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今日この頃の出来事や考えたことを綴ってみました


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[39] 他にも…   [38] 幸運 不運   [37] 恐れることは何もない ...   [36] 時間と空間   [35] 忘れてしまった   [34] 今朝の新聞で…   [33] お久しぶりです   [32] 雪が降った   [31] 100人の20世紀   [30] スペシャルオリンピッ ...   [29] 福祉施設職員の危機   [28] 日本の未来を育てる   [27] 京都の出来事   [26] 新しい施設のあり方   [25] いつもより 余計に回 ...   


(2005/08/02 21:20:43 〜 2005/01/24 22:18:11


  [39] 他にも… 2005/08/02 21:20:43 

7月29日は 他にもいろいろありまして 実は 検食のお当番を忘れていて 叱られてしまいました
 午前は 園長室のMDコンポを手に入れて ちょっと機嫌が良かったのですが 午後は健康診断があって 太りすぎですと宣告されてしまいました
 幸か不幸か

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  [38] 幸運 不運 2005/07/31 12:29:32 

 施設長になって4か月が過ぎようとしています。
 この間で いろいろな出来事がありましたが 一昨日から昨日にかけての入所児童所在不明事件は 久しぶりの大騒ぎでした。
 確かに 結果オーライですが 最悪の事態を予想した時もあり なにより無事に発見できたことが幸いです。
 施設長っていうのは 施設で起きることのすべてに責任を負うのですが 事件が起こったという責任よりも その事件にどのように対処したかということが大事だと思っています。

 今回の場合は 割と速いペースで対応が出来ていたように思っているのですが これも結果オーライの世界ですから なんとも言えませんね

 だいたい 7月29日は 朝から通勤のために車に乗ろうとしたら 右後輪がパンクしてぺっちゃんこになっていたのですよ タイヤを交換して パンク修理に立ち寄って それから出勤 当然 遅刻でした
 夕方になって 子ども達とフットベースの練習試合をして 17対8と圧勝してよろこんでいたら 歯医者の予約をしていたのを忘れていて 5時30分頃に急いで歯医者に行こうとしたら 今日中に決裁して欲しい案件があるとのことで じゃあ 終わったらもう一度職場に顔を出すということにして 歯医者に向かって 歯石を取ってもらったら これが案外 痛かったのです
 しびれた口腔のまま 職場に戻ったら 職員が周辺をうろうろしているので 何が有ったのかと 訊ねたら 所在不明児の発生とのこと この時点で6時30分 その後 捜索本部を設置して いらいらしながら発見の知らせを待つだけ 警察犬もでたのだけど 日付が変わってしまい 捜索隊は解散 翌日5時の再開ということになり 仮眠をとっている間に単独で探していた職員の1人が午前3時に無事発見したということでした
 全身ずぶぬれであちこち擦り傷切り傷だらけでしたが 命に別状はなく 捜索本部は 午前5時に解散しました

 さすがに疲れて くたくたになって 昼頃に帰宅 入浴してビールを飲んでクーラーのない部屋で 眠りに落ちて やっと長い1日が終わったという気持ちでした

 さて 私は この1日 幸運だったのでしょうか 不運だったのでしょうか  

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  [37] 恐れることは何もない… 2005/06/04 21:08:06 

数年前に 鳥取県の日吉津村にミッシェル・パレというフランス人がやってきました。
既にその時点で70才を超えた御老人でしたが この人こそ私が私淑する若狭蔵之助先生(この人こそ先生と呼ぶにふさわしい人ですが…)が主唱しているフレネ教育の元祖であるフレネ学校の元校長なのです。
セレスタン・フレネという人がフランスのプロバンス地方で1940年頃に開いた学校がフレネ学校なのですが 一口に言うと 子ども達の個々の学び方に合わせた教育ということなのだと思います。詳細は省略しますが このミッシェルバレが日吉津村で講演したのですが その時の質疑応答である教員が「自分はフレネの方法で 子ども達に教育したいが 学校の他の先生達がなかなか フレネのことを分かってくれない いったいどうしたらいいでしょうか?」という質問をバレに投げかけました
その時 バレはいくつかの言葉を伝え 最後に「恐れることは何もありません 必要なのは対話です 我々の中にこそ未来があります。」という言葉でくくりました。
 他の聴衆が何気なく聴いていたこの言葉に私は感動を覚えました その後 私が 信念を持って 仕事に取り組むとき ある時はスタッフを ある時は上司を ある時は自分自身を説得するためにこのこと言葉を思い出します

