、一人残されたザンベルは入口の前で聞いていた。
「ああ、早くしてくれよ。退屈で仕方がない」
 ザンベルは、洞窟のなかをのぞき込んで声を張り上げた。
 その瞬間、かれは闇の奥の、薄らと灰色に浮き上がっている辺りから、赤い光が近づくのを見る。
「おおっ!?」
 彼は慌てて、顔を洞窟から離した。赤い光球がドリルのように回転して洞窟を広げながら、飛び出していった。
「こっ、殺す気か!」
「なんだ、もうちょっとだったのに」
 光球にかすった鼻先を指で擦りながらのザンベルのことばに、少年の、わざとらしい声が洞窟から聞こえて来る。
「冗談じゃないぜ、まったく」
 さすがにわけもなく攻撃はしてこないだろう……と思い、洞窟に入る。少し窮屈だが、何とか肩がつっかえることなく、通り抜ける。
 ようやく、洞窟の出口側に、五人がそろう。
「じゃ、行くよ。はぐれないようにね」
 ピーニが一度振り返り、早々に歩き出す。
 彼女の表情は、今までと違う、暗さと真剣さを含んでいた。

 暗黒都市グラスタは、その名に相応しく、黒く不気味な街並みを呈していた。その周囲を囲む分厚い城壁の割れ目から、一行はなかに侵入する。
「さ、こっちだよ」
 彼女が先導したのは、最も危険な暗黒街よりやや南の、人の気配の少ない場所だった。夜のように暗い街の中に、目が慣れるのに少し時間がかかる。
 石畳には乾いた血のようなものがこびりついており、人の気配のない建物は、半ば崩れかけている。時々、どこからか怒鳴り声やうめき声のようなものが聞こえた。
「この捨てられ人の街のルールは、力ある者が弱いものを喰う、それだけさ。金と権力があるヤツは人を使い、使われるヤツらは何でもする。でも、使われるヤツはまだ幸せさ。良くても盗みで毎日の食べ物を稼いだり……あとは身体を売るか、もっとヤバイ仕事に手を染めるか」
 黙りこんでいる一行を先導しながらピーニは解説した。彼女は中央部のほうへと、慎重に行く手をうかがいながら進んでいく。
「でも、そうやって生き延びられるのも三割だね。あとは生まれてすぐにかかった病気で、二〇歳まで生きられない。その中の半分は、生後一ヶ月もしないうちに死ぬ。なにせ、ちゃんと親に育ててもらえる子どもも、極わずかだからね」
 建物の間に倒れている男の遺体をまたぎ、彼女は振り返った。全員ついてきていることを確かめると、神経質なくらいに辺りを見回し、彼女は、草が伸び放題の墓場の中へ分け入っていく。
「ここに何があるんだ?」
 今にもゾンビが現れそうな墓のひとつひとつに警戒しながら、ザンベルが少女の背中に尋ねる。
「とりあえず、落ち着けるところだよ」
 ピーニは振り返りもせず、まったく手入れのされていない墓の間を躊躇なく抜けていく。不気味な墓場の中央、枯れかけた木やつたで隠されたところにある、小さな木造の小屋――もともとは墓場の管理人の家だったらしいそこが、ピーニの目的地だった。
「言っとくけど、ここのことバラしたらタダじゃ済まさないよ」
 きつく念を押してから、傾いたドアを引き開ける。
 壁にかけられたランプの灯が、なかを照らしていた。狭い室内に、粗末なベッドと棚が並んでいる。一応奥に台所があるらしいが、かなり狭いらしく、汚れた壁が見えていた。
 しかし、一行の目を引いたものは、すぐ目の前に存在した。
 ベッドに、ゆったりした服に身を包んだ、若い女性が腰かけていた。
「帰ったよ、姉さん」
「ピーニ、お帰り。一緒の方たちは?」
 柔らかなほほ笑みを浮かべ、両目を閉ざしたまま、女性は言った。
「ああ、この街に用がある人たちを手伝ってるんだ。それで、かなり金が手に入ったんだよ。色々買ってきたし、しばらくは安泰だね」
 ピーニは嬉々として、買ってきた食糧を手に台所に急ぐ。早速何か作るつもりらしい。その間、シリスたちは床に適当に腰を降ろした。彼らに、女性が色の白い顔を向ける。
「わたしは、フィリオーネ・クラモス。ご覧の通りの不自由な身体でして、妹に迷惑をかけてばかりの、悪い姉です」
「何言ってるの、姉さん」
 盆にお茶を載せてきたピーニが苦笑混じりに言う。
「姉さんがいなかったら、わたしだって今頃生きてないか、もっとヤバイ仕事に関わってたよ。それより、一人で大丈夫だった?」
 彼女たちは、お互いを姉妹と呼んだ。だが、顔立ちが似ているわけでもない。血がつながっているわけではないのだろう。
「ええ、レナスさんが時々来てくれてましたし」
 フィリオーネが答える間に、ピーニが茶を配る。エアンセ公国の町で買った、健康に良いというハーブティーだ。
 四人の客は、ハーブティーをすすりながら自己紹介をした。それぞれの声をしっかり覚えておこうというかのように、フィリオーネはうなずきながら聞いていた。