 施設長という役割を 自らの理想の実現のために演じるのならば今こそ この言葉が必要なのだと思います

 しかも 尊敬する若狭蔵之助先生に 貴君は 日本のミッシェルバレだと賞賛されたという名誉を 重荷として毎日を過ごさなければならないのだと…

「恐れることは何もありません 必要なのは対話です 我々の中にこそ未来があります。」 

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  [36] 時間と空間 2005/05/29 22:46:34 

 久しぶりに里帰りしてきた次男から 時計をもらった 太陽光発電で しかも電波を受信してオートマチックで日本標準時に合わせてくれるという優れものだ 日常生活で日本標準時と秒単位で合わなければならない事情は まったくない
 しかし この時計は超正確に日本標準時を私の生活の中に引き込もうというのだ 時計なのだから正確な方が優れているに決まっているが ここまで正確でなくても 別に困らない 時計としては面白いので遠慮なく受け取った

 先んじて 金曜日に書店に立ち寄ったら「不思議宇宙のトムキンス」という本に出会った 元々 物理学者ジョージガモフが理論物理学の一般啓蒙書として 1940年に著した「不思議の国のトムキンス」の改訂版なのだ
 私は 学生時代にガモフ全集を読んだのだが この度 その後の新発見に基づく理論を追加して 改訂されたとのこと 懐かしさもあって手に入れた
 この本の最初の項に「時間と空間は絶対的なものではない」という記述がある つまり 相対性理論では 同時刻 同一の場所というのは 実はあやふやなのだという説明がある
 詳しいことは 難しいので説明を省略するが この「時間と空間は絶対ではない」という本を読んでいる時に 一般的な時計の中では最も正確と言われている時計を手に入れたのだ
 時間が絶対ではないから 正確な時計の存在の意義が乏しくなると言うものではない むしろ正確な時計があるからこそ 時間が絶対ではないということが分かるのだろう

 もう1冊 哲学の冒険という本を手に入れた こっちもややこしいが面白い ヒットしたSF映画を材料にして 哲学の説明をしている
 
 超正確な時計を見ながら 理論物理学と哲学の本を交互に読んでいると 私の時間と空間がヘンになってきた今日この頃だ

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  [35] 忘れてしまった 2005/05/15 22:08:50 

人事異動があって1か月以上が過ぎました
振り返ってみれば 児童施設一筋になりつつあります
先日 研究会があって 久しぶりに会った人とこういう話をしていたら「元々 あなたは 何なのですか?」という質問を受けた 資格などのことを言っているのだろうけど 取り立てて資格を持っているわけじゃなし これというポリシーがあってこの道に進んでいるわけでもなし ちゃんとしたアイデンティティがあるわけじゃなし こういう質問は面倒くさい
 っていうところで「元々は ただのおっさん」と答えておきました
 ただのおっさんが施設長しているのですよ そんなに立派なもんじゃないよね
 なんてことを考えながら今日はサウナに行った
 サウナの中で 我が施設に山積されている問題の解決に グッドアイディアが浮かんだのだけど その後 ビールを飲んで昼寝をしたら すっかり忘れてしまいました
 残念なり

(写真は 連休中に訪れた法師ヶ滝の途中で撮影したもの)

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  [34] 今朝の新聞で… 2005/05/01 17:30:22 

今朝の新聞に掲載されていたお話です
「となりのトトロ」の映画で 家族が引っ越しをしたのが5月。
お父さんが「5月にサツキとメイを乗せて 出発だ!」という科白があったそうです。
姉さつきは皐月で5月 英語で5月はメイ 時は5月とのこと。
ただし この場面はカットされてしまったそうです
残念なり

 連休3日目は 雨が降っていますが この連休でしたことといえば 鹿野温泉に行ってサウナに入ったこと 久しぶりに本屋に行って 日経サイエンスと ヴェトナム戦争全史 中国傑物伝 パタリロ第40巻を手に入れて 風呂場で読みふけったこと
 そろそろ 連休は後半に入ろうとしていますが ゴロゴロして過ごすのもなかなかエネルギーが必要で やはり夜になると眠くなる
かといって あんまり早く眠ってしまうのは なにか損をしたような気分になるのですが 明日はまた お仕事です
 実は連休中に 何か 役に立つ文章を書こうと思っていたのですが 思っていただけで終わりそうです

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  [33] お久しぶりです 2005/04/10 16:14:13 


 ほぼ1ヶ月のご無沙汰です。
 その間に 雪景色から桜模様に替わりました。
 この一ヶ月間のアクセス記録をチェックしますと 私の知人 友人ばかりで 季節の変化に伴う私の身の上の変化をご報告するまでもなく ご承知のとおり 施設長になってしまいました
 先週は 施設長としての1週間でしたが 施設長になったから なにか 特別なことが起きるのだろうかと思っていたのですが 何の変化もなく ただ 淡々とお仕事を処理しております
 私にとって初めてのことは 園長室にファブリーズをして タバコの臭いを消す努力をしたこと
 もうひとつは 日頃から理想の施設のあり方唱えてきたのだから 私が引き受けたらこういう施設になるのだっていう結果を出さなくてはならないなぁっていう責任感かなぁ
 それ程の重圧を感じている訳じゃなくて よく知っている仕事をまた続けるってことなんでしょうか なるようになるさっていうのは 子ども達にちょっと失礼だし もともと結論の出にくい分野ですから どのような結果になっても 怪我人や死人を出さなければ 施設の歴史に名前を残してもらえるのですよ

 ところで 1ヶ月も放ってあったのは 多少の気負いがあったようで 園長の内示を受けたのが3月24日ですから その後 私がここにどういうことを書き込むかという興味を持ってアクセスしていた方もあったと思います なんとなく そういうのを感じたら こういう一方通行のコミュニケーションは 難しいものだなぁと感じてしまうわけで ああもあろう こうもあろうと 迷っているうちに時間が過ぎてしまったのだ
 勝手に気負っているのでしょうが こういう気負いは施設長としては 空回りの源になってしまうので 自制 自制

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  [32] 雪が降った 2005/03/13 22:49:36 


朝から降り始めた雪が 積もった

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  [31] 100人の20世紀 2005/03/10 22:28:45 

朝日文庫の「100人の20世紀」を読んでいる。
100人がどのように20世紀を生きたかが綴られている。上下巻合わせて1000ページに近い。今は86人目のスターリンを読み終えたところだ。
 100人の中には ジョンレノンや野口英世 アンネフランク等がいる。
 その100人の中で名前を知っていても業績を知らない人物。業績を知っていても 名前を知らない人物がある。業績も名前も知っているが両者が繋がっていない人物がある。
 とにかく知らない名前が3人あった。
 人工的に癌を作り湯川秀樹より23年前にノーベル賞候補となった日本の山極勝三郎 正しい独裁者と呼ばれたトルコのケマルパシャ マクドナルドハンバーガーのシステムを作ったアメリカのレイクロック
 案外 私は無知なのだ。
 

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  [30] スペシャルオリンピックス 2005/02/28 21:31:18 

 知的障害者のオリンピック スペシャルオリンピックスが 長野で開催されている。
 このこと自体に反対するわけではないが 果たしてSOは知的障害者の福祉のモデルになるだろうかと疑問がある。
 「がんばった全員が勝者」というのは、美しく健気な言葉であるが 現実は 頑張っただけで勝者になれるというものではない。
 どのようにして勝者を決めて良いのか分からないから 皆を勝者にしてしまおうという 下心が感じられる。
 より早く より高く より美しくというのが オリンピックの精神なのだ。
 SOでは より頑張った者ではなく 頑張った全員という合理化で 知的障害者を美しい健気な存在に置き換えている。
 身体障害者には ハンディキャップレースという基準があるが 知的障害者には それがないということを 開き直ったように 表明しているのだ。
 「がんばった全員が勝者」という折り合いの付け方は 間違ってはいない。 ただSOの場面だけのことだ。
 現実には 頑張れる知的障害者よりも 頑張れない知的障害者の方が 圧倒的に多いのだ。私は 知的障害者の分類に入っていないが なかなか 頑張れないと自分では思っている。知的障害者でない人たちの殆どがそうだ。
 なぜ 知的障害者だけが頑張らなければならないのだろう。頑張ることが それ程 美徳なのだろうか。それが美徳であるにしては 頑張れない人が多すぎるのではないだろうか。
 私は 頑張る人は嫌いだ。それを他人に求める人は もっと嫌いだ。
 汝らの中で罪なき人は 石を打て
 汝らの中で 頑張っている人こそは 頑張れと声援を送れ

 頑張るのは イザという時だけで充分なのだ スペシャルオリンピックスが その時なら 頑張れなかった者にこそ手を差し伸べよう
 

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  [29] 福祉施設職員の危機 2005/02/16 21:29:07 

 ほんとは福祉施設職員の危機じゃない。危機と言うより千載一遇のチャンスと考えた方がいいと思う。「危機」と表現したのは、私の知っている向上心の乏しい施設職員にとっての「危機」だということなのだ。つまり、「ぼやぼやしていられないよ」っていうことなのだよ。
 サービスの提供っていうけど、これからはサービスの提供なんて綺麗な言葉で表現できる施設はなくなりますね なんたって「応能負担から応益負担に」なんだから。
 応能っていうのは、負担できる能力に応じてってことでしょ。応益っていうのは得た利益に応じた負担ってことでしょ。
 これがくせものだ。負担できる能力っていうのは客観的に計ることができるけど 得た利益っていうのは客観的に計れないというか計りにくいものです。だから、主観的な利益の質とか量ってことになってしまいますから この程度の利益なら この程度の負担っていう満足度の問題になるのです
 施設の生活はなるべく誰にでも均一にというのが長年の伝統ですが 満足度は個々の利用者で違っています。ってことは応益負担という表現は、裏を返せばそれなりの負担をすれば利益が得られるということになってしまいますから サービスの提供なんてことではなく サービスの販売っていうことなのです。
 ここの切り替えを出来る施設職員が 全体の何割いるかってことで 施設の生活の質が変わってしまいそうです

さて 私のよく知っている 施設の人たちは どうやってこの難所を乗り切るのだろうか 見物です
 これを危機と考えずに 仕事を面白くする千載一遇のチャンスだと考えれば 理想は現実になるのだと思うのですが…

 まして 児童施設の分野は 客が親なのか子どもなのか区別のついていないような職員がゴロゴロしているところです。話はややこしくなる 面白いですねぇ

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  [28] 日本の未来を育てる 2005/02/14 22:18:32 

施設で仕事をしていると 時々 小中学生が「総合学習の時間に協力してください。」といって訪れる。施設の趣旨や利用している子ども達のことを説明し見学して帰ってもらう。
 なかなか面倒くさいものだ。しかし、小中学生が我々の仕事を見て 憧れてくれるかもしれないと思うと責任の重さを感じる。あるいは、私の説明のすべてで障害児者を理解するかも知れないのだ。
 その総合学習の時間が無くなるかも知れない。私は 総合学習の是非などはどうでもいいのだが 教育に携わる人々はもうちょっと慎重に取り組んでもらいたい。
 確かに やってみて たいしたことがないから 目先を変えてみるというのは 重要なことだ。
 でも 子ども達は教育のあり方で どのようにでも 力を発揮する。方法を選べば 平気で人を殺すように育てることも可能なのだ。そんな実例は 歴史にも 現実の世界にもたくさんあるのだ。
 教育を考えている人々は どうも大人の都合で教育を考えている節がある。教育は子ども自身のものであり 子どもを育てるというのは 未来の歴史を作るということなのだ。それは その子どもの未来に責任を負うというような 小さな事ではなく 日本とか世界とか 地球の未来に責任を負うということを教育者は自覚して欲しい。

 総合学習の是非も子どもの意見を聴かないで 大人の都合で判断するのは 日本がまだ 日本でしかないということなのだろう。

 最近 面白いと思っているのは 例の南セントレア市の騒動だ。結局 住民投票で決めるとのことだが 余命が30年の人の意見を訊くより 今後70年 その地で生きようとする人の意見を受け止める方が大事だと思う。子どもはもっと柔軟な発想を持っているのだから… 
 

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  [27] 京都の出来事 2005/02/06 22:13:54 

 研究会があって 京都に行った。
 移動のため、何度かタクシーを利用したが、ちょっと面白い話を聞いた。
 客待ちをしていた個人タクシーを拾ったのだが、60才前後の男性運転士の声が 喉のつぶれた しわがれ声だったので「運転手さんの声は、浪曲師みたいですなぁ」と声をかけたら 「これでも高野山で1年間修行してきましたから」との返事が返ってきた。
 元は僧侶だとのこと。実家が寺院で継ぐ寺もあり、僧侶として暮らしたが、自分はまだ生臭いので タクシーの運転手になったとのこと。
 還俗するときに一番喜んだのは、奥さんだそうで、僧侶の妻を止めて 自分のやりたいことをやるんだと大喜びだったそうだ。
 「それで奥さんは何をしているのですか?」というと「自分が言うのも何だけど 今や日本でも5本の指に入る伝統工芸士」とのこと。
 孫が四人いて 一番上の双子も伝統工芸士を目指しているのだそうだが、小学校3年生の女の子が 飛び抜けて感性が鋭く 見よう見まねで 彫金や象眼をするんだと孫の自慢。
 この運転士自身も 大したもので 「孫にパソコン一式を買ってあげた。プジョーのマウンテンバイクを買ってあげた」というので、「タクシーは儲かるんですね」というと「自分は 京都のタクシーの中じゃ稼いでいる方」とこともなげに話す。自信を裏付けるのが 外人客を乗せて英語でガイドをするとのこと。以前、京都から 箱根、熱海を経由して成田空港まで外人客を乗せたことがある。自分を指名してくれるVIPもいるそうだ。

他にも「タクシーを利用したが 三越に28年勤めてリストラされた。退職金はマンションが買える程度。でも、遊んでいたら5〜6年で食えなくなるから タクシー運転手になった」とか。「サラリーマンを卒業して、二度目の就職」等々、あまり景気のいい話題はなかった。
 先の元僧侶の運転手の話が一番 面白かった。

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  [26] 新しい施設のあり方 2005/02/02 23:54:54 

久しぶりに ちょっとした文章を書いてみました。
更に 今話題の一太郎を使って HPに構成してしてみました。文章を画像で表示しているので コピーできません。
 言い訳がましいのですが 思い付きで一気に書いたものですから 充分推敲されているかというと そうでもないと思います。掲載したのを自分自身で読み直して その後修正が加わるかも知れませんので あしからず
 自分では こんな面白いことを安易に見せるのは ちょっと惜しい気もしますが 目立ちたがりとしては 内緒にしていられないようです
 つまりは ちょっと聞いて聞いてという感じで掲載しました。

 なお 試行的に一太郎を使ってみたのです サーバー容量をたくさん使うみたいですが いつもと違って ページ毎に表示されていますから 多少は読みやすいかも知れません 真ん中より 右でクリックすると 次のページに移動します。真ん中より 左でクリックすると前のページに移動します
 体裁ではなくて 内容にご意見をいただければ幸いです。ホームにリンクを作りましたが この文章のタイトルからもアクセス可能です

ホームページリーダーを使っていらっしゃる方は ホームから リーダー用リンクでアクセスしてください

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  [25] いつもより 余計に回して… 2005/01/24 22:18:11 

「 おめでとうございます」のかけ声で 傘の上で一升枡を回す海老市染之介さんが修業時代に「練習したら いつかは師匠の様になれる」と懸命に練習に励んだとのこと。しかし、上手になったときには師匠のような年齢になっていて、その分、運動能力が落ちているから 曲芸の技術を維持するため 修業時代以上に練習しないといけなくなったそうだ。経験を重ね熟練したからといって安心できない。
 年齢を重ねて落ちるのは身体能力だけではない。大脳の活動も低下していく。それを思えば 染之介さんの話を単に美しい話として聞き流すことはできない。誰もがもっている自分自身の課題なのだ。大脳も学んだり考えたりすることを怠ると若いときの力は維持できない。 

 どの分野でも 頼りになるベテランというのが存在するが こういうベテランほど練習を怠らないものなのだろう。練習を怠ると 傘の上から枡が落ちてしまうのだ。
 況や 練習を怠るベテランほど 質の悪いものはない。

